67 / 87
5 氷の獣人公爵
勝手に話を、進めないでくれますか?
しおりを挟む「待て、オレも行くぞ」
有無を言わせぬ口調で大柄な、先ほど怒声を上げた獣人がついてくる。答えもせずに進んでいくヴィルの腕の中で、栞里がその様子を伺おうとすると、ヴィルがしっかりと動きを封じて栞里の顔を自分の胸に埋めさせてしまう。
なんで、と思いながらも運ばれていく場所への道順も、栞里には覚えられない。大きな邸。この中で迷子になれそう、なんて考えていると、奥まった場所で大きな両開きの扉を乱暴に開けてヴィルは入っていく。今までの貴公子然とした、というか、落ち着いたヴィルの立ち居振る舞いとは随分違う、軍人だ、と言っていたのがしっくりくるような様子。それに、栞里はここがヴィルの本来過ごしていた場所なのだと感じることができるのだけれど。ただまあ、不機嫌はものすごくしおりも感じる。
栞里を抱えたまま椅子に腰掛け、そのまま自分の膝にのせたヴィルは、ついてきた面々を睨め回す。いや、サライには今さら言うべきことはない。問題は他の者たち。
ハイエルフのルシエール、九尾の狐ノイン、兄の子であるコルト、そして、自分の側近であり目付役のラルド。
そう思っていると、ずっと腕の中でなんとか動こうとしていた栞里がふと、動きを止める。それにようやく視線を向けると、珍しく怒った眼差しが見上げてくる。
「シオリ?」
「ヴィル、おろして」
「だめだ」
言った途端、容赦なく、尻尾の付け根を握りしめられた。反射的に緩んだ腕から栞里がすり抜ける。伸ばした腕からも逃れるように腕を払われて、さすがに固まった。
「やっぱり、あんな風に婚姻をするなんて間違いだったわ」
ぴくり、とヴィルの耳が動き、栞里を見つめる目が細められる。
「この家を見て怖気付いたか?俺のような立場の者が、とでも言いたいか?」
ヴィルが栞里に向けるには珍しい、いや、なかったような声にも栞里は怯まない。
「そう言う発想しかしないから、あんなことしでかすんじゃない。ここにいる人たちは、ずっと、それこそヴィルが赤ん坊の頃から一緒にいてくれた人たちも多いんじゃないの?それが、行方知れずになってどれだけ経ってるのか知らないけど、散々心配かけて。それなのに帰って来たと思ったら勝手に嫁を連れ帰る。しかも、その相手がどんな相手なのか、あなたのことを心配している人たちが気にするなんて当たり前でしょう」
ぷりぷりと怒っている栞里が一度離れたはずのヴィルに結局怒りながら無意識に歩み寄る。そして伸ばされた両手が、当たり前のように先ほどから栞里の声を拾って小さく動く耳を掴んで引っ張った。
「あなたを大事にしている人たちからも認められてからにしたかった」
「シオリ…」
思いがけない剣幕にしょんぼりと揺れる尻尾を栞里は一瞥するが、それから目を逸らして、ヴィルから手を離しまた離れてしまう。
そのまま、先ほど怒声を上げた人に歩み寄った。
「勝手な真似をしてしまい、申し訳ありません。栞里と言います。離縁をしてでも認めていただいてからやり直すべきなのかも知れませんが、そんな気持ちにはなれないので、今のまま、皆さんに認めていただけるように頑張りますの…」
「ぶっ」
栞里が言い終える前に、頭を下げている視界の端で揺れていた、先端が膨らんだ形の獅子の尻尾を持つ大柄な獣人が耐えかねたように吹き出した。
え、と見上げる視界一杯に、腹を抱えて笑う豪快な人がいる。きょとん、とした顔の栞里に気づいて、まだ笑いが治らない様子で手を伸ばし、大きな手が少し乱暴に頭を撫でる。
「あの石頭にそんだけ言い聞かせられて、言っていることが真っ当で、十分だ」
「…は」
あまりにあっさりと懐に入れられて、逆に栞里が戸惑う。
「いや、大丈夫ですか?わたしが演じてるとかそういう…」
「そんなもん、あの男に通用しない。オレはラウド。ヴィルの従兄で側近で、監視役だ」
「監視?」
「オレは獅子族だからな。だがまあこんな性分だからここでも馴染めるだろうって放り込まれた」
実際馴染んでるんだろうな、と見上げ、栞里はくす、と笑う。最初怒鳴られた時はその声音と大きさにこわさが先立ってしまったが。この人はただ、ヴィルを心配する気のいい人だ。やっぱり、誰も心配していないなんて、ヴィルの思い込み。
そう言おうとしたところで、伸びて来た腕に引き戻される。
「妻に触るな」
「…お前、そんな反応するんだなぁ。でなに。一夫多妻を避けるために、こんなに巻き込んだってわけじゃなさそうだが」
「そのために話がついていたのはそこの跳兎だけだ」
「跳兎だって?」
サライに向けられた目が改めて見開かれる。だが、そこに割って入った声に、さらにラウドの動きが凍りついた。正直、生死不明の行方不明が不意打ちで帰ってくる、と思えば嫁まで連れてと頭の中は混乱を極めているのだ。
「わたしを出し抜けるとでも?公爵」
「ふん」
「…いやそもそも、ルーシェもノインも何考えてるの?」
「獣人公爵の考えそうなことは予想ができたので。手遅れになる前にこちらが出し抜かせてもらっただけだ」
またもヴィルに動きを封じられたまま呆れた声を向けてくる栞里に、ルーシェは悠然と笑う。この世界の婚姻制度を知っていて、考えそうなことの予想ができれば簡単なことだった。
そして、栞里があの泉に現れた気配を逃すことさえしなければ、間違いなくその気配を追っていけばいい。それは、栞里を守って傷を負った、血を流したノインには容易いこと。ルーシェにもできることだが、ノインの方が条件は良い。だから、その時に向けてきちんと、話はつけてあった。
コルトだけは、夫ではなくていい、と首を横に振っただけの話だ。
ふと、栞里の目が、ノインの顔の傷に向いていることに気づき、ノインは美しい顔を綻ばせる。
「どうした、栞里。この姿が珍しいか?言葉を交わせることが、気になるか?」
それには、首を横に振る。記憶の姿とは違うけれど、違和感はない。獣の姿と人の姿を行き来するヴィルやサライを見て来たためなのかも知れない。
「傷…」
あの時、と俯きそうになる栞里に、ノインはやんわりと笑ってその視線を自分の顔にとどめさせる。
「これは、大事な傷だから消さなかったんだ。おかしいと思わないか?この傷で目は無事なんだぞ?」
「目…まさか、目も?」
「だから、大丈夫だと言っている。直せるのに直さなかっただけだ。この傷のおかげで、お前との絆ができた」
「絆?」
とてもいやそうな顔をしてルーシェがため息をつく。
「あの森に暮らす者を守るため、血を流したものはあの森に立ち入ることができるようになる。と同時に、絆ができる。そこの獅子の子供もだ」
子供、という歳ではないだろうと思いながら栞里はヴィルにコルトと呼ばれた青年を見る。そういえば、とラウドが思い出したようにコルトを見ている。ヴィルとラウドが従兄弟で、コルトがヴィルを叔父と呼んでいたことを思えば、ここも身内なのだろう。
「お前は方針に逆らったため追放と聞いていたが…まさか」
「叔父上の気配を追っていた時、彼女に会いました。事情を知らない彼女を巻き込むことはないと考えただけです。何より…人族が獣人の中に放り込まれ、そこが最初から悪意の中であったなら、ろくなことにはなりませんから」
人族によって虐げられた獣人の中には、人族を憎む者もいるだろう。そんな人族を娶ったヴィルはどうなるんだろうと考えかけて、栞里は自分に回されたヴィルの腕に力が籠るのに気づく。それを軽く撫でるように叩いて宥めてから、今度はやんわりと、その腕を抜け出した。
「あの時は、助けてくれてありがとうございました。きちんとお礼も言えないままで」
「お礼などは必要ありませんが…。それでは、これを持ってもらえませんか?」
不意に、コルトが栞里の前に跪き、腰に佩いていた剣を抜いて、剣を自分の肩に乗せ、柄の方を栞里に差し出した。
え、と戸惑いながらもつい、言われるままに手を出した栞里に、コルトはなぜか楽しげに目を細めた。
「あなたに、忠誠を」
「は」
「シオリ!」
驚く栞里を蚊帳の外に置いて、男たちが何やらやりあっている。
説明もないまま、コルトは栞里の騎士になったらしい、とは話の流れで分かったが。そのうち、矛先が栞里に戻ってくる。
「お前、頼むから少し、いや、もっと警戒心を…今のはまだいいが。いや、よくないが。お前を害そうとする行為だったらどうする気だ」
「はあ…」
今度こそ、逃げられないように抱え直された栞里はヴィルの腕の中でなんとも釈然としない。
しかもそのあとは、勝手に割り込んできた夫を含め、なぜか4人も夫を持つ羽目になった栞里の気持ちは放置して夫たちで何やらやりとりをしている。腹は立つのだが、さっき一度怒ったせいか、怒りがきちんと外に向かうエネルギーに変換されず、もやもやとしてくる。
「わたしのことなのに」
ぼそ、と。顔を埋めたヴィルの胸元に消えるはずの栞里の声は、聴覚の優れた獣人、ハイエルフ、九尾という特殊な彼らにはきちんと拾われる。だが、こちらに注意が戻って来たことに気づく余裕もなく、栞里はさらにヴィルの胸に鼻先と額を擦り付けてため息をついた。
「わたしを無視して勝手に話、進めないで」
独り言で終わるはずの甘えた泣き言をしっかりと拾われ、そのことに気付かない栞里の頭上で、男たちが気まずげに視線を交わす。
静かに、出て行く気配にも気付かない栞里の頬に手を当てて目を合わせたヴィルが、額を合わせてすまない、と小さく謝る。
「こちらに一緒に来てくれただけでもありがたいのに、お前を置いてけぼりにして悪かった。少し、落ち着いて過ごそうか」
ようやく、みんながいないことに気づいた栞里は甘やかされていることに思わず恥ずかしい、と思いながらも、そんな気遣いが嬉しくて、ヴィルの首元に鼻先をすり、とすり寄せて、頷いた。
0
あなたにおすすめの小説
病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。
小さなフェンリルと私の冒険時間 〜ぬくもりに包まれた毎日のはじまり〜
ちょこの
ファンタジー
もふもふな相棒「ヴァイス」と一緒に、今日もダンジョン生活♪
高校生の優衣は、ダンジョンに挑むけど、頼れるのはふわふわの相棒だけ。
ゆるふわ魔法あり、ドキドキのバトルあり、モフモフ癒しタイムも満載!
ほんわか&ワクワクな日常と冒険が交差する、新感覚ファンタジー!
WIN5で六億円馬券当てちゃった俺がいろいろ巻き込まれた結果現代社会で無双する!
TB
ファンタジー
小栗東〈おぐりあずま〉 二十九歳 趣味競馬 派遣社員。
その日、負け組な感じの人生を歩んできた俺に神が舞い降りた。
競馬のWIN5を的中させその配当は的中者一名だけの六億円だったのだ。
俺は仕事を辞め、豪華客船での世界一周旅行に旅立った。
その航海中に太平洋上で嵐に巻き込まれ豪華客船は沈没してしまう。
意識を失った俺がつぎに気付いたのは穏やかな海上。
相変わらずの豪華客船の中だった。
しかし、そこは地球では無かった。
魔法の存在する世界、そしてギャンブルが支配をする世界だった。
船の乗客二千名、クルー二百名とともにこの異世界の大陸国家カージノで様々な出来事はあったが、無事に地球に戻る事が出来た。
ただし……人口一億人を超えるカージノ大陸と地球には生存しない魔獣たちも一緒に太平洋のど真ん中へ……
果たして、地球と東の運命はどうなるの?
この子、貴方の子供です。私とは寝てない? いいえ、貴方と妹の子です。
サイコちゃん
恋愛
貧乏暮らしをしていたエルティアナは赤ん坊を連れて、オーガスト伯爵の屋敷を訪ねた。その赤ん坊をオーガストの子供だと言い張るが、彼は身に覚えがない。するとエルティアナはこの赤ん坊は妹メルティアナとオーガストの子供だと告げる。当時、妹は第一王子の婚約者であり、現在はこの国の王妃である。ようやく事態を理解したオーガストは動揺し、彼女を追い返そうとするが――
チート魔力を持ったせいで世界を束ねる管理者に目を付けられたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる