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肆
愛(いと)し恋し、重ぬる想いの牡丹(ふかみ草) 【四】
しおりを挟む「光成、どうだ? こちらは餌を食べている紅藤丸《べにふじまる》で、こちらは昼寝をしている紅藤丸なのだ。どちらが、より可愛いと思う?」
「……」
どうすればよいか悩んでいるうちに、全く違いのわからない二枚の絵の説明をされてしまった。その上、『どちらが、より可愛い』かを尋ねられている。
正直、どちらも墨の試し書きにしか見えない。
前《さき》の帝であられる清賀院《せいかいん》様と違い、お気の毒だが主上には絵心が皆無。
しかし、名指しで感想を求められ、あまつさえ期待に満ちた目で見られているのだ。何も答えないわけにはいかない。
「……どちらも、とてもお可愛らしいです。ですが、僭越ながら申し上げる無礼をお許しいただけるなら、本物の紅藤丸が最も愛らしく思います。なれば、絵に描きとめるのは絵師に任せ、主上は紅藤丸をお手元で愛でられるほうが理にかなっているのではございませんか?」
「なるほど。そうか。それも一理あるな!」
かなり苦しかったが、納得していただけたか? ならば、これ以上、珍妙な猫の絵を量産されることもないだろうか。
うんうんと頷き、描かれた絵の中から記念に取っておく一枚の選定に自ら入られた主上の楽しげな表情を横目に、そっと安堵の溜め息をつく。
それにしても、猫を『可愛い』と褒めることが再び出来るようになって良かった。とても助かった。
少し前までは、それは禁止されていたのだ。
頭《とうの》中将様と、中将様のお父君である左大臣様が主上の御前で諍いを起こされたのが原因で、『宮中で猫を可愛いと言ってはならぬ』という奇妙な宣旨《せんじ》が下されていたから。
その頃はまだ紅藤丸がお手元にいなかった主上が、猫を四匹飼っておられる頭中将様の猫の逸話を聞き、『猫を見てみたい』とおっしゃられたことから、なぜか中将様と左大臣様の親子喧嘩に発展した。
その諍いを、猫を見たいと口にした御自分のせいだと主上が思われたゆえの宣旨だった。
妹の撫子が二匹の猫を飼っている私としては至極不便な思いをしていたから、その宣旨が無効になった時は、ほっと胸を撫でおろしたものだ。
*宣旨《せんじ》
天皇の命令を伝える文書。公的な詔勅《しょうちょく》と比べ、簡略化されたもの。
しかし、なぜ主上は、紅藤丸の絵を突然描き始められたのだろう。しかも、これほど大量に。
夜御殿《よんのおとど》の床を白く塗り替える勢いであちらこちらと散らばっている猫絵の描かれた紙に視線をやり、わからぬよう溜め息をついた。
主上の飼い猫、紅藤丸。黒猫であるのに紅藤《べにふじ》とは奇妙な名づけであるが、命名なされた主上がおっしゃるに、『黒と全然関係ない色だから紅藤にした』ということだった。
目新しい視点で物事を捉えられる主上らしい命名理由だ。
「光成。これとこれは、どうだ? やはり、一枚だけを選ぶのは、ちと難しい。この二枚を、紅藤丸の姿絵として残すとしよう」
「はい、どちらも個性的な構図ですので、それがよろしいかと存じます」
最高傑作を二枚選定なされ、満足げに微笑まれている主上に同じ笑みを返しながら、ふと思い出した。
そういえば、紅藤丸を主上に献上されたのは、帥宮《そちのみや》様だったな。
前《さき》の帝、清賀院《せいかいん》様の腹違いの弟宮。甘いお顔立ちで、頭《とうの》中将様と並ぶ女性遍歴の持ち主で……。
「泰喬《やすたか》兄様にも、お見せしよう。兄様が、おっしゃられたのだ。『子猫の成長は早いから、今のうちに愛らしい姿を絵におさめておくのが良い』と」
「え?」
泰喬《やすたか》兄様というのは、帥宮様のこと。
主上は、華やかな容姿と詩歌の才を持つ異母の兄君に憧れておられ、いつもこの呼び名で呼ばれている。
それにしても、この猫絵騒動の原因は帥宮様であったのか。
主上の異母兄であられる帥《そち》の宮様に直接ぼやくわけにはいかないが、なんとまぁ、余計なことをおっしゃってくださったものだ。
「それに、いつだったか、建にも言われたのだ。『失礼ながら主上は独特な絵心をお持ちゆえ、まずは紅藤丸の絵を描くことから始められたらいかがでしょう』と」
「え……建殿、が?」
「そうだ。そして、絵の練習に使ってほしいと、書き損じたという文書の紙を大量にここに運んでおいてくれた。かなり前のことで、すっかり忘れていたのだが、不意に思い出して描き始めてみたら、楽しくて止まらなくなってしまったというわけだ」
「……」
猫絵騒動の原因、もうひとり居た!
どうりで、散らばっている猫絵の紙が、文書の裏紙の再利用だと思っていたら……!
建殿。あなた、ご自分が書き損じた紙の山を主上のご寝所に運び込んでいたのですね。
紙の再利用は喜ばしいことです。が、一心不乱に絵筆を走らせ、夜御殿《よんのおとど》中に奇妙な絵の山を築いていた主上のお姿を見た私の驚きと戦慄をどうしてくれるのです。
これは、あなたの仕業だったのですね。あなたという人は、いても、いなくても、同様に迷惑をかけてくれる。
そんなあなただから、さっさと取り戻さねばいけませんね。
嘆き、落ち込んでいるばかりではいられない。そんな暇は、私にはなかった。
今から片づけなければならない大量の猫絵の山を前に、新たに奪還の決意を固めた。
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