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21話 選ばれた名前
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太ることが出来るのは豊富な食事と健康な体に恵まれている証拠。
動くのが億劫なのは太って体が重いから当然。
毎日何となくだるいのも太って体が重いから当然。
そしてそこまで太ることが出来るのは。
「よしわかった。そのヤブ医者クビにしよう。金あるんだから別の奴雇いなよ」
「そのことだが、恐らく別の者を侍医にしても変わらないと思うぞ」
賢者であるリヒトとその他の人間では、相手が医師でも知識の量が違うのではないか。
俺は鏡の中の相手に向かい合ってそう告げた。足元では黒猫のムクロが退屈そうに寝転んでいる。
「それに多分……俺みたいに肥え太っている人間についての情報自体が少ないんだ」
「マジで?」
「この国はまだそこまで成熟しきっていないから……らしい」
断言できないのは自分が今まで有り余るほどの食物に囲まれた暮らしをしていたからだ。
だがカインと交流したり、また体が軽くなって歩くのが苦痛でなくなった結果気づいた。
城内で会う人間の誰一人として過去の俺のように醜く太っているものはいなかった。
白豚皇帝時代の俺のように動くことも出来ず室内でじっとしていることも考えられる。だから教師や、侍医にも会って尋ねてみた。
彼らは俺よりは識者で多くの種類の人間を知っているだろう。返って来た答えは半ば予想していた通りだった。
少なくとも自分は見たことは無いと。
その理由について推測交じりに話してくれたのは、貧困地域の存在について俺に知らせた教師だ。
「初代皇帝は俺の祖父だ。元々は別の大陸の出身で、臣下と共に建国しその後身分制度を作った。だから、」
「つまり今貴族ぶっている連中もまだなり立てって感じなわけね、貴族といえど飽食出来る程贅沢レベルがカンストはしていないと……」
「俺が皇帝になった後は恰幅のいい連中を何人か見かけたな。一部貴族たちの間で贅沢合戦もやっていたという話だった」
「元白豚皇帝さん、他人事過ぎない?それって不正と腐敗の臭いがしまくりなんだけど」
「そうなんだ、そうなんだよな」
リヒトに指摘された通り、俺は本来知っておくべき事情に今まで無知だった。
殺された時点で三十歳を過ぎていたのに。
色々思い起こせば父と滅多に顔を合わせなかったのだって、二代目皇帝として多忙だったからだと気づく。
「でも、どうして俺は、何も知らされず、何も行わずに生かされていたのだろう……」
三代目の皇帝だったのに。ただひたすら肥え太って玉座に座っていただけだ。
記憶の中の父は堂々たる偉丈夫だった。俺と髪と目の色は同じだが、似ているのはそれだけだろう。
才覚的な意味で、そして指導者的な意味でも資質を受け継いでいるのはカインの方だと思う。
父の急死によって長男であった俺が皇帝の座を就いたけれど、彼が最期に呟いたのは弟の名だった。
秘匿される筈だった情報はどこからか洩れて、城内も、貴族たちも、そして俺も荒れた。
カインの追放を決意したのはその時だった。今なら間に合う。自らが追われる前に追放しろと急かされて、そうした。
怖かったし悔しかった。弟に己が負けるのがわかっていたからこそ、悔しかったのだ。
何より突然父に切りかかられたような痛みがあった。驚きがあった。絶望があった。やっぱりと思う気持ちが爆ぜた。
優れた弟こそが自分の後継に相応しいと思っていたなら、さっさと公表してくれればよかったのに!
あの時の、底のない穴にぐちゃぐちゃの泥を流し込んでいくような途方のない気持ちが甦る。
憎かったのは、恨めしかったのは、カインだけではなかった。父の望みを、俺は。
父上は、どうして俺を。
「……オン、大丈夫?顔が青いと言うか白いんだけど」
「あ……リヒト」
鏡の向こうから呼びかけられて現実に戻る。彼が気を利かせて姿を消す。鏡面に映った自分は泣きそうな子供だった。
戻ってきてくれ。そう呟いて鏡を撫でる。盲目の賢者が俺を見下ろしていた。その左手はやはり見当たらない。
「なあ、なんで左手なくなったんだ。どうしても気になる」
「何で突然その質問?いきなり過ぎない?」
錯乱でもしてるのか、疲れたならさっさと寝ろと乱暴な言葉で心配される。
俺は首を振って嫌がった。
「じゃあ質問変えるけど、何で父は俺を豚のまま飼い続けていたのかな。なんでかな……リヒトは賢者だからわかるか?」
「……わからないし、それは俺に聞くことじゃないでしょ」
「はは、お前にも分からないことがあるんだな」
「あるに決まってるでしょ、別に俺はカミサマじゃないんだよ。本人に聞きなよ」
彼は面白くなさそうな顔でそう答えた。
正論だ。こうやって突き放すようにして背を押してくれる存在だから大切なのだと改めて思った。
でも。
「父に聞くべきことは山程あるのに……聞くのが怖いんだ。どうしてだろう、俺は大人なのにな」
本当は父だけではない。カインの母親にだって、向き合わなければいけない。親たちに。
避けて考えないようにしてきたけれど。でも本当は知っている。カインを可愛がるだけでは駄目なのだと。
俺は最悪の未来を見てきたのだから。その未来を生み出した罪人なのだから。
繰り返さない為に、逃げてはいけない。俺は自分の拳を握り締めた。
動くのが億劫なのは太って体が重いから当然。
毎日何となくだるいのも太って体が重いから当然。
そしてそこまで太ることが出来るのは。
「よしわかった。そのヤブ医者クビにしよう。金あるんだから別の奴雇いなよ」
「そのことだが、恐らく別の者を侍医にしても変わらないと思うぞ」
賢者であるリヒトとその他の人間では、相手が医師でも知識の量が違うのではないか。
俺は鏡の中の相手に向かい合ってそう告げた。足元では黒猫のムクロが退屈そうに寝転んでいる。
「それに多分……俺みたいに肥え太っている人間についての情報自体が少ないんだ」
「マジで?」
「この国はまだそこまで成熟しきっていないから……らしい」
断言できないのは自分が今まで有り余るほどの食物に囲まれた暮らしをしていたからだ。
だがカインと交流したり、また体が軽くなって歩くのが苦痛でなくなった結果気づいた。
城内で会う人間の誰一人として過去の俺のように醜く太っているものはいなかった。
白豚皇帝時代の俺のように動くことも出来ず室内でじっとしていることも考えられる。だから教師や、侍医にも会って尋ねてみた。
彼らは俺よりは識者で多くの種類の人間を知っているだろう。返って来た答えは半ば予想していた通りだった。
少なくとも自分は見たことは無いと。
その理由について推測交じりに話してくれたのは、貧困地域の存在について俺に知らせた教師だ。
「初代皇帝は俺の祖父だ。元々は別の大陸の出身で、臣下と共に建国しその後身分制度を作った。だから、」
「つまり今貴族ぶっている連中もまだなり立てって感じなわけね、貴族といえど飽食出来る程贅沢レベルがカンストはしていないと……」
「俺が皇帝になった後は恰幅のいい連中を何人か見かけたな。一部貴族たちの間で贅沢合戦もやっていたという話だった」
「元白豚皇帝さん、他人事過ぎない?それって不正と腐敗の臭いがしまくりなんだけど」
「そうなんだ、そうなんだよな」
リヒトに指摘された通り、俺は本来知っておくべき事情に今まで無知だった。
殺された時点で三十歳を過ぎていたのに。
色々思い起こせば父と滅多に顔を合わせなかったのだって、二代目皇帝として多忙だったからだと気づく。
「でも、どうして俺は、何も知らされず、何も行わずに生かされていたのだろう……」
三代目の皇帝だったのに。ただひたすら肥え太って玉座に座っていただけだ。
記憶の中の父は堂々たる偉丈夫だった。俺と髪と目の色は同じだが、似ているのはそれだけだろう。
才覚的な意味で、そして指導者的な意味でも資質を受け継いでいるのはカインの方だと思う。
父の急死によって長男であった俺が皇帝の座を就いたけれど、彼が最期に呟いたのは弟の名だった。
秘匿される筈だった情報はどこからか洩れて、城内も、貴族たちも、そして俺も荒れた。
カインの追放を決意したのはその時だった。今なら間に合う。自らが追われる前に追放しろと急かされて、そうした。
怖かったし悔しかった。弟に己が負けるのがわかっていたからこそ、悔しかったのだ。
何より突然父に切りかかられたような痛みがあった。驚きがあった。絶望があった。やっぱりと思う気持ちが爆ぜた。
優れた弟こそが自分の後継に相応しいと思っていたなら、さっさと公表してくれればよかったのに!
あの時の、底のない穴にぐちゃぐちゃの泥を流し込んでいくような途方のない気持ちが甦る。
憎かったのは、恨めしかったのは、カインだけではなかった。父の望みを、俺は。
父上は、どうして俺を。
「……オン、大丈夫?顔が青いと言うか白いんだけど」
「あ……リヒト」
鏡の向こうから呼びかけられて現実に戻る。彼が気を利かせて姿を消す。鏡面に映った自分は泣きそうな子供だった。
戻ってきてくれ。そう呟いて鏡を撫でる。盲目の賢者が俺を見下ろしていた。その左手はやはり見当たらない。
「なあ、なんで左手なくなったんだ。どうしても気になる」
「何で突然その質問?いきなり過ぎない?」
錯乱でもしてるのか、疲れたならさっさと寝ろと乱暴な言葉で心配される。
俺は首を振って嫌がった。
「じゃあ質問変えるけど、何で父は俺を豚のまま飼い続けていたのかな。なんでかな……リヒトは賢者だからわかるか?」
「……わからないし、それは俺に聞くことじゃないでしょ」
「はは、お前にも分からないことがあるんだな」
「あるに決まってるでしょ、別に俺はカミサマじゃないんだよ。本人に聞きなよ」
彼は面白くなさそうな顔でそう答えた。
正論だ。こうやって突き放すようにして背を押してくれる存在だから大切なのだと改めて思った。
でも。
「父に聞くべきことは山程あるのに……聞くのが怖いんだ。どうしてだろう、俺は大人なのにな」
本当は父だけではない。カインの母親にだって、向き合わなければいけない。親たちに。
避けて考えないようにしてきたけれど。でも本当は知っている。カインを可愛がるだけでは駄目なのだと。
俺は最悪の未来を見てきたのだから。その未来を生み出した罪人なのだから。
繰り返さない為に、逃げてはいけない。俺は自分の拳を握り締めた。
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