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第二章 孤立の城
第八集 希望の一矢
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涼州刺史・韋康とその腹心たちの立て籠もる冀城は、冀県の県城である事はもちろん、漢陽郡の郡庁、さらには涼州全域の州庁も兼ねた、かなりの大都市である。城壁は広範囲に及ぶが、馬超の集めた兵力はそれを取り囲んで余りある大軍勢であった。
襄武城から馬を飛ばした趙英ら一行は、およそ半日で冀城を見下ろす丘の上に到着した。まだ陽の高い午後の事である。
八方から攻め寄せる激しい攻勢も、冀城の守備兵たちはよく耐えたと見え、馬超軍もその攻め手を緩め始めていた。一気に落とせないとなれば、包囲して兵糧攻めという攻城の基本戦術である。
「この様子じゃ、中に入るのは無理そうだね……」
何とはなしに呟いた呼狐澹に、趙英、緑風子とも押し黙ったまま考え込んでいた。
仮に包囲を突破できたとしても、兵糧攻めにされている城に、たった三人が身一つで入った所で何の足しにもならない。どうにかこの少人数で事態を打開する動き方は無いものか苦慮していると、包囲している馬超軍に動きがあった。
冀城の門前に騎乗した将の姿が見える。見紛う事無く馬超本人だ。そしてその傍らに丸腰の文官と思われる男が立っていた。先の上邽県令、閻温であった。
馬超軍に包囲された最初の夜、閻温は自ら志願して水路から冀城を抜け出し、長安の夏侯淵に援軍を要請しに出たのであるが、関中へ向かう山道は既に兵が配置されており、逃亡も虚しく捕らえられ、馬超の前に引き立てられた。
馬超としても知らぬ仲でもない。以前は県令の席を素直に譲ってくれた閻温に、今回は開城を呼びかけてもらおうと頼むと、閻温もそれを承諾したので、こうして縄を解いて城門の前に共に歩み出たのである。
風も穏やかで、両軍とも静まり返る中、よく響く声で閻温が言う。
「冀城の同志たちよ! 長安よりの援軍は必ず来る! それまで決して開門してはならん! 諦めるな!」
冀城の守備兵から歓声が上がった。困惑し慌てた様子の馬超は、馬上から槍の切っ先を閻温の肩に置いて問う。
「貴様、死にたいのか?」
閻温は肩に置かれた槍を慌てた様子もなく一瞥すると、静かに、されど力強く言う。
「仲間を売ってまで生きようとは思わぬ。ましてや逆賊になど手は貸さん。殺したくば殺すがよい。雑種めが」
その最後の罵倒に、馬超は我を失った。羌族との混血である事を雑種と罵られるのは彼にとって我慢ならない事であったからだ。
馬超は力任せに槍を振るい閻温の首を飛ばす。砂地の上を転がっていく閻温の頭。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
その様子を丘の上から見ていた一行の中で、緑風子だけが閻温の意図を察した。
「命を賭した策、か……。壮烈だね」
「どういう事?」
疑問を口にした呼狐澹に説明する緑風子。
「会話の内容は分からないが、彼は馬超を挑発してわざと自分を殺させたんだよ。あえて大勢の前でね。
投降しても同じように殺されるかも知れないと思わせて、守備兵も死に物狂い。つまり背水の陣という奴さ。それに援軍は必ず来ると激励して士気も上げている」
そこで趙英は思った事を口にし、緑風子も続けて答える。
「でもあの様子じゃ援軍は……」
「あぁ、呼べてないね。馬超だって将帥として無能ではない。山道を封鎖するぐらいの事はしてるだろう。でもこれで、我々のすべき事が明確になったね。長安へ向かおう」
これ以外の選択はないと思いながらも、提案した緑風子は趙英の言を待った。当の趙英は少しの間を空けて同意する。
「まぁ、それしか無いだろうな。少し待っててくれ……」
趙英は荷物の一部を力任せに裂いて、掌程度の布切れを用意すると、小筆を使って文を書いた。そして呼狐澹の矢筒から矢を一本貰うと、そこにその布を結びつける。父である趙昂へ向けた矢文である。
「頼めるか?」
「任せて」
呼狐澹は得意気な様子でそれを短弓につがえると、冀城の城門へ狙いを定めた。
「人には当てるなよ」
「分かってるさ」
風を切る音をさせて放たれた矢は、正面城門の櫓の柱に正確に突き刺さる。守備兵たちに当たらず、それでいてすぐに気づく位置である。呼狐澹の目には、既に守備兵が矢文の存在に気づいて回収を試みている姿が見えていた。
「さて、急ごう。ここから長安までは、どんなに馬を飛ばしても三日はかかる」
緑風子の言葉に黙って頷いた二人は、各々の馬に跨って丘を駆けだし、包囲する馬超軍を大きく迂回して一路長安へと急いだのだった。
その頃、冀城の城壁の上では、閻温の壮烈な死を前にして、その節義に心打たれる者、馬超の冷酷さに恐れ慄く者など、様々な感情が渦巻いていた。
そんな兵士たちの騒めきの中で、三人の男が顔を突き合わせていた。楊阜、字を義山。尹奉、字を次曾。そして趙昂、字を偉璋。
いずれも涼州の地で競うように功績を挙げ、その名を馳せた有能な役人であり、また互いに友人同士でもある。先ほど命を落とした閻温もまた、共に競った仲間であった。
彼らは友人の死を悲しみながらも、安堵する部分もあった。
涼州刺史の韋康は、曹操の参謀である荀彧によって推挙された。その才能は「ドブ貝から取れた真珠」と例えられたほどで、平時の統治者としては非常に有能であったが、殊に戦の類は非常に苦手であった。
よく言えば優しい、悪く言えば優柔不断で弱腰な主は、この包囲戦が始まった時から降伏を考えていたほどだ。彼ら配下の者が総員で説得して籠城に持ち込み、何とか最初の攻勢を凌いだのである。
そんな中での先ほどの一件、守備兵たちも籠城の決意を固めた様子で、城内の民間人たちにもすぐに話が伝わるであろう。そうなればいかに責任者である刺史といえども、容易に降伏には踏み切れない。
閻温は事実上、屍諫(自分の命と引き換えに主の考えや行動を改めさせる事)したも同然であった。
「されど伯倹が死んでしまうとは……」
「昨夜に単身で城を出た時から、覚悟は決まっていたのであろうよ」
「立派な死に様であったと、後世に残されるであろうな」
「だが今はそれより、長安への伝令が出せぬという事だ。援軍が望めるかどうかは別にして、全く知らせようがないのは問題だ」
そんな彼らの会話に、守備兵が割って入る。
「あの、趙大人」
「何だ?」
「それが、趙大人宛ての矢文が……」
守備兵はその手に小さな布切れを持っていた。趙昂はそれを受け取って目を通すと、すぐさま笑みを零し、友人たちの方を振り返る。
「御一同、長安への伝令は既に発ったようだ」
その布切れにはこうあった。
趙参軍
長安への援軍要請の任、承りました
反対を押し切り、西域にて磨いた親不孝者の剣
今日この時の為にこそ振るう時と存じます
母上、弟ともども、どうかご無事で
慧玉
襄武城から馬を飛ばした趙英ら一行は、およそ半日で冀城を見下ろす丘の上に到着した。まだ陽の高い午後の事である。
八方から攻め寄せる激しい攻勢も、冀城の守備兵たちはよく耐えたと見え、馬超軍もその攻め手を緩め始めていた。一気に落とせないとなれば、包囲して兵糧攻めという攻城の基本戦術である。
「この様子じゃ、中に入るのは無理そうだね……」
何とはなしに呟いた呼狐澹に、趙英、緑風子とも押し黙ったまま考え込んでいた。
仮に包囲を突破できたとしても、兵糧攻めにされている城に、たった三人が身一つで入った所で何の足しにもならない。どうにかこの少人数で事態を打開する動き方は無いものか苦慮していると、包囲している馬超軍に動きがあった。
冀城の門前に騎乗した将の姿が見える。見紛う事無く馬超本人だ。そしてその傍らに丸腰の文官と思われる男が立っていた。先の上邽県令、閻温であった。
馬超軍に包囲された最初の夜、閻温は自ら志願して水路から冀城を抜け出し、長安の夏侯淵に援軍を要請しに出たのであるが、関中へ向かう山道は既に兵が配置されており、逃亡も虚しく捕らえられ、馬超の前に引き立てられた。
馬超としても知らぬ仲でもない。以前は県令の席を素直に譲ってくれた閻温に、今回は開城を呼びかけてもらおうと頼むと、閻温もそれを承諾したので、こうして縄を解いて城門の前に共に歩み出たのである。
風も穏やかで、両軍とも静まり返る中、よく響く声で閻温が言う。
「冀城の同志たちよ! 長安よりの援軍は必ず来る! それまで決して開門してはならん! 諦めるな!」
冀城の守備兵から歓声が上がった。困惑し慌てた様子の馬超は、馬上から槍の切っ先を閻温の肩に置いて問う。
「貴様、死にたいのか?」
閻温は肩に置かれた槍を慌てた様子もなく一瞥すると、静かに、されど力強く言う。
「仲間を売ってまで生きようとは思わぬ。ましてや逆賊になど手は貸さん。殺したくば殺すがよい。雑種めが」
その最後の罵倒に、馬超は我を失った。羌族との混血である事を雑種と罵られるのは彼にとって我慢ならない事であったからだ。
馬超は力任せに槍を振るい閻温の首を飛ばす。砂地の上を転がっていく閻温の頭。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
その様子を丘の上から見ていた一行の中で、緑風子だけが閻温の意図を察した。
「命を賭した策、か……。壮烈だね」
「どういう事?」
疑問を口にした呼狐澹に説明する緑風子。
「会話の内容は分からないが、彼は馬超を挑発してわざと自分を殺させたんだよ。あえて大勢の前でね。
投降しても同じように殺されるかも知れないと思わせて、守備兵も死に物狂い。つまり背水の陣という奴さ。それに援軍は必ず来ると激励して士気も上げている」
そこで趙英は思った事を口にし、緑風子も続けて答える。
「でもあの様子じゃ援軍は……」
「あぁ、呼べてないね。馬超だって将帥として無能ではない。山道を封鎖するぐらいの事はしてるだろう。でもこれで、我々のすべき事が明確になったね。長安へ向かおう」
これ以外の選択はないと思いながらも、提案した緑風子は趙英の言を待った。当の趙英は少しの間を空けて同意する。
「まぁ、それしか無いだろうな。少し待っててくれ……」
趙英は荷物の一部を力任せに裂いて、掌程度の布切れを用意すると、小筆を使って文を書いた。そして呼狐澹の矢筒から矢を一本貰うと、そこにその布を結びつける。父である趙昂へ向けた矢文である。
「頼めるか?」
「任せて」
呼狐澹は得意気な様子でそれを短弓につがえると、冀城の城門へ狙いを定めた。
「人には当てるなよ」
「分かってるさ」
風を切る音をさせて放たれた矢は、正面城門の櫓の柱に正確に突き刺さる。守備兵たちに当たらず、それでいてすぐに気づく位置である。呼狐澹の目には、既に守備兵が矢文の存在に気づいて回収を試みている姿が見えていた。
「さて、急ごう。ここから長安までは、どんなに馬を飛ばしても三日はかかる」
緑風子の言葉に黙って頷いた二人は、各々の馬に跨って丘を駆けだし、包囲する馬超軍を大きく迂回して一路長安へと急いだのだった。
その頃、冀城の城壁の上では、閻温の壮烈な死を前にして、その節義に心打たれる者、馬超の冷酷さに恐れ慄く者など、様々な感情が渦巻いていた。
そんな兵士たちの騒めきの中で、三人の男が顔を突き合わせていた。楊阜、字を義山。尹奉、字を次曾。そして趙昂、字を偉璋。
いずれも涼州の地で競うように功績を挙げ、その名を馳せた有能な役人であり、また互いに友人同士でもある。先ほど命を落とした閻温もまた、共に競った仲間であった。
彼らは友人の死を悲しみながらも、安堵する部分もあった。
涼州刺史の韋康は、曹操の参謀である荀彧によって推挙された。その才能は「ドブ貝から取れた真珠」と例えられたほどで、平時の統治者としては非常に有能であったが、殊に戦の類は非常に苦手であった。
よく言えば優しい、悪く言えば優柔不断で弱腰な主は、この包囲戦が始まった時から降伏を考えていたほどだ。彼ら配下の者が総員で説得して籠城に持ち込み、何とか最初の攻勢を凌いだのである。
そんな中での先ほどの一件、守備兵たちも籠城の決意を固めた様子で、城内の民間人たちにもすぐに話が伝わるであろう。そうなればいかに責任者である刺史といえども、容易に降伏には踏み切れない。
閻温は事実上、屍諫(自分の命と引き換えに主の考えや行動を改めさせる事)したも同然であった。
「されど伯倹が死んでしまうとは……」
「昨夜に単身で城を出た時から、覚悟は決まっていたのであろうよ」
「立派な死に様であったと、後世に残されるであろうな」
「だが今はそれより、長安への伝令が出せぬという事だ。援軍が望めるかどうかは別にして、全く知らせようがないのは問題だ」
そんな彼らの会話に、守備兵が割って入る。
「あの、趙大人」
「何だ?」
「それが、趙大人宛ての矢文が……」
守備兵はその手に小さな布切れを持っていた。趙昂はそれを受け取って目を通すと、すぐさま笑みを零し、友人たちの方を振り返る。
「御一同、長安への伝令は既に発ったようだ」
その布切れにはこうあった。
趙参軍
長安への援軍要請の任、承りました
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