【完結】「ごめんなさい」よりも「ありがとう」を

Ringo

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君は僕を許さなくていい

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女が父親と共に去った夜。


「名前をお借りしてしまったから、医長に御礼を伝えないといけないね」

「ご本人はこちらにいらっしゃりたいご様子でしたがね」

「確かに」


面白そうなことになってるのう…と、ご機嫌に顎髭を撫でていた姿を思い出した。


「……オリヴィアは?」

「もうお眠りになられているかと」

「そうか……」


話し合いの席でのオリヴィアを思い出すと、一層胸が苦しくなる。言い訳などしても仕方ないと、そう思って多くを伝えていない…それが正解だったのかは分からないまま。

椅子に根付きそうな腰をあげ、重い枷をつけているような足を進めて向かうのは夫婦の寝室。

以前はこの扉を明けるのが楽しみだった。

どんなに遅くて帰ってきても、必ず起きて待っていてくれたオリヴィア。


『お疲れさまでした』


ふわりと笑って迎え入れてくれる事が…その笑顔を見られることがどれだけの幸せだったのか、こうなってみて強く焦がれてしまう。

物音のしない寝室の扉を開ければ、薄い照明だけが灯されていて……


『ロイド』


寝台の端で小さく丸まって眠る妻から、愛情深い柔らかな声で名を呼ばれることはない。


「……オリヴィア…」


静かに寝台に入り、背を向けて眠る愛しい人に小さく声をかけるも反応があるはずもない。

もう駄目なのだろうか……

そんな不安が襲うも、それだけは避けたくて。


「…おやすみ…オリヴィア…」




* * * * * *




女との話し合いから半年。妻との関係は改善されないまま、寝台での距離も人ひとり分空いたまま埋まらず…どうすればいいのか悩み続けていたところで聞いた侍女の会話。


『ありがとうって言ったの』


この半年、僕がオリヴィアに伝え続けてきたのは謝罪ばかり。もしかしたら、そのたび思い出させていたのだろうか……


「お帰りなさいませ、若様」


家に帰るも、迎える者の中に愛する妻の姿は当然ながらない。この生活が半年。


「ただいま…オリヴィアはどうしてる?」

「もうお休みになられました」

「え?……もう?」


オリヴィア付きの侍女を見やれば、困ったように眉を下げている。いつもよりずっと早い帰宅になると、そう先触れも出していたのに…


「そう……か」


オリヴィアの姿は、この半年寝台でしか見ていない。帰る頃には既に寝ていて、朝食も夕食もひとりきり。唯一触れられるのは、僕が寝台に入る時と出る時の眠るオリヴィアへの口付けだけ。もちろん唇にすることなど出来ず、柔らかな頬にそっと落とす。

この半年、何度も夜中小さく嗚咽を漏らす様子を見てきた。今朝も頬には涙の跡があって、目尻は少し赤くなっていたのを確認している。


「お食事のご用意は出来ています」

「あぁ……その前に少し様子を見てくる」




* * * * * *




子供でもまだ起きている時間、寝台にいる妻は頭までシーツを被っていた。


「……オリヴィア」


いつも通り、呼び掛けても反応はない。もう二度と笑顔は見せてくれないのかもしれない…そう思うだけで泣きそうになる。


「オリヴィア…ありがとう」


これも間違いかもしれない。他人が功を奏したものを利用しても、うまくいくはずもない。それでも伝えたかった。謝罪より、伝えたい事はもっとたくさんあったのだと思ったから。


「僕と結婚してくれてありがとう。毎日、起きて待っていてくれたこと嬉しかった…ありがとう。君の笑顔に迎えられると、どんな疲れも吹き飛んだんだよ」


願わくば、また君の笑顔が見たい。


「いつも新しいハンカチには綺麗な刺繍をしてくれてありがとう。どこの針子さんに刺してもらったんだ?って評判だった」


今の僕が持つハンカチは、もう何度も洗われて少し草臥れている。


「いつも僕の体調に合わせてハーブティーを選んでくれてありがとう。おかげで、昔から悩まされていた頭痛も改善されたんだ」


またオリヴィア特製のハーブティーが飲みたい。


「オリヴィア…たくさん傷付けたのに、傍に居てくれてありがとう……愛してる」

「……し…だっ……て」

「…え…?」


まだシーツは被ったまま、くぐもった声が聞こえてきて…半年ぶりに聞いた愛しい声に、愛しさが溢れて胸が締め付けられた。


「わた…し……だっ…て」


泣きながら、つっかえながら言葉を発する様子に今すぐ抱き締めたくなる。


「あ……て……の」


小さすぎて聞き取れない。


「オリヴィア……ごめん、聞き取れなかった」


ここでの謝罪なら大丈夫だろうかと不安になる。でも、半年ぶりに会話をして…それを終わらせたくなかった。


「…………」


もぞり…と動いて、シーツから少しだけ目を覗かせたところで動き出しそうになって堪えた。まだそこまで許されていない。


『他の女性に触れた手で触らないで!』


あの日ぶつけられた言葉が押し止めさせる。


「……っ、オリヴィア…」


まだ明るい室内だから分かる赤い目が痛々しい。


「あなたを…っ…嫌いに…なれ……ない」


溢れ出す涙を拭いたい。


「ほか…の人に…っ、触れ…たこと…っ許せない」

「許さなくていい」

「あの人をっ…抱い…っ抱いたこと…許せ…ない」

「許さなくていい」

「ほかの人…っに…与え……たこと…許せない」

「許さなくていい」


目が溶けてしまうんじゃないかと思うほど溢れる涙に、我慢できなくて手を伸ばした。


「許さないで。僕がしたこと、ずっと責めていいから……だから、全部ぶつけてほしい」


食事をあまり取らないのだと聞いていた。ただでさえ細い体が、より細くなっているのだと。抱き締めることの出来ない僕には、それを確かめる事など出来なかった。


「僕に対する思いを我慢せずにぶつけてほしい」

「……突然…っ…苛立つし……っ、悲しくなる」

「それでもいい。理由があろうとなかろうと、オリヴィアの気持ちは全部受け止める」

「あなたを…っ…ひっぱたいてやりたく…なる」

「好きなだけ叩いていい」


オリヴィアが向けてくれる感情なら、ひとつ残さず受け止める。


「あなたを……っ…」

「うん」

「……っ…あなたを……愛してるの…」


シーツごと抱き締めた。

ただ謝ることしか出来ず、不甲斐ない僕を許せないと……それでも愛しているのだと苦しみ続けたオリヴィアが愛しくて堪らない。


「お見送りも…っ…お迎えも……ごめんなさい」

「家にいてくれるだけでいい」

「ひとりで…っ、食事させて…ごめん…なさい」

「構わない」


シーツ越しでも、ひどく痩せてしまったことが分かる。その細さが、オリヴィアの心細さを表しているようで胸が軋んだ。


「あなたと…っ…話したかった……っ」

「ありがとう」


きっと逃げ出したいほど辛かったはず。顔も見たくないほどに腹立たしかっただろう。それでも、必ずこの寝台にいてくれた。

半年ぶりに目を合わせて、侍女の旦那が言っていたという言葉が痛いほど分かった。


「オリヴィア…愛してる」


大好きな笑顔は涙に濡れているけれど、誰よりも美しくて可愛いと思う。

そして、半年ぶりに触れた唇は以前と変わらず柔らかかった。




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