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第一章

三十五話

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 安全な場所で呼ぶまで待っているようにと言われ、地下への入り口から少し距離を取る。

 もっと離れた方がいいのかもしれないが、ミランダさんの声が聞こえなくなるのも不味いだろう。


「どっこいしょっと……」


 床に腰を下ろす。静かな場所で疑似的に一人になった途端どっと疲れが押し寄せてきた。

 だからといって気を緩めるわけにはいかない。寧ろこれからが本番といえる。

 リンナの家には多くの魔物が巣食っていた。

 ミランダさんと合流できず単身で地下に辿り着いた場合確実に私は殺されていただろう。

 鉢植えに仕込まれていたのも、今ミランダさんが戦っているのも植物の魔物だ。

 複数の魔物が家の外の人間に気付かれず生息していたことを考えるとぞっとする。

 幸いにも村人の誰かが行方不明になったという話は聞いていない。

 ただ、リンナの父親はもう助からないかもしれない。花に変えられてしまったのだから。

 そのことを知ったなら村の住人達はきっと悔やむだろう。

 リンナの手癖の悪さを大人たちは皆知っていた。

 親が幾ら厳しく叱ってもどうしても直せないことも。

 だから自衛のため、そして一家を責めずに済むように彼女と距離を置いた。

 必要最低限の会話だけをして、村八分ではないけれどリンナと親しく関わろうとする者はいなかった。

 子供たちも親や年上の兄弟に倣い彼女を避けた。ただ石を投げたり盗人呼ばわりをしたりはしなかった。

 そういう『病気』だと大人たちから言い聞かされていたからだ。

 リンナの両親については、向こうから距離をおくようになったとレン兄さんが言っていた。

 雑貨屋を営んでいる彼は人と会話をする機会が多い。



『他の村人を恨んでいる訳ではないし寧ろ追い出されず感謝している。

 しかしだからこそ面倒ごとを持ち込んだのが申し訳ない。

 気遣わせているのに平気な顔で世間話などできない。

 ひっそりと村の隅で暮らさせて欲しい。』


 男だけの飲み会に誘った時にリンナの父親にそう断られたと残念そうな顔で語っていたのを思い出す。

 あまり抱え込まなければいいがと心配そうに呟いてもいた。

 そう、リンナの両親は善人だった。リンナの姉だって変わり者ではあったけれど前向きでしっかり者で私は好きだった。

 じゃあ、リンナ自身は。

 リンナのことを私はどう思っていたのだろう。

 ミランダさんが語っていた亡霊綿毛の説明を思い出す。

 気鬱になって、幻聴や幻覚が聞こえて精神が不安定になる。

 その結果嫌われたり馬鹿にされたりしていると思い込むようになる。

 そして自分が言われたくない言葉が聞こえるようになる。


「言われたくない、言葉……」


 それは、わかっている。いや、わかってしまった。

 私は尽くし続けたライルに捨てられるのが一番怖かったのだ。

 いや違う、怖いのは捨てられることでさえない。

 最初からそんな段階ですらないと思い知らされること。

 ライルは私を女としてなんて見てない。私だけがライルを男として見ていた。

 その一方的なみっともない想いを、ライルが若い娘に笑いかけながら嘲る。

 その光景こそきっと私が一番恐れていたものだったのだろう。 
 
 もし、部屋の前で聞いたライルたちの会話が私の幻聴に過ぎないのだったら。

 若く美しい娘であるリンナがライルの相手役になったことも理解できる。 

 だって私はリンナが嫌いだ。彼女にだけは絶対に『奪われたく』はない。

 親にも言ったことはないが彼女の手癖の悪さもだが、全く反省しないところが大嫌いだった。

 だから彼女が村で孤立しても、姉からの仕送りを使って一人で町で遊んでいると噂で聞いても知らぬ振りをした。

 彼女の盗癖を知りながらも危ない真似はするなと注意しなかった。

 けれど、もし止めていれば事態は変わったのだろうか。

 口で言って盗みを制止できるなら彼女の両親だって苦労なんてしなかっただろう。

 そう結論付けながらも腹の奥がちくちくと痛んだ。  
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