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第2部 取り、付ける
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あいつの名前はキラ・ソラという。周りの連中も、初めの内はそんな変な名前をネタにあいつのことを馬鹿にしているようだったが、時間が経つに連れて、名前のことなどどうでも良くなったようだった。理由など関係がないのだろう。馬鹿にできる対象があればそれで良い。鬱々とした日常から一時でも解放された気になるための対象があれば、それで良いのだろう。
放課後の教室であいつといるところをクラスメートに見られてから、俺も周りの連中から妙な目で見られるようになった。でも、あいつと同じように、床に転がって黒くなった給食の残りかすのパンを投げつけられるようなことはなかった。教室の中での俺のもとの立ち位置というものが、その大きな変更を許さなかったのだろう。俺の周りには、あいつとは異なる理由で、あまり人がいない。その理由というのは、分数や、少数や、割合の計算が簡単にできるとか、たぶんそんなところだと思う。つまるところ、理由は違えど、俺もあいつも周りの連中から恐れられている点では変わりはない。怖いから近づかない、怖いから関わらない。なんとも動物らしい。
もともと図書室で過ごすことが多かったのに、その一件からというもの、俺は余計に図書室で過ごすことが多くなった。周りの連中を恐れているのではない。ただ、俺が教室にいると、周りの連中はあいつを馬鹿にしづらいみたいだったから、俺の方が気を利かせて図書室に通うことにしただけだ。それが周りの連中にとっても俺にとっても利益になるというだけのこと。
ただ、何をしてもそうだが、俺が図書室に足繁く通うことになったことで、新たな面倒事も生じるようになった。
それというのも、あいつもまた、図書室に頻繁に顔を出すようになったのだ。
どういうわけか、あいつはいつも俺の向かい側の本棚に姿を現した。そして、俺が右に移動すれば左に、俺が左に移動すれば右に、あいつも移動した。ふざけるなと思って叩きつけるように本を棚に戻すと、想像以上に大きな音が室内に鳴り響いて、たまたま背後を通りかかった司書に睨みつけられた。
背後から正面に顔を戻した先に、あいつの顔があった。本棚の上から首を伸ばして、こちらを見ていた。
「やあ」
あいつが図書室に応じた控えめな声を発する。しかしそれでも、髪の短い幼い見た目に反して、大人びた声に聞こえた。
俺は無視を決め込む。手に取ってあった文庫本を開いて目を落とす。
数秒して、本棚の向こうから動く気配があったかと思うと、あいつがこちら側に回り込んできた。俺の隣に立って、こちらをじっと見てくる。しばらくそうしていたかと思うと、あいつは今度は顔をぐっと近づけて、俺が読んでいる本を思い切り覗き込んできた。視界が覆われて何も見えなくなる。
「何すんだよ」声量を落として俺は言った。
あいつは本から視線をずらしてこちらを向く。
「何も」
「近寄るな」俺は言った。「気持ち悪い」
本当は口を利くことすら憚られるはずだった。ただ、何も言わず、無表情のまま、蹴ったり、肩をぶつけたりすることは、俺にはできる気がしなかった。
「話そうムよ」背を向けた俺に向かって、あいつが静かな声で言う。俺みたいに情けなく掠れた声ではなかった。「君と話がしたいム」
「黙れよ」
あいつの言葉には、意味の分からない音調が常につきまとっている。妙な音を発話の最後の方に付け足すのだ。そのことも、あいつが周りの連中から馬鹿にされる理由の一つでもあった。気持ち悪い、と周りの連中は言う。変だ、と俺も思う。でもそれは、気持ち悪いのとは少し違う。
「ね」そう言って、あいつは俺の前方に回り込んでくる。「君さ、私にものを投げつけるの、やめたムよね。なんでかな?」
「は?」
俺は本から顔を上げる。
「ね、なんで?」
あいつの肩越しに、カウンターの向こうから司書がこちらを睨みつけているのが見えた。自分のせいじゃない、と俺は胸の内で悪態を吐く。
「知らねえよ」俺は適当に答えた。
「自分のことなウのに?」
俺はそっぽを向いて、再び本を読み始める。
「ふーん。まあ、いいウよ」と、あいつは言った。「でも、君だけだウよ、やめてくれたの。だから、今日から友達ムね。本当は、あの日から友達のムつもりだったんだけど、なかなか言い出せなかったムんだ」
「ちょっと待て」俺はまた顔を上げて言った。「勝手に決めんな」
「もう、決めちゃったムもんね」そう言って、あいつはにっこりと笑った。
「ふざけんなよ」
「じゃあ、そういうことで」あいつは大仰に手を振って、図書室の出入り口に向かっていく。「また、一緒に遊ぼうムね」
放課後の教室であいつといるところをクラスメートに見られてから、俺も周りの連中から妙な目で見られるようになった。でも、あいつと同じように、床に転がって黒くなった給食の残りかすのパンを投げつけられるようなことはなかった。教室の中での俺のもとの立ち位置というものが、その大きな変更を許さなかったのだろう。俺の周りには、あいつとは異なる理由で、あまり人がいない。その理由というのは、分数や、少数や、割合の計算が簡単にできるとか、たぶんそんなところだと思う。つまるところ、理由は違えど、俺もあいつも周りの連中から恐れられている点では変わりはない。怖いから近づかない、怖いから関わらない。なんとも動物らしい。
もともと図書室で過ごすことが多かったのに、その一件からというもの、俺は余計に図書室で過ごすことが多くなった。周りの連中を恐れているのではない。ただ、俺が教室にいると、周りの連中はあいつを馬鹿にしづらいみたいだったから、俺の方が気を利かせて図書室に通うことにしただけだ。それが周りの連中にとっても俺にとっても利益になるというだけのこと。
ただ、何をしてもそうだが、俺が図書室に足繁く通うことになったことで、新たな面倒事も生じるようになった。
それというのも、あいつもまた、図書室に頻繁に顔を出すようになったのだ。
どういうわけか、あいつはいつも俺の向かい側の本棚に姿を現した。そして、俺が右に移動すれば左に、俺が左に移動すれば右に、あいつも移動した。ふざけるなと思って叩きつけるように本を棚に戻すと、想像以上に大きな音が室内に鳴り響いて、たまたま背後を通りかかった司書に睨みつけられた。
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「やあ」
あいつが図書室に応じた控えめな声を発する。しかしそれでも、髪の短い幼い見た目に反して、大人びた声に聞こえた。
俺は無視を決め込む。手に取ってあった文庫本を開いて目を落とす。
数秒して、本棚の向こうから動く気配があったかと思うと、あいつがこちら側に回り込んできた。俺の隣に立って、こちらをじっと見てくる。しばらくそうしていたかと思うと、あいつは今度は顔をぐっと近づけて、俺が読んでいる本を思い切り覗き込んできた。視界が覆われて何も見えなくなる。
「何すんだよ」声量を落として俺は言った。
あいつは本から視線をずらしてこちらを向く。
「何も」
「近寄るな」俺は言った。「気持ち悪い」
本当は口を利くことすら憚られるはずだった。ただ、何も言わず、無表情のまま、蹴ったり、肩をぶつけたりすることは、俺にはできる気がしなかった。
「話そうムよ」背を向けた俺に向かって、あいつが静かな声で言う。俺みたいに情けなく掠れた声ではなかった。「君と話がしたいム」
「黙れよ」
あいつの言葉には、意味の分からない音調が常につきまとっている。妙な音を発話の最後の方に付け足すのだ。そのことも、あいつが周りの連中から馬鹿にされる理由の一つでもあった。気持ち悪い、と周りの連中は言う。変だ、と俺も思う。でもそれは、気持ち悪いのとは少し違う。
「ね」そう言って、あいつは俺の前方に回り込んでくる。「君さ、私にものを投げつけるの、やめたムよね。なんでかな?」
「は?」
俺は本から顔を上げる。
「ね、なんで?」
あいつの肩越しに、カウンターの向こうから司書がこちらを睨みつけているのが見えた。自分のせいじゃない、と俺は胸の内で悪態を吐く。
「知らねえよ」俺は適当に答えた。
「自分のことなウのに?」
俺はそっぽを向いて、再び本を読み始める。
「ふーん。まあ、いいウよ」と、あいつは言った。「でも、君だけだウよ、やめてくれたの。だから、今日から友達ムね。本当は、あの日から友達のムつもりだったんだけど、なかなか言い出せなかったムんだ」
「ちょっと待て」俺はまた顔を上げて言った。「勝手に決めんな」
「もう、決めちゃったムもんね」そう言って、あいつはにっこりと笑った。
「ふざけんなよ」
「じゃあ、そういうことで」あいつは大仰に手を振って、図書室の出入り口に向かっていく。「また、一緒に遊ぼうムね」
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