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season3
絶対安静
お腹もだいぶ大きくなって、あとは無事に出産を待つだけ…となった時、ナディアが突然倒れた。
腹痛を訴え、足の間からは“水”がダラダラと垂れ落ちてきて…老医師達が見せる慌ただしさに、僕はパニックに陥った。
“水”は赤子が母体の中で生きる為に必要性なものだと聞いていたし、それが無くなると死んでしまうと教わっていたから、目の前が真っ暗になる。
「そんな……」
脳裏に、毎日幸せそうにお腹を撫でていたナディアの姿が浮かんで、もしも赤子が死んだりしたらと思うと、手が震えてくる。
「今まで、同じような状態で悲しい結果となってしまった事もある…だが、無事に出産出来た者もいるから…こればかりはなんとも言えん」
「…っ、ナディアは……」
「それもなんとも…だが、万が一赤子に何かあれば…母親も無事にとは言い切れん…」
言葉を失った。
それはそうだろう…お腹の中で子が死んでしまえば、それをどうこうすることも出来ない。
稀に出産前に母子が亡くなったと話に聞くことがあったが、まさかこういう事が…と思い、血の気が引いていく。
「ただ、近い内に弟子が帰ってくる予定なんだ。医療の進んだ国に行っていたんだが…そこは、出産についてかなり先進的な施術をするとかでな。戻り次第、すぐに連れてくる」
とにかく安静に…起き上がることも控えるようにと言われ、僕はただ頷いた。
それしか出来なかった。
「あとふた月もあれば生まれてくるだろう。それまで、とにかく安静に。何かあれば、どんなに小さな事でも報せておくれ」
「はい…っ、ありがとうございます……」
子だけでなく、ナディアをも失うかもしれない…その不安と恐怖から、頭を下げた瞬間に堪えていた涙が溢れ落ちた。
そのまま声を殺して泣いていると、ふわりと頭に手が乗せられ…ぐしゃぐしゃと撫でられた。
「気張りんさい。ぼっちゃまはもう父親なんだ。赤子の鼓動も聞こえておるし、あの子は必死で母親にしがみついて踏ん張っておる。勿論、母親であるナディアも必死だ」
“父親”…その言葉に、子をどこかふんわり捉えていた自分に情けなくなり、さらに涙が落ちる。
お腹の中で育てている母親と違って、父親はこの手に抱くまで実感が沸かないのだと聞いていた。
確かにその通りだったと思う。
子が出来た事は嬉しかったし、日に日に大きくなるお腹を愛しいとは思っていたけれど…僕はいつも『生まれるのが楽しみ』と言って…
生まれてきたら会えるのだと…そう考えていた。
その軽い心構えにバチが当たったのかと思うと、ナディア達に申し訳ない。
「暫くは眠っているだろうが、目が覚めた時に不安になるだろうから傍にいておやり」
「……っ…はい」
情けない顔をあげると、老医師は優しく微笑んでくれていて…その表情にまた泣けた。
******
ナディアが倒れてから数日。
容態は安定していて、ひとまず様子見の日々。
「……バルト…」
寝室に持ち込んでいる書類に目を通していると、目を覚ましたナディアの声がして顔をあげた。
だいぶ長いこと眠っていたから喉が乾いているだろうと思い、サイドテーブルにある果実水を取ってやると、嬉しそうに口に含んだ。
「だいぶ寝ていたね。具合はどう?」
「大丈夫」
ふわりと笑う様子にホッとする。
暑かったのか少し汗ばんでいたので、侍女に頼んで温めたタオルを用意してもらい、ナディアの体を拭いてあげることに。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
安静をと言われてからナディアは湯浴みが出来ておらず、毎日こうして僕が拭いている。
何度も体を重ねてきてお互いの裸など見尽くしているし、湯浴みで洗い合ったりもしていたのに、ナディアは毎回恥ずかしそうに頬を染めるものだから、何故か僕まで恥ずかしくなってしまう。
「お仕事大丈夫?」
「問題ないよ、今はそんなに忙しくもないし」
あの日以来、僕は寝室で執務をしている。
遠出が必要となる案件には先方に事情を説明する旨を書簡で送ると、落ち着いてからで大丈夫だからと温かい返答を貰えた。
“私の妻も奥方と同じような状態にありました。今はとにかく奥方の傍で労ってあげてください”
と最後に綴られていて、そういえば夫妻には大きな息子さんがいたな…と思い出す。
子はひとりだけだが、それもやはり母体に負担がかかっての事なのだろうか…と考えると、あとひと月が長く感じて不安に思ってしまう。
「ねぇ……」
「ん?どうした?」
拭き終わり、新しい夜着に変えてから横にさせると、目を潤ませていている事に気が付いた。
「あのね…若先生が言っていた話なんだけど…」
それ以降は言い淀んだが、何を考えているのかすぐに理解し…僕も寝台にあがって抱き締めた。
「大丈夫。僕は医者じゃないし、根拠なんて何一つないけど…ここまで頑張ってきたんだ。この子は必ず元気に生まれてくるし、勿論ナディアも無事に出産を終えるから」
昼間に若先生の診察を受けた際に言われた事が、僕もずっと頭から離れずにいる。
『母親と子供、どちらの命を優先するかの選択に迫られた時の為に話し合っておいて欲しい』
今は安定しているとはいえ、いつどうなるかは分からないのだと教えられ…万が一が起きた場合の説明で、最後に言われた言葉。
かなり心を抉られた。
ナディアか子供か…そんなもの、どちらかひとつなど選ぶことは出来ない。
けれど…やはり僕はナディアと生きていきたい。
父親として最低な事だと分かっている。
愛情がないのかと叱られてしまうだろう。
それでも…ナディアを失うかもしれないという恐怖と不安に打ち勝つことが出来ない。
そして、ナディアの気持ちも分かっている。
「……この子は、私とバルトの大切な子供だわ。そして貴方はいい父親になれる。だって、今でさえ親バカみたいに構っているんだもの」
「うん」
腕の中にある温もりに、それはひとつではないのだと心が揺さぶられる。
この揺らぎが父性愛からなのか、不安からなのか分からないけれど…
「それにね…」
分かってる。
ナディアが何を望み、僕へ何を言いたいのか。
「以前ならどちらも諦めるしかなかったのに、ひとつでも救えるようになった…それが嬉しいの」
「……分かってる」
「そうだよね」
ナディアに優しく背を擦られ、目頭が熱くなる。
僕達の声はお腹の子に聞こえている…と聞いたことがあるから、僕の本音は一度も告げていない。
それでも、ナディアには伝わってしまっている。
だけど僕を責めるような事は言わない。
それは子供に聞こえるとかではなく…きっと、僕の気持ちを分かってくれているから。
ごめんね、ナディア。
僕はどうしても君を失いたくないんだ。
そのせいで君を傷付ける事になろうと…
そのせいで君の愛を失う事になろうと…
君には生きていて欲しいと思ってしまうんだ。
それから一週間後、ナディアは“破水”した。
腹痛を訴え、足の間からは“水”がダラダラと垂れ落ちてきて…老医師達が見せる慌ただしさに、僕はパニックに陥った。
“水”は赤子が母体の中で生きる為に必要性なものだと聞いていたし、それが無くなると死んでしまうと教わっていたから、目の前が真っ暗になる。
「そんな……」
脳裏に、毎日幸せそうにお腹を撫でていたナディアの姿が浮かんで、もしも赤子が死んだりしたらと思うと、手が震えてくる。
「今まで、同じような状態で悲しい結果となってしまった事もある…だが、無事に出産出来た者もいるから…こればかりはなんとも言えん」
「…っ、ナディアは……」
「それもなんとも…だが、万が一赤子に何かあれば…母親も無事にとは言い切れん…」
言葉を失った。
それはそうだろう…お腹の中で子が死んでしまえば、それをどうこうすることも出来ない。
稀に出産前に母子が亡くなったと話に聞くことがあったが、まさかこういう事が…と思い、血の気が引いていく。
「ただ、近い内に弟子が帰ってくる予定なんだ。医療の進んだ国に行っていたんだが…そこは、出産についてかなり先進的な施術をするとかでな。戻り次第、すぐに連れてくる」
とにかく安静に…起き上がることも控えるようにと言われ、僕はただ頷いた。
それしか出来なかった。
「あとふた月もあれば生まれてくるだろう。それまで、とにかく安静に。何かあれば、どんなに小さな事でも報せておくれ」
「はい…っ、ありがとうございます……」
子だけでなく、ナディアをも失うかもしれない…その不安と恐怖から、頭を下げた瞬間に堪えていた涙が溢れ落ちた。
そのまま声を殺して泣いていると、ふわりと頭に手が乗せられ…ぐしゃぐしゃと撫でられた。
「気張りんさい。ぼっちゃまはもう父親なんだ。赤子の鼓動も聞こえておるし、あの子は必死で母親にしがみついて踏ん張っておる。勿論、母親であるナディアも必死だ」
“父親”…その言葉に、子をどこかふんわり捉えていた自分に情けなくなり、さらに涙が落ちる。
お腹の中で育てている母親と違って、父親はこの手に抱くまで実感が沸かないのだと聞いていた。
確かにその通りだったと思う。
子が出来た事は嬉しかったし、日に日に大きくなるお腹を愛しいとは思っていたけれど…僕はいつも『生まれるのが楽しみ』と言って…
生まれてきたら会えるのだと…そう考えていた。
その軽い心構えにバチが当たったのかと思うと、ナディア達に申し訳ない。
「暫くは眠っているだろうが、目が覚めた時に不安になるだろうから傍にいておやり」
「……っ…はい」
情けない顔をあげると、老医師は優しく微笑んでくれていて…その表情にまた泣けた。
******
ナディアが倒れてから数日。
容態は安定していて、ひとまず様子見の日々。
「……バルト…」
寝室に持ち込んでいる書類に目を通していると、目を覚ましたナディアの声がして顔をあげた。
だいぶ長いこと眠っていたから喉が乾いているだろうと思い、サイドテーブルにある果実水を取ってやると、嬉しそうに口に含んだ。
「だいぶ寝ていたね。具合はどう?」
「大丈夫」
ふわりと笑う様子にホッとする。
暑かったのか少し汗ばんでいたので、侍女に頼んで温めたタオルを用意してもらい、ナディアの体を拭いてあげることに。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
安静をと言われてからナディアは湯浴みが出来ておらず、毎日こうして僕が拭いている。
何度も体を重ねてきてお互いの裸など見尽くしているし、湯浴みで洗い合ったりもしていたのに、ナディアは毎回恥ずかしそうに頬を染めるものだから、何故か僕まで恥ずかしくなってしまう。
「お仕事大丈夫?」
「問題ないよ、今はそんなに忙しくもないし」
あの日以来、僕は寝室で執務をしている。
遠出が必要となる案件には先方に事情を説明する旨を書簡で送ると、落ち着いてからで大丈夫だからと温かい返答を貰えた。
“私の妻も奥方と同じような状態にありました。今はとにかく奥方の傍で労ってあげてください”
と最後に綴られていて、そういえば夫妻には大きな息子さんがいたな…と思い出す。
子はひとりだけだが、それもやはり母体に負担がかかっての事なのだろうか…と考えると、あとひと月が長く感じて不安に思ってしまう。
「ねぇ……」
「ん?どうした?」
拭き終わり、新しい夜着に変えてから横にさせると、目を潤ませていている事に気が付いた。
「あのね…若先生が言っていた話なんだけど…」
それ以降は言い淀んだが、何を考えているのかすぐに理解し…僕も寝台にあがって抱き締めた。
「大丈夫。僕は医者じゃないし、根拠なんて何一つないけど…ここまで頑張ってきたんだ。この子は必ず元気に生まれてくるし、勿論ナディアも無事に出産を終えるから」
昼間に若先生の診察を受けた際に言われた事が、僕もずっと頭から離れずにいる。
『母親と子供、どちらの命を優先するかの選択に迫られた時の為に話し合っておいて欲しい』
今は安定しているとはいえ、いつどうなるかは分からないのだと教えられ…万が一が起きた場合の説明で、最後に言われた言葉。
かなり心を抉られた。
ナディアか子供か…そんなもの、どちらかひとつなど選ぶことは出来ない。
けれど…やはり僕はナディアと生きていきたい。
父親として最低な事だと分かっている。
愛情がないのかと叱られてしまうだろう。
それでも…ナディアを失うかもしれないという恐怖と不安に打ち勝つことが出来ない。
そして、ナディアの気持ちも分かっている。
「……この子は、私とバルトの大切な子供だわ。そして貴方はいい父親になれる。だって、今でさえ親バカみたいに構っているんだもの」
「うん」
腕の中にある温もりに、それはひとつではないのだと心が揺さぶられる。
この揺らぎが父性愛からなのか、不安からなのか分からないけれど…
「それにね…」
分かってる。
ナディアが何を望み、僕へ何を言いたいのか。
「以前ならどちらも諦めるしかなかったのに、ひとつでも救えるようになった…それが嬉しいの」
「……分かってる」
「そうだよね」
ナディアに優しく背を擦られ、目頭が熱くなる。
僕達の声はお腹の子に聞こえている…と聞いたことがあるから、僕の本音は一度も告げていない。
それでも、ナディアには伝わってしまっている。
だけど僕を責めるような事は言わない。
それは子供に聞こえるとかではなく…きっと、僕の気持ちを分かってくれているから。
ごめんね、ナディア。
僕はどうしても君を失いたくないんだ。
そのせいで君を傷付ける事になろうと…
そのせいで君の愛を失う事になろうと…
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それから一週間後、ナディアは“破水”した。
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