君に何度でも恋をする

明日葉

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第3章 空白の時間

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 そこからしばらくは、淡々と、感情を押し殺したような弓削の声が映像に解説を加えた。原因は簡単。映像だけでは、状況が読み取れないから。
 日常を映していたはずが、突然、大体が花音の携帯にメールが来たことで突然変わる。カメラがどこかに置き去りにされ、どこか部屋の一角などを映したままになって、音声だけが入り、そのうち、消える。
 この時は、どうだったと、軽く説明を加える弓削の声を当たり前のように聞いていたが、途中で浅井はふと気づく。これは、昨日今日の話ではない。何年も前の話。それを、映像を見ながら逐一、状況を簡潔に説明できる。
 ということか?
 御調、というのが誰なのかは、話の流れから浅井にも分かった。翔は、その名前を一度として、浅井に教えてくれたことはなかったけれど。
 この時の彼の引きこもりがどのような状況のものだったのか、詳細は花音も知らないらしい。完全に家から出なかったのか、楽団に限ったものだったのか。
 ただ、きっと楽団に限ったもので、ただ、他の行くべき場所に行くほどの気力も湧かなくて、でもそんな時に引きこもっていられるタイプではないから、どこかに出歩いてはいたんじゃないかと花音は推測していたらしい。駐車場の場所を知っていたから、確認すれば一目瞭然だったのだろうけれど、車があっても電車という手段があるし、それ以前にそんなことを確認しても仕方がない、と笑ったそうだ。
「なんで、花音が一人で面倒見てるんだ」
 映像から目を離すことはなく、低い声で問う翔に、弓削は冷めた目を向ける。
「他の奴には、一切御調とのコンタクトは取れなかった。花音は、どうしたらいいのか分からないって言いながら、練習の前には早く出て迎えに行って、今日は休むと本人から連絡があるまで家の近くで待って、そんなことを繰り返していた。夜遅くに指導者から連絡があって、御調に食事に行こうと連絡をしてくれと言われて出かけて行ったこともある。自分は味方だと分かってもらえれば何かが伝わると彼は思っていたんだろうな。だが、それを伝えるのに花音が必要な時点で、彼の言葉は御調に届かないのに」
「夜、出かけたのか?子どもも連れて?」
「まさか。その時いたのは速水だったな。ほら、この続きだ」

『花音!君がそこまでやる必要はない』
『だめですよ。それじゃ、先生は納得しないから。やってみてだめじゃないと』
『それに付き合う必要はないだろう』
 どこまでのお節介なら御調さんから叱られないか分からなくて怖いのになぁ、と言いながら、速水の声を聞き流して花音が出かけていく。


「こわい?」
「花音は、友達に戻るという話の時に、いい加減にしてくれと言われたと、話しただろう。そういうことだ」


 身勝手な周りに腹を立てるでもなく、できることで応えているけれど。意味がわからない。
「こいつら、花音をなんだと思ってるんだ」
「花音が、お人好しすぎるんだ」
 そうこうしている間に、ようやくなんとか、御調が復帰してきた。
 いつもどおり迎えに行った花音に、今日は行くから、先に行っていてとメールをした日に。
 一連の騒動の間、花音は一つ条件を父親に突きつけていた。誰にも口出しをさせるな、と。花音が遅刻して行こうと、どんなやり方をしようと、むしろ御調を放っておけと思っている人たちにしても、誰にも花音に対しても御調に対しても、なにも言わせるな、と。
 御調が出てきても、誰も花音には何も言わなかった。御調にも、出てきてくれてよかった、心配したよ、と、優しい声をかける人しかいなかった。
 花音は、何も言わなかった。声をかけようとした御調に、一瞥をくれただけだったと、その時をみていた咲恵から弓削たちは聞いた。




 その騒動以外は、また、日常が続いて行った。途中、電話が来た様子で弓削が中座したが、それに翔が気づく様子もない。
 そうして何本目かのテープに替えようとした翔の腕を、弓削が不意におさえた。
 なにを、と言おうとした翔は、険しい目をした弓削に気づき、口を噤む。
「俺は、あいつが姿をくらましたせいで知らない時間ができてしまったあんたに、その時間を知る術をやるつもりで、最初はこれを撮り始めた。あいつが姿をくらまそうとした理由もわかる。でも、それであんたが得られなかった時間は戻らない。…でも、あんたはあっという間に諦めた」
「っっっ」
 鋭い目が、翔を見据える。
 浅井も拍子抜けするほどに早く、翔は諦めた。探すのをやめた。
「双子だったのを知らなかったのだとしても、隼人がいて、そこに赤ん坊がいて、一人で。大変じゃないわけがないだろう弟や妹の面倒をずっとみていたあんたなら、そんなことは考えなくても分かったはずだ」
 それなのになぜ、と、そう問いかける弓削は奥歯を噛みしめ、何かを耐える様子を見せる。
「あんたが勝手に届を出してあいつを縛りつけて、そうしてしばらく海外に渡ることになったと速水から聞いた時に俺たちはこの映像を残す理由を変えた。チビたちが将来、見られるようにというのは、もちろん第一だ。でも、あんたに見せる理由は違う。あんたのせいで、花音がどんな生活をしたか。そして、あんたが手離した花音があんたがいない分近くにいた俺たちとどう過ごしていたかを、ただ、見せつけて知らしめようとした」
「…ああ」
 それは十分、思い知っている、と、翔は自分の手に目を落とす。白くなるほどに握りしめていた掌には、固く握りすぎて爪で傷をつけてしまっていた。
 初めて会った子供の時。心を奪われた女の子。笑うことをくれた女の子。
 そのあと、翔が花音の姿を見かけたことがあるのを、花音は知らない。その度に、目を奪われ、心をさらわれた。
 あの突拍子もない話を持って、花音が姿を見せた時、だから、逃さないと思った。思ったのに。
 思い出そうとすると、心が軋むのだ。痛んで痛んで、悲鳴を上げる。
「あのとき、花音はどうして…」
「俺たちは、教える気はない。それよりもそんな顔をするなら、どうして諦めた。いや、逃げ出した?」



 浅井は、息を飲んで翔を見つめた。浅井も聞けなかった。独占欲丸出しに花音を縛りつけておいて、あっさりと、探すことは放棄した。
「…こわかったんだ」
 ようやく、絞り出すように言われた声は、ひどく掠れていて。それを取り繕うこともできないまま、傷ついた顔で翔はただぼんやりと続ける。
「何度も言った。伝えた。本当に家族になりたいと。でも、信じてもらえていなかったのかと。役者だから演技をしていると思われた?どう言っても信じてもらえないなら…探し出して、拒絶されたら、いらないと言われたら」
 そう思うと、怖くなった。
 それでも…手放せなかった。
「手紙一枚で姿を消して、意味のわからない金を送りつけてきて。強硬手段に出たオレの奥の手にも、郵便で紙切れ一枚また送ってきて終わらせようとした」
 そして今日も、顔を見た瞬間の表情を思い出し、翔はきり、と、胸がひりつくのを感じる。



 そんな翔を弓削がじっと見据え、どのくらい沈黙が流れただろう。
 不意に、弓削が動いて先ほど入れ替えるのを止めたテープを弓削自身が入れて再生する。
「これは、覚悟して見ろ。あんたが身勝手に自由を奪って見放した奴が、どれだけ辛い思いをしたか。あいつは、いつ撮っても幸せそうに楽しそうに笑って…あんたに反省を促せる映像なんて、きっと、これしかない」




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