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第六章

風のゆくえ【4−1】

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「ほら、飲めよ。さっき、『飲みたい』っつってたろ?」
「うん」
 自動販売機で買ってくれたジュースを手に、なぜか、ふたり並んで売店前のベンチに座ってる。
 『ジュースを買おう』って呟いたのを聞かれてたってことは、その前のかーくんとのやり取りも見られてたんだろうか。
 どこから、あそこに居合わせてたのか気になるけど、泣き顔を見られてる以上、確認する必要はないように思われるから、それを聞くのはやめた。 
「——あんたに謝ろうと思ってた。ずっと」
 黙々とジュースを飲むことに専念し、半分以上飲み干した頃、宇佐美くんがぽつりと言葉を落とした。
「私に?」
「うん。俺、あんたに、すげぇ酷いこと言ったから」
「あぁ、その自覚あったんだ。ふふっ」
 思わず、笑ってしまった。そんな殊勝な事を口にするキャラじゃない気がして。
「あったよ。自覚は! だから、謝ろうと思って何回もあんたのとこに行った。行っただけで声をかけられなかったから、結局、何もやってないのと同じだけど」
「そう、なの? 知らなかった」
 少しのからかいを含んだ私の言葉に、真剣な表情が返ってきた。加えて、知らなかった事実を突きつけられ、語尾を飲み込んで口を噤んだ宇佐美くんをじっと見つめてしまう。
「わざわざ高等科まで来てたんなら、声くらい、かけてくれたら良かったのに」
「……止められたから」
「え?」
「アイツだよ。あんたのボディーガード! あの怪力女に止められたんだよ!」
「ボディーガード? もしかして、ひかるのこと?」
 ボディーガードも怪力女もぴんとこないけど、私の周囲にいる女の子はあの子しかいないから、ひかるの名を出してみた。
「何なんだよ、アイツ。俺、何回も『ただ謝るだけだ』っつったのに、全然聞く耳持たないでさ。しかも、『よくも鮎佳を泣かせたな』って俺の襟首掴んで廊下でブーラブラさせたんだぞ」
 ブーラブラ……。

「信じらんねー。ちょっと自分のほうが大女で怪力だからって、信じらんねー。マジ、むかつく!」
「あー、それは……ご愁傷、様?」
 空になったペットボトルをベンチにカンカンとぶつけながら怒りを発散してる相手に、静かに告げた。
 初めて聞いたエピソードだったけど、ぱっと見、ひかるのほうが宇佐美くんより身長が高いし、あの子なら、それくらいやりかねないと思ったから。
「悪かった」
 すると一転、表情を改めた宇佐美くんが、じっと私を見てくる。
「あの日、酷いことばっか言った。あんたはマネージャーとしての仕事を真面目にやってただけなのに、それを土岐先輩への点数稼ぎみたいに受け取ってたんだ。だから苛ついて攻撃した。あんたに突き飛ばされて、初めて自分の思い違いに気づいた。結構、痛かったし」
「あ、ごめんなさ……」
「や、いい。自業自得だし。それより、すごく泣かせた、よな? 傷つけてごめん! 本当に、ごめんなさい!」
「……夕陽、綺麗ね」
「なんだよ。俺の渾身の謝罪へのコメントは、一切なしかよ。無視すんなよ」
「んー? 今更、必要ない気がして。宇佐美くん、さっきと比べて随分すっきりした顔つきになってるし。それより、ほら見て。夕焼け空がすごく綺麗」
 いつの間にか太陽は西の空まで傾き、今日最後の輝きを空を染め抜くことで見せつけている。どこか胸に迫る印象のそのオレンジ色は、かつて、かーくんの姿越しに見た、カフェテリアに降り注ぐ夕光を思い出させた。

「ま、確かに俺はやるべきことやって、すっきりしたからな。カッコつけて土岐先輩を送り出して告白も出来ずじまいだったヘタレな誰かさんとは、大違いだ」
「生意気な後輩ね」
 『土岐先輩を送り出して』というワードで、プール脇でのことを最初から見られてたのだと、これで判明した。
「あ? 気楽でいいだろ? 告り損ねてギャン泣きで鼻水振り飛ばしてたとこも俺には見られてんだから、今更じゃん」
「ばぁか」
 気を許した相手にしか言ったことがない言葉を、気づけば、するりと零していた。苦笑とともに。
 失礼なことばかり口にするこの後輩には、何の遠慮もいらないような気になってるみたい。
 ただ、これだけは訂正しておこう。
「ひとつだけ訂正しとくけど、さっきは告白しようとしてたわけじゃないから」
「え、マジ?」
「うん」
「マジか。絶対そうだと思ってた。つか、『鼻水振り飛ばしてた』の部分の訂正はしなくていいのかよ」
「別にいい」
「ぶはっ! いいんか! あんた、おもしれーっ!」
 ユーモアのセンスは皆無だとよく言われる私が面白いわけはないのに、吹き出してゲラゲラ笑ってる。この小動物のほうが、私には面白く見える。


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