拾われにきた獣〜氷の獣人公爵〜

明日葉

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5 氷の獣人公爵

伴侶たちは忙しい

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 朝食を終えて立ち上がったヴィルが、まだ座っている栞里に歩み寄り、大きな手で髪を撫でる。すぐに済むかな、と見上げていた栞里は、その様子もなくむしろ撫でる手にだんだん力がこもっている気がして表情に不安げな様子が混じってくる。
「あの…ヴィル?」
「ああ…仕事に行ってくる。昼は一度戻るから、一緒に食べよう」
「うん…?」
 栞里の世界にいた頃には想像できなかったくらいに、ヴィルの栞里への執着はあからさまで、周囲に知らしめるかのようにその言動で示している。それに栞里は戸惑うしかない。この甘ったるい空気に慣れないのだ。
 もはや、何の感情を示しているのか不明な振られ方をしている尻尾を冷めた目で眺めながら、撫でるのでは足りなかったのかそのまま頭を引き寄せてその厚い胸板に抱き込まれ、やれやれ、とその大きな背中に腕を回してぽんぽん、とやんわりと応える。
「お昼に帰ってくるなら、行った方がいいんじゃないの?ラウドさん、待ってるよ」
「…ああ。行ってくる」
 しゅん、とした耳を見上げて、可愛い、と思ってしまった時点で、ため息をついた。毒されている。
 名残惜しげにこめかみに唇を押し当てられた瞬間、ぴっ、と背筋が伸びた。栞里に獣人のような毛並みがあったり尻尾や耳があったなら、わかりやすく驚きと緊張と周知で逆立てていただろうな、と、楽しげにラウドはそれを眺め、それから残念なものを見る目を上官であるヴィルに向けた。



「ヴィル、お前、程々にしとけ?」
「お前も獣人なら、伴侶への執着は承知しているだろう」
「伴侶へ、じゃない。番へ、だ。番じゃないだろう?」
「オレには番はいないからな。…あんなに可愛い生き物を離れて置いておくのが心配なんだ」
「…まあ、可愛い、は認めるが」
 言った瞬間、ピリ、どころではなくビリビリと空気が冷えて重圧がかかる。反射的に身構えながら、ラウドは苛立ちをヴィルに向けた。
「お前、自分で振っておいて同意するとそれはやめろ。否定されても怒るくせに」
「これ以上手を出されるのはごめんだ」
「シオリもごめんだろうよ」
 呆れて軽口には見せているが、先ほどの威圧のおかげで緊張が解けない。こんなに見境なくなるやつだったのかと嘆息が漏れる。ただ、何にも、己の命にすら執着しなかった男にそれほどに大事なものができたことは、非常に喜ばしいが。
「オレの言っている可愛い、が花が可愛いとかそういうのと同じ類だってことはわかるだろうが。そんで、この邸の人間は、そういう意味では、みんなあれを可愛いと思っている。本人に自覚はないがな」
「……」
 微妙な視線に込められた独占欲と、不満げな様子を無視してラウドは続ける。
「お前の奥様はこの邸の人間の心は掌握済みだ。人族嫌いの奴らも、絆されてる。むしろ、ちゃんと守れなければ今まで怖がってお前に必要以上に近づかなかった奴らから抗議されるかもしれないぞ」
「なんでそんなに」
「お前が気を許すくらいなんだから自分が一番承知してるだろうが。毎日顔を突き合わせて、笑顔向けられてたら、悪意とかは続かないんだろうなぁ。あとは、あのパンだな」
「パン?」
「奥様の作るパン。あれ評判良くてな」
「…胃袋から掴んだのか」
 くつくつと喉の奥で笑う様子に、ラウドは目を細める。あとは、お前だよ、と。表情を動かすことのなかった氷の公爵のそんな表情を引き出す存在を、拒絶できるわけがない。栞里が、すでに受け入れられていると自覚していないのと同じように、自分が邸の者や部下から慕われているという自覚のないヴィルにはわからないだろうが。
「だから、今度の夜会は、邸やこの領地の獣人は奥様の味方だ。外にだけ、気を付けろ」
「…夜会、か」
 帰還を祝い、伴侶の披露目を行う夜会を、強制的に予定に入れられていた。
 それは、あわよくばと、公爵の伴侶の座を虎視眈々と狙っていた貴族たちから。辺境へ流されたとは言え、正当な狼族の王族であり、実力も確か。その上美貌の公爵となれば、黙って放っておいてはもらえない。それにそれらの娘だけではなく、伴侶を持つことに消極的な公爵だからこそ、もしやと期待していた娘たちも多い。それはその美貌故。それは獣人族に限ったことではない。人族も、だった。人族は、尚更かもしれない。美貌の公爵を伴侶とすれば同時に、長い時間を若い姿のまま生きられる体に変貌できる可能性が高いのだから。
 そんな彼らにとって、栞里は邪魔でしかない。伴侶を得る気はあるのだと知ると同時に、伴侶となる可能性を奪った存在ではあるのだから。
「悔しいが、栞里の伴侶が他にもいてよかったよ」










 一方、栞里の方はまだその夜会の存在を知らされていない。
 昼も同じようなやりとりで送り出したあと、日当たりの良い部屋で机に向かい、ルシエールとラウドと向かい合っている。
 ちょうど出かけようとするサライの背中に声をかけた。
「サライさん、また出かけるの?ずっと忙しそう」
「さん、はいらないよ」
 何度目になるかの釘を刺しながら、サライは肩を竦める。あの有能な公爵は、やる気になると非常に人遣いが荒い。そしてそれが、必要なことだと自分も思ってしまったから断れない。
「ヴィルが人遣いが荒いんだよ。跳兎の頭領が生還したのなら、かつての影のような訓練を施せとね」
「?」
 影、はその存在感のために滅びたような話だった印象を受けていた栞里は首を傾げる。それはヴィルが生まれる前の話だ。きょとんとした顔が無言で問いかけてくる内容を正確に察して、サライは笑う。ヴィルが可愛がるのがわかる。撫で回したくなる。どちらかと言えば、兎の姿になって抱き上げられて撫でられているのは自分の方だが。
「影は、情報収集や護衛…まあいろんなところで重宝するのは確かなんだよ。だから、かつてのものに似たものは組織されているんだけど梃入れが必要でね。もう少し形になったら、栞里には顔合わせをさせよう」
「うん?…なんかみんな大変そうだね」
 一番大変なのは、君なんだけどね、と内心苦笑いしながら、サライは出ていく。
 それを見送って、栞里は首を傾げてルシエールに目を向ける。
「ルーシェ、ノインは?朝から見ないんだけど」
「そっちも、公爵にこき使われているな。この領地に妖魔が入り込まないようにマーキングしている」
「は?」
「妖魔は本来、人前に姿を見せれば狩られる存在だ。襲うからな。だがそもそも入ってこなければ、こちらとしても安全が確保されてありがたい。自分より強い妖魔のテリトリーは本能的に侵そうとしない。拮抗しているあたりからは関係性次第だが、ノイン相手にそれをやる妖魔はそんなにいない」
「…そんなにすごいんだ」
「可愛い狐じゃないと、散々言っただろう」
 言ってたなぁ、と遠い目になる栞里をやれやれ、と眺める。
 妖魔を引き込んだ、と言われず、むしろ妖魔を近づけない術となれとノインを行かせたのだ。栞里が責められる余地を作るな、と。そう言われては、本来他人に命じられることのない妖魔も従うしかなかったのだろう。

「なんか、みんな忙しそうだなぁ…。あ、そうだ。ルーシェ。前、薬のこと、興味持ってたでしょ?」
「ああ」
「薬とか、ヴィルが大体身につけてきたから。ただ、ヴィルが身につけてきた技術とかは、ちゃんとした知識がなく使うのは危ないから、調停者として、登録してね?」
「お前じゃないのか」
「わたしの頭じゃ追いつかなくて」
 ふん、とルシエールは呆れ顔で長い手を伸ばし、栞里の頭を撫でた。栞里は十分、頭は良い。話していて不快感を覚えないどころか、心地よいのだから。あの公爵が切れ者すぎるだけだ。
「お前が言うなら、やっておこう。それより栞里、お前もそんなに暇じゃないんだぞ?」
「ん?」
 ルシエールの視線を追ってラウドを見上げると、にかっ、と豪快に笑う。



「10日後に披露目の夜会が開かれる」
「まさか、王宮に連れてかれるとかじゃ」
「それはない。ただ、一通りの作法とこちらの知識を叩き込むぞ」
「ぐっ」
 反射的に身を引きそうになった栞里に、ラウドは楽しげに笑い、明日からの予定を後で持ってくるからな、と言い置いていく。
 頭を抱える栞里に、ルシエールは笑う。
「公爵に嫁ぐんだ。そのくらい想定できていただろう」
「あー」





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