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5 氷の獣人公爵
公爵の帰還 2
しおりを挟む馬車を仕立てて空のまま出発させ、ヴィルは着実に手配を進める。王都に入る前日に落ち合う場所を決め、そこからはヴィルも馬車に乗って都入りすれば良い。
そうして国王の目を欺く方策をとりながら、ヴィルはため息をついた。
離れ難いのは、栞里のそばにいたいからだけではない。栞里が人族だからでもあるのだ。人族を憎悪する獣人は少なくない。それだけのことを人族は長い年月をかけて他種族に行ってきた。獣人の中でも超越した感覚を持つヴィルの耳に入ることを恐れ、誰も口に出してはいない。だからこそ離れるのが心配なのだ。いいだけ離れてから何かをされたら、と。
自分の膝下でと思いはする。だが、人族に対する憎悪は侮れない。その上、歪であれヴィルは狼族であり正当な王家の血を引く。そこに人族が交わることを良しとしない者がいることは想像できた。
先ほどまで無駄のない動きで手配を進めていたヴィルが何かをラウドに伝えた後不意に動きを止めたことを訝しんで栞里は首を傾げた。
何を考え込んでいるのかと眺めていると、不意に伸びてきた腕に絡めとられてしまう。座っているヴィルの足の間に引き寄せられ、肩口にヴィルの顔が埋められる。そのまま吐き出された大きなため息に、栞里は眉を下げた。なんだか、ヴィルのため息が多い。
「ヴィル、ため息ばっかり」
「ああ…」
もともと距離感の近いヴィルだったが、ここへきて完全に距離感がおかしい。くっついていないと気が済まないかのような様子はくすぐったいし恥ずかしいし照れくさいし。それでも、嬉しいのだが、どんな顔をしていいか分からない、と思いながら鼻腔をくすぐるヴィルの香りにほっとする。すっかり馴染んでいるのだなと改めて思い浮かんだことにわたわたと落ち着かなくなりながら、困惑していると、ヴィルがその姿勢のままで腰に回した腕に力を込める。
「俺の留守中も、お前の身は守れるようにしておくから」
うん、と頷きながらも、栞里は困った顔になる。ヴィルもサライも口には出さないけれど。獣人の中には人族をよく思わない人は多いだろう。それでも、人族が番であることもあるらしいから、完全な拒絶はないのだろうけれど。それでも、だからこそ、嫌悪したり憎んだりしている人もいるはずなのだ。番、というものを利用して人族に追い詰められた身内がいる人も、そういう人族の行いを嫌悪する人も。
「ヴィルの頭を悩ませてばっかり。わたし、一緒に来れない方が、良かったのかな」
ぽつり、と呟きを落としたのにヴィルが全身を大きく震わせる。勢いよく挙げられた顔を見て、栞里はしまった、と目を逸らそうとした。が、素早く伸びてきた手に抑えられて目を離せない。
傷ついた目が栞里を見据えている。怒った顔をしているのに、明らかに目は傷ついた、と訴えかけてくる。
「本気で言っているのか」
「…ヴィルにそんな顔をさせるなら、本気だよ」
諦めて、栞里はしっかりとその目を見つめ返して言い切る。そこでちょうど、背後で人が入ってくる気配がしたけれど、今はヴィルから目を逸らせない。どうせ、先ほど出て行ったラウドだろう、とあたりをつけてしっかりとヴィルを見上げる。
「ヴィル、わたし、ヴィルに守ってもらうために一緒に来たんじゃない」
「だが」
「うるさい」
押さえつけられているのは栞里なのに、強気にヴィルの言葉を遮る。ヴィルの尻尾が揺れていて、それを煩わしげに栞里が掴んだ。
「っおい」
「そんっなに不安になるほど、わたしヴィルに信用されてない?」
「そんなことは」
「ないなら。ヴィル、わたしを荷物にしないで」
「そんなつもりはない」
「でしょうね」
ただ、心配しているだけだ。心配されて当たり前だ。だってなにも知らないのだから。でも、最初を間違えたら、この先ずっと、それはついてまわる。
「ヴィル、なにしようとしてた?いない間、わたしのこと」
「どうもしない。お前を守るのに必要な手筈を」
「必要じゃない」
ヴィルの耳がぺしゃっとヘタれて倒れてしまっている。そんなのに絆されない、と栞里は先ほど押さえ込んだ尻尾を握る力を強めた。ヴィルが息を飲むのがわかる。でも、知らない。
「獣人が、人族にされたことをずっと前にヴィルは話してくれた。だから、わたしがここにいることの意味は、少しは想像できる。嫌な思いをしている人もきっといる。だから」
「だから」
被せて何か言おうとするヴィルを睨んで黙らせる。
「だから、余計なこと、しないで」
「何を言う」
思わず声を上げるヴィルをじっと見る。何をしようとしてたのかと先ほどの問いかけに答えるように、ヴィルは栞里を厳しい目で見下ろす。
「お前はそれでもわかっていない。人族など、獣人からしたら赤子の手をひねるより容易に手にかけられる。俺が離れたのを見計らってしでかす奴がいるかもしれん」
「そう言う人には、その人なりの事情があるでしょう」
「事情があるからと言ってお前を危険に晒せと言うのか」
「言ってない」
きっぱりと栞里は言い切る。本当は気にせず獣人の中に入っていきたい。きちんと知り合って、受け入れてもらいたい。特にここでは。だってここは、ヴィルの家だから。でもそれは、慌てることではない。
「頭ごなしに命じないで。わたしを守れとか、手を出すなとか。手を出すな、なんて言語道断。あなた、自分のところで働いている人たちを疑うってことだからね」
それも仕方ない状況なのだと言いたいが、言える空気ではなくヴィルは飲み込む。獣人と人族の関係性だけではない。ヴィルの命さえも狙われるこの場所で、ヴィルの弱みである栞里はより容易い獲物とされるのは目に見えている。だがそれも含めて栞里が言っていることもヴィルにはわかる。この邸の人間を、どちらの意味でも疑う言葉を口にするなと言っているのだ。
「ヴィルがそれをしたら、わたしはヴィルとここにいる人たちの間に溝を作る原因になってしまうかもしれない。そんなのはいやなの」
もともと、と言いたげなヴィルを栞里は尻尾を握る手に力を込めて黙らせる。元からヴィルは、味方はいないような言い方をずっとしていた。そんなはずはないのだ。ヴィルが帰ってきて、喜んでいたではないか。戸惑っていたのは、余計なのがくっついていたからだ。そんなこともわからないほどに、ヴィルは危険にさらされて生きていたのだと思うと腹立たしくもなるけれど。
「本当は、好きに動きたいし、ヴィルの周りの人と早く知り合いたい。でも、そうすることでヴィルが心配なら、1週間くらい我慢する」
「…」
「部屋でおとなしくしていろって言うならしてる。ヴィルが安心できる過ごし方を言われた通りにしているって約束する。だから余計なことしないで」
「俺がお前を守ろうとするのは余計なこと、か」
「やり方によっては」
「お前、本当にはっきり言うな」
「わかりやすいでしょ?」
負けた、とヴィルはやっと表情を緩め、そのままその顔を隠すように栞里の肩口にまた顔を埋めてしまう。一番安全なのはルシエールに森に連れて行かせることだが、ここから出て行かせることもしたくない。そして、今拒否したのと同じような理由で栞里は嫌がるだろう。信用していないことを示す行動は嫌だ、と。
「だ、そうだ」
完全に栞里に負けた形でそのままヴィルがいうと、身動きの取れない栞里の背後からラウドの笑い声がする。
「お前に手綱がつくと思わなかったな。よっぽど上手じゃないか」
「俺のだ」
明らかに気に入った、と声音でわかるからヴィルが唸るように言うと、ラウドは笑い声だけを返す。どうにか首を捻って振り返ると、ラウドの他に女性の獣人が3人と男性が4人並んでいる。戸惑いながらなんとか頭だけを下げてはじめまして、と挨拶をしていると、ヴィルがようやく栞里を解放した。
「留守の間、お前の身の回りのことと安全を言いつけていく予定だったものたちだ。…だが、お前はまだこちらに慣れていない。知らないことも多いだろう。何かあれば、頼るといい」
男性2人は執事、2人は護衛を兼ねた使用人、女性たちは侍女だと言うから、栞里は今度はしっかりと頭を下げる。ここで生活する以上、確実にお世話になる。
じっとこちらを見つめていた、一番年嵩の外見は40前後に見えるが、獣人だと栞里にとっては年齢不詳な人が静かにその目をヴィルに向けた。
「それでは旦那様、一度奥様をわたし共で身支度させていただきます。その後で邸を案内して差し上げては」
「そうしよう。ガルダ、頼んだ」
ふわり、とヴィルの体が離れて、栞里は思わず振りあおぐ。
そうしてみて、ようやく気づいてまた恥ずかしくなって目を逸らした。気づかなくなるほどにずっと、そばにいてくれたのだ、と。
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