凡人は美形悪役に転生するもんじゃない

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 アレクサンダーには話せる範囲で一通りの説明をした。まずは既に周辺に異常が出ていると報告の上がった場所を優先的に調査するのが妥当だろうとも。仮に原因が違っていても帝国領内の問題解決にもなるので損はない。誰が最終的に皇帝の座を継ぐにしろ、国内をより安定させておいて悪いことはないからな。

 因みに、俺のこの先の幾つかの訪問予定地はブッキングすると嫌だし敢えて伏せておいた。ブラッキーの仲間たちが独自に調査したと言うまだ帝都には報告の上がっていない場所だ。

 アレクサンダーは皇子の責務とでも思ったのか説明に素直に耳を傾けてくれたが、本音を言えばそんな馬鹿げたことあるかとか、どうしてそんなことを知っているんだとか疑われる可能性もちらりと考えていた。なのにそんな兆候すらなかったのは奇跡なんじゃないかとすら思う。何か変な物でも食べたのかもな。
 俺としては初めから騙すつもりも衝突したいわけでもなかったから面倒がなくて良かった。

「仕掛けにはそれ自体の防衛魔法があるから、くれぐれも注意してくれ」
「へえぇ随分と手が込んでいるんだねぇ~。仕掛けた人間は余程この国が滅べばいいと思っているみたいじゃないか」

 アレクサンダーは小首を傾げ「ん~犯人は敵対国の工作員?」なんて見当違いな犯人像を口にする。
 犯人はあなたの目の前にいまーす、なんてことは勿論口が裂けても言えないので好きに明後日な方向で推理をしていてくれ。

「諸々大変だとは思うが、宜しく頼む兄上」
「ふふふ~お兄ちゃんにまっかせておくれよ~!」
「あぁ、期待している」

 アレクサンダーは何故かやけに上機嫌に胸を叩いてみせた。
 一方俺は親しげな態度にならないよう努めてビジネスライクに接しながら、当初の目的は果たしたし、そろそろいいかと湯から上がるつもりで徐に腰を上げた。

「ちょっとちょっと~お、一方的に頼むだけ頼んだらさっさともう行っちゃうのかい!?」
「のわっ!」

 アレクサンダーから腕を強引に抱き込むようにして引っ張られ、俺は咄嗟には踏ん張れずに大きくバランスを崩した。
 ちょっ、嘘だろおいぃ~っ。
 アレクサンダーの上に倒れ込み派手に水飛沫を上げて二人で湯の中に突っ込む。
 ガボガボゴボー……。
 ――あと、水中に没する寸前遠くから悲鳴のようなものが上がった気がした。

「っぷは、がはっ、ぐっ……ごほっ!」

 すぐに勢い良く水面から顔を出したものの湯が鼻に入ったせいで盛大に噎せる。まさか温泉に誘ってきたのは俺を溺死させるためだったとか!?
 物理攻撃にはほぼ絶対防衛とは言え窒息は対象外だろうからな。涙目で元凶をキッと睨む。

「急に危な――って兄上ーッ!」

 沈んだ時に俺に押し潰されて硬い底で頭でも打ったのか、アレクサンダーは顔面を湯に付けてぶくぶく泡を立てていた。慌てて抱き抱えてやると冗談抜きに溺れていたようで激しく咳き込んだ。
 ハッまさか俺を殺人犯に仕立て上げようと? いやないか。当人が死んだら元も子もない。

「がほごほっ、げほっげほっ」
「大丈夫か? 頭を打ったんじゃないのか?」

 素で案じて顔を覗き込むと奴から顔を背けられた。愚弟めが近う寄るなって? いやまた咳き込んだからタイミングがたまたまそう見えただけかもしれない。

「だ、いじょうぶどこもぶつけてはない、けほっ、けれどちょっと昇天しそうで、けほっ」
「あー、危ないところだったからな。もう平気ならいいが」

 アレクサンダーは言葉通り余程苦しかったんだろう顔が真っ赤だ。
 加えて上せかけなのかもしれない。いつまでも抱き上げているわけにもいかないし倒れられても困るので浴槽の縁に座らせてやる。

「くらくらはしないか?」
「少し上せたかなーって感じだけれど、心配はいらないよ」

 ふぅむ、意識もハッキリしているようだし自覚があるなら後は本人に任せていいか。

「そうか。なら俺は上せる前に上がらせてもらう。湯から出ていれば多少は体も冷やせるだろうが長湯は程々にな。見た感じ既に顔もだいぶ赤い」

 指摘してやるとアレクサンダーは頬に片手をやって自身の熱を感じ取ったのか「あと少ししたら私も上がるよ」と小さく苦笑した。
 本当に変な感じだ。俺がスカイラーじゃなくこいつがアレクサンダーでもなければ、今の俺たちはたぶん仲の良い兄弟にしか見えないだろう。

「ああそうだ、念のため護衛には兄上が上せ気味だと伝えておく」

 踵を返し歩き始めていたものの、足を止め肩越しに振り返ってからまた前を向く。俺が去ってからこいつに何かあって俺のせいにされても嫌だからな。
 そういえば、アレクサンダーを水に放り込んでやるとか何とかグリーンと冗談で言ったが、これは意図せずも半分実現したんじゃないか? 本気で溺死して欲しいわけじゃないし、そんなことで奴の罪は消えないし赦されることでもないが、今思い至ってざまあみろとは思った。ふっと我知らず口角が上がる。
 湯けむりに薄れるアレクサンダーを背にしたまま屋内へと差し掛かった時だ。
 背後で大きく声が張られた。

「スカイラー! ――私たちもう敵対をやめないかい!」

 ……は?

 一瞬何を言われたのかわからなかった。言葉としての理解はできたが奴が吐く台詞とは到底思えなかったせいだ。聞き間違いかとも思った。

「ははっ、どの口がそれを言う……?」

 笑止千万。思わず足を止めていた。胸中に吹き荒れた怒りで過度に体が強張り振り返れない。くわっと両目を見開いた鬼の形相になっている自覚はある。
 直前の呟き同様小さく抑えた深呼吸をその場で何度か繰り返し、ようやくゆっくりと体を捻った。
 依然そこに座ったままのアレクサンダーの姿を認めると、迂闊に暴言を吐いたりしないよう僅かに口元を引き結ぶ。
 罵りや詰りではない冷静な返しを思い付けないでいると、向こうは俺が前向きに促していると勘違いしたのか畳みかけてきた。

「私たちが友好的に振る舞えば、他の勢力への牽制にもなるだろう?」

 はっ、はははは友好的? 冗談だろ。お前とよりも他の勢力との方が余程簡単にそれこそ超絶仲良く手を組めるって。

「兄上、笑えない冗談はやめてくれ」
「別に冗談のつもりは――」
「――皇后陛下が許さないだろう? そこは兄上の方がよくよくわかっているんじゃないのか?」
「そ、れは……」

 そらみろ。俺は唾棄するように短く鋭く呼気を吐いた。こいつの気まぐれに付き合ってられるか。
 元々二人で風呂って提案もこの話をするためかもな。容易に懐柔できると思われていたのなら随分と俺も嘗められたものだ。

「兄上の提案は呑めない。話が済んだなら本当にこれで失礼する」
「あ……」

 声が究極に素っ気ないのは自分でもわかる。だが最早過去の行いも忘れたように振る舞ってくる無神経な奴に時間を割くだけ俺の転生人生が勿体ない。謝罪の一つでもしろってわけじゃない。まあ一切してこないことに何も思わないわけでもないが。
 上せたわけでもないのに熱い。こめかみには見事に石膏で型を取れそうな青筋が浮いていることだろう。
 ふー。頭を冷やしてから部屋に戻るか。でないと報告する際、とりわけグリーンに何事かと騒がれる。

 入口のメテオロスには一声掛けた。アレクサンダーに心底ムカついてはいても万一があるのはやはり困る。
 了解したと慇懃に頷き暖簾を潜っていく広い背中をさらりと見送って、俺も廊下を気の向くままに歩き出す。憤慨した勢いのまま宿を出て行こうかとも思ったがやめた。俺の感情的な判断で仲間を振り回すのは忍びない。

 歩いたり通路の椅子に座ったりしてしばらく過ごしてから、部屋の前まで戻った。

 すると、俺が来たのとは反対方向の通路からちょうどブラッキーとグリーンが角を曲がって姿を現した。

 二人でどこかに行っていたらしい。露天風呂のある大浴場は貸し切りだったが、この広い施設に浴場は一つじゃないからもしかするとそっちに入りに行っていたのかもしれない。
 二人も俺に気が付いて足を止めた。されど中々動こうとしない。
 どうしたんだ? 訝りを抱きつつ珍しく俺の方から近付いて、やや距離を保った所で徐に足を止めた。

「なに、お前ら山にでも行ってきたのか?」

 どう見ても入浴後ではない様子だった。

「ス、スカイラー様、露天風呂はどうでした? 良かったですか? 私たちは食後の腹ごなしにと少し散歩をしてきたのです。で、ですよねブラッキー?」

 へー。明らかに動揺していますなー。

「……グリーン、頭に沢山葉っぱが付いているぞ。上着もヨレヨレだ」
「えっ頭にも付いて!?」

 ギクッとして慌てて髪を掻き回したグリーンから小さな葉っぱが舞う。
 足元や外套の目立つ汚れはほろってきたが、髪の毛のは失念していたって感じか。

「「「…………」」」

 グリーンの肩や床にひらりと葉っぱが、俺たち三人の間には沈黙が落ちた。
 ブラッキーは特に何も言わずにいたが、多少目が泳いではいた。
 何をしてきたのかは知らないが、良いことをしていたわけではなさそうだ。
 半眼になった俺が無言で睨んでいると、グリーンは主君を欺くのに耐え切れなくなったのか、とうとう両膝を突いて懺悔した。

「スカイラー様申し訳ありませんっ、露天風呂を覗いておりましたっ! どうにも心配だったのです!」

 ブラッキーは額に手を当てあちゃ~と天を仰ぐジェスチャーだ。馬鹿正直、と口元が動いたのがわかった。
 同感だが、ここは俺に隠さなかったグリーンが正しいぞ。主を案じたからと言って側近が風呂を覗きましたとか社会的にまずいだろ。それを俺が知らないってのも。
 貸し切り状態で良かったよ。覗かれたのは俺とアレクサンダーだけだったからな。アレクサンダーに知られると厄介事にしかならなそうだし、よし、揉み消そう。インベーダーいや隠蔽だ。

「本当にグリーンは心配性だなぁ」

 呆れと少しの愉快さを滲ませる俺は、二人に顔を近付けると悪い顔になった。

「この件は伏せる。いいな」

 二人はすべからく同意を示した。
 夜景の見下ろせる露天風呂だが、逆に露天風呂を見ようとすると宿を囲む大自然の急斜面を登る必要がある。葉っぱをくっ付けていた理由が判明したとは言え、わざわざ危険だってある夜の山中に出向くとかグリーンに至っては忠誠心が過ぎる。身体能力の高いブラッキーと違い疲れた様子なのは大変だったのを物語っていた。
 対するブラッキーだが、俺の戦闘力は誰よりもわかっているはずだ。仕方がなくグリーンに付き合ったとも思えない。その気がなければグリーンを力ずくで止められただろうに、それをしなかった。

「もしや、覗いた理由は他にもあるのか?」

 俺の訝りは的を外れてはいなかったようだ。

「へへっ察しがいいな~。僕の場合はまさに覗き。湯気で見え辛かったのは非常に残念だったけど。まっ二人で湯に突っ込んだ時はさすがに驚いて叫んじゃったよ」

 ブラッキーは悪びれもせずへらりと笑った。
 なるほど、あの時声が聞こえたのは空耳じゃなかったのか。しっかし覗きかー。グリーンも動機の半分はそれだよなあ。よーしここは平等に制裁を加えよう。

「あのな、お前ら、――覗きは犯罪デス!」

 頭に二本角を生やしたにこにこ顔の俺は順番にげんこつを食らわせてやった。二人が一切避けようとしなかったのは救いだよ。悪いとは思っているんだろう。まあブラッキーは正直怪しいが、側近のモラルがどうにかセーフでホッとした。

「うぅいたた。ス、スカイラー様っ、ブラッキーときたら単に叫んだだけではないのですよっ。あの時はスカイラー様を助けようと私を露天風呂まで魔法で投げ飛ばそうとしたんです! スカイラー様がすぐに湯から顔を出されたので未遂でしたけど。そ、それにスカイラー様、湯気が酷かったですし遠くからでしたのでそこまで細部は見えていませんっ」

 漫画みたいなたんこぶを作り涙目になったグリーンの訴えに、同じくたんこぶを作っているブラッキーは知らんぷり~な態度。えーマジー? 鬼畜の所業かよ。

「良かったな投げ飛ばされなくて」
「はい本当に」

 だが解せない。グリーンに任せるなんてブラッキーらしくない。プチ夜登山までしておいてブラッキー自らで突撃してくるつもりはなかったのか?

「お前一人で魔法使った方が手間がなかったと思うが?」

 疑問の視線を投げると、当のブラッキーは何故か微苦笑を浮かべた。

「あ~……実は池とか温泉とかの広めの水場って少し苦手で~。まぁ普通に体は洗うし、野外じゃ魚を釣ったり川を渡ったりもするし、水場が全く無理なわけじゃあないけど、やっぱ少し構えちゃうし普段はなるべく近寄らないようにしてる」
「そうなのか」

 知らなかった、何かのトラウマか?
 ゲームではそういう設定すらなかった健康優良児だったから驚いた。
 意外な話を聞いたせいか、すっかり怒る気も失せてしまった。まあげんこつもしたし見られて減るものはないから今回は大目に見るか。
 同時に、アレクサンダーからの提案を二人にする気も失せた。まぁそもそも断ったんだからしなくてもいいか。
 問題はあるが憎めない二人だよホント。
 とにかく、と俺は一つ嘆息を挟むと腰に手を当て「風呂を覗くなんて非常識な行為、二度目はないからな」とできるだけ凄んで告げて部屋に入った。
 部屋に入る間際盗み見た二人の様子は、しゃがみ込んだりがっくりと肩を落としたりして一応は反省の色を見せていた。





「スカイラーの周りは、どいつもこいつもどうしてこう癖が強いんだか」

 スカイラー本人も見た目からして相当癖強~だから類は友を呼ぶと言うやつだろうか。転生当初のわーいやったと喜んでいた自分に、利点ばかりではなく想定外の苦労も多いぞと教えてやりたい。
 俺は室内の中央にあるテーブルに寄って水差しから注いだ水を一気に飲み干すと、ひたすら筋トレをして過ごした。考えないようにと思ってもアレクサンダーの言葉が何度も耳の奥を回るから一心不乱になりたかったんだ。
 一汗掻いて長椅子の上でボーッとしていたら眠くなったので目を閉じる。朝まで寝てしまうならそれでも別に良かった。
 グリーンが見たら血相を変えて風邪を引くとか何とか怒りそうだ。

「あいつは、ホントにスカイラーのことばっかりだよな」

 側近の顔を思い浮かべたら少し可笑しくなって笑いそうになって、しかし笑いはしなかった。それどころか苦々しいものが込み上げた。
 過去アレクサンダーはグリーンにも酷い仕打ちをしてきたに違いない。グリーンからの隠せない負の感情がそれをまさに証明している。スカイラーの知らないことも多々あるに違いなかった。

「スカイラーの、俺のことよりも自分のこともちゃんと見ろってんだ」

 改めて俺なりに周囲の人間関係を整理してみると、スカイラーの周りは敵対者ばっかりだなと呆れと同情を禁じ得ない。
 出自は選べないからなぁ。そこで本人がどう生きるかは本人次第。運もある。

 そこに甲斐甲斐しいグリーンがいてスカイラーは運が良かった。

 身分を弁えた当人たちは決して認めないかもしれないが、俺から見れば二人は親友だ。それも大親友。

 少なくとも俺はその良好な関係性を損ないたくない。

 グリーンを不幸にしたくない。

 大人になってからはアレクサンダーも幼稚にグリーンを虐げることもなくなったようだが、今日のようなことがあるから安心はできない。
 俺はグリーンを護りたいと言う元々のスカイラーの気持ちを尊重したい。明日にでも最高ランクの護身用魔法具を携帯してもらおうか。一般的なレベルの物だと心許ない。高くてもそこは安全安心を買うんだから喜んで支払おう。
 あぁ経済力だけを言えば転生先が悪役スカイラー皇子で良かった。大抵の創作物じゃ美形悪役でしかもラスボスな奴に貧乏なのはいないもんな~。あっはっは!

 なーんてつらつらと考えているうちにいつの間にか眠ってしまった。




 ――……?

 どこかの天井が見える。

 瞬いた視界に光が入り、尚且つ俺を覗き込む幼い子供の顔が現れる。銀髪に青瞳。年は3つか4つくらい。

『ねえ、これがスカイラー? わたしと目とかみの色が同じだぁ~』

 おい、これとか言うな。そしてほっぺをつんつんするな。
 全く、誰だこの失礼極まりない子供は?

『アレクサンダー、顔を見たでしょう、ほらもう行くわよ』

 やや離れて覗き下ろしている不機嫌丸出しの女は……皇后だ。

 うわー、スカイラーを気に食わないって態度が露骨過ぎる。さすがは悪女皇后、赤子にも容赦ないとかある意味ブレない強固な個性の持ち主だよ。

 だが、えっ、アレクサンダー!? 確かに面影あるな。

 純粋に子供らしくはしゃぐ様子は今の腹黒な奴からは想像できないが、誰にだって染まっていないこんな時期があるか。
 これはスカイラーが見た光景なんだろうか。まだ自我もないようなそんな時分の。

『ふん、生まれて一度も笑わないそうじゃない。母親同様可愛いげのない子供だわ』
『えっ一度も!?』

 へぇスカイラーってこの頃から無愛想だったのか。
 すると驚きから一転アレクサンダーは無邪気に子供らしい笑みを浮かべた。スカイラーの悪口が嬉しかったとか?

『スカイラー、笑うのってこうやるんだよ~?』

 ……マジ? これは本当にスカイラーが過去見たものか? それとも俺の潜在的な希望……?

『いい加減もう行くわよアレクサンダー!』

 機嫌の悪い母親には逆らえず、アレクサンダーは短く返事をすると渋々と言った面持ちで俺から手を離そうとして、ハッと目を瞠った。

『わらっ、た……?』

 パッと顔を明るくする。

『スカイラーが笑ったよ! スカイラーが――』

 アレクサンダーはスカイラーをキラキラとした目で見ていた。
 嫌悪も蔑みも劣等感も何もマイナスな感情なんて見当たらない澄んだ青い目で。
 何だ、昔はちゃんと――……。

 梟の鳴く静かな山の宿の夜。

 ――っ、――っ!!

 夢か現か、どこかで悲鳴が上がったような気がしてハッと目を開けると天井は明るいまま。

 消灯していなかったんだから当たり前かと、俺は長椅子に身を起こして部屋の設えの一つたる豪華な壁時計を確認する。

「完全に夜中じゃん……」

 日付けが変わって午前1時過ぎだ。
 ふあぁと大きな欠伸を一つして立ち上がると両腕を摩って一度大きくぶるりと身震いした。室内の気温は低くはないが汗が冷えて少し寒かった。だから目が覚めたのかもしれない。

「ちょうどいい、温泉であったまってくるか」

 もうさすがに貸し切りは終わったよな。掃除の時間は早朝だったと記憶しているからこの時間はまだ入れるだろう。もしもアレクサンダー側の誰かがいても気にしない。温泉は皆のものだし俺に手を出してくるような愚かな奴はいないだろう。俺もここ数か月でだいぶ鍛えたし対応を学んだのでその手の荒くれ者には容赦せず返り討ちにしてやるだけだ。

 そんなわけで俺はまた露天風呂のある大浴場へと向かった。一人でな。
 もっと早い時間だったなら二人も誘おうと思っていたがもう寝ているよな。或いは俺が寝ている間に入りに行ったかもしれない。
 俺は、温泉でくらい裸の付き合いをしても平気だろうと思い直していた。狭いシャワールームやバスタブで二人きりってわけじゃない。さすがにそれだと俺も気まずい。
 敵のアレクサンダーとは入ったのにどうして仲間の二人とは入らないんだ、温泉ならそこまで変に気を遣わなくてもいいだろうと今更思ったりと理由はあるが、単純に純粋に気のおけない仲間と男同士リラックスして温泉を味わいたかった。いつもより開放的になっていると言われれば前世温泉大好き日本人だった性か否定はできない。だが、そうしたいと思ったんだ。
 一緒に温泉に入ろうって言ったら二人はどんな顔をするだろうか。
 とは言え、夜が明ければ発つしその機会は次に持ち越しか。

 到着した大浴場には誰も居なかった。時間も遅いので無人なのは別に不思議でもない。この後誰かが入りにくるかもしれないしこないかもしれない。

「ははっこれはこれで得した気分」

 伸び伸びゆっくりできる。泳いだりしちゃおっかな~?
 早速と体を洗って内風呂から楽しんで、最後の仕上げが露天風呂。相変わらず湯気が凄い。夜景の明かりはとっくに就寝時間なのでさっきよりは少ないのかもしれないが、ハッキリとそうとはわからなかった。見えている大半は街灯の光なのかもしれない。
 冷えた体もすっかり温まり、むしろ少し熱くなったので一旦湯から出て縁に腰掛けた。空気を流れる湯気と、そよそよと濡れた肌に当たる秋の夜風が絶妙で気持ちいい。

「ふぅ、今鏡見たら完全にナルシスト道まっしぐらになりそうだな」

 ほんのり上気した頬とか滴る水とか肌に張り付く銀髪とか、絶対色気ヤバいだろ。最早俺は鏡を見なくても確信できる。
 体が冷めたらもう一度湯に入って温まってから上がろうかと段取りを考えていると、誰かが屋内から露天風呂の方に出てくる音がした。足音は足元を確かめるためなのか少しゆっくりめだ。残念、貸し切り終了か。
 何者かを確認するための一瞥を向けて、何となく絶句。

 だって何っでメテオロス!?

 護衛はいいのか? あ、誰かと交代した? そりゃ護衛任務の人員は一人じゃないだろうし、護衛だって人間だ、食事やトイレや風呂の時間も必要だろう。
 メテオロスは先客の存在に気が付いてだろう足を止め湯けむりに佇んだ。そして何故か目を凝らすようにして暫し見つめてくるとホッと小さな息をつく。

 え、何か……? 俺は敵にもならないって意味?

 軽視されたならそれはそれでまあいい。勝手に油断して無視していてくれ。俺だってわざわざこんな場所で波風を立てたくない。
 それにしても、土着の部族とかの一流の戦士って奴みたいな体付きなんだろうな。よく引き締まっていて男の俺でも憧れる。ここが前世ならアクションハリウッドスターになっていたかもな。
 内心と異なり外面では無関心を装う俺は、向こうも向こうで温泉を楽しむつもりなんだろうと勝手に結論付ける。

 まぁそれも、提案を蹴った俺に対しアレクサンダーから「スカイラーと会ったら痛い目見せてやって」と命じられていなければの話だが、たぶん大丈夫、たぶん……とほんの少しの緊張を手の中に握り込みながらも動かず夜風に当たっていた。

 湯に入るのか向こうの気配が近付いてきても視線を向けずに、そういえばこっちの世界では温泉入浴はタトゥーOKなんだろうかなんて考える。日本じゃ駄目だからな。

 そんな疑問に現実から気が逸れていたのは否めない。

 ハッと空気の流れを意外な程に近距離に察知した時には既に遅し。

 メテオロスから背後を取られ、腕をするりと首筋に絡められていた。

 くっ絞め技か!? 不覚を取っ――

「アレクサンダー様……」

 ――!?

 ほとんど同時に艶っぽく別人の名前を囁かれてしかも熱い息と共に首筋を嘗められて、ぞわっとしてしまった俺は反射的に裏拳で不埒者の顔面を殴っていた。

「誰と間違えてんだよ!!」

 不意の痛みで尻餅をついたメテオロスはまるで奴自身でも想定外な事態が起きたようにポカンとした空洞みたいな表情で固まっている。
 ギリリと握り拳を軋ませて睨み見下ろす俺を前に正気を取り戻すまでには数回の瞬きを要した。

「その声と、今の触れた感じは……スカイラー殿下か?」
「この美顔が他の誰に見えているって言うんだ?」

 殴られて怒ったのかメテオロスはこっちをきつく睨むように目を眇めた。ついさっき俺の存在に気付いた時と同じように。

 ……ん、あれ? そう言えばこいつ、ここは風呂だからか銀縁眼鏡をしていない。

 掛けてきてもどうせ湯気で曇って見えないだろうし当然か。ここでふとある考えが浮上する。

「あ、もしかしてお前かなり目が悪い? だから眼鏡がなくて俺と兄上を判別できなかった、とか? ほとんど後ろ姿だったし」

 ややあってメテオロスは嘆息するようにして頷いた。

「左様だ。銀の髪なのはわかったので、てっきりアレクサンダー様かと……済まない」

 メテオロスは起き上がると真摯に詫びてきた。俺より余程長身から頭を下げられてちょっと臆して背を反ってしまったが、つむじが丸見えてそれが二つあったのに気付いたら、そんなことで緊張は解れた。
 会ったばかりのこいつにはそこまで敵意を抱いていないからかもな。グリーンの件だって主の命令に従っただけだろうし、グリーンを殴ったりもしなかったようだから。

「いや、それなら仕方がない。俺は気にしていないからお前ももう忘れろ」

 エロ熊にでも嘗められたと思っておこう。
 いやしかしちょっと待てよ、人違いしたとしてもどうしてこいつは恋人みたいに接してきたんだ?
 まさか、アレクサンダーとメテオロスってデキてるのか?

「なあ、兄上もここに来る予定なのか?」
「うむ。予定の時間が過ぎているので、少々会合が長引いているのかもしれんな。暫し入口近くで待っていたが来ないので、もしや奥にいるのやもと思ったのだが、本当に済まなかった」

 なるほど。ぼんやりとでも銀髪が見えたからアレクサンダーがもう来ているのかと勘違いしたんだな。って言うか会合が終わるのを待って二人で一緒に来れば良かったくな~い? 待ったあ~? いや今来たとこ……ってのをやりたかったとか?
 それにしたって初っ端からスキンシップ濃厚だなおいっ!!

「まあ反省しているようだしマジでもういいから。ただ、俺は人の恋愛事情に口を出すつもりはないが、今みたいな人違いは極力気を付けた方がいい、とだけは忠告しておく。恋人に誤解されたら大変だろ」
「アレクサンダー様とは恋人関係ではない」

 ん……? そうなの? なのにあれするの? んんんん~~~~?
 想像力豊かな俺の脳裏に望んでもいないのに件の二人が浮かんだ。

 ――メテオ、命令だ。今夜は激しくしないでよ?
 ――畏まりました。頑張って優しく致します。

 ってことだよな。
 おいぃアレクサンダーーーーーッッ!!

「はー。頭が痛くなりそ……」

 政敵とは言え兄の耽美なる事情なんざ知りたくなかったよ……。俺はもう何だかどうでもよくなって力無く手を振り振り「それじゃあな」と屋内へと続く通路に向き直った。

 だがしかし、真のトラブルはここからなのかもしれない。

 何故なら、もくもく湯気の挾間に、愕然とした顔のアレクサンダーが突っ立っている。あたかも恋人の浮気現場をまんま見ましたーってな雰囲気で。
 ははは、ゲームになかった痴情の縺れ編の始まり始まりかあ~?
 そんなのは冗談でも嫌だっっ。
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