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しおりを挟む変な状況、と、凪瑚はお茶を出しながら様子をうかがうようにテーブルを囲む男たちの顔を盗み見て、それから子守を言い訳にその場から逃げようとしたところを、晴季に制止された。
自分の家ではない、加瀬の家のキッチンに立ち、加瀬自身よりも何がどこにあるか分かっている家でお茶を入れて、加瀬と、晴季と、そして琥太狼にお茶を出して。
その、凪瑚が出したお茶の数を見て晴季はすぐに妹に自分の隣を示した。向かい合わせに座る加瀬と琥太狼をそれぞれ眺めて、双方が凪瑚が自分の隣に来ないことを不服に感じている様子にやれやれ、とため息をつく。
加瀬のこれはもう、何を言っても無駄なのはわかっていた。幼なじみで親友で、そして残念なことにさらに義弟にまでなってしまったが、それでも、クズだな、こいつ、と思い程度に、やっていることは酷いものだ。どうも無自覚らしいのが、さらにどうしようもなさに拍車をかけている。
そして、琥太狼。真叶から聞いてはいたけれど、特徴的な髪の色と目の色がなければ同一人物だと特定できないほどに変わっている。記憶にあるあの少年は、かわいそうではあるが残酷な子供たちが囃し立てていたとおり、肥満児で白い肌も手伝ってなおさら太って見えた。決して愚鈍な子ではなかったのだろうがその見た目のせいで愚鈍な子と印象が残ってしまっていた。
その琥太狼は、我が物顔で抱えていた凪瑚を剥ぎ取られて不満そう、というよりもむしろ不安げにも見える。
あの子たちはお似合いよね
幼さ…というよりも、幼稚さの残る乃絵の無邪気に見せかけた残酷な声が耳に蘇る。いつも一緒に遊ぶ妹たちの様子を、仲睦まじいと喜んでいるように見えたけれど。今ならわかる。あれは、違った。
他の子から爪弾きにあうような子としか遊べない子だと。そうではない。そもそも、凪瑚はそういった区別すらしていなかった。
「凪瑚、なんで出かけた?あの男に会う必要は、もうないだろう?」
「…別に、会わない理由もないし。というか断る理由もなかったし」
加瀬の淡々とした口調に、少し拗ねたように凪瑚が答えると、ぴくり、と琥太狼の肩が揺れた。鳶色の目が、真っ直ぐに凪瑚をとらえる。
「凪瑚、俺には子守があるからって断っただろう」
「あの人は、少し話があるって言っただけだし、子連れでいいっていうから、たいした話じゃないだろうと思って」
「だったら電話で済ませろ」
「会って話したいって…」
両サイドから責められて、凪瑚が言葉を返してはいるものの、居心地が悪そうで。
行く必要はないと晴季も思うが、妹可愛さでつい助け舟を出す。
「両側からぐちぐちうるさいぞ、2人とも。凪瑚も。断る理由がないにしても、会う理由もないだろう。話に聞く限り、お前はその男に甘すぎる」
「うっ」
実兄の説教には居心地悪そうに口答えはせずに言葉に詰まった凪瑚は、ふい、と目を逸らす。
それをじろり、と睨みながら、晴季は聞こえよがしにため息をついた。
「凪瑚、お前は彼にちゃんと礼は言ったのか?彼が見つけて連れ出してくれなかったら、お前は小さいのを2人連れて、そんな変な話の場所をどうやって乗り切るつもりだったんだ」
「…そんな話だと思わなかったし」
「子ども使って望む答えを出させようとされたら、どうする気なんだ。危機感が足りない」
「なんであの人に会うだけでそんな危機感とか、抱かないといけないのよ」
「そういうところだ、阿呆」
ただの兄妹喧嘩になってきた気配に、加瀬があえてお茶を口に含み、音を立ててカップをテーブルに戻す。それに晴季と凪瑚、揃って同じように我にかえる仕草で振り返るから、軽く舌打ちをして加瀬は晴季を睨む。
「羽佐美、お前は話を横滑りさせて僕の話の腰をおるな」
「…お前の話は、ろくな内容じゃないだろう」
勝手に決めるな、と取り合わず、加瀬はその目を凪瑚に向ける。ただ、しゅん、とした様子を見ると、叱ろうと思うのにため息と一緒に苛立ちや腹立ちが抜け落ちていってしまう。そもそも嫌な思いをしたのは凪瑚で、そこに思い至ってしまうと慰めて甘やかしたくなってしまう。小さな可愛い凪瑚。
「…凪瑚。あいつに会う必要がないだろうというのは、僕も羽佐…晴季も、そして彼も、みんな同じ意見だ。どうしても会う必要があるなら、誰かと一緒に会うんだ。…そういう意味では、あの子たちでもいないよりよほど良かったよ」
そこに、恵美香がいたら正直、わからない。子供は好きだから、と満面の笑顔で言った彼女は、結局まともに子供の世話をすることはなかった。逆に、凪瑚が付き合っていた男に、そんな度胸は、ない。
「ただ…君」
言い聞かせる加瀬の言葉に凪瑚は頷かないし、待っていたところで頷かないと加瀬はわかるから、その目をすぐに琥太狼に向ける。凪瑚はあの男、東海がそんなに警戒しなければいけない相手だと思っていないし、おそらく、今あの男を誰かに話すとしたら「友だち」と表現するだろうと想像がつくから。
「連れ出すにしても、ただ普通に、つれて出てくるだけでいいだろう?」
歩きにくいほどに自分の体に凪瑚を抱え込んでいた琥太狼を思い出して不機嫌な顔になる加瀬を、琥太狼は観察するように眺める。
迎えにきていた凪瑚の「幼なじみのお兄ちゃん」で「お兄ちゃんのお友達」は、何にも変わっていない。面白く、ないんだろうな、とその心中を察しながらその目を子供ならではの大人にはよくわからない言葉で話して遊んでいる幼い姉弟に向ける。
「父親から見て、あの子たちは、人懐っこい?それとも人見知り?」
「…人見知りだな。僕にもまだ慣れきっていない」
「それで凪瑚ばっかり頼られてもな。ああ、俺が何の立場でいうんだって思ってるのはわかるんですけど。その人見知りの子が、俺が手を伸ばしたら素直に抱き上げられる程度には、凪瑚が…まあやんわり言うなら困ってた」
「……」
居心地悪そうに俯く凪瑚の顔を覗き込むようにしながら琥太狼は続ける。
「多分、凪瑚自身に伝わってないんで今言うのもおかしいんですけどね。「おにいさん」たち、俺、凪瑚を今、口説いてます。慣れてないので、かなり手探りで。その状況で、あんな男に妙な横槍入れられて、凪瑚に変な苦手意識を植えつけられるのも腹が立つし、一番は、凪瑚の顔見せてやりたくなかったんですよね」
驚いたように顔をあげた凪瑚が、ぽかん、とした顔ではくはくと空気を求めるような口の動きをしているのを眺めながらそこまで言って、薫音の言うとおりだと自分をはたき倒したくなる。ここまで伝わっていないなんて。
そんな宣言をされた晴季も加瀬も、反応が遅れてその目を凪瑚に向ける。
自分に向けられる好意に鈍感な子。そもそも、自分に好意が向けられるわけがない、何かの拍子に向けてもらったとしても長続きしないとなぜか本気で思っているこの子は、その思い込みを裏付けるように恋人と長く続かない。友人、としての好意は受け入れて、とても寛容に長く続くのに、恋愛感情で向けられた好意を受け入れるのを怖がるから、なかなか話も進まない。
そんなだから、きっとこれだけはっきり言われても、まだ実感がないのか、信じられない思いなのか。どこか人ごとみたいにぽかんとした様子に、今のうちに、やめておけ、と加瀬は口を開こうとする。明らかに、凪瑚とは経験値が違うだろう、男から見ても羨ましいほどの容姿を持った青年は、凪瑚の手には余る、と言おうとするのに、機先を制すように晴季がふはっ、と吹き出した。
「兄さん?」
お兄ちゃん、って呼んでくれなくなったのはいつからだったかなぁ、となぜかそんなことを思いながら、不思議そうな顔の凪瑚の頭をぐしゃっと撫でた。
「脩平に宣戦布告する奴は初めて見た。次は、凪瑚がいい恋ができるなら、別に構わない。ただし」
不敵な間に、琥太狼は反射的に身構えた。
「脩平は著名人だし、俺も弁護士だ。断りを入れたからには、何かあれば覚悟しろよ?」
「何かあれば、俺が一番許せませんよ」
自嘲的にも見える口調に、いきりたって言い返されるよりも真実味があり晴季はため息をつく。
おかしな寄り道ばかりしている間に、と、加瀬を呆れた眼差しで見つめても、まだわからないように苛立ちだけが見える。
勝手に進む話に、凪瑚が置いてけぼりをくって、困惑顔で3人の顔を見回していた。
それでも、言うべきことは言うあたり、晴季はあまりにこの妹らしすぎて腹から笑いがこみ上げてくる。
「あの、兄が口出しするとかいたたまれないので、何があっても放っておいて。自分のことだから」
話すことがなくなれば、と、立ち上がった琥太狼は、おいてあった凪瑚の鞄を手に取って、ごく当たり前のようなそぶりで凪瑚を促す。
「凪瑚、子守終わったんだろう。帰るぞ」
「え」
「えーっ!!」
反射的に腰を浮かせながらも驚いている凪瑚よりも、佳都の抗議の声の方が大きい。
「なこちゃん、つれていっちゃだめぇ」
大きな琥太狼に臆する様子もなく通せんぼをするのを見て、凪瑚と晴季は顔を見合わせる。怖くないのだろう。この子はきっと、この大人が自分にとって優しい大人だと、感じ取っている。
「俺も一緒で良ければ、今度凪瑚ちゃん貸してやるよ」
「おじちゃんのじゃないっ」
「おじ…」
一瞬絶句して、琥太狼は吹き出した。
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