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第1章
彼がシロに訊きたいこと
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忠実にシロはレオボルトの寝台の足元に伏せた。ルナがいる時のように丸まることはなく、しっかりと伏せて耳はしっかりと立っている。
寝台の端に腰掛け、下ろした片脚の上にもう片方の長い足を乗せ、その上に肘をつくといういささか行儀の悪い格好で、レオボルトはシロを見下ろした。
「やっと、お前と2人になれたな」
1匹、という数え方ではなく、己と含めて2人と言ったレオボルトをシロは感情のこもらない目で見つめる。
「まあ、他のがいたって構わないんだが、あいつがいたら邪魔されそうだしな」
ルナだけに向けられるこの獣の忠誠心、というよりも溺愛ぶりに、レオボルトはふん、と鼻を鳴らした。いっそ清々しい。表面だけ取り繕っている有象無象よりよほど。
レオボルトは、じっとシロを見据え、その一言を口にする。確認するまでもない。けれどそれをこいつに、言葉にして突きつけなければ話が先に進まない。
「ルナは、カヤだろう?」
シロは、表情を変えない。獣の表情など、と言われるかもしれない。だが、ルナといるのを見ていればわかる。表情は、あるのだ。ゆたかなほどに。だが、髭の一筋すら、動かさなかった。
それが、答え。
だって、聞こえていればそれを示すように耳や髭を動かして見せるこいつが、ぴくりともしないのだから。
「ルナがカヤなのは、もう確信しているから、別に答えはいらん。お前に訊きたいのは、他のことだ」
ふぅ
と、ため息が聞こえた気がした。
その直後、すっと、シロが身を起こす。
これが、興味本位や、僅かなりとも悪意などがあるものならば、反応はしなかった。いや、場合によっては、ルナの願いを違え、シロ自らがこいつを害した。
だが、レオボルトは、違う。
「そもそも、カヤは何者だった。そして、なぜカヤもルナも、酷な目に遭う」
シロは目を細め、耳の奥から消えない、忌まわしい声を振り払う。
(あ、間違えた)
気が抜けるような、巫山戯た声。
声が何を示すのか、不意に意識に上った声を追えば…。
シロは、口を開く。ルナに対しているような無邪気なものではなく、低く腹に響くような声で。
「カヤは、異界からここへ、引き摺り込まれた」
しかも「間違えて」だ。そう無造作に言った声は、間違えていなかった方は手元で「保護」し、間違えたものは、放り出した。文字通り。
意識もなく、着ているものも異なり、言葉もわからず、何もかもが不条理な弱い娘を、その辺の森の中に放置した。
「だから、言葉が」
納得したようなレオボルトの呟き。なんとか、言葉を身につけようとしたけれど、どうしても流暢とはいかず、最期まで苦労していた。
あまりの理不尽と、それを受けたカヤがシロにとっては目を離せない存在だったから、すぐに助けたかった。けれど、異界から無理やり何かを、しかも生きていて、さらには高度な知能を持っていて、挙句1人では済まない複数(2人)を引き摺り込んだ直後に、シロまでがここに入ることは歪の悪化を招く。カヤ自身に危険が及びかねない。
だから、できる最大限のことをした。
おかしなものにカヤが見つけられる前に、庇護してくれそうなものに見つけさせた。
それが、ヴァルトだった。
案の定、倒れているおかしな格好の娘を、ヴァルトは不審に思いながらもまずは助けた。
「お前に全てを今、話させるのは無理なのだろうな」
レオボルトはじっと、シロを見つめ、ため息をつく。全てを話して欲しい。シロが知る全てを、時系列を追って。もしかしたらそれは、ルナ自身も知らないのかもしれないことだ。
だが、とレオボルトは思う。
異界、とはっきりとは分からずとも、ヴァルトは少しは知っていたのではないか、と。たどたどしくも言葉を話していたカヤは、何かを話していたのではないか。
ただ、幼かった自分には、話さなかっただけで。目を離している間にカヤに何かあることを恐れるように、ヴァルトはカヤを庇護していた。身元のはっきりしない言葉もわからない娘を近くに置くことをとやかく言い、引き離そうとする者たちもいたようだが、全て黙殺し、それでもだめな場合には、実力行使で退けていた。
その、引き裂こうとする中には、ヴァルトのためと言いながら、カヤを求めている者もいたようだと、なんとなく思う。レオボルトがカヤを見たときには、もうそのようなものはほぼ一掃されていたから、なんとなく、だけれど。
可愛らしい女だった。子どもの目から見て、無邪気で、よく笑って。そして、拗ねて怒って。でもやはり大人だった。レオボルトを王子として、一人の人としてしっかり接してくれながら、子どもとしても扱うという器用なことをやってくれた。
「なぜ、あの人は死なねばならなかった」
「なぜ…か」
「俺のせいなのは、わかっている」
血を吐くような台詞に、シロは目を細める。
「それは言うなよ?失礼な言葉だ。お前のせいでは、ない」
聞けば、ルナが怒り悲しむ。いや、そう言う顔をして、だが実は、なによりも、傷つく。
そのようなことを、少年のレオボルトにおもわせ、この年まで引きずらせているという現実に。
「強い、強すぎて気づかれもしないほどの魔力を、持っていた。ただ、扱い方を知らなかった」
シロはただ、事実を告げる。
「カヤは、お前と、自分の身を守ろうとしただけだ。間違えるな?お前だけを守ろうとしたわけじゃない。あれは、お前を連れてヴァルトのところまできちんと連れて行きたいと思っていたのだから」
だから、一緒に切り抜けたいと願っていた。
だがその願いが放出した力が、扱い方を知らないばかりにカヤを散らした。
(ばかなっ)
間違えた、と言ったのと同じ声がシロの声と重なった気がした。その意味は、まったく違ったけれど。
平穏に、静かに、ただ幸せに。でもきっとカヤは、レオボルトの成長も見れば喜ぶからと、この世界にせめてシロは転生させた。ここに引き摺り込まれる前の生も、カヤには確かにあったけれど。命を散らすほどに心を傾けたレオボルトと、信頼を寄せたヴァルトのつくる国に生きるのを望んでいたから。
なのに、なぜかあの子は、何かの拍子に運が悪い。
あんな男と女に、養女にされるなんて。いや、養女にされる必要はない暮らしをしていたのだ。
今のシロの毛のように、真っ白な髪をさせられていた頃のルナ。あいつらが何かをさせたいときに、化けさせるには、白い髪にしておくのが良かったのだろう。染めやすいという、そのために。
「そうか」
ずいぶんと間が空いてから、レオボルトが呟くように、息を吐き出した。
シロは再び、足元に伏せる。そうして、前足に顎を乗せ、目を閉じた。
寝台の端に腰掛け、下ろした片脚の上にもう片方の長い足を乗せ、その上に肘をつくといういささか行儀の悪い格好で、レオボルトはシロを見下ろした。
「やっと、お前と2人になれたな」
1匹、という数え方ではなく、己と含めて2人と言ったレオボルトをシロは感情のこもらない目で見つめる。
「まあ、他のがいたって構わないんだが、あいつがいたら邪魔されそうだしな」
ルナだけに向けられるこの獣の忠誠心、というよりも溺愛ぶりに、レオボルトはふん、と鼻を鳴らした。いっそ清々しい。表面だけ取り繕っている有象無象よりよほど。
レオボルトは、じっとシロを見据え、その一言を口にする。確認するまでもない。けれどそれをこいつに、言葉にして突きつけなければ話が先に進まない。
「ルナは、カヤだろう?」
シロは、表情を変えない。獣の表情など、と言われるかもしれない。だが、ルナといるのを見ていればわかる。表情は、あるのだ。ゆたかなほどに。だが、髭の一筋すら、動かさなかった。
それが、答え。
だって、聞こえていればそれを示すように耳や髭を動かして見せるこいつが、ぴくりともしないのだから。
「ルナがカヤなのは、もう確信しているから、別に答えはいらん。お前に訊きたいのは、他のことだ」
ふぅ
と、ため息が聞こえた気がした。
その直後、すっと、シロが身を起こす。
これが、興味本位や、僅かなりとも悪意などがあるものならば、反応はしなかった。いや、場合によっては、ルナの願いを違え、シロ自らがこいつを害した。
だが、レオボルトは、違う。
「そもそも、カヤは何者だった。そして、なぜカヤもルナも、酷な目に遭う」
シロは目を細め、耳の奥から消えない、忌まわしい声を振り払う。
(あ、間違えた)
気が抜けるような、巫山戯た声。
声が何を示すのか、不意に意識に上った声を追えば…。
シロは、口を開く。ルナに対しているような無邪気なものではなく、低く腹に響くような声で。
「カヤは、異界からここへ、引き摺り込まれた」
しかも「間違えて」だ。そう無造作に言った声は、間違えていなかった方は手元で「保護」し、間違えたものは、放り出した。文字通り。
意識もなく、着ているものも異なり、言葉もわからず、何もかもが不条理な弱い娘を、その辺の森の中に放置した。
「だから、言葉が」
納得したようなレオボルトの呟き。なんとか、言葉を身につけようとしたけれど、どうしても流暢とはいかず、最期まで苦労していた。
あまりの理不尽と、それを受けたカヤがシロにとっては目を離せない存在だったから、すぐに助けたかった。けれど、異界から無理やり何かを、しかも生きていて、さらには高度な知能を持っていて、挙句1人では済まない複数(2人)を引き摺り込んだ直後に、シロまでがここに入ることは歪の悪化を招く。カヤ自身に危険が及びかねない。
だから、できる最大限のことをした。
おかしなものにカヤが見つけられる前に、庇護してくれそうなものに見つけさせた。
それが、ヴァルトだった。
案の定、倒れているおかしな格好の娘を、ヴァルトは不審に思いながらもまずは助けた。
「お前に全てを今、話させるのは無理なのだろうな」
レオボルトはじっと、シロを見つめ、ため息をつく。全てを話して欲しい。シロが知る全てを、時系列を追って。もしかしたらそれは、ルナ自身も知らないのかもしれないことだ。
だが、とレオボルトは思う。
異界、とはっきりとは分からずとも、ヴァルトは少しは知っていたのではないか、と。たどたどしくも言葉を話していたカヤは、何かを話していたのではないか。
ただ、幼かった自分には、話さなかっただけで。目を離している間にカヤに何かあることを恐れるように、ヴァルトはカヤを庇護していた。身元のはっきりしない言葉もわからない娘を近くに置くことをとやかく言い、引き離そうとする者たちもいたようだが、全て黙殺し、それでもだめな場合には、実力行使で退けていた。
その、引き裂こうとする中には、ヴァルトのためと言いながら、カヤを求めている者もいたようだと、なんとなく思う。レオボルトがカヤを見たときには、もうそのようなものはほぼ一掃されていたから、なんとなく、だけれど。
可愛らしい女だった。子どもの目から見て、無邪気で、よく笑って。そして、拗ねて怒って。でもやはり大人だった。レオボルトを王子として、一人の人としてしっかり接してくれながら、子どもとしても扱うという器用なことをやってくれた。
「なぜ、あの人は死なねばならなかった」
「なぜ…か」
「俺のせいなのは、わかっている」
血を吐くような台詞に、シロは目を細める。
「それは言うなよ?失礼な言葉だ。お前のせいでは、ない」
聞けば、ルナが怒り悲しむ。いや、そう言う顔をして、だが実は、なによりも、傷つく。
そのようなことを、少年のレオボルトにおもわせ、この年まで引きずらせているという現実に。
「強い、強すぎて気づかれもしないほどの魔力を、持っていた。ただ、扱い方を知らなかった」
シロはただ、事実を告げる。
「カヤは、お前と、自分の身を守ろうとしただけだ。間違えるな?お前だけを守ろうとしたわけじゃない。あれは、お前を連れてヴァルトのところまできちんと連れて行きたいと思っていたのだから」
だから、一緒に切り抜けたいと願っていた。
だがその願いが放出した力が、扱い方を知らないばかりにカヤを散らした。
(ばかなっ)
間違えた、と言ったのと同じ声がシロの声と重なった気がした。その意味は、まったく違ったけれど。
平穏に、静かに、ただ幸せに。でもきっとカヤは、レオボルトの成長も見れば喜ぶからと、この世界にせめてシロは転生させた。ここに引き摺り込まれる前の生も、カヤには確かにあったけれど。命を散らすほどに心を傾けたレオボルトと、信頼を寄せたヴァルトのつくる国に生きるのを望んでいたから。
なのに、なぜかあの子は、何かの拍子に運が悪い。
あんな男と女に、養女にされるなんて。いや、養女にされる必要はない暮らしをしていたのだ。
今のシロの毛のように、真っ白な髪をさせられていた頃のルナ。あいつらが何かをさせたいときに、化けさせるには、白い髪にしておくのが良かったのだろう。染めやすいという、そのために。
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