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第1章・ウィリアム・エリード
第9話・目指すべき場所
しおりを挟む「あ~、疲れた……」
「はは、お疲れ様。人間の体には慣れた?」
「うん、普通に動けるくらいには」
既に夕食と入浴を終えた2人は、いつも通りウィリアムの私室でくつろいでいた。外では雨が降っており、耳を澄ますと窓にぶつかる雨音を聞き取れる。
予想通り、俺達が街へ出ている間にユキは散々な目に遭ったようだ。度重なる世話は入浴中にも及んでいたようで、背中まで伸びた銀髪はツヤツヤ且つしっとりとしており、しっかりと手入れがされているのが分かった。寝巻きも新しく用意されたのであろう、フワフワとした可愛らしいものを着ている。
ユキへの土産だが、カナエと少し話し合った結果買って帰ったのは街でも有名なメロンパンだ。契約以前も食べようと思えば食べられたのだろうが、人型になった今ならより食べやすいだろうというカナエのアドバイスに従い、実は甘党のユキの好みに合わせた結果このチョイスとなった。
予想通りというべきか、数量限定のメロンパンはお気に召したようだった。疲れ果てたユキの表情も、それを食べている間だけは幸せに満ち溢れていた。
「でも人間の体だと不便なことも多いな」
「そうなのか?」
ベッドの上で足をパタパタと動かしながらユキはそうボヤいた。その動きは自分の体の感覚を確かめているようにも見える。
当然といえば当然なのだろうが、やはり今までと体の勝手が全く違うのはストレスに感じるようだ。むしろこれでもユキは自然に順応出来ている方なのかもしれない。
「まず服を着てなきゃいけない。それにトイレも面倒だし、カトラリー使うのも難しい」
所々にユキの面倒臭がりな部分も出ているが、そのほとんどは当然の不便さだった。契約のお陰で多少なり補正は掛かっているらしく、見ているだけではそれほど違和感は感じられない。だが本人が不便だと言うのだ、やはりまだ人間の体は扱いにくいらしい。
「まあ、今までと比べたらそう感じるのも当たり前か」
申し訳ないことをした、とそんなことを思ってしまった。するとそれに気付いたのか、ユキは小声で付け加えた。
「けどまあ、皆と喋れたり一緒に歩けたりするのは悪くないかな」
今まで愚痴だらけだったユキだが、その時は確かに嬉し恥ずかしそうにしていた。顔を布団に埋めていたため表情は見えなかったが、ピコピコと動く耳と尻尾がその胸中を教えてくれた。そんな相棒を見て、こちらもじんわりと胸が暖かくなるのを感じる。
ユキ本人は二つ返事で契約を了承していたが、形態変化も含め予想の出来ない苦労が起こることも十分に考えられた。いくら父親に急かされたからといって、自分に全く責任が無いというのは間違いだ。実行したのは自分、ならば相棒として、主としてその苦労を共に背負う義務がある。
だからこそ、苦労の中に楽しさや幸せ、要はメリットを見つけてくれることが嬉しいのだった。自分が得た加護は、自分たちが共に過ごしてきた時間は、確かな意味を持つものだったと実感することができる。
「そっか。それなら良かったよ」
「ふわぁ……ウィル、もう眠い……」
大きな欠伸をしながら、ユキはベッドの中でそう言った。人の姿を得ていても、彼女は当然のように俺のベッドに潜り込んでいる。
これはユキが狼の姿だった時から言えることだが、彼女はややロングスリーパーの傾向にあるようだ。基本的に日付が変わる1時間前には眠りにつくし、朝も日が昇ってから数時間は経たないと目を覚まさない。入浴や朝食などの日課に支障が出ていないため特に問題は無いが、闇夜を駆ける狼のイメージとはなかなか大きな乖離があるものだ。
時々例外はあるが、基本的には俺もユキと同じ生活リズムで暮らしている。やるべき事はその日の午前には終わらせるのが日課となっているので、寝る時間を含めた午後は自由に過ごすことができる。例外というのは貴族としての用事がある時。要するに会食や会合に参加する時だ。
「ん、じゃあそろそろ寝ようか」
朝からのドタバタで自分の体にも少なからず疲労が溜まっているのが分かる。特別な用事も無いし、今日はもう休んでも問題無いだろう。
先客のいるベッドに潜り込むと、既にユキの体温が移った布団はとても暖かかった。瞼が半分閉じたユキは待っていたとばかりに身を寄せてくる。
ーーーこれは、如何ともし難いな……。
もちろん妙な意味ではない。だが以前には無かった人肌の温もりと、時折体に触れる耳と尻尾の感触はこちらの眠気を遠慮無く加速させる。
傍から見れば結婚前の貴族には相応しくない光景なのだろうが、俺たちはもう家族同然なのだ。外野の声など、意に介する必要は無い。
1人と1匹から2人となった俺たちは、その心地良さに気付いた時には既に夢の中だった。
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「ん、起きたかの」
聞き覚えのある声がする。体を起こすような不思議な感覚とともに目を開くと、そこには見覚えのある真っ白な景色が広がっている。
そしてその中に立つ、白い衣に身を包んだ1人の老人にもまた見覚えがある。
「エンディルス様……?」
俺に加護を与えてくれた張本人である、創造神エンディルスだった。
「うむ、何度も呼び出してすまんのう。それと従魔契約じゃが、上手くいったようで何よりじゃ」
「いえ、俺は大丈夫ですが……どうしてまたエンディルス様が……?」
既にウィリアムには加護が与えられている。1人の人間が2つ以上の加護を与えられることは有り得ないのだから、本来であればエンディルスの姿を拝むことはもう無いはずである。
当然の疑問を持つウィリアムを見ると、エンディルスは軽くため息をつきながらその理由を語った。
「それがじゃな……以前にお主に加護を与えた時、ガリア達が我先にと争っていたことは言っておったじゃろう?」
「はい、そう仰ってましたね」
「案の定というべきか、ガリアとマナリアが争っている間に儂の加護を与えたことを知ってから、2人が不貞腐れてしまってのう。このままでは儂らの役目にも影響が出かねないほどじゃったから、お主にもう少しだけ、それぞれの力を与えることで何とか話がまとまったんじゃよ。また煩くされては堪らんから今はここにはおらんがの」
「は、はあ……」
神というのも存外に人間味のある方々のようだ。エンディルスはさながら喧嘩して拗ねる子供をあやす孫に甘い祖父といったところだろうか。
「加護ほどではないがこの力もきっとお主を助ける力になる、そのことは保証しよう。こちらの事情でまた迷惑を掛けているわけじゃしな」
「いえ、迷惑だなんてそんな……」
迷惑だとは全く感じない。それはきっと、俺に加護を与えてくれたこの神様があの人に似ているからだろう。
「この力は儂ら四神による『祝福』というものじゃ。それぞれが別の分野で役に立つ能力を授けてくれる。お主なら使いこなせるようになるじゃろう」
今回は最初から持っていた木製の杖を、エンディルスは以前のように振り上げた。そして体の中に、暖かい空気が流れ込んでくるような不思議な感覚に包まれる。
ひとつは炎が燃え盛るような、力強い空気。
ひとつは母様に抱き締められているような、暖かな空気。
ひとつは快晴のもと草原で眠っているような、爽やかな空気。
そしてもうひとつは、この世界を透き通るような不思議な空気。
別々の感覚が体に流れ込み、そして一部となる。何とも言えない不思議な感覚だった。
「これは、エンディルス様の祝福も……」
「うむ、魔術適正もあるだけあって流石に鋭いの。じゃがまあ儂のはおまけのような物でな。加護ならともかく祝福は他人には見ることは出来んから、それを把握するための力じゃ」
「加護と祝福の把握、ってことはもしかして『鑑定』ですか?」
「正確には『鑑定眼』じゃな。お主の目に宿る能力じゃから鑑定紙も必要無いが、その代わり結果を可視化する効果は付いておらん」
「そんな能力がおまけ……」
1度は言ったことだが、この世界では他者の加護を鑑定する能力は数が少なく重宝されている。またそのために必要な鑑定紙も決して容易に準備できるものではない。現在も最低限の備蓄はあるが、素材採取のための依頼はどこの冒険者ギルドにも貼られたままになっている。そう考えると、フィールの言っていたこともあながち間違いではないようだ。
ーーーほんとに加減が下手なんだな、この神様……。
ウィリアムですら理解出来るほどの調整下手だが、当の本人は「どうじゃ凄いじゃろ」と言わんばかりにドヤ顔をしている。見た目と噛み合わないそんな様子が、重く考えることをさせなかった。
「ありがとうございます。この力も、きっと活かして見せます」
「うむ。以前にも言ったことじゃが、お主は自由に生きるとよい。思うように、感じるままにこの世界を知るのじゃ」
「……はい」
ーーーああ、この人の言葉は……。
この人の言葉は、どうしてこんなにも胸に染みるのだろう。嬉しいような、懐かしいような、こんな気持ちを何と表せばいいのだろうか。
「……儂ら四神には自由というものが存在しなくてな」
「え……?」
ふと語りだしたエンディルスの表情は、微かに曇っていた。
「儂らの役割は人間に適切な加護を与え、世界の均衡が崩れればそれを修復するように人間の運命に手を加える、ただそれだけなんじゃよ。この世界のルールは、儂らでさえも変えることはできん」
「世界のルール……」
「じゃからこそ、お主のような人間は見ていて楽しいんじゃ。勝手に娯楽にしているようで申し訳ないが、儂らはいつでもお主を見守っておる。じゃからお主の思うように生きればよい。時には迷い、悩み、立ち止まったとしても、また歩き出せばいいんじゃよ。お主にはそのための力も、仲間もおるじゃろう?」
こんな話を聞いて悲しいと感じてしまうのは図々しいだろうか。だがそれでも、考えずにはいられない。これまでの何千年もの間を、ずっとそれだけのために過ごしてきたとしたら。
「分かりました」
俺がやるべきことはひとつだろう。
「俺が、四神様たちをどうにかして俺の……俺たちの世界に連れていきます」
「何じゃと……?」
労働には対価が必要だ。それは人だろうと神だろうと関係無い。守られねばならない、個人の幸福と尊厳のためのルール。
「エンディルス様たちが与えてくださったこの力は、きっとこれから俺を何度も助けてくれるでしょう。だったら俺は、俺のやり方でその恩を返します」
こうして俺の精神の中に入るか、それとも俺の精神をどこかに引っ張ってきているのなら、同じ原理で彼らをこちらに呼べるかもしれない。もしそれが駄目でも、また別の方法を探すのだ。
「……いくら神様だからって、ずっと何も出来ないなんてつまらないじゃないですか。この世界は、エンディルス様たちが守ってきたものなんだから」
知ってもらいたい。世話焼きで意外と人間臭い神達が育み、守ってきた世界はこんなにも美しく、素晴らしいということを。自惚れだとしても、この世界を生きる者として、この世界を統べる者たちに。
「ふっ、ふぉっふぉっふぉ」
エンディルスは声を上げて笑った。
「お主は本当に面白いのう。やはり儂らの見立ては間違っていなかったようじゃな」
俺よりも背の高いエンディルス様の手が、そっと頭に触れる。その感覚はやはり懐かしく、とても暖かい。
「お主の人生じゃ、お主がしたいようにせい」
ふとその姿を見ると、足元からだんだんと消え始めていることに気付いた。
「じゃがお主がそう言うなら、儂らも楽しみにしておくとしよう。いつかお主と酒でも酌み交わせるとよいな」
その柔らかな笑顔は、どこにでもいる老人のように見えた。
「また会える日を心待ちにしておるぞ、ウィリアムよ」
「はい、また……」
やりたい事と、やるべき事。今のこの気持ちがどちらに当たるのかは分からない。
だが、ボヤけていた道は確かに見えた。遠く、果てしなく遠い道程ではあるが、その先にはきっと未来がある。それこそがこの人生の、そしてこの力の行くべき場所となるのだろう。
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