拾われにきた獣〜氷の獣人公爵〜

明日葉

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1 順応しましょう

話をしよう 4

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 夜が開け始める頃、目が覚めたヴィルは起き上がり、周囲を見回す。目を覚ませば、いつもの景色なのではないか。いや、それこそ確かに受けたはずの傷の痛みに苦しむようになるのではないかとさえ思っていたのだが。

 裸の腹を見れば、古傷はいくつもあっても、あの流石に致命傷になったのではないかと思う傷痕はない。
 眠る時にも手が届く場所に剣を置き、簡単な防具を身につける自分が、まさか何も身につけず、剣に至ってはどこにあるのかすら分からない状態でこれほどに眠るとは。

 生まれ落ちて、己の立場を理解して、初めてではないかと、大袈裟ではなく思ってしまう。


 窓からは外の、夜から朝に変わって行く無音のざわめきと、そして鳥の声、遠くにヴィルは知らない様々な音が聞こえる。
 ふと、部屋の扉の前。きちんと畳んでおかれたものに気づいて、さらに驚いた。
 洗濯された後の良い香りと清潔感のある、自分が着ていた服がある。魔法は使えないと言っていたのに、一晩で洗って乾かす、何かそんな方法が、この国にもあるのだろう。
 だが、驚いたのはそこではない。眠っている間に、栞里はこの部屋の扉を開けて、そこにそれらを置いたのに、ヴィルは全く気づかなかったのだ。

 さらっとした気持ち良い肌触りの服に袖を通し、眠る前は昼間のように明るかった家の中を歩いて行く。ヴィルにとっては、暗くとも不便はない。


 そうして、リビングに足を踏み入れて、すぐにその姿を捉え、目を見開いた。
 昨晩、向き合って話したラグのそば。ソファに横になって、栞里が気持ちよさそうに眠っている。片方の足は床に落ち、腕は一方は腹の上に、一方は無防備に頭の上にあげた姿で。
 とっさに起こそうとして、思いとどまる。
 警戒心など知らなそうな寝顔を見ると、思わず手を伸ばしたくなる。触れば心地良さそうな肌も、さらさらと流れ落ちる黒髪も昨日からヴィルを惹きつけて止まない。ほんの少し開いた口から聞こえる静かな寝息は、ヴィルの気持ちを穏やかにもざわざわさせもした。






 セットしたアラームが鳴り、半分寝たまま止めて、目を開けないで思い切り伸びをする。
 そうしてから栞里は目を開けて、危うく体勢を立て直した。ソファで寝たのを忘れて、危うく落ちるところだった、とほっと息を吐き出すと、視線を感じて顔を上げる。
 ダイニングテーブルのところに、ヴィルがいた。
 じっとこちらを見つめるシルバーブルーの目に気づいて、栞里は中途半端な姿勢のままぺこりと頭を下げる。
「おはようございます、ヴィル」
「おはよう」
 返ってくる挨拶に笑みを浮かべながら、栞里は起き上がる。誰かと朝の挨拶をするというのはいつぶりだろう。夜のうちに洗って乾かしておいた服をしっかり着てくれているのを確認し、縮んだり痛めたりせずに済んだようだとほっとしていると、少し硬質な声に呼ばれる。


「シオリ」
「はい?」
「先に確認をしておくべきだったが。この家に寝台はいくつあるんだ」
「寝台…ベッド?1個ですよ」


 なんでお前が使わないんだ、となぜか叱られるが、栞里は困ることしかできない。お客様に提供するのは当たり前のことだ。むしろ、シーツを洗濯して変えてあった直後でよかったなぁと、昨日運び込んだ時に思ったくらいなのだ。


「女の子をこんなところで寝させるなんてできない」
「いや、気にしないで。誰もいなくてもうっかりその辺で寝ていることもあるし」
「そういう事じゃない」


 ヴィルの様子に、栞里はひたすら困った顔になる。
 見るからに王子様みたいだし。剣とか言っていたから騎士様かもしれない。なんかこの、女の子の扱いで思うところがあるのはなんとなく察するのだが。そこはそれ、同じように栞里の方にも客をもてなす立場もあり。


 結局、折り合いはすぐにはつかないそうだしと栞里に打ち切られ、栞里が朝食の支度を始める。
 話をつけなければと思ったのに、なぜかペースを崩される。こんな事、今までなかったとヴィルは思うのだが、なぜだか調子が狂う。
 ため息をついているヴィルを振り返り、すでに切り替えている栞里はいくつか手に持ったものをヴィルに差し出す。
「多分、嗅覚がいいと思うからあまり大きく吸い込まないでね?この匂いのもの、食べられそう?」
「匂い?」
 整った顔に近づけるのもどうかと思うが、もしかすると自分が食べなくても食卓にあるだけでだめな匂いがあるかもしれないと思えば早い段階で確認をしておきたかった。
 出汁や醤油は昨晩大丈夫だったけれど。
 まず味噌を差し出す。
 おそるおそる少し嗅ぎ、大丈夫だ、と頷く。豆腐や浅漬け、鰹節などと適当な順番で様子を見て、納豆を出したら少し顔をしかめた。
「だめ?」
「いや…嗅いだことのない匂いだな。だが別に、そんなに」
 強烈な匂いだが、まあ、食べられないほど腐ってはなさそうだ、と。そもそも腐ったものを出すような人間には見えないから、これはこういう食べ物なのだろうなと理解してしまえば、抵抗はない。
 残念ながら、仕事の過程で食糧難に陥ることも何度かあり、嗅覚の使い道は体に悪いかなんとかなるかの判断に使っていたようなヴィルにとって、食べられるものを匂いで拒否する、という感覚はなかった。
 その辺りがわからない栞里は意外そうに、へえ、と全部大丈夫だったのを確認して、支度に取り掛かる。
 立って、すぐそばにきたヴィルが、何かする、というので、味噌汁を頼むことにする。

 出汁を取るところから順に、その手順の都度説明しながらやってもらう。
 味噌を溶かすと、ヴィルの尻尾が楽しげに大きく揺れているのを見て栞里はおかしくなった。この人、楽しいらしい、と。
「さっきと香りが違う」
「そう?」
「そっちは?」
 ヴィルは、三角形の白いものに今も使った味噌、というものが塗られ、さらに透明の薄い膜で覆われたものを見つめている。
 それは昨晩、残ったご飯をおにぎりにして、味噌を塗っただけのもの。焼きおにぎりにせず、そのままの味噌おにぎりの好き嫌いは多分別れるが、栞里はこれが好きだった。
「…食べてみる?」
「いいのか?」
 食べ物って、人を無邪気にするよねぇ、と思いながら、栞里はサランラップをめくって差し出す。
 透明の膜が取り払われたことに驚きながら、ヴィルはどうしていいかわからないという顔になった。なんなのかがわからない以上、食べ方もわからない。
 ああ、と笑って、栞里はおにぎりを手に取ると、半分に割って片方をそのまま自分の口に放り込み、もう片方をヴィルの口元に差し出した。
「口、開けて?」
「え…」
「いや、そこで照れないで。わたしまで照れる」
 口の中のものを飲み込んでから栞里に抗議され、ようやく口を開いたヴィルに放り込むと、気に入ったのだな、と耳と尻尾を見て判断する。
 この人たちって、隠し事ができなさそうだなぁ、となんだか妙に、顔が笑ってしまった。
 実際は、尻尾や耳にさえ出さないほどに、感情を押し殺すことにヴィルは慣れすぎているようなところがあるのだけれど。



 一尾しかなかった干物は焼いて、半分ずつにして皿に乗せる。ヴィルの方のは、目の前で骨を取って見せて、次からはやってみてね、と言いながら。豆腐とわかめとお麩の味噌汁と、ほうれん草のお浸し。好きに箸を伸ばせるように、ヴィルは箸ではないけれど…たくあんときゅうりの浅漬けを出して。急にたくさんは、と納豆は1パックを小鉢に取り分けた。甘めの卵焼きと、塩気のある卵焼きを両方少しずつ作って、様子を見る。
 そして、生卵ご飯。納豆卵にして食べるのも栞里は好きだが、今日は納豆ご飯で茶碗の中身を半分食べて、残りは卵かけご飯にした。
 その様子を見て、ヴィルが目を見開いている。卵を生で、という習慣がないのだろうな、と。
 食べてみる?と、茶碗を差し出す。抵抗があるかな、と栞里は心配したが、好奇心の圧倒的勝利だったようで、口に含んで目を輝かせている。納豆と、干物と、卵かけご飯、時々お漬物で、ヴィルは何回かおかわりをした。
 どうやら米は見覚えがあるようだったが、この食べ方は馴染みがない様子だったのだけれど。
 体格を思えば、このくらいペロリだよなぁ、と、栞里は笑う。むしろ1人分の食材しかなかったからご飯以外のおかずが圧倒的に少なかっただろう。
 昼前に買い物行ってこなきゃ、と思いながら、知らないはずの和食をきれいな食べ方で平らげて行く人を、つられてぱくぱくと食べながら、栞里は眺めて目の保養をたっぷりさせてもらった。




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