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助けて ※多者視点
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平民アイシャは両親と弟妹5人の8人家族。
家族のために働く為、少しでも給金のいいところを…と一人考え悩んでいた時、そんな娘の力になりたいと両親から提案がなされた。
学園に通うなど少ない家計を知っているアイシャには到底受け入れられなかったが、いい働き口を見つけたら弟妹の番が来たときには両親を助けられる…と思い直し、学園に入学すべく努力する日々が始まった。
しかしそこには平民と貴族の間に存在する高い段差があり…貴族の子供なら幼い頃から学ぶそれらを、アイシャはひとつひとつ、学べる有り難みも噛み締めながら次々と吸収してのぼっていく。
元の才に加えてあまりの勤勉ぶりに感銘を受けた講師や家庭教師達が、時間外などにもアイシャと相対して指導を無料で追加するほど。
着々と高い段差をのぼるアイシャは、通常なら最短2年と呼ばれる予備院を半年でクリアし、遂に学園の二年生に特待生としての編入が決まったのだ。
『やったぁ!!これで学費や生活費は全て免除されるし、上位の成績を修めて卒業できれば平民には難しい職種も可能になるわ!ありがとう、お父さん、お母さんっ…』
予備院と家庭教師にかかったお金は決して安くない。だからこそ、必ず上位成績のまま卒業するのだと固く誓って編入の日を迎えた。
平等を謳う学園内にも、小さからず身分差から生まれる軋轢があると聞く。文字通り血の滲む思いをしてきたんだ…だからこそ、何があろうと負けないし諦めない。
そう意気込んで編入してきたアイシャ。
「生徒より教師の方が身分が下…なんてことは割とあるからね。その為にも平等を啓示しているんだけどなぁ…必ず沸いて出てくるんだよね、不穏分子となりうる人」
「そもそも教えを乞うのに見下そうとする態度がわたくしは気に入らないわっ!!」
「怒らないで、僕のラシュエル。そんな奴らは一人残らず握り潰して形跡すら残さないから」
ぷりぷりと怒っているラシュエルに、デロデロと甘やかしながら静かに怒りを滲ませるマリウス…ラシュエルの気分を害しているこの時点で、不穏分子達の行く末は決まってしまった。
「もうっ!でも本当よね。わたくしだって誰しもが綺麗な心だけを持っているなんて思わないもの。誰かに怒ったり、誰かを妬んだり…それは普通のことよ?それなりの報復が必要悪となることもある。けれど、それを憂さ晴らしにだけ利用、悪用するのが許せないっ」
どんなにぷりぷり怒りながら紅茶を飲んでも、優雅さを一切崩れさない作法を披露するラシュエルにマリウスはとことん惚れ直し、アイシャは高位貴族の、しかも王太子妃教育を受けているラシュエルの高貴さを目の当たりにして見惚れた。
うっかり話を止めてしまうほど。
「それで?編入や入寮の手続きに問題はなかったのかしら?教師や生徒に無礼な対応はされなかった?」
もはや尋問されている気分になりそうなアイシャだが、鋭い目付きすらも綺麗だなぁ…と、平民にはまずいないピンクゴールドの瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
「はい、手続きは問題なく終わりました。編入でしたので馴染めるか…そこに僅かな不安はありましたが、同じクラスの…ご令嬢方がとても良くしてくださって……」
「……問題は男性達ね?」
始まりは一冊の小説だった。
その小説が題材となった演劇を観に行った令嬢が熱弁を振るい、『アイシャも平民だが自分の力で頑張る姿は小説とは似ても似つかない!!自分にはなかなか知ることのない苦労も沢山しているだろうから尊敬もしてる』…と。
この発言をした令嬢、実は編入時一番にアイシャを声をかけた人物で、貴族らしからぬ気さくな人柄と気遣いから慣れないことがあればアイシャも頼っていた。
学園で出来た一番の友人。
「バークレイ侯爵家のメリンダ様は…私も他の平民にも分け隔てなくっ……困ったときはお互い様なのよ…って…」
「メリンダ様らしいわね。あの方が参加されるかどうかでお茶会の人気が左右されるとまで言われているのよ、わたくしも大好きな方だわ」
「メリンダ様は…あくまでも嫌味などではなく『尊敬する』と仰ってくださったんです。家事や料理は勿論、着替えも湯浴みだってひとりでしたことがないから…『いつか一緒にやりたいと言ったら嫌いになる?』と聞かれたこともありました」
その会話が楽しいものだったと分かるほど、涙を流しながらもアイシャはここに来て一番の笑顔を見せた。
「楽しそう…あの…わたくしもひとりで髪を梳かしたことすらありませんの。勿論、いつも素敵に編み込んでくれる事に感謝はしているのよ?でも…もしそのような機会があれば…わたくしもお友達と挑戦してみたいですわ」
もじもじと照れながらの参加表明に、アイシャだけではなくマリウスや周囲の者が皆目を丸くして驚いた。それはもう、息を止めてしまうほど…可愛らしくて。
ラシュエル付きの侍女サラは、それこそラシュエルがひとりで悪戦苦闘するのを想像してにやけている。
そんな中、すぐに回復したのはやはりマリウス。
「ラシュエル、まさか泊まりで行きたいなんて言わないよね?どうしても泊まりで集まりたいなら王宮でやればいい。僕との泊まり以外に行かないで…」
ただでさえ貴重なお泊まり会を横取りなどさせるもんかっ!と、こちらもまた不貞腐れながらも優雅な仕草でお茶を飲んでいる。片手はラシュエルの腰に固定したままで。
そして、ラシュエルは温かい気持ちになっていた。マリウスの嫉妬や束縛は基本的に喜びと幸せの材料なのだが、ここで感じたのは…いや、それもあるがそれプラス。
公然の秘密とはいえ、それを知るのは王家と公爵家の者達だけ…それをさも普通の事のようにアイシャに告げてみせた。
それはつまり、アイシャが齎す内容に重要なことが含まれていると察した事と…アイシャが信用するに値すると云っているのだ。
つまり…王宮で女官や侍女として働く道も開かれたも同義で、それはアイシャの…努力する事を怠らない人間とそれを支える家族を救うだけの給金が発生する。当然、働くにあたり身辺調査や試験はあるけれど。
「…大好きよ、マリウス」
不意の囁きに、柔らかい笑みで応えるマリウス。
その様子を見て、アイシャは心を決める。
「メリンダ様の発言を『差別だ』と糾弾し始めた人がいたんです…モスキュート伯爵令息の…」
「…二年生のモスキュート伯爵令息…トリスタン様ね?」
「はい」
「…押し売りヒーローか」
思うところはあるものの、マリウスの呟きは躱してアイシャは話を続ける。
あくまでも友人同士の会話として楽しんでいた二人のもとに、トリスタンは『差別をするような下衆な女め!』と割り込み、頼んでもいないのにアイシャの腕を取って背に隠した。
アイシャは突然のことに何が起こったのか混乱するが、誤解を解かねばと我に返り進言しようにも既に二人が舌戦を繰り広げている…メリンダ優勢で。
トリスタンは悔しそうに顔を赤くしてメリンダを睨んでいるが、これなら妙な誤解は引き摺らないだろうと判断して自身の発言を控えた…これが引き金となるとは思わずに。
トリスタンはアイシャが不当な差別と扱いを令嬢達から受けているのだと大声で怒鳴り始め、メリンダを『陰で虐めながら友人の振りを強要する極悪人』だとまで言い始めた。
そう…流行小説の内容にあるように。
聡明な生徒達はくだらない茶番だと分かっていたが、刺激的な荒事を好む一部の男性達はトリスタンに加勢する。
アイシャがいかにか弱くて力を持たぬ者であり、自分達が守り支えるべき存在なのだと語り始め、『今後一切お前らからの接触は禁止する!』と威嚇し、そのままアイシャを連れて教室を出ていってしまった。
止めようとしたメリンダ達令嬢は阻む者や心配する者によって足を止められ、ただアイシャを見送るしか出来なかったのだ。
一連の出来事を話すアイシャは、懸命に涙を堪えている。
「…アイシャ、無理はしないで」
「いいえっ…全てをお話しします」
トリスタンを筆頭に5人の男性に連れていかれたのは空き教室で、入ると同時に鍵は閉められ囲まれた。
貴族のマナーをしっかりと学びんでいたアイシャは、その暴挙に驚くと共に恐怖を感じて身を竦ませるが…勘違いにも人助けをした愉悦に酔っているトリスタンは厭らしい笑みを浮かべ、怯えて震えるアイシャを抱き締めた。
『もう大丈夫だ、俺達が守ってやる』
本当は逃げ出したい、どうして自分は女なのかと呪いたくもなった。こんなことなら護身術も習うべきだった。
そんなことをツラツラと考えながらも、5人の男を前に抗う術を持たないまさにか弱きアイシャは涙を流し、その意味を勘違いしたヒーロー気取りのトリスタンは…あろうことかアイシャに口付けた。
「なっ!!そんなっ…」
ラシュエルは怒りと悲しみから震え出し、マリウスはそれを受けとめたことにより…アイシャの話から聞く男達への不快な気分に殺意まで込め始めている。
「せめてもの救いは…私にとって初めてのキスは初恋の幼馴染みに捧げてあったことです。だから…悔しいけれど、心が地獄に落ちることは避けられました」
もうその幼馴染みも結婚してますけどね、と微笑むアイシャにその場の全員がほんの少しだけ…爪先ほどだけ胸を撫で下ろす。
「その日は話をするだけで終わりました。けれど、その日から不安が拭えない日々が始まったんです…あの小説の内容に沿っているなら…と……」
ラシュエルと侍女サラはヒュッと息を飲む…
それもそうだ…小説では、徐々に気持ちが通じるようになった平民上がりの女性と男達が、それぞれと…時には複数で交わる事で歪な絆を築いていくのだから。
「どんなに誤解なのだと、小説と私は別人格なのだと申し上げても『男に頼り甘えることは悪いことじゃない』と言って憚らず…一度、寮の私室に侵入されたこともあります」
「それは規則違反よっ!寮長は何をしていたの!?」
「恐らく金か宝石でも握らせたのだろう…もう学生同士の問題の域を越えているな」
マリウスは、思わず立ち上がったラシュエルを座らせ、ショックで震える体を抱き締める…涙を必死で堪えているのは、本来泣くべき者が毅然と現実に向き合っているからだろう。
マリウスの内心も荒れていた。
そんな勘違い野郎にもしもラシュエルが狙われたのだとしたら、殺すだけは気が済まない。一族郎党でも甘いくらいだ。
そんな男どもがのうのうと通っている学園にラシュエルを通わせることは出来ない…のに、気丈に振る舞おうとする姿に、やはり惚れ直してしまう。
マリウスは視線を僅かにだけ動かしてサミュエルを見ると、それに頷く完璧な主従関係。
この瞬間、ラシュエルの警備強化と寮長捕縛、5人の身辺調査が決まった。
「いつ…いつ彼らが襲ってくるのか怖くてっ」
「アイシャっ!」
ラシュエルはマリウスの腕から抜けて、アイシャの元へ駆け強く強く抱き締める。
蝶よ花よと育てられる貴族令嬢も、いざと言う時の為に短剣を持ったり自決の覚悟をしていたりはする。それでも拭えないのだ。一瞬の隙を突いて…手籠めにされたり殺されたりする恐怖を。
平民として生きてきたアイシャでさえこんなにも震えているのだ…自分の身に置き換えたラシュエルも同じように震えながら、アイシャを抱き締めることはやめない。
「ラシュエルっ、さま…」
緊張の糸が切れたのか安心したのか、アイシャの目から泥寧の涙が溢れだす。それらはラシュエルの高価なドレスに幾つも染みを作っていくが、彼女がそれに構うことはない。
流してしまえばいい。
押し付けられた恐怖も、不安だった気持ちも。
「たすっ、助けてくださいっ…メリンダ様をっ」
絞り出すような掠れて紡がれたその言葉を最後に、アイシャは気を失った。
家族のために働く為、少しでも給金のいいところを…と一人考え悩んでいた時、そんな娘の力になりたいと両親から提案がなされた。
学園に通うなど少ない家計を知っているアイシャには到底受け入れられなかったが、いい働き口を見つけたら弟妹の番が来たときには両親を助けられる…と思い直し、学園に入学すべく努力する日々が始まった。
しかしそこには平民と貴族の間に存在する高い段差があり…貴族の子供なら幼い頃から学ぶそれらを、アイシャはひとつひとつ、学べる有り難みも噛み締めながら次々と吸収してのぼっていく。
元の才に加えてあまりの勤勉ぶりに感銘を受けた講師や家庭教師達が、時間外などにもアイシャと相対して指導を無料で追加するほど。
着々と高い段差をのぼるアイシャは、通常なら最短2年と呼ばれる予備院を半年でクリアし、遂に学園の二年生に特待生としての編入が決まったのだ。
『やったぁ!!これで学費や生活費は全て免除されるし、上位の成績を修めて卒業できれば平民には難しい職種も可能になるわ!ありがとう、お父さん、お母さんっ…』
予備院と家庭教師にかかったお金は決して安くない。だからこそ、必ず上位成績のまま卒業するのだと固く誓って編入の日を迎えた。
平等を謳う学園内にも、小さからず身分差から生まれる軋轢があると聞く。文字通り血の滲む思いをしてきたんだ…だからこそ、何があろうと負けないし諦めない。
そう意気込んで編入してきたアイシャ。
「生徒より教師の方が身分が下…なんてことは割とあるからね。その為にも平等を啓示しているんだけどなぁ…必ず沸いて出てくるんだよね、不穏分子となりうる人」
「そもそも教えを乞うのに見下そうとする態度がわたくしは気に入らないわっ!!」
「怒らないで、僕のラシュエル。そんな奴らは一人残らず握り潰して形跡すら残さないから」
ぷりぷりと怒っているラシュエルに、デロデロと甘やかしながら静かに怒りを滲ませるマリウス…ラシュエルの気分を害しているこの時点で、不穏分子達の行く末は決まってしまった。
「もうっ!でも本当よね。わたくしだって誰しもが綺麗な心だけを持っているなんて思わないもの。誰かに怒ったり、誰かを妬んだり…それは普通のことよ?それなりの報復が必要悪となることもある。けれど、それを憂さ晴らしにだけ利用、悪用するのが許せないっ」
どんなにぷりぷり怒りながら紅茶を飲んでも、優雅さを一切崩れさない作法を披露するラシュエルにマリウスはとことん惚れ直し、アイシャは高位貴族の、しかも王太子妃教育を受けているラシュエルの高貴さを目の当たりにして見惚れた。
うっかり話を止めてしまうほど。
「それで?編入や入寮の手続きに問題はなかったのかしら?教師や生徒に無礼な対応はされなかった?」
もはや尋問されている気分になりそうなアイシャだが、鋭い目付きすらも綺麗だなぁ…と、平民にはまずいないピンクゴールドの瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
「はい、手続きは問題なく終わりました。編入でしたので馴染めるか…そこに僅かな不安はありましたが、同じクラスの…ご令嬢方がとても良くしてくださって……」
「……問題は男性達ね?」
始まりは一冊の小説だった。
その小説が題材となった演劇を観に行った令嬢が熱弁を振るい、『アイシャも平民だが自分の力で頑張る姿は小説とは似ても似つかない!!自分にはなかなか知ることのない苦労も沢山しているだろうから尊敬もしてる』…と。
この発言をした令嬢、実は編入時一番にアイシャを声をかけた人物で、貴族らしからぬ気さくな人柄と気遣いから慣れないことがあればアイシャも頼っていた。
学園で出来た一番の友人。
「バークレイ侯爵家のメリンダ様は…私も他の平民にも分け隔てなくっ……困ったときはお互い様なのよ…って…」
「メリンダ様らしいわね。あの方が参加されるかどうかでお茶会の人気が左右されるとまで言われているのよ、わたくしも大好きな方だわ」
「メリンダ様は…あくまでも嫌味などではなく『尊敬する』と仰ってくださったんです。家事や料理は勿論、着替えも湯浴みだってひとりでしたことがないから…『いつか一緒にやりたいと言ったら嫌いになる?』と聞かれたこともありました」
その会話が楽しいものだったと分かるほど、涙を流しながらもアイシャはここに来て一番の笑顔を見せた。
「楽しそう…あの…わたくしもひとりで髪を梳かしたことすらありませんの。勿論、いつも素敵に編み込んでくれる事に感謝はしているのよ?でも…もしそのような機会があれば…わたくしもお友達と挑戦してみたいですわ」
もじもじと照れながらの参加表明に、アイシャだけではなくマリウスや周囲の者が皆目を丸くして驚いた。それはもう、息を止めてしまうほど…可愛らしくて。
ラシュエル付きの侍女サラは、それこそラシュエルがひとりで悪戦苦闘するのを想像してにやけている。
そんな中、すぐに回復したのはやはりマリウス。
「ラシュエル、まさか泊まりで行きたいなんて言わないよね?どうしても泊まりで集まりたいなら王宮でやればいい。僕との泊まり以外に行かないで…」
ただでさえ貴重なお泊まり会を横取りなどさせるもんかっ!と、こちらもまた不貞腐れながらも優雅な仕草でお茶を飲んでいる。片手はラシュエルの腰に固定したままで。
そして、ラシュエルは温かい気持ちになっていた。マリウスの嫉妬や束縛は基本的に喜びと幸せの材料なのだが、ここで感じたのは…いや、それもあるがそれプラス。
公然の秘密とはいえ、それを知るのは王家と公爵家の者達だけ…それをさも普通の事のようにアイシャに告げてみせた。
それはつまり、アイシャが齎す内容に重要なことが含まれていると察した事と…アイシャが信用するに値すると云っているのだ。
つまり…王宮で女官や侍女として働く道も開かれたも同義で、それはアイシャの…努力する事を怠らない人間とそれを支える家族を救うだけの給金が発生する。当然、働くにあたり身辺調査や試験はあるけれど。
「…大好きよ、マリウス」
不意の囁きに、柔らかい笑みで応えるマリウス。
その様子を見て、アイシャは心を決める。
「メリンダ様の発言を『差別だ』と糾弾し始めた人がいたんです…モスキュート伯爵令息の…」
「…二年生のモスキュート伯爵令息…トリスタン様ね?」
「はい」
「…押し売りヒーローか」
思うところはあるものの、マリウスの呟きは躱してアイシャは話を続ける。
あくまでも友人同士の会話として楽しんでいた二人のもとに、トリスタンは『差別をするような下衆な女め!』と割り込み、頼んでもいないのにアイシャの腕を取って背に隠した。
アイシャは突然のことに何が起こったのか混乱するが、誤解を解かねばと我に返り進言しようにも既に二人が舌戦を繰り広げている…メリンダ優勢で。
トリスタンは悔しそうに顔を赤くしてメリンダを睨んでいるが、これなら妙な誤解は引き摺らないだろうと判断して自身の発言を控えた…これが引き金となるとは思わずに。
トリスタンはアイシャが不当な差別と扱いを令嬢達から受けているのだと大声で怒鳴り始め、メリンダを『陰で虐めながら友人の振りを強要する極悪人』だとまで言い始めた。
そう…流行小説の内容にあるように。
聡明な生徒達はくだらない茶番だと分かっていたが、刺激的な荒事を好む一部の男性達はトリスタンに加勢する。
アイシャがいかにか弱くて力を持たぬ者であり、自分達が守り支えるべき存在なのだと語り始め、『今後一切お前らからの接触は禁止する!』と威嚇し、そのままアイシャを連れて教室を出ていってしまった。
止めようとしたメリンダ達令嬢は阻む者や心配する者によって足を止められ、ただアイシャを見送るしか出来なかったのだ。
一連の出来事を話すアイシャは、懸命に涙を堪えている。
「…アイシャ、無理はしないで」
「いいえっ…全てをお話しします」
トリスタンを筆頭に5人の男性に連れていかれたのは空き教室で、入ると同時に鍵は閉められ囲まれた。
貴族のマナーをしっかりと学びんでいたアイシャは、その暴挙に驚くと共に恐怖を感じて身を竦ませるが…勘違いにも人助けをした愉悦に酔っているトリスタンは厭らしい笑みを浮かべ、怯えて震えるアイシャを抱き締めた。
『もう大丈夫だ、俺達が守ってやる』
本当は逃げ出したい、どうして自分は女なのかと呪いたくもなった。こんなことなら護身術も習うべきだった。
そんなことをツラツラと考えながらも、5人の男を前に抗う術を持たないまさにか弱きアイシャは涙を流し、その意味を勘違いしたヒーロー気取りのトリスタンは…あろうことかアイシャに口付けた。
「なっ!!そんなっ…」
ラシュエルは怒りと悲しみから震え出し、マリウスはそれを受けとめたことにより…アイシャの話から聞く男達への不快な気分に殺意まで込め始めている。
「せめてもの救いは…私にとって初めてのキスは初恋の幼馴染みに捧げてあったことです。だから…悔しいけれど、心が地獄に落ちることは避けられました」
もうその幼馴染みも結婚してますけどね、と微笑むアイシャにその場の全員がほんの少しだけ…爪先ほどだけ胸を撫で下ろす。
「その日は話をするだけで終わりました。けれど、その日から不安が拭えない日々が始まったんです…あの小説の内容に沿っているなら…と……」
ラシュエルと侍女サラはヒュッと息を飲む…
それもそうだ…小説では、徐々に気持ちが通じるようになった平民上がりの女性と男達が、それぞれと…時には複数で交わる事で歪な絆を築いていくのだから。
「どんなに誤解なのだと、小説と私は別人格なのだと申し上げても『男に頼り甘えることは悪いことじゃない』と言って憚らず…一度、寮の私室に侵入されたこともあります」
「それは規則違反よっ!寮長は何をしていたの!?」
「恐らく金か宝石でも握らせたのだろう…もう学生同士の問題の域を越えているな」
マリウスは、思わず立ち上がったラシュエルを座らせ、ショックで震える体を抱き締める…涙を必死で堪えているのは、本来泣くべき者が毅然と現実に向き合っているからだろう。
マリウスの内心も荒れていた。
そんな勘違い野郎にもしもラシュエルが狙われたのだとしたら、殺すだけは気が済まない。一族郎党でも甘いくらいだ。
そんな男どもがのうのうと通っている学園にラシュエルを通わせることは出来ない…のに、気丈に振る舞おうとする姿に、やはり惚れ直してしまう。
マリウスは視線を僅かにだけ動かしてサミュエルを見ると、それに頷く完璧な主従関係。
この瞬間、ラシュエルの警備強化と寮長捕縛、5人の身辺調査が決まった。
「いつ…いつ彼らが襲ってくるのか怖くてっ」
「アイシャっ!」
ラシュエルはマリウスの腕から抜けて、アイシャの元へ駆け強く強く抱き締める。
蝶よ花よと育てられる貴族令嬢も、いざと言う時の為に短剣を持ったり自決の覚悟をしていたりはする。それでも拭えないのだ。一瞬の隙を突いて…手籠めにされたり殺されたりする恐怖を。
平民として生きてきたアイシャでさえこんなにも震えているのだ…自分の身に置き換えたラシュエルも同じように震えながら、アイシャを抱き締めることはやめない。
「ラシュエルっ、さま…」
緊張の糸が切れたのか安心したのか、アイシャの目から泥寧の涙が溢れだす。それらはラシュエルの高価なドレスに幾つも染みを作っていくが、彼女がそれに構うことはない。
流してしまえばいい。
押し付けられた恐怖も、不安だった気持ちも。
「たすっ、助けてくださいっ…メリンダ様をっ」
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