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滅国の末裔
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まだ日が昇り始めたばかりの時間、幾度も愛されすやすやと眠るラシュエルの頬にキスをして、起こさぬように静かに寝台を出る。
カチャ───
「お待たせ、エドワード」
「ラシュエルは?」
「ぐっすり寝てる…薬の影響もあると思う」
下女クレアによれば、副作用として強烈な眠気をもたらすらしい…まったく気付かなかった。僕との情事が激しすぎるのか、長すぎるのか…それとも妊娠初期の症状なのかとすら思っていたのに。
「ナルジスカの言語は分かるか?」
「いや、さすがに全く交流のない遠方の…今は滅んだに等しい国だから分からない」
遥か遠い異国ナルジスカは、かつてシャパネと同じくらいの規模を誇る国だったと文献には記載されていた。
豊かな土地には様々な農産物が実り、高い技術を持つ職人達で栄え美しい女性が多いと評判の国…それらを欲する国はひとつやふたつではなく、回りを囲む国全てが敵と言っても過言ではなくなりやがて少しずつ土地を削り取るように侵略を繰り返されていった。
国王は自ら前線に立ち戦い、けれど四方八方からいたぶるように攻撃を仕掛けられては土地の侵略と女性の誘拐が頻発したことで、何よりも民を大切にしていた国王は国を残すことよりも民を逃がしその命を守る事を決意する。
だが、それに反発したのは他でもない国民。
己を華美するよりも、常に国民に寄り添い国を発展させることに尽力してきた国王。戦があれば誰よりも前線に立ち、大剣を振るって守ろうとしてくれた国王…国民達はその命と矜持を守る為に立ち上がり、侵略を繰り返す敵陣と戦い続けた。
しかし訓練を積んだわけでもない人間が兵士や騎士に勝てるはずもなく、実に多くの命がひとりの男の矜持を守る為に散り逝くこととなった。
やがて、城の周囲を除いた土地を侵略し尽くした周辺国は満足したかのように手を引き、そのあとには国民の消えた荒れ地のみが残された。
「城には当時から変わらぬ国王と数名の兵士や使用人が残っていると記されていたが…なにぶん交流はないし、【沈黙の国】と呼ばれるほどに国について何かが発信されることもない」
「クレアの祖母がナルジスカ出身っていうのも…恐らく逃亡するのを助けたんだろうな」
「あぁ」
「それにしても、何故ナルジスカは避妊薬なんか作ってるんだ?もう国民も城に住む使用人くらいなんだろ?それに、どことも国交が無いはずなのに何故シャパネの貴族が持っているんだ?」
「僕にも分からない…情報が少なすぎる」
ナルジスカの国王は、僕の祖父と同年代だったはず…何か知っているだろうか。正直、曾祖父とまで言わずとも好色爺の祖父にはあまり会いたくないけれど、そうも言ってられない。
「お祖父様に会ってくる」
******
聞きたいことがあると先触れを出すと、思いの外すんなりと許可がおりたので久し振りに祖父の住む離宮へとやって来た…のだが。
「…離れてください」
「あら、つれないのね」
祖父を待っている部屋に、囲われている愛人が突如現れベタベタと纏わりついて離れない。甘ったるい香水が鼻につくし、先代国王の愛人とあって護衛達も手が出せずにいる。
「僕には愛する妻がいる」
「先代様にだっているわよ?」
「僕は祖父とは違う」
「そんなこと言わずに…ね?」
今すぐ切り捨てていいだろうか。愛人と言っても替わりのきく女だし、ひとりやふたり減ったところで気にもしないんじゃないか?
「おぉ、待たせたな」
そろそろ我慢の限界を迎えそうになった時、やたら露出の激しい女を腕にぶら下げて祖父が呑気にやって来たが、明らかに先ほどまで致してましたという雰囲気を纏っている。
「ご無沙汰しております」
「いいいい、座れ」
立ち上がり礼をすればそう言われて座るも、その瞬間に愛人がするりと腕に巻き付いてきて胸を押し付けられた。
「なんだ?その女じゃ不満か?」
「ラシュエル以外なら不満しかありません」
「ははっ、確かにお前は幼き頃からあの娘しか見ていなかったからな。でもたまには余所を味見してみるのもいいものだぞ?その女は男を喜ばせる技巧に長けている」
「必要ありません。ラシュエルだけで充分満足してますので」
「デュスランのように頭が固い」
さわさわと股間を触られているが僕のものは反応せず、女が悔しそうにしているのが分かる。反応しなくて当たり前だ、この女はラシュエルではないのだから。
さすがに前を寛がせようとしてきたところで、手を掴んで離し祖父を睨み付けた。
「やめてやれ、そいつはお前じゃ無理だ。ところでこんな朝早くどうした?聞きたいこととは?」
「ナルジスカについてお聞きしたいことが」
「…人払いを」
それまでの好色さを一瞬で霧散させ、低く発せられた言葉に隣の愛人ですらスッと立ち上がって部屋をあとにしていく。
サミュエルにも部屋の前で待機しておくように命じ、部屋には祖父と僕だけだ。
「───なぜナルジスカについて聞きたい?」
熱いお茶をひとくち飲んで僕に問う祖父は、父上よりも威厳があり畏怖を感じる。孫もいて王位から退いたとはいえまだ50代前半の祖父は、知らぬ人が見ればもっと若く見えるだろう。服の上からでも鍛えられているのが分かる肉体と、多くの女を侍らせる色香は伊達じゃない。
「…ラシュエルに、ナルジスカの避妊薬が盛られていました。恐らく婚姻してすぐの頃から」
「それがなかなか慶事の報せがない原因か」
「…はい」
悔しいなんてもんじゃない。毒見をさせても、無味無臭で効能が避妊であれば気付くことは出来ず…盲点だった。
「なぜナルジスカの物だと分かった?」
「下女のひとりがナルジスカ出身の祖母を持ち、幼い頃から言語と文字を学んできたと…」
「ほぉ…」
祖父が片眉をあげるのは興味を持ったとき…まさか下女まで手を出すわけではあるまいな。
「ナルジスカはお祖父様がシャパネを治めていた頃、侵略に遭い機能をなくしたと聞いています。どこの国とも国交を持たない彼の国の薬が、なぜシャパネに持ち込まれているのか…」
「ナルジスカは滅んだと言われている」
「ですが───」
「表向きは…だ」
ニヤリと笑う祖父は、男であり孫でもある僕でさえドキリとするほどに魅力的だ。
「恐らくデュスランの後を継ぐのはお前で間違いないだろう…それならば知っておくべきことがある。ナルジスカの真実について」
「…ナルジスカの真実…」
「ナルジスカは今も多くの国民を抱えている」
「え…ですが、土地は殆ど──」
「まぁ聞け。確かに度重なる侵略で土地は失っている。だが、あくまでも地上の土地を…だ」
「……まさか…っ」
祖父は満足そうに口角をあげて笑み、お茶を口にする。これは正解を出せた時に褒めてくれている仕草だと知っている。
「ナルジスカは、侵略が本格化すると同時に地下都市への移住を始めた。それまでも小さな諍いはあってな…美しい女達の連れ去りも僅かながら報告されていた。けれど平和な国の民に武力などない。だからこそ秘密裏に地下都市の建設を始めて、いざと言う時には丸ごとそこへ避難出来るようにしたんだ」
「地下…都市……」
「そこでは今も多くの民が生活を営んでいる。避妊薬が精製されているのは、あまりにも多くの女が誘拐されたことによる副産物…と言ったところだな。万が一連れ去られても、望まぬ妊娠を避ける為に対処できるように、と」
「そこまで…多くの女性が?」
「ナルジスカの女性は平民まで皆々が美しいと評判だった…まるで森を駆ける動物を仕留めるように拐われたらしい。連れ去られた女性の殆どが強制的に孕まされ子を生まさせられた」
吐き気がする。女性にすべき行動じゃない。
「だがな、女性達を拐っていた者共の狙いは何も最初から貴族や平民だったわけじゃない」
「…狙いは別にあったと?」
「ナルジスカの王族には、稀に珍しい色合いの娘が生まれていたんだが、当時国王の娘がその色を持っていた。王女は恐ろしく整った容姿も併せ持ち、その美しさを一目見た者は忘れられずに焦がれ夢に見て魘されると言われたほど。多くの国の王族が取り憑かれたように競い合い、手に入れようと躍起になった…侵略の発端は王女だ」
「…王女を手に入れようと…その為に、一度に数多くの国が攻めたと言うことですか?」
「そうだ。ちなみに王女はまだ16歳…だったか、ひとりの少女を巡って愚か者達が押し掛け、そのせいで多くの民が命を落としたり拐われ…地下にいても自分がいる限り侵略は止まらない…そう言って、敵陣の前で自害を試みた」
「そんな…っ」
「自らの胸に剣を突き立て倒れた王女を…我先にと前線まで来ていた敵側の王族達が、あろうことか取り合いを始めたんだ」
「…っ、なんと言う愚かな…」
「だが、王女は忽然と消えた」
「…は?」
「消えたんだよ。取り合っていた愚か者同士で諍いになっている間に、忽然と消えていた」
消えた?胸を刺して倒れたのに?
「誰かが連れ去った…と言うことですか?」
「そうとも言えるし、違うとも言える…王女には思い合う婚約者がいて、その者も時を同じくして姿を消したんだ。国王は、傷付いたままの王女をそいつが連れて逃げたのではと推測している」
「では…どこかで生きている可能性も?」
「婚約者の方は分からんが……王女は死んだ」
「死んだ?」
祖父が僕を射抜くような視線を向けてくる。なぜ?僕は何かを知っている?
「王女は遠く離れた国の山中で遺体となって見つかった…どこから逃げてきたのか、どうやって暮らしていたのか何も分からないままだ」
「そう…ですか…」
「但し、ひとつだけ王女の身に起きていたことが確認された…出産だ。それも息絶える前に山中で産み落としたのであろう、産後の処置などされていない状態だったと報告を受けた」
「出産…山の中で?」
「手には、小さなナイフと臍の緒が握りしめられていたそうだ…ひとりで産み、ひとりで処置をしようとしたのだろう」
出産は命懸けのものだと聞く…沢山の人に助けられ、清潔な場所で慎重に行われるはずで…
「…子は…王女の産んだ子供は…?」
「その場にいなかったことから獣に食われたかと思っていたが、その後無事であることが分かり見つかったよ」
「…そうですか…よかった…」
「幾重もの偶然が重なった結果だが…孤児院で暮らしていたその子は、10歳になる頃ある貴族の家に使用人として雇われた」
「じゃぁ…今もその貴族の家に?」
「そうだな…ある意味では今も雇われている」
祖父がニヤリと片方だけ口角をあげる。これは早く気付けと催促している時…
「王女の色は、そっくりそのまま子供に受け継がれた。顔立ちは…恐らく父親似だろう」
「…王女の色とは…?」
きっと僕が知っている人のはずだ。頭の中で貴族達の絵姿をパラパラと捲り、どのような組み合わせを言われるのか祖父の言葉を待つ。
「濡れ羽色の髪と、ルビーのような瞳」
「濡れ羽色…ルビー……」
え……それって…
「気付いたか?」
何も言えずにいるのに、良くできました…とでも言うかのように祖父は鷹揚に頷く。
「たまたま視察で訪れた町の孤児院にいたんだ…まだ五つかそのくらいだった頃だ、その色を見た時はさすがに息が止まるかと思ったぞ。それからずっと秘密裏に影をつけていた」
「…父上はご存知なのですか?」
「勿論。ただ、伝えたのは譲位の時だ。ナルジスカの王からは、出来るなら自由に生きたいように過ごさせてやってくれと言われていたが、全くの放置など出来るはずもなく…干渉はせずに見守るだけに留めた」
「お祖父様は彼の国と交流があるんですね?」
「昔、若い頃に旅先で知り合った。お互い王族など知らずに親交を深めたが…あの時期は、離れすぎていることもあり何もしてやれなかった。状況を掴めた時には既に地下へ潜ったあとだ。それからも変わらず繋ってはいるが、状況を鑑みて交流があることは一部の者しか知らない」
「では…ナルジスカの避妊薬があるのは…」
「あれはよく出来た薬でな…効能に間違いはなく、人体に害を与えるようなこともないから服用をやめれば妊娠も出来る。表立っては交易していないナルジスカだが、極一部の国とは今も商品の流通を持っている」
「…窓口になっているのは誰です?」
副料理長の男に薬を与え、それをラシュエルに盛るように指示した貴族…それは誰だ?
「キルシュ侯爵だ。商会を持つことから窓口として任命した…そう言えば、あいつの娘は昔からお前に執着していたな…それか?」
「自分が王太子妃となり、ゆくゆくは王妃になるのだと信じて疑わない女です」
「愛妾くらいで我慢すればいいものを」
「ラシュエル以外いりません」
「お前らしいよ」
やたらと傲慢で自意識の高い女…昔からラシュエルに突っかかってきては、自分の方が僕に相応しいとほざいていた。
「で?どうするつもりだ?悪いが、ナルジスカとの交流や地下都市については他言できない事を忘れるなよ?侯爵も詳細は知らない。どこぞの異国から来る商人とやり取りをしている…くらいにしか思っていないからな」
「分かっています」
「ならいい。どうだ?誰か味見していくか?」
「ラシュエルがいるので必要ありません…しつこいですよ、お祖父様」
ははは、と豪快に笑う姿は結構好きだ。女を侍らしているところは嫌いだけれど。
「少し待ってろ、俺が持っている避妊薬を渡すから使え。先代が持つ物と同様だとすれば言い逃れも出来ないだろう?」
「…確かに」
ニヤリとするお祖父様を真似て僕も笑う。
僕の宝物を傷付けた罪は重い。
カチャ───
「お待たせ、エドワード」
「ラシュエルは?」
「ぐっすり寝てる…薬の影響もあると思う」
下女クレアによれば、副作用として強烈な眠気をもたらすらしい…まったく気付かなかった。僕との情事が激しすぎるのか、長すぎるのか…それとも妊娠初期の症状なのかとすら思っていたのに。
「ナルジスカの言語は分かるか?」
「いや、さすがに全く交流のない遠方の…今は滅んだに等しい国だから分からない」
遥か遠い異国ナルジスカは、かつてシャパネと同じくらいの規模を誇る国だったと文献には記載されていた。
豊かな土地には様々な農産物が実り、高い技術を持つ職人達で栄え美しい女性が多いと評判の国…それらを欲する国はひとつやふたつではなく、回りを囲む国全てが敵と言っても過言ではなくなりやがて少しずつ土地を削り取るように侵略を繰り返されていった。
国王は自ら前線に立ち戦い、けれど四方八方からいたぶるように攻撃を仕掛けられては土地の侵略と女性の誘拐が頻発したことで、何よりも民を大切にしていた国王は国を残すことよりも民を逃がしその命を守る事を決意する。
だが、それに反発したのは他でもない国民。
己を華美するよりも、常に国民に寄り添い国を発展させることに尽力してきた国王。戦があれば誰よりも前線に立ち、大剣を振るって守ろうとしてくれた国王…国民達はその命と矜持を守る為に立ち上がり、侵略を繰り返す敵陣と戦い続けた。
しかし訓練を積んだわけでもない人間が兵士や騎士に勝てるはずもなく、実に多くの命がひとりの男の矜持を守る為に散り逝くこととなった。
やがて、城の周囲を除いた土地を侵略し尽くした周辺国は満足したかのように手を引き、そのあとには国民の消えた荒れ地のみが残された。
「城には当時から変わらぬ国王と数名の兵士や使用人が残っていると記されていたが…なにぶん交流はないし、【沈黙の国】と呼ばれるほどに国について何かが発信されることもない」
「クレアの祖母がナルジスカ出身っていうのも…恐らく逃亡するのを助けたんだろうな」
「あぁ」
「それにしても、何故ナルジスカは避妊薬なんか作ってるんだ?もう国民も城に住む使用人くらいなんだろ?それに、どことも国交が無いはずなのに何故シャパネの貴族が持っているんだ?」
「僕にも分からない…情報が少なすぎる」
ナルジスカの国王は、僕の祖父と同年代だったはず…何か知っているだろうか。正直、曾祖父とまで言わずとも好色爺の祖父にはあまり会いたくないけれど、そうも言ってられない。
「お祖父様に会ってくる」
******
聞きたいことがあると先触れを出すと、思いの外すんなりと許可がおりたので久し振りに祖父の住む離宮へとやって来た…のだが。
「…離れてください」
「あら、つれないのね」
祖父を待っている部屋に、囲われている愛人が突如現れベタベタと纏わりついて離れない。甘ったるい香水が鼻につくし、先代国王の愛人とあって護衛達も手が出せずにいる。
「僕には愛する妻がいる」
「先代様にだっているわよ?」
「僕は祖父とは違う」
「そんなこと言わずに…ね?」
今すぐ切り捨てていいだろうか。愛人と言っても替わりのきく女だし、ひとりやふたり減ったところで気にもしないんじゃないか?
「おぉ、待たせたな」
そろそろ我慢の限界を迎えそうになった時、やたら露出の激しい女を腕にぶら下げて祖父が呑気にやって来たが、明らかに先ほどまで致してましたという雰囲気を纏っている。
「ご無沙汰しております」
「いいいい、座れ」
立ち上がり礼をすればそう言われて座るも、その瞬間に愛人がするりと腕に巻き付いてきて胸を押し付けられた。
「なんだ?その女じゃ不満か?」
「ラシュエル以外なら不満しかありません」
「ははっ、確かにお前は幼き頃からあの娘しか見ていなかったからな。でもたまには余所を味見してみるのもいいものだぞ?その女は男を喜ばせる技巧に長けている」
「必要ありません。ラシュエルだけで充分満足してますので」
「デュスランのように頭が固い」
さわさわと股間を触られているが僕のものは反応せず、女が悔しそうにしているのが分かる。反応しなくて当たり前だ、この女はラシュエルではないのだから。
さすがに前を寛がせようとしてきたところで、手を掴んで離し祖父を睨み付けた。
「やめてやれ、そいつはお前じゃ無理だ。ところでこんな朝早くどうした?聞きたいこととは?」
「ナルジスカについてお聞きしたいことが」
「…人払いを」
それまでの好色さを一瞬で霧散させ、低く発せられた言葉に隣の愛人ですらスッと立ち上がって部屋をあとにしていく。
サミュエルにも部屋の前で待機しておくように命じ、部屋には祖父と僕だけだ。
「───なぜナルジスカについて聞きたい?」
熱いお茶をひとくち飲んで僕に問う祖父は、父上よりも威厳があり畏怖を感じる。孫もいて王位から退いたとはいえまだ50代前半の祖父は、知らぬ人が見ればもっと若く見えるだろう。服の上からでも鍛えられているのが分かる肉体と、多くの女を侍らせる色香は伊達じゃない。
「…ラシュエルに、ナルジスカの避妊薬が盛られていました。恐らく婚姻してすぐの頃から」
「それがなかなか慶事の報せがない原因か」
「…はい」
悔しいなんてもんじゃない。毒見をさせても、無味無臭で効能が避妊であれば気付くことは出来ず…盲点だった。
「なぜナルジスカの物だと分かった?」
「下女のひとりがナルジスカ出身の祖母を持ち、幼い頃から言語と文字を学んできたと…」
「ほぉ…」
祖父が片眉をあげるのは興味を持ったとき…まさか下女まで手を出すわけではあるまいな。
「ナルジスカはお祖父様がシャパネを治めていた頃、侵略に遭い機能をなくしたと聞いています。どこの国とも国交を持たない彼の国の薬が、なぜシャパネに持ち込まれているのか…」
「ナルジスカは滅んだと言われている」
「ですが───」
「表向きは…だ」
ニヤリと笑う祖父は、男であり孫でもある僕でさえドキリとするほどに魅力的だ。
「恐らくデュスランの後を継ぐのはお前で間違いないだろう…それならば知っておくべきことがある。ナルジスカの真実について」
「…ナルジスカの真実…」
「ナルジスカは今も多くの国民を抱えている」
「え…ですが、土地は殆ど──」
「まぁ聞け。確かに度重なる侵略で土地は失っている。だが、あくまでも地上の土地を…だ」
「……まさか…っ」
祖父は満足そうに口角をあげて笑み、お茶を口にする。これは正解を出せた時に褒めてくれている仕草だと知っている。
「ナルジスカは、侵略が本格化すると同時に地下都市への移住を始めた。それまでも小さな諍いはあってな…美しい女達の連れ去りも僅かながら報告されていた。けれど平和な国の民に武力などない。だからこそ秘密裏に地下都市の建設を始めて、いざと言う時には丸ごとそこへ避難出来るようにしたんだ」
「地下…都市……」
「そこでは今も多くの民が生活を営んでいる。避妊薬が精製されているのは、あまりにも多くの女が誘拐されたことによる副産物…と言ったところだな。万が一連れ去られても、望まぬ妊娠を避ける為に対処できるように、と」
「そこまで…多くの女性が?」
「ナルジスカの女性は平民まで皆々が美しいと評判だった…まるで森を駆ける動物を仕留めるように拐われたらしい。連れ去られた女性の殆どが強制的に孕まされ子を生まさせられた」
吐き気がする。女性にすべき行動じゃない。
「だがな、女性達を拐っていた者共の狙いは何も最初から貴族や平民だったわけじゃない」
「…狙いは別にあったと?」
「ナルジスカの王族には、稀に珍しい色合いの娘が生まれていたんだが、当時国王の娘がその色を持っていた。王女は恐ろしく整った容姿も併せ持ち、その美しさを一目見た者は忘れられずに焦がれ夢に見て魘されると言われたほど。多くの国の王族が取り憑かれたように競い合い、手に入れようと躍起になった…侵略の発端は王女だ」
「…王女を手に入れようと…その為に、一度に数多くの国が攻めたと言うことですか?」
「そうだ。ちなみに王女はまだ16歳…だったか、ひとりの少女を巡って愚か者達が押し掛け、そのせいで多くの民が命を落としたり拐われ…地下にいても自分がいる限り侵略は止まらない…そう言って、敵陣の前で自害を試みた」
「そんな…っ」
「自らの胸に剣を突き立て倒れた王女を…我先にと前線まで来ていた敵側の王族達が、あろうことか取り合いを始めたんだ」
「…っ、なんと言う愚かな…」
「だが、王女は忽然と消えた」
「…は?」
「消えたんだよ。取り合っていた愚か者同士で諍いになっている間に、忽然と消えていた」
消えた?胸を刺して倒れたのに?
「誰かが連れ去った…と言うことですか?」
「そうとも言えるし、違うとも言える…王女には思い合う婚約者がいて、その者も時を同じくして姿を消したんだ。国王は、傷付いたままの王女をそいつが連れて逃げたのではと推測している」
「では…どこかで生きている可能性も?」
「婚約者の方は分からんが……王女は死んだ」
「死んだ?」
祖父が僕を射抜くような視線を向けてくる。なぜ?僕は何かを知っている?
「王女は遠く離れた国の山中で遺体となって見つかった…どこから逃げてきたのか、どうやって暮らしていたのか何も分からないままだ」
「そう…ですか…」
「但し、ひとつだけ王女の身に起きていたことが確認された…出産だ。それも息絶える前に山中で産み落としたのであろう、産後の処置などされていない状態だったと報告を受けた」
「出産…山の中で?」
「手には、小さなナイフと臍の緒が握りしめられていたそうだ…ひとりで産み、ひとりで処置をしようとしたのだろう」
出産は命懸けのものだと聞く…沢山の人に助けられ、清潔な場所で慎重に行われるはずで…
「…子は…王女の産んだ子供は…?」
「その場にいなかったことから獣に食われたかと思っていたが、その後無事であることが分かり見つかったよ」
「…そうですか…よかった…」
「幾重もの偶然が重なった結果だが…孤児院で暮らしていたその子は、10歳になる頃ある貴族の家に使用人として雇われた」
「じゃぁ…今もその貴族の家に?」
「そうだな…ある意味では今も雇われている」
祖父がニヤリと片方だけ口角をあげる。これは早く気付けと催促している時…
「王女の色は、そっくりそのまま子供に受け継がれた。顔立ちは…恐らく父親似だろう」
「…王女の色とは…?」
きっと僕が知っている人のはずだ。頭の中で貴族達の絵姿をパラパラと捲り、どのような組み合わせを言われるのか祖父の言葉を待つ。
「濡れ羽色の髪と、ルビーのような瞳」
「濡れ羽色…ルビー……」
え……それって…
「気付いたか?」
何も言えずにいるのに、良くできました…とでも言うかのように祖父は鷹揚に頷く。
「たまたま視察で訪れた町の孤児院にいたんだ…まだ五つかそのくらいだった頃だ、その色を見た時はさすがに息が止まるかと思ったぞ。それからずっと秘密裏に影をつけていた」
「…父上はご存知なのですか?」
「勿論。ただ、伝えたのは譲位の時だ。ナルジスカの王からは、出来るなら自由に生きたいように過ごさせてやってくれと言われていたが、全くの放置など出来るはずもなく…干渉はせずに見守るだけに留めた」
「お祖父様は彼の国と交流があるんですね?」
「昔、若い頃に旅先で知り合った。お互い王族など知らずに親交を深めたが…あの時期は、離れすぎていることもあり何もしてやれなかった。状況を掴めた時には既に地下へ潜ったあとだ。それからも変わらず繋ってはいるが、状況を鑑みて交流があることは一部の者しか知らない」
「では…ナルジスカの避妊薬があるのは…」
「あれはよく出来た薬でな…効能に間違いはなく、人体に害を与えるようなこともないから服用をやめれば妊娠も出来る。表立っては交易していないナルジスカだが、極一部の国とは今も商品の流通を持っている」
「…窓口になっているのは誰です?」
副料理長の男に薬を与え、それをラシュエルに盛るように指示した貴族…それは誰だ?
「キルシュ侯爵だ。商会を持つことから窓口として任命した…そう言えば、あいつの娘は昔からお前に執着していたな…それか?」
「自分が王太子妃となり、ゆくゆくは王妃になるのだと信じて疑わない女です」
「愛妾くらいで我慢すればいいものを」
「ラシュエル以外いりません」
「お前らしいよ」
やたらと傲慢で自意識の高い女…昔からラシュエルに突っかかってきては、自分の方が僕に相応しいとほざいていた。
「で?どうするつもりだ?悪いが、ナルジスカとの交流や地下都市については他言できない事を忘れるなよ?侯爵も詳細は知らない。どこぞの異国から来る商人とやり取りをしている…くらいにしか思っていないからな」
「分かっています」
「ならいい。どうだ?誰か味見していくか?」
「ラシュエルがいるので必要ありません…しつこいですよ、お祖父様」
ははは、と豪快に笑う姿は結構好きだ。女を侍らしているところは嫌いだけれど。
「少し待ってろ、俺が持っている避妊薬を渡すから使え。先代が持つ物と同様だとすれば言い逃れも出来ないだろう?」
「…確かに」
ニヤリとするお祖父様を真似て僕も笑う。
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地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
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サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
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