ちゃりんこ

端木 子恭

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 金曜日の夜、晩御飯のあとだった。
 つむぎはこの時山コースを選んだ。

 誰か誘えばよかったのに。

 20分後、彼女はそう悔やむことになる。

 この辺りの田植えは遅い。
 だいたい4月の下旬から5月の上旬がピークだ。
 ハウスの中では大事そうに稲の苗が育てられている。

 軽トラが遅くまでぽつ、ぽつと道路を走っていた。
 春なのに雪がチラついてきて、サングラスが見づらい。
 山の方では風も吹いていた。

 まあ雨よりは走りやすいでしょ。

 つむぎは下りに入る。
 カーブが続く区間がそろそろ終わる頃だった。
 後ろから来た軽トラに自転車をハスられた。

「あっ?」

 ガードレールの切れ目から、つむぎはするっと吸い込まれていった。

 急に自転車がツルや草に引っかかっる。
 ハンドルが体の前に食い込んだ。

「ええええ」

 驚いてわたわたする。
 軽トラが急ブレーキをかけて止まった。

「大丈夫ー?」

 どこかのおじいさんの声がする。

「助けてー」

 つむぎは這い上がろうと一生懸命に草を掴んだ。
 生えたばかりの草はぶちぶちと切れ、体はゴロンゴロンと転がっていく。
 自転車が崖の途中に止まっていた。

「自転車を引っ張り上げてええ」

 なぜか自分より自転車を助けるようお願いしてしまう。
 怪我なんてしていないと思っていた。
 自転車をなくしては帰るのが面倒になる。
 そんなことを思った。

「自転車でいいのー?お姉さんは一人で上がれるのかーい?」

 口調が「やっほー」と同じトーンでおじいさんは尋ねる。

「やってみまーす」

 こだまのようなのん気な返事をした。
 目が慣れて、なんとか道路へ這い上がる。
 帽子、グローブ、サングラス、スマホ、…。
 全部あった。
 おじいさんが自転車を荷台に乗せてくれている。
 サイコンも無事だ。受信機もついてる。よし。

「大丈夫?ごめんねえ。避けれたと思ったんだけど…。
 病院行くかい?連れてくから。
 お姉さんどこの子だい?」

 祖母と同じくらいのおじいさんだった。

「八亀です」

 荷台に手をついて答える。
 なんか、痛い。胸の下。脇腹の所が痛い。

「チカさんのとこの子かい。
 分かったよう。軽トラ乗って。病院に連れてくから」

 お言葉に甘えて市立病院に連れて行ってもらった。
 当直に入っていたのは体の大きな先生で、この人が期待の新人かぁ、なんて見ている。

「骨は折れてないですよ」

 後日保険証持ってきてくださいね、と言われ、再びおじいさんに送られて家に帰った。
 祖母がおじいさんに事の次第を聞いて仰天している。

「ごめん。ばあちゃんごめん…」

 自分で偉そうにヤングケアラーとか、ちょっと前の自分を殴りたかった。
 おまえは自分の面倒もみれないわ。
 
「つむちゃん、一人で動けるかい?」

 小さな祖母が心配している。

「大した怪我してないんだよ。
 ごめんね。自転車がおっこっちゃったよ」
「つむちゃんが生きてたらいいんだよ。
 ジャージ洗っとくから、つむちゃんはお風呂沸かして入んな」

 何があったんだっていうくらいに大きな青あざが胸や脇腹にできていた。
 風呂場でそれを見て泣きべそになる。

「どうしよう…」

 明日は運動公園で、大会と同じコースを走ることになっていた。

 おっちょこちょいなんだから。
 落ち着きがないんだから。
 
 小さいころから母に言われていた言葉に、頭の中をがんがん叩かれているようだ。


 山へ行く道を手前で曲がったところが運動公園だった。

 陸上競技場、野球場、体育館が敷地内にある。
 その外周をサイクリングロードが囲んでいる。
 その向こうは公園になっていて、さらに向こうは石狩川だ。

 ここまで一応自転車に乗ってきたが、痛くてこげなかった。
 太陽の下で見ると車体は結構傷ついている。
 
「おう、亀ー」

 スタート地点のあたりで川の方を見ていたら、声をかけられた。
 時間より少し早く着いた琉人が手を上げている。
 小学生の時乗っていた、ハンドルのまっすぐなシティサイクルだ。
 隣の町の噴水公園まで遊びに行ったとき見たことがある。
 あの時はハンドルの位置がずいぶん高かった。

「それ、どうした?」

 つむぎの自転車がぼろぼろなのを見て唖然とする。

「自転車だけひっくり返っちゃって」

 持ち主ごと崖から落ちたとは言えなかった。
 一番大事なこと。けがしない。
 ちゃんと注意してくれていたのに、ごめんなさい。

 何か言いたそうだったが、琉人は黙った。
 縁とその父が来て、ぞくぞくとみんな集まる。

「おじさんがこのチームの監督とメカニックやるから」

 全員の挨拶が済んだところで縁の父が言った。

「よかったら本番はうちの自転車使って。
 後で感じ掴むのに順番で乗ってみてね。

 後でスポーツ傷害保険はいるから、お金ちょうだいね。
 学校で入った保険は学校のことでしか保険下りないから。

 今日はみんな今の時点でどのくらいの実力なのか知りたい。
 3~4人ずつ1周本気で走ってみて」

 このレースに何回か参加したことがあるおじさんはてきぱきとしている。

 スタート地点にビデオカメラを立てた。
 ストップウォッチを取り出して確認している。

 ここでつむぎは思ってもない記録を出してしまった。
 距離にして3.4㎞。
 時速は12㎞/h。

 つむぎ、実、林太郎以外は全員20キロ以上出せた。
 寛登に至ってはもう30キロを超えていた。
 
 続いて3周走る。
 つむぎは時速12キロを保ったが、実と林太郎はさらに遅くなった。
 アベレージが2番目に良かった舷は、そんな3人をイライラと見ている。

「まだ2か月以上あるからね。できる限り練習しよう」

 つむぎは二人を舷から守るようにそう言った。

 主に速度に難ありな3人をおじさんがアドバイスする。

 寛登と舷はサイクリングコースを走って競争し始めた。
 三千華と縁もコースを確認しながら走っていく。
 一もそれについていった。
 橙は黙々と一人走り出す。

 実と林太郎がコースに出るのをおじさんが見守った。
 琉人はそこでつむぎの肩を引っ張る。

「いててっ。何?何さ」
「亀、怪我してねえ?」

 小声で聞かれる。
 咄嗟にごまかそうと思った。
 しかしうまい嘘が出ない。

 うぐぐ、と唸るつむぎに琉人は嘆息した。

「何したの」
「大したことじゃないんだよ。
 昨日の夜に山コース走ってたら、車にぶつかって崖から落ちたの」

 はああああ?と、すごく呆れた顔になる。

「病院行って、骨は大丈夫だって。
 だから問題ないよ」
「あるわ」

 琉人がつむぎの肩にビシッと突っ込んだ。

「いだだだだ…」

 打ち身に響いて悶絶する。

「今度から、出るときはグループに声かけろ。
 ごはんの後なら俺はたいてい出れるから。
 山に夜ひとりで行くとかあぶねえわ」
「はい。すんませんした…」

 もっと怒られるかと思った。
 心配されてしまった。
 その日は2時間ほどみんなで話したり走ったりして、解散した。


 
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