凡人は美形悪役に転生するもんじゃない

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11 私情と責務で葛藤の兄弟風呂

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 夕方前には俺の部屋に顔を見せたブラッキーはもうすっかり元のブラッキーだったので、俺も、何だかんだとのほほんとして居座っていたグリーンも、何となく話を蒸し返さない方が良さそうだと示し合わせて敢えて触れなかった。

 それと同時に、うっかり可愛いなんて思ってしまったせいか顔を合わせておかしな態度を取ったりしないよう内心密かに気を引き締めていた俺だが、いつもの見慣れた陽気さに触れたら肩から余計な力が抜けた。
 やっぱりこいつはこうでなくちゃな。でないと付け入る隙を与えそうで怖い……っていや何で怖いんだよ変に負けた気になるってだけだ。
 ってかさ、改めて考えると泣きそうな顔見てドキるとかっ、俺は実はやべえ性癖の持ち主だったのか? サディストの気があったのか? いや違うっそんなわけはないギャップに驚いて混乱しただけだ。ああきっとそうだ。

 椅子に座ったままやれやれと自分に思い悩んで軽く頭を小突いていると視線を感じた。

 見ると、来て早速とグリーンにまだいたのか図々しいとか余計な一言を放って口喧嘩を始めていたはずのブラッキーが、何故かじぃーっと目を凝らして俺を見ている。喧嘩はもう終了していたようだ。
 グリーンは時間も時間だからとテキパキとして菓子や食器の類いを片付け始めていた。嗚呼ブレない主夫の鑑路線……。

 ブラッキーはあたかもピントが合わずにダブッて見えるものをよくよく見ようと試みるかのような、そんな様子だった。

 俺の視線に気付くとパチリと瞬いて目が合ったのを嬉しそうにして、するりと猫のように近付いてくるなり俺の手を取った。奴が指を噛んだ方だ。

「残念、もう消えてるな。もう少し強く噛んでおけば良かったかな~。そうだ今度は左手の薬指に歯形付けるか、指輪みたいに」
「何を言うかと思えばまたふざけたことを……」

 俺の手を無遠慮に掴む手をパシリと跳ね退け軽く睨み付けてやるも、全く堪えずへへっと楽しげに笑ったブラッキーは、まだグリーンの片付けていなかった皿から素早く焼き菓子を数個手に取ってその一つを口に放り込む。特に菓子の種類を指定しなかったせいで宿で盛り合わせ的に用意してくれたから、たまたま俺が食べなかった菓子だ。顔を見るに味は悪くないようだな。どうせなら全種類コンプしようかどうしようかと悩む傍でグリーンが更に眉を寄せながら「お行儀が悪いですよ」と言い放ったので、何となく手を伸ばすのは止めておいた。
 ブラッキーは気にせずもう一個と、細く高い放物線を描かせた菓子をパクッと見事に口キャッチ。グリーンは今度はもう呆れたが、ブラッキーは予想外にも次は俺へと菓子を放るつもりか前動作を始めた。

「えっちょっと待て! 急にお前みたいな一発芸はできないって」
「まだ食べてない種類だろこれ?」
「えっ何でわかった……っていや、そういうことじゃなくて!」

 あたふたする俺を見つめ愉快そうに目を細め、「んなの顔見たらわかるって。物欲しそう~」とか失礼なブラッキーが投げてこようとしたそんな時だった、――アレクサンダーからの遣いがドアをノックしたのは。

 絶妙な時に邪魔が入り、ブラッキーは興ざめしたようにして最後の焼き菓子を結局は自分の口に運んだ。ホッ、良かった。次同じことしてきたら食べ物で遊ぶなって説教してやる。そして察してその未食の菓子をそっと俺の前に置いてくれた主夫の鑑よありがとう。

 やってきたのは、遣いとは言っても宿の従業員だった。単に奴からの言伝てを運んできただけだ。
 昼食後は極秘会合をしていたんだろうアレクサンダーからの、晩餐のお誘いだった。
 席があるのは昼同様俺だけだそうだが、二人も付いてくるそうだ。

「やはり政治的なライバルとの会食で、右腕が同行しないわけにはいかないですからね」

 とはグリーン。

「向こうは十中八九、護衛としてあのでかい奴を同行させてくるだろうから、あんたにも護衛が付いてるぜって牽制は必要だろ」

 とはブラッキー。
 俺も俺で、一人で行くよりは二人を伴った方が安心だ。グリーンは戦力にはならないが敵地で一人きりにするよりは不安もない。まぁ元々俺をここに連れて来るのに出汁にされただけでもう人質にはされないとは思うがな。
 ブラッキーについてもランチの時は放置したくせに、なんて幼稚なイチャモンは付けない。放置したのはお互い様だし、不測の事態に備えて戦力はあるに越したことはない。

 ただ、グリーンはともかくブラッキーは晩餐中控えているだけで何も食べられないってのに俺のために付き合ってくれるとか、何だか後が怖い。このブラッキーは商魂逞しい商人みたいなとこがあるからちゃっかり対価を要求されそうだ。

 ああそうだ、そんな彼には例の話をアレクサンダーにするって俺の意思を伝えた。

 グリーンを無事に取り戻したのに俺がまだこの宿に滞在しているのも、実はそのためだ。でなかったならとっくにさいならしてテレポートしに魔法協会に行っている。
 この地域一帯にはもう憂慮すべき闇の仕掛けはないんだから。
 この時、チリッと首の後ろ辺りがヒリ付いた。痛みはないが据わりが悪いようなそんな感じだ。あたかも自分で自分の直前の思考に異義を唱えるような、直感的なものだ。
 ……スカイラーの直感か。
 しかし今は本物じゃなく俺だし、仕掛けの有無も魔法探知を掛けて何も反応なかっただろ。本当にもうないはずだ。

 ブラッキーは多少渋い顔にはなったが、この旅の間俺の頑固な一面を知ったせいか、やれやれ仕方がないとか聞こえてきそうな様子で「わかったよ。あんたの意向に従う」と譲歩してくれた。
 とりあえず仲間割れにならずに済んで安堵を浮かべる俺は内心で大丈夫気のせいだと言い聞かせた。
 そうして晩餐開始の時間に合わせて向かったと言うか、宿の人間に案内されたのは昼間と同じ部屋。そこには昼間と同じ席に着いて待っていたアレクサンダーと、案の定護衛としてだろう壁際に控えるメテオロスの姿があった。

 ただ、ここでもメテオロスからは闇魔法の気配はしなかった。

 しかし気のせいだったかもと昼間も何度か思い返してはみたんだが、朝の街中のは闇魔法の黒い揺らぎが視認できていたし、確実に気のせいってレベルではなかったと俺の感覚はそう結論を出していた。

 特にトラブルもなく美味しい晩餐を終え、俺が席で腹を摩って心なし気を抜いていると、向かいの席のアレクサンダーから絶対一緒に入ろうと言われていた温泉に具体的に誘われた。そろそろ言われるかと思っていたよ。
 無論予定は食後そこそこ時間を置いてからだ。その頃には胃の中の物も消化されちょうど良い。
 よーし、兄弟風呂に浸かりながら例の件を話してみるか。
 ……晩餐の席上では料理の美味しさ他、異母兄のマシンガン自慢話とメテオロスからのガン見のせいですっかり話すのを忘れていたとは言わない。うん。メテオロスは何だろうな、主人が仲良くする俺にジェラシー感じた、とか? それとも俺に鞍替えして傅きたくなったかい?
 そんなわけで一人意気込んでいた俺だが、やけに静かに壁際に立つ同行者二人が「オンセン……イッショ……」とか実はごくごく小さく呟きつつ、不気味な殺人人形みたいなホラーな笑みを浮かべていたのにはついぞ気が付かなかった。





 上機嫌なアレクサンダーに「後でね~」と手をフリフリされ見送られて晩餐室を出た俺は、同行のブラッキーとグリーンを向いて付き添いの感謝を告げようとしたんだが、こっちが何かを言う前に詰め寄られた。因みに部屋までの案内は断ったのでこの場には俺たち三人のみだ。

「温泉は駄目だ、すっぽかせ。どうせ裏があるって」
「そうですよ、二人きりなんて危険です!」

 それぞれのあからさまな台詞が案外廊下に響いて俺は思わず後ろを振り返っていた。地獄耳のメテオロスが主人への不敬を怒って部屋を飛び出してきたらどうしようと割と本気で心配したからだ。
 幸い誰も飛び出してはこなかったからドアや壁の防音はしっかりしているようだ。アレクサンダーなら身分下の者から侮辱されたのをスルーできなかったろうからな。もしかするとメテオロスは聞こえていても敢えて告げ口もせずスルーしたのかもしれないが。

「なぁーに心配ないって。向こうだって俺の防御力は知っているから無駄な攻撃はしてこないさ。いざって時は魔法もあるし」
「あのなー別に僕もグリーンも、戦闘であんたが負けるのを心配してるわけじゃないのっ、な?」
「ですよ!」
「へ? なら何を案じているんだよ?」

 他の危惧すべき何かを思い付かずきょとんとしていたらブラッキーが苦笑しながらこう言った。

「あんたの貞操」
「はあ~? いきなり何を言うんだか。なあグリーン?」
「……スカイラー様は肝心なところでガードがガタガタですよね」

 グリーンは大真面目な顔付きだ。
 えー。何で半分とは言え血の繋がった兄相手にそうなるんだ。ここは平安時代か? 呆れつつ立ち止まっていても仕方がないと二人の先を歩き出す。ちらと肩越しに二人を見やると揃って付いてくるところだった。

「大体な、兄弟なのを抜きにしても、普通敵視している相手をわざわざエロい意味で襲おうって思うか?」
「スカイラー様こそ、何を惚けたことを仰っているのです。何びとたりともあなたの裸を前にムラムラ来ないなど不可能です!」
「……んーまぁ、俺の裸ならそうだなー」

 説得力MAXではあるが、それでも俺にはピンと来ない。皇后をはじめとするアレクサンダー側はスカイラーを追い込むためならどんな卑劣なことだってするだろう。使用人を使い捨て実行犯にしてスカイラーの食事に毒を盛らせた毒殺未遂も毒の程度の差はあれ一度や二度じゃない。ゲーム中、NPCか仲間かは忘れたが奴に関する会話をしてそう覚えていた。本筋に関係ないからか悪事内容はざっくりだったが、この現実世界では他にももっと胸糞悪い事件が起きていたに違いない。

 例の、黒猫の件だって相当悪質だ。

 あっ、なるほどそうか。嫌がることも平気でしてくるとなれば、スカイラーが羞恥心で苦悶するような人に言えないことだってしてくるかもしれないのか。
 ようやくと俺が納得できる理由に思い至っていると、ブラッキーが拗ねたように唇を突き出した。

「僕の心情としてはあんたの兄貴だろうと何だろうと、僕以外の奴にあんたの裸を見られるなんて面白くはないって話」

 いや、お前だって見たことないだろ。

「そうですね。端的に言えばそれです。ただ、スカイラー様が実は究極の裏技を使って政敵を密かに葬ろうとなさっているのでしたら、涙を呑んで止めないことに致します」
「そんな気はないが、何だ究極の裏技って」
「スカイラー様のお体を近くから拝見するだけで、大抵は昇天してしまいまふっ、からっ……っ」

 グリーンの脳みそは早々と温泉どころか熱湯に浸かったようで、盛大に鼻血を噴いた。僅差で服に掛からなかったのは良かったが、顔面下半分血染めなのに爽やかな微笑みを浮かべるとか、猟奇犯にしか見えないからやめてほしい。俺がハンカチを一枚手放す覚悟を決めて差し出す前に、幸いにも本人が自分のハンカチでささっと拭った。

「一応二人の忠告は心に留めておくが、俺は奴と二人きりになれるこの機会に腹を割って話したい。だから悪いが止めても無駄だ」

 しつこくすると俺が怒ると思ったのか、どうせ議論しても平行線だと諦めたのか、二人は不満そうにしたもののもう食い下がってはこなかった。心配はありがたいがされ過ぎてもな。会話も無くなってビミョーに気まずい沈黙を引き連れたまま俺たちの部屋の前に到着した。

「あ、えーとそうだ忘れるとこだった。同行ありがとうな。二人も夕食はしっかり食べろよ? 腹が減っては何とやら~だ。奴とのことは後で報告しに来るからゆっくりしていてくれ」

 了解の意に小さく頷く二人へとホッとしつつ頷き返した俺は先に部屋に入り、消化促進と長ソファーの上でダラけて過ごした。……この時やけに二人の聞き分けが良かった点にはついぞ不審を抱かなかった。





 アレクサンダーとの約束の時間がそろそろ迫り、着替えなどの荷物は収納指輪に入れてあるので手ぶらな俺は、廊下に出ると二人の部屋の方を少しの間佇んで眺めた。ドアはまるで留守のようにピタリと閉じられていて開く気配もない。
 自分たちとは入らないくせに~とか思って二人がへそを曲げている……とは思わないが、全く気にしていないわけでもないだろう。しかしやっぱりなぁ、あいつらとアレクサンダーじゃ違う。そこを理解しているから今回は不承不承でも大人しくしてくれているんだろう。
 そもそも邪魔なんてしたら皇子の意向に反するのか不敬罪だーっと敵方に付け入る隙を与えるだけだしな。

「それにしても、二人の正義感とか優しさに甘えてるよな俺……」

 一つ嘆息すると、いつまでも廊下に突っ立っているわけにもいかないのでのらくら歩き出す。ここでも案内は断ったので俺一人で通路の案内表示に従い向かった先は、言うまでもなく夜景が売りの一つとされる露天風呂のある大浴場だ。最上階の五階にある。
 そこまでの途中途中、石壁に柔らかく照明の反射する雰囲気ある施設内を進む俺は、息を潜める何者かの気配を感じていた。遠くから決して近付かないようにして聞き耳を立てられているみたいなそんな感覚だ。働く従業員はさすがにこんな気持ちの悪い真似はしないと思うから、アレクサンダーの関係者だろう。会合は明日もあるのかもな。
 大方俺たちの前には姿を見せるなと命じられているんだろう。スカイラーに顔や素性を知られたくない者も中にはいるのかもしれない。

 程なく到着した男湯入口には見張りとして銀縁眼鏡の大男が佇んでいた。

「メテオロス……!」

 うおっ一瞬日に焼けた仁王像かと思った。きちんと服着てるのになっ。それくらいに圧がある。そりゃ近くにいるかー。無駄にびっくりしてしまった。
 向こうも俺と言うか声に反応したようにぱっと視線を向けてきた。
 ん? 一瞬キラリと目に活力が漲ったような……?
 うーむ気のせいか。だって目と目が合っても、無!
 あぁ良かったそこは思っていた通りだ。晩餐の間はブラッキーもいたし警戒モードになっていたんだろう。

 一対一で落ち着いて見ると、全体的な粗野さを裏切ってこの男の紫の瞳は綺麗だった。どこまでも澄んでいるアルプスの空気みたいなそんな目をしている。……へぇ、意外。悪人って皆濁った目をしているんだとばかり。

「既にアレクサンダー様は中に入っておられる」
「あ、はあ、どうも」

 地顔なのか厳めしい顔付きのまま抑揚なくそう告げられ、前世の性分のまま反射的に小さく頭を下げた俺は足早に脱衣所入口の暖簾を潜った。
 関係ないが、メテオロスの理知的な声を初めて聞いたな。見た目を裏切らない低くて腹に響く美バリトンボイスだ。
 実際はこんな声なのか。ゲームじゃ序盤はすっかり無口だったのが途中から理性のない怪物みたいに雄叫びを上げて襲ってくる狂気に満ちた中ボスだった。
 こいつもスカイラーの仕掛けの被害者と言っても過言ではなく、それのせいで魔力が暴走して気が触れたんだよな。

 仲間A『おいあいつは急にどうしたんだ!?』
 主人公ブラッキー『気を付けろ! ここに満ちる闇魔法の影響で魔力が暴走したんだ!』

 とか、ゲームじゃブラッキーは戦闘中に親切にも説明してくれていたっけ。

 俺は手早く脱いで腰にタオルを巻くと浴場へと足を運んだ。
 
 俺の戻りが遅いとブラッキーもグリーンも心配して乗り込んできそうだから、アレクサンダーに話すことを話したらなるべく早めに上がろう。本音じゃゆっくりほっこりしたいが、後で遅い時間にでもまた入りに来ればいいか。

 アレクサンダーはもう体を洗ったのか内風呂の縁に腰掛けて足湯状態で待っていた。俺と同じく腰タオル一丁だ。宿の決まりだと露天風呂では水着を着用しても良いことになっているが、俺は前世感覚で温泉を楽しみたい。こいつはてっきり水着だと思っていたから意外だった。
 それに、思った通りと言うか予想以上に体細いな~。骨格が華奢なのもあるが皇子としての教養の時間に剣を握るくらいしか体を鍛えてはいないんだろう。まあ常にメテオロスみたいな護衛を連れていれば必要ないか。
 アレクサンダーの一人物思う横顔と湯気の中で頬から滴る水滴。嫌味っぽさがないと余計に童顔が際立つな。色白でスカイラーに負けないくらいに肌はスベスベしていそうだし顔立ちも中性的だし、脇役なのに一部のお姉様プレイヤー方から人気があっただけはある。あと一部のお兄様プレイヤー方からもな。俺もスカイラーのを見ていなかったら今頃生唾を呑んでいたかもしれない。フッ免疫って大事だ。
 俺が密かに感心していると、向こうも俺に気付いた。

「兄上、待たせたな」

 俺がそう言うと向こうは何故かぱちくりと瞬いて小さく笑った。

「ふふっ、私が早かっただけだよ。さぁさぁそっちで一日の垢を落としてきなよ。それから二人でゆっくり温まろう」
「ん、そうだな」
「良ければ背中を流そうか?」
「いや、いい」
「ふふふスカイラーは照れ屋さんだねぇ~」

 断られたのに随分とご機嫌だな。こっちも斜に構えても仕方がないので肩の力を抜いた。
 ところで、この温泉施設は外観や通路や部屋の設えこそ洋館風なのに、大浴場は日本風なのがまた不思議だよ。入口の暖簾とかさ。まあ元々日本のゲームだからっちゃあそれまでだが。俺はこの方が慣れているから助かった。
 手慣れた俺がさっさと掛け湯をして体を洗ってしまうと、アレクサンダーはもう洗ったのかとちょっと驚いて湯から足を上げた。
 こっちだと促された先は勿論露天風呂だ。大した距離でもなかったが内風呂を全て抜けた所まで先導されながら、俺はふと奴の右手の親指の付け根に古い傷があるのを見つけた。

 あれは……。

 昔黒猫が噛んだ痕だ。

 食事の時間も含めてずっと手袋をしていたから忘れていた。紳士の身嗜みの一つと捉えていたが、他者の目から傷痕を隠す意味合いもあるんだろうかと勝手な推測をする。
 宮殿池での事件を思い出せば急激に気分が悪くなって、もう露天風呂がすぐそこだったのもあり俺は無言で奴を追い越すとさっさと湯船に入った。
 それにしても、外に出た途端に湯気が一段と濃くなったな。屋内だとそれほどでもなかったのが視界が悪い。遠景を見るためには外壁の低くなっている端の方に多少寄らないとならないみたいだが、これで本当に楽しめるのか? 湯気が邪魔しないだろうか。
 仮に見え憎くても、まぁ俺はこの湯気に安らぎを感じるからそれはそれでいいか。
 同じく安らぐここの泉質は美肌になるとも評判の白い濁り湯だ。
 追って入ったアレクサンダーは俺の不機嫌には気付いていないようだった。無口で素っ気ない態度、薄々そうだとは思っていたがこれがスカイラーのこいつへの平常運転なのかもしれない。
 俺たちは会話をしないまま暫し露天の湯に浸かった。
 前世では温泉に来ると開放的になれたし楽しかった。なのに今はどうだ?
 ……苦行みたいだよ。
 そもそも嫌な相手と二人でいてリラックスなんてできるわけがないんだよな。食事を一緒に食べたりなんてして、俺は愚かにも軽率だった。

 過去は消えない。

 アレクサンダーは自分のやらかしたことを心から悪いこととは思っていないんだろうな。こいつに良心はないんだろうか。
 あるならスカイラーの前でへらへらなんてできない。

 しかし、こいつは本当にただ俺と温泉に浸かりたかっただけなのか?

 食事に毒を盛るでもなかったし、部屋に細工するでもなし。一応大浴場周囲の気配を探ってみたが暗殺者を潜ませている様子もない。真意が不明なだけに気味が悪い。

 体はじんわりと温まっているはずなのに、ちっとも気持ちが解れないのはそのせいだ。
 一方アレクサンダーは頬を上気させてほぅと気持ち良さそうに溜息までついている。
 はぁ……。ここで全部を問い詰めるべきか?
 いや、いつかはそうするにしても今じゃない。今は他に重要なことがある。薄ら寒いのは夜気がひんやりしているせいだと思おう。この国は現在秋だから。あ、湯気が多いのはこの気温のせいか。冬場なんてもっともくもくしていそうだ。
 このまま会話をしないでいるわけにもいかないし、とりあえず切り出すかとそう考えていると、向こうが先に口を開いた。

「どうだいスカイラー、ここからの眺めはじっくり堪能できたかい?」
「……ああ」

 俺の懸念を余所に夜景は湯気に隠れたりぼやけたりもせずハッキリ見えた。

「ふふ、なら良かった。支配人によれば最近季節柄か湯気が増えたそうでね、魔法で景色が見えるよう湯気の一部を散らしてるそうなんだよ。今年は異例でそれくらいしないと見えないんだとか。しかもその対策も数日前にようやく始めたって話。私たちは運が良かったんだよねえ~」

 なるほど魔法でか。それなら納得だ。
 この宿に到着した当初にも空気に混じって魔力を感じたのは、その魔法に起因していたんだろう。今だって湯気からも感じるしな。どうして一般的な温泉宿に魔法の気配が標準よりやや濃く漂っているのか疑問だったのが解けた。

 改めて夜景を眺める。前世のカラフルな大都市の夜景と比べれば華やかさ鮮やかさは劣るが、強弱はあれ黄白色の沢山の光の鏤められた様は、小さな宇宙の星の集まりのようで美しかった。
 称賛に目を細めた俺の様子に満足したのか、アレクサンダーは唇の端を吊り上げる。いかんいかん油断するな俺。

 敵視されていたのがどうしてこうなっているのか、腹の探り合いが日常茶飯事な出自でもない俺には彼の真の意図は本当にわからない。

 ただ、裸の付き合いをした。しかしそれで何がどうなるとも思わない。

 明日からも俺たちは変わらず政敵同士なんだろうから。

 そしてそれはこいつだってよくわかっているだろう。バックが皇后で、生まれた時から愛され大事にされてきたこいつはきっと母親を裏切れない。

 たぶん、俺はこいつを好きになれないだろう。

 だが、それでも政敵としてじゃない、帝国皇子として協力できることはあるはずだ。

 お湯の温度はすぐにのぼせるような熱さではなく、かと言って温くもない。俺には適温だ。いい湯だ、と空を見上げて改めて気持ちを引き締めるとアレクサンダーを横目で見やる。

「兄上、実は一つ話がある」

 だからこそこの誘いにも応じたとそう切り出した俺へと、奴は顔をこっちに向けた。
 何も言わないのは続きを促しているんだろう。じゃ、遠慮なく。

「俺たちは政治的に対立しているが、兄上は兄上の派閥の者たちを纏め導く立場だからこそ、俺は兄上に頼みたいことがある」

 皇太子位争いに負ける気はないが、俺はこいつにも水面下の危機を知る権利があると思う。将来俺たちの関係がどうなるにせよ、より早期に帝国を物理的崩壊から護り平穏を固めるのには敵も味方もないだろう。それから皇太子の座を争ったって遅くはない。
 国が無くなれば皇子の肩書きなんて無意味になってこいつだって威張れず困るはずだしな。
 天敵ブラッキーとも共闘できているんだし異母兄アレクサンダーともそうできるばすだと信じたい。とは言え、さすがにブラッキーのようにこいつとパーティーを組むのは願い下げだが。いちいち足が痛い~とか服が汚れる~とかこんな不味いもの食べられない~とか道中の文句が半端なさそうだ。
 俺の真剣な眼差しをダイレクトに受け、アレクサンダーは不思議そうに瞬いた後得意そうに胸を張った。

「ふふふ頼みねえ~。スカイラーもやっと兄である私の偉大さに気が付いたようだね。良いよ、詳しい話を聞いてあげよう」
「それは良かった」

 あ、お前の偉大さに気が付いたわけじゃないぞ。ないだろそんなもの。
 帝国のための一助を担って欲しい旨を掻い摘まんで話すと、奴はふんふんと相槌を打ち終いには顎に手を当てた。

「もしかして、最近各地から変な異常があるって報告が来ているのはそれのせいなのかい?」
「やはり兄上の耳にも入っていたか。大半のケースがそれに起因するようだ。解除の手は多い方が良いだろう?」

 アレクサンダーは国が滅ぶかもなんて些かショッキングな内容にも仰天する様子はなさそうだ。……よもや帝国の安定なんぞどうでもいいとか思っているんじゃないだろうな? 無関心なら話したところで無駄だ。どうせ放置する。
 俺が内心じゃドキドキと複雑な気分になっていると、奴は顎をやや仰のけて湯気の合間の空を眺めながら喉の奥を唸るように震わせた。

「う~~ん国がボロボロになるのは困るしねぇ、その話を一度持ち帰って検討してみるよ。私の配下にも適した人材はいるだろうから」
「兄上……」
「うん、スカイラーに協力したい。この国の皇子として見過ごせない事態だからね」

 この異母兄のことだから動機は善意からきているものではないかもしれないが、必要となれば国を護るために行動してくれるようだ。

「兄上に心より感謝する」

 頬が緩みそうになり顔をやや背けたが、見られていたかもしれない。頬の辺りに暫く視線を感じていた。
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