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1 順応しましょう

明るい夜

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 目の前にいる少女が指さした方に向かい、扉を開けた。
 目覚めた部屋も、先ほどの場所も、今開けた扉も、何もかもが見たことのない造りをしており、眩しいほどに目が痛いような明るさの屋内に昼間なのだと、窓が少ないのにどうやって採光をしているのだろうと思っていたが。



 扉を開けた先には、見たことのない景色が広がっていた。
 彼、ヴィルは目の前の光景に足が竦む。崖にでも建った家なのか、心許ないほどに遠くまで見通せるその景色は、どこをどう切り取っても異質で。そして、空は夜だった。それなのに、足元には屋内と同じような明るさが点々と広がって、夜空の星が見えないほどだった。
 背後に気配を感じて振り返れば、心配するような目が見上げてくる。
 混乱する頭は現実を受け止めきれずに、先ほど言われたことを思い出す。
 階段、と言われたと足元を見れば、細い急な階段が下に続いていた。
 一段の段差が、ヴィルが歩くには狭くて歩きにくいが、気にせずに飛ぶように降りて行く。背後の慌てた気配は気付いたけれど、それどころではなかった。
 落ちた、と焦って追いかけた栞里は、驚く速さで下にたどり着いた大きな影に目を見開く。この暗い中、明かりもないのに降りて行くのを見て、夜目もきくのかな、などと思いを巡らせながら、追いかける。


 木の下、と言われた大きな木を見上げ、その近くに湧く水をヴィルは見下ろす。
 ヴィルが見たこともないほどに清浄な水が湧き、大きく枝をはった樹齢を重ねた木に、なぜか胸がざわつく。
 その辺りを見ても、探すものはない。大事な剣。身を守るものがないことに心許なさを覚える。


 そして、自分の腹に手を当てた。
 怪我などないと、あの少女は言ったが。と。
 そんなはずはない。意識を手放す前。確かに、大剣を腹に叩きつけられた。余計な争いを起こさぬようにしていたというのに、存在そのものが許せないのか。度重なる刺客に、それを退け生きることすら望まなくなり始めていた。守るために傷つくものがいることも許せなかった。
 ただ、あの時は、何かに呼ばれているようで。どこからとすら定まらないそれを探すように出たのは、おびき出されたのか。


 叩きつけられた大剣の重みは、ヴィルの骨を砕き、腹を抉った。
 誰にも何も言わずに出た。このような最期を迎える者を守り続けた者たちに申し訳ないとしか思わなかった。




 そのはずなのに。
 傷ひとつない。己の体を見下ろして、離れた場所で伺う少女を振り返る。

 それから、降りて来た階段を見上げた。


「君が、俺を抱えてこの階段を?」

 信じられない思いでヴィルが問いかけると、栞里はこめかみの髪の毛を触りながら首を傾げてほのかに笑う。

「自分でもびっくりです。でもあなた、一度目を覚ましたので、無意識に、少し自分で歩いてくれたのかも?わたし1人じゃ、絶対無理ですから」

 それはそうだろう。そして、服がなかったのを考えると、獣化したということか、と。獣の姿の方が回復力は高い。なんらかの力が働いてこの見知らぬ土地に体が移され、その際に治癒の力も働いたとしか思えない状況。獣化したところで服もそれに合うのが通常なのだが、という違和感はあったけれど。理屈や普段の常識が通用しないことが続きすぎて、どこから疑問を解消すれば良いのかわからない。




 ヴィルは、離れている栞里に並ぶところまで戻ると、その視界にまた、眼下に明るい光が広がる。
 知らない国、どころの距離ではない気がする。命すら惜しくない、いや、惜しむことを面倒にすら思っていた自分が、どこにいるか分からないことで不安と焦燥感に駆られていることがあまりに滑稽に思えた。

 ふと、ヴィルは視線を感じて隣を見下ろす。
 反射的にそらされたけれど、見ていた、と思いながら少女を見下ろす。身を守るには心許ないようなシンプルな服を見に纏い、女性であるのにスカートではない。騎士や傭兵などと言った職業を選んだ女性であれば珍しくもないが、どう見ても違う。
 何よりその服も見たことのない作りで、先ほどの階段の谷側には、落ちないように手すりが付けられている。そのようなものをあえて作ることも珍しい上にその手触りは、貴重な鉄のように思えた。あのような加工をする方法を知らないけれど。



「あの…それ、本物、ですよね?」

 耐えかねて、栞里は一番気になっていたことを口にする。耳、と、尻尾。
 ずっと、警戒しているのを示しているかのような尻尾と、周囲を窺うようにピンと立って動く耳。

 正直触りたい。
 一度触った手触りが忘れられない。が、この姿をされてはたと気付いたのだ。背中とかお腹とか撫でまわしたけど、セクハラまで罪状追加か、と。
 本物か聞かれたこと自体が不思議なような顔をする青年に、栞里はため息を押し殺した。

「あなたは、随分、遠いところから来たみたいですね」

「遠いところ…」






 とりあえず、お腹、すいてませんか?



 と、気持ちを切り替えるように栞里が言うと、間を置いてヴィルは頷く。それから、ふと気付いて階段に足を向けた背中に声をかける。


「ヴィル、と呼んでくれ」



「ヴィル、さん」


 さん、はいらないと言われたけれど。どう見ても年上で、しかもこの目が潰れそうな見た目の王子様。様、と呼びたいのを堪えたくらいなのだ。
 曖昧に頷きながら、シルバーブルーの目を見上げた。


「栞里です」


「シオリ」

 噛み締めるように呼んで、微笑むから。
 心臓止める気か、と引き剥がすように栞里は目を逸らす。
 その仕草にヴィルは驚き、そしてなぜか胸が軋むのを感じながら、先に階段に足をかけ、手を差し出した。



 そんなマナーの存在しない文化で生きている栞里は、ぽかんと見上げ、美しい顔が悲しげに歪むのを驚いて見上げる。


「やはり俺は恐ろしいか。気持ち悪いか?」

「へ?いえっ。むしろ眩しすぎて」


 思わず本音が漏れたが、ヴィルは首を傾げる。眩しいとは、あの屋内や、眼下に広がる光の洪水のことではないのか、と。


 むしろ毛並みは触りたいくらい、と内心に呟いたつもりが、わずかに声に出ていたらしい。

 苦笑が降って来て、栞里はしまった、と顔を覆おうとして、手を取られた。


 その目が、持ち上げられて身をかがめたヴィルの耳に触れさせられる。

「耳も尾も、やたらと触れさせるものではないが、君は恩人のようだ。思う存分、触れていい。ただ、心地良すぎていきなりだと驚くから、声はかけてくれ」


 さわさわと、言葉に甘えると思う前に触れる指が止まらない。
 じっと、何かを我慢するような表情のヴィルの顔に、やけに色気を感じて、栞里は戸惑ってまじまじと見上げてしまう。尻尾も触りたい、と伸ばしかけた手を、しっかりと取られた。



「食事、を用意してもらえたのか?」

 話を逸らすように言われ、返事をしながら、あ、と栞里は手を引かれるままに階段を上がりながら、少し手を入れよう、と思う。


 動物でも大丈夫なように、病人みたいだしちょうどいいと薄味にしたけれど。多分その必要はなさそうで。この逞しい人にあれは、きっと物足りないから。











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