知らない異世界を生き抜く方法

明日葉

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 それにしても、と、肘掛けのある立派なソファに腰掛けたヴィクターは、わたしの手元の何の反応も示さないランタンを見て呆れた目を向けてきた。

 本当に、出来の悪い生徒なのだろう。どうにもこそばゆくてアメリアからのマナー教育も苦労しているが、それ以上だ。そもそも、全然コツが掴めない。
 あるのだ。どうにも理解できない分野とか、どんなに説明されても理解がついていけない分野とか。
 それでなくても苦手な理系で、基礎の計算で行き詰まっている感覚だ。


「普通は、他人の魔力を流されると苦痛を伴うものだが…」

 セージの早い判断で、他の人のを試したことはないが、少なくともお手本と感覚を掴ませるためにヴィクターに流される魔力で苦痛を伴ったことはない。
 どんな苦痛なのかおかげで想像ができない。痛いのか、気持ち悪いのか、苦しいのか。


「魔法が使えるか使えないかが、聖女かどうかの判断基準ですね」
 それは違うぞ、と無言だけれど言っているのが顔でわかる。アメリアは、進んでいない、とは言っていたけれど、できていない、とは言っていなかった。

 それよりも。
 魔力を流されることに苦痛は全くないが、できないでいると痺れを切らしたヴィクターが体に叩き込もうとする、その距離が近くて羞恥で苦しいと言えば苦しい。
 今日もまた、呼び寄せられる。そもそもの距離が遠いと顔を顰めているが、普段のヴィクターの人との距離感からすれば決して遠くはないはずだ。

 両手でランタンを持たされ、その手にヴィクターの大きくて硬い手が重ねられる。
 暖かさを感じるのと同時に、灯りが灯った。明度の変化まで見せてくれる。
「ここまでは流石に誰でもできるとは言わんが、つける消すはなあ。そのための魔道具だ」
「だから、わたしきっと、魔力ないですよ。わたしの中をヴィクター様の魔力が素通りしているんですって」
「自立できないと宣言しているようなものだが?」
「…街中じゃなければいいのでは」
 人里離れたところで隠棲していれば、最低限のものをなんとか魔法に頼らず確保する方法を身につければその日暮らしくらいはできるはず。
 が、ものすごくいやそうな顔をされた。
「街中じゃなければいつ魔物に遭遇するかわからんぞ。魔力がない、ということはないんだ」
 なんで言い切れるのか、と思ったのが顔に出たのだろう。
「そもそも、お前の魔力をこの屋敷に記憶させられた。それ以上に、フォスに運ばれて来て無事だったからな」
「?」
 なんでそれで「ある」と言い切れるのか?
 ヴィクターがなんとも言えない顔になる。そういえば、フォスに運ばれてきた詳しい状況はまだ聞いたことがなかった。
「爪に引っ掛けて落としたり、足で掴んで強く握りすぎるのが心配だったんだと言うが」
 騎竜と、縁を結んだ騎士は意思の疎通ができるのだと聞いた。また、竜にも序列があり、上位の竜と縁を結んでいると下位の竜ともある程度の意思疎通が図れるらしい。
 続く言葉を待ちながら、先ほどの顔が笑いを堪えている顔だったことがわかった。こんな顔で笑うのかという驚きが先に立って、笑われているのが自分だと気づくのが遅れた。
「トワを咥えてきたんだ。完全に、口の中に入れていた。爪は心配でも牙は心配じゃなかったんだか、飲み込む心配はなかったのか呆れたが…まあ、あの時はそれどころじゃなかったな」
 最初は、なにを食ったのかと思ったらしい。連れてきたならさっさと出せと命じて足元にそっと置かれたわたしは、もちろん唾液塗れで。
 無傷だったが、生きているとは思わなかったと言う。
「竜の魔力は人と比較にならない。背に乗るだけでも、その魔力を浴びるから資質としてそれに耐えられるだけの魔力を求められる。口の中はそれ以上だ。魔力酔いで死ぬか、瘴気になる程魔素が溜まった魔素だまりに放り込まれるようなものだから魔物になるかしているかと思っていた」
 それもあっての、あの警戒だったと思えば、単に召喚の場から放逐された人間がいることへの拒否感ではなかったわけだ。
 魔族かもしれない何かを目の前にしているのだから。
 でも、警戒していたのはラウルだけだった。ラウルだけが一般的な常識人、という可能性が高いのは、ここに置いてもらって感じてはいる。
「フォスが聞かなかったからな。竜と人の感覚は違うが、竜が守るべきだとする者の方が、信ずるに足る」
 本当に、フォスにいろんな意味で助けられたのだな、と思っていると、不意打ちで先ほどから包まれたままだった手を引かれて、ヴィクターの膝の間に座らされた。
 反復している間に魔力が流れる感覚を覚えろと言われるが、この距離感の必要があるのかといつも言いたくなる。いや、言った。言ったが、わたしにそれが判断できるわけもない。
「とにかく、それで無事だったお前は、竜の魔力に耐えられる、つまり、その黒い髪と目に見合う魔力がある。使えないだけで」
「使えないとか言わないでください。その通りだけど地味に落ち込むので」
「ふは」
 先ほどは、笑顔になっただけだったのが、声を立てて笑った。初めて聞いた、と振り返って後悔した。
 なんらかの世界観で「攻略対象」らしいこの人は、とにかく、あらゆる造詣が整っているのだ。反射的に目を逸らすと、少し、触れている体が緊張したのが伝わってきた。
「怖いか?」
 その意味が、わたしには少し考える時間がないとわからない。
 見目のことを言っているのだと、思い至る。恐れられてきた金の魔眼。漆黒の髪。
「この距離は、慣れないので緊張します。わたしのいた世界では、少なくともわたしの国では、人に触れ合ったりこんなに近い距離にいることは一般的ではありませんでした。目を逸らしたのは、ヴィクター様の顔がいいからびっくりして居た堪れなかっただけです」
 言葉で説明しないとわかってもらえないが、説明するのもなんだか、恥ずかしい。
 何度か言われているな、と他人事のようにいう。自分の見目が良いなど、考えたこともないのか。色だけでそんな判断、勿体無い。しかもこんな、面倒見も良くて、情の深い人を。
「まあ、このままトワが魔法を使えないならそれでも構わないが。…使えない以上、ずっとお前の部屋は俺の次の間だ。同じ部屋でもいいがな」
 鍵が開け閉めできない以上、安全のためにと移動させられていた。使用人の部屋ではと言ったが、客人にそれはできないと断られ、せめてエリンと言えば、エリンにやんわりと、自分では何かの時に力不足なのでと断られた。大事なお嬢様のアメリアの部屋とは流石に言えず、甘んじている。
 夜遅くまで仕事をしていたり、朝早くにいつも起き出して鍛錬に出て行ったりしている。寝ていて良いと言われるけれど、一応まだ、緊張しているらしく出入りで目が覚める。
 鍵をかけて出ていくから安心して寝直せ、と穏やかに声をかけるヴィクターを思い出していると、体の中を流れていく温かいものが止まった。
 ヴィクターが魔力を流すのをやめたらしい。
 本当に、手応えなく流れるな、となにやら呟きながら、器用にわたしと一緒に立ち上がる。

「まあ、俺がこうして近づく相手も限られる」
「ああ、竜が他の匂いを嫌がるのでしたっけ?異世界からのわたしは関係ないのでしょうか」
 また、微妙な顔をしているな、と思っていると、大きな手で頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
「お前は年上には見えん。その見目のとおりの年なんだろうな」
 どう言う意味だろうと聞き返す間はなかった。

 外がザワザワしている。
 アメリアが帰ってきたようだけれど、それだけで、と思うようなざわつく気配に嫌な感覚だけが増していった。




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