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参
散ずる桔梗に、宿る声 【一】
しおりを挟む――日の入りが、早くなった。
夕暮れ時に甲高い響きを聞かせてくる蜩《ひぐらし》の鳴き声も心なしか弱まってきており、そのせいか、響きが途絶えた後の余韻がやけに物悲しい。
それは、そうだ。また、朔《さく》の夜がやってくる。あっという間に、夏が走り抜けようとしているのだ。
「何の進展もないまま……」
ごくごく低く、ひとりごちた私の声が蜩《ひぐらし》の鳴き声と絡み、吹く風にまぎれて夕闇に溶けゆく。
頭《とうの》中将様より妖《あやかし》退治の命《めい》を受けてから、もう、月がひと巡り。
怪しい影を目撃したという声は数日おきに各所からあがっているというのに、肝心の本体が見つけ出せないままだ。
昨夜は、畏れ多くも宜陽殿《ぎようでん》の屋根の上で、怪異が見られたという。
古文書や楽器など、皇家に代々伝わる御物《ぎょぶつ》を保管している殿舎の屋根で。
そのことで、とうとう今朝、中将様から苦言をいただいてしまった。
ここまで人の噂にのぼってしまっていては、もはや秘密裏に解決することは難しいが、とにかく早急に対処せよ、と。
そして、中将様が陰陽寮に掛け合ってくださったおかげで、陰陽寮側からの増援が得られることとなった。
「光成殿。無駄かもしれませんが、まずは宜陽殿《ぎようでん》に向かいましょう。多少なりとも気配の残滓を感じ取れるやもしれませんので」
「はい、よろしくお願いいたします。基射《もとい》様」
穏やかな低い声に、きびきびと応《いら》えを返せば。私よりも頭ひとつぶんは高い位置から、真守殿とよく似た切れ長の瞳が、笑みの形に柔らかく緩んだ。
賀茂基射《かもの もとい》様。真守殿の叔父君であり、上司。
まだ二十代後半だというのに、陰陽寮を代表する陰陽師となられているこの人が新たに御役目に加わり、三人で事に当たることとなったのだ。
陰陽師としての有り余る才能に加え、よく鍛えられた体格と長身を持つ堂々たる偉丈夫《いじょうふ》。加えて、物腰の柔らかな人格者。
捗捗《はかばか》しい結果が得られず焦っていた私だったが、どこを取っても欠点のない基射様がお力添えをくださるという安心感で、新たなやる気が湧き出てくる。
直前まで一緒に行くとだだをこねていた建殿は、こうなるとどう考えても足手まといなので、当然置いてきた。
「おい、陰陽生《おんみょうせい》。今日の道具は、また一段と重いな。いったい、この箱の中には何が入ってるんだ?」
「あっ、蔵人様。大事な道具なのですから、大切に丁寧に、荷運びをお願いします」
「わかってるって。荷物運びは、この建様にお任せあれ!」
「……」
置いてきたはずなのに、なぜかちゃっかりと真守殿の荷物を半分持って差し上げている建殿の姿に、半目になる。
いつの間にか、こうして付いてきている。いくら、危険だからとお願いしても駄目なのだ。
ほぼ、ひと月。妖《あやかし》退治の御役目に私が出向く時は、こうして建殿もともに行動なされているのだ。
「あっ!」
――がたっ、がたんっ
「すまん! 何もないところで躓いて箱を落としてしまったぁ!」
「何をしているのですか、あなたはっ! あぁっ、こんなにばらまいて! 早く拾わなければ!」
それどころか、うっかり者の迂闊さをこれでもかと発揮して、私に迷惑をかけ続けてくれている。
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