お守り屋のダナ

端木 子恭

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ぎゅっとなるとき

音楽家

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 昼飯時をやや過ぎたあたりに店は開店した。
 何の準備もしていないので夕方まで開けないつもりだったのだが。
 
 店主ジョエルが開けてしまった。
 ほかの者が店で昼食をとっている間に。

 そして犯人は市場へ出かけてしまう。

「裏口から出ろ」

 ジョエルの見えない背中にヒルが叫んだ。
 開いていると思って入ってきた客が「いい?」と小首を傾げる。
 顔見知りだった。
 ヒルはちょっと待たせるけどいいかと断ってエプロンをつける。


 サラとダナに果物をだしておいて、ヒルはひとり忙殺されていた。
 トビアスは外で伏せている。
 ジョエルが買ってきてくれるであろう肉を待っているようだ。

 昼飯時を過ぎている。
 だが店のテーブルはけっこう人で埋まってしまった。
 知っている顔がほとんどなので怒鳴られたりはしないが。
 ヒルはそれでも必死に作業していた。

「こちら、運びますよ」

 見かねたサラが手伝い始める。

「申し訳ない。お願いします」

 遠慮などできずにヒルはそう言った。
 
 客の中には元兵士が少なくない。
 サラの事を見知っている者もいた。
 お守り屋さんがどうしたの、と聞いてくる。
 閑散期ひまなのです、とサラは答えていた。

 
 昼間の客たちがはけてもヒルは忙しく手を動かしている。
 ダナは不思議な面持ちでそれを見ていた。
 テーブルを渡り歩いて拭きながら。

「サラさん、ダナ。仕事はもう大丈夫だから、これ食べて」

 ヒルはニョッキを入れた小さなボウルを2つカウンターに置く。
 
「ありがとうございます」

 ダナはクロスを握ったままカウンターに飛んで行って座った。
 できたてのニョッキ大好き。

「ヒルさんは?」

 お礼を言ってカウンターの椅子に座った後、サラが尋ねる。

「俺はこっち」

 作業台の上に置かれたピザを指した。
 余り生地で簡単に作ったようなものだった。

「ヒルさんは結局のところ、ジョエルさんに怒りませんね」

 その寛大さに恐れ入ってダナが言う。
 ヒルはちっともイライラした顔で仕事していない。

「ジョエルさんはもしかして、最初の頃からああなんですか?」

 自由、というか、適当、というか…。

 ダナの言葉にヒルは笑った。

「3年前まではカッコいい男だったよ」

 話しながらも手は夜に使う野菜の皮むきをしている。

「ジョエルは元音楽家でね。音楽隊の志望だった。
 でも音楽隊というのはこの国でその年一番うまい人間しか入れないってくらい競争が激しい。
 ジョエルも何年か挑戦したんだが諦めて騎士の道へ転換した。
 それで俺と同期になったんだよ」

 ジョエルと楽器。
 うん。似合わないこともない。
 ダナは空き瓶を吹いて器用に歌を演奏してくれたジョエルを思い出した。

「ラッパですか?」
「バイオリンだ」

 あれは本当の遊びだったみたい。

「戦隊の鼓舞ではなくて、慰問などの要員を希望してた。
 怪我をする前はよく弾いてくれたんだ。
 うっかりすると惚れそうなくらいかっこよかった」

 ヒルが笑った。

「生きてると時々、心臓がぎゅっとなるような、そういう情景に出会うことがあるだろう?」

 若いころのジョエルの姿を思い出しているようなまなざしで。

「剣を差して、ジョエルがバイオリンを弾いている。
 俺にとってはそれがそういう瞬間の一つで。
 それがあるだけで今のジョエルすら受け入れている」

 現在と過去のジョエルは別人みたい。

 ダナはひとつ気になった。

「今は怪我をしてしまったから弾かないのですか?」

 ヒルはうーんと唸る。

「気持ちの問題かな」

 大きなボウルにいろいろな野菜が積まれた。
 今むいているのは大きなキノコで、ひらべったいそれはバットに敷き詰められていく。

「私は、迷子になった時拾い上げてくれたサラさんの顔にぎゅっとなりましたよ」

 人間用のスプーンからスープを飲みながらダナは隣のサラを見上げた。
 サラは笑顔を返してくる。
 ダナは続けた。

「私に飛びついてきたトビアスにもぎゅっとなりました。

 ヒルさんには初めてお店に来た時もぎゅっとなりましたし。
 今もおいしいごはんにぎゅっとなってます。

 ヒルさん2ぎゅっとです」
「ダナは感動しがちだな」

 ヒルがそう言いながら冷ましたてのケーキを出してくれる。

「ヒルさんも魔法使いみたい」

 また胸がぎゅっとなったダナはサラと目が合った。

 サラは笑っていたが、なんとなく苦いものも見て取れる。
 ダナはその顔に見覚えがあった。

 あの商人の人が帰ってこないと分かった時の顔だった。

 サラの感動した思い出は、今は痛い記憶でもある。
 
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