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13th play
(6)
しおりを挟む「……なに? イカれた?」
「お前は一つ大事なことを忘れてる」
「は?」
「それは」
家中に突如響いたドアノブの荒々しい音に、涼は「まさか」という顔をした。玄関扉の向こうでは、準備を済ませた無数の足音が合図のように鳴り始める。
あっという間に玄関の戸が開いた時、涼は「あっ」と消え入りそうな声をこぼした。そしてこの場に居るはずのない人間の姿を見て、明らかな動揺の色を顔に浮かべた。
「よう。うちの弟が遅くにごめんな」
玄関から投げられた声に、いつもの温かみはない。
「あ、あきひろ、さん……」
警戒態勢の警察官複数名と、秋宏。
航大に馬乗りになっている涼はこの状況をどうにかして誤魔化し、切り抜けようと考えているようだった。しかしガタイの良い警察官が「そこを動くな」と凄むような声で機先を制した。
一気に窮地に追い込まれた涼を見て、航大は反撃するように口角をつり上げて笑った。
「俺がブラコンだってこと、忘れてたな」
「……明日ゲーフェスだから前乗りしてるんじゃ」
先ほどの威勢はどこに行ったのか、かさかさの唇から小さな声が落ちた。
「俺の出世と大事な弟の命。どっちが大切かなんてそんなの一目瞭然だろ。な? ブラザー」
秋宏は航大の目を覗き込み、意識がしっかりあることを確認して警察官に頷く。そして部屋の隅で体を震わせる未莉沙を見て、一度息を呑むように口を噤んだ。
「……未莉沙ちゃん、大丈夫か?」
未莉沙は膝を抱えながら小刻みに何度も頷いた。数週間に渡り生活を奪われたその身なりを見て、秋宏は許せないといったように下唇を強く噛んだ。
涼はというと、依然として航大の上に馬乗りになりながら視線だけをぎょろぎょろと動かして状況を把握しようとしている。
「まじでなんなの。まじでなんなのこれ」
「最後まで相談するか迷ったけど、やっぱり俺は兄ちゃんを疑うことなんて出来ない。だから一昨日、兄ちゃんに事の顛末を話したんだ。最後の最後で裏切って悪かったな、涼」
「は。きしょ、なんなのお前」
焦燥の念に駆られた涼は拳をぐっと強く握りなおした。そしてそのまま航大を殴るかと思いきや、ミザリに飛びかかりその拳を大きく振りかざす。
「きゃあっ!!!」
「ミザリ!!!」
航大は咄嗟に足を伸ばし、涼の脛を渾身の力で蹴る。急所に当たったのか、はたまた火事場の馬鹿力でいつもの倍以上の力が出たのか、涼は痛みに顔を歪めながら体を折り曲げた。
「おい!! 押さえろ!!」
怒号のような声と、いくつもの足音が部屋を埋め尽くす。待機していた警察官四名はひらりと華麗に航大の上を飛び、そして涼の体を乱暴に押さえつけた。
十数年も共に歩んだ友人が目の前で警官に取り押さえられている。
思いの外、航大はその光景を床に突っ伏しながら冷静に見つめていた。
「山本さん、もう大丈夫ですからね」
また奥から一人の女性警察官が駆けつけ、持っていた毛布を未莉沙の肩にかける。未莉沙の目には安堵の涙が浮かんでいた。
女性警察官は冷房で冷え切った未莉沙の肩をさすりながら、今も尚、頭に嵌められているヘルメット式の装置を怪訝そうに見つめてたいる。
「これ取っても大丈夫なのかしら」
「ちょっと失礼」
土足で部屋に上がり込んだ秋宏は装置に繋がれた無数のコードを辿り、涼のパソコン付近にある様々な電子機器をじっくりと眺めた。素人目ではガラクタの山にしか見えないが、秋宏はそれらを見て心底驚いたような表情を浮かべていた。
「これは、仮想体感ゲームか……?未莉沙ちゃんの意識とゲームデータを繋いで……? 嘘だろ、まさか、こんなこと……」
「凄いでしょ、秋宏さん」
取り押さえられた凌が秋宏を見て勝ち誇ったように声を弾ませる。この瞬間のために全ての計画を企てたのではないかと思うほどの笑みだった。
「あんたへの羨望と妬みだけで作ったゲームだよ」
「静かにしろ」
二人の警察官に体を押さえつけられている涼は時折苦しそうに息を吐き出しながらも、まだ何か言いたげだった。
「刑事さん。確かにゲームを作ったのは僕ですけど、このゲームを最初から最後まで実行したのはそこにいる小野航大くんですよ」
そう言うと、涼は航大の方をくいっと顎で指した。床に突っ伏した二人の視線が嫌な形で交わった。
「涼……なにを……」
「プレイ履歴だって残ってます。あの人が山本未莉沙を死の恐怖に陥れ、見ず知らずの男達にまで股を開くよう誘導したんです」
「なっ……!」
「共犯ですよ、僕たち」
な?とわざとらしく首を傾げる涼。
……涼は最後の切り札を持っていた。
情けなくがちがち鳴る歯の隙間から細い吐息が漏れ、縛られて鬱血した親指の感覚がどんどんなくなっていく。まるで手錠をかけられているような不安が全身を駆け巡っていた。
「小野航大さん。その話は本当ですか?」
一人の警察官が淡々とした口調で航大に問う。言葉に詰まる航大を見て、警察官らは意味ありげに顔を見合わせた。
プレイ履歴がある、という涼のたった一言で、応戦が難しくなってしまった。語弊はあるものの、自分がゲームをプレイしたことで未莉沙をここまで追い込んだことは間違いないのだから。
「おい、涼! お前!」
声を荒げる秋宏に、航大は咄嗟に「兄ちゃん!」と叫ぶ。秋宏は将来を約束されたクリエイターだ。これ以上騒ぎを大きくして兄の道を閉ざすような真似はしたくない。
航大は秋宏に「大丈夫だから」と小さく笑い、ゆっくり顔を上げる。
「確かに、ゲームをプレイしたのは僕で間違いありません」
すると未莉沙が何か言いたげに口を動かした。しかし女性警察官は未莉沙がパニックを起こしたと思ったのか「大丈夫よ」と言いながら未莉沙の肩を抱き寄せる。
「すみませんが、署までご同行願えますか」
ばちんと結束バンドが切断された音がする。両手が自由になったのも束の間、二名の警察官が航大の体を引っ張るように起こした。ズキズキと痛む体などお構いなしに。
「じゃ、お先に」
涼はいつもの調子で航大の耳元でそう囁くと警察官に連れられながら部屋を後にした。
その時、部屋の時計がピピッと鳴った。
航大は顔を上げる。音の正体は零時を指す壁掛け時計のアラームだった。
日付が変わったその瞬間、目の前のシンデレラの魔法はついに解かれた。
六月三十日、その日はミザリの誕生日だった。
未莉沙と目が合う。
痩けた頬に目の下の青いクマ。それに装置を外された頭髪は汗でひどく乱れていた。それでも、生きた姿で彼女が誕生日を迎えられたことが何よりも嬉しかった。
「誕生日おめでとう」
頑張って笑ってみた顔は、汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃに汚れていたと思う。ぼやける視界で揺れる未莉沙の姿はあの時に見た幸せな夢によく似ていた。
「……っ、航大くん!!!」
未莉沙は女性警察官を押し退け、航大の背中に手を伸ばした。
「ミザリっ……」
応えるように身体を必死に捩り、指先を未莉沙の方に伸ばす。もう少しで指先が触れそうなところでガタイの良い警察官に体を強く引っ張られ、未莉沙も女性警察官に手首を掴まれていた。
「航大くん!! 航大くん!!」
わあっと泣き出す未莉沙の声が背後から聞こえる。
今日は君がずっと待ち焦がれていた魔法が解ける日、そして君が生まれた特別な日。だから泣かないでくれ。笑っていてくれ。君が笑顔になるためなら……
開けっぱなしの玄関から見えるのは赤いサイレン。航大はきつく唇をむすび、そして諦めたように視線を落とした。
足元に転がったリュックからは、ミザリのためにと買ったオムライスが無残な姿で散らばっていた。
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