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しおりを挟む谷間をすり抜けるように飛ぶ竜は、風を切り、真っ暗な夜の中でぼんやりと光っている。
ヴィクターを見上げると険しい顔をしていたが、視線に気づいてこちらに向けたときにはその目は穏やかなものになっていた。金色の目はいつもと同じように優しい。
だから、こんな時でも躊躇いなく問いを口にできる。
「竜が光っているんですか?」
「竜は光らない。居場所を教えるようなものだ。…まあ知られたところで困るようなものではないが」
種族としては最強の部類なのであろう竜は逃げる必要も隠れる必要も本来はないのだろう。ただ、それでも危険を冒して求めるほど、竜から得られるものは大きいということだ。竜を倒して得られる名声も、『素材』も。
「俺たちに姿が見えるようにしているだけだ」
「ああ」
なるほど、と納得する。
見えなければ、本当に何も見えない闇の中を連れまわされているようなものだ。
神龍の計り知れない魔力を預けるのに心配はないのかと、フォスに乗ったまま聞いた。いくらでも悪用ができると言うことだ。悪用しないまでも、私利私欲のためだけに使うことだっって考えられる。
答えは、単純だった。
預かった本人、龍の花嫁が悪用しようというのなら、魔力暴走を起こして自滅することになる。
誰かが悪用しようと、恣にしようと干渉しようとすれば、そもそもそれを防ぐために、複数の種族から側にいる者を選んでいる。そこをすり抜けても、神龍の魔力を僅かでも体内に取り込めば大抵はすぐに魔力過多と拒絶反応を起こす。
何より、竜族全てが、敵になる。
竜族は魔力を多く必要とするがゆえに、神龍が流す竜脈の魔素が滞りなく循環していてくれなくては困るのだという。竜族自体が、魔素の塊のようなものだとも、そういえばここに来る前に聞いた話だ。
それでもだめなら、次代の神龍が受け容れられるようになるまで、耐えるしかない。育つのが先か、滅びが先かというだけの話だ。
けろっとした調子で言われて、なんだか肩の力が抜ける。
次代が育てばお役御免ということだ。そう思ったが、少し違うらしい。
『そんな恩知らずなことはしない』
少し不満げな様子で蒼竜が言う。
恩知らず、とは思わないけれど。
本来ならば、負担のないように魔力を継承し、そして役目を終えた「器」はその後を望むように生きられるように、過ごせるように遇されるのだという。
『着いたぞ』
言われて、視線を上げる。
真っ暗で見えないだろうと思ったけれど、闇に慣れた目はそれを捉えることができた。
谷底の、少し開けたところに巨木がある。岩肌が鋭く、上から転落すれば岩に刺さりそうな地形の底には、巨木と、そして広がった枝葉の向こうが見えるようになると、青々とした草むらと、泉が渾々と湧いている。巨木の幹の一部はその泉に沈み、しっかりとした根が澄んだ泉の底に張っているようだ。
夜空を映した泉に、大きな竜が2体、降りていく姿も映っている。その泉から川が流れ、谷間を流れていっているようだ。
近づけば、「巨木」と一言で片付けることがためらわれるほどの大きな木で、そして草むらと泉を跨ぐような洞が開いている。
そこに向かって声をかけるような仕草をした蒼竜が、不意に体を起こして首をもたげ、振り返った。
その動きに合わせるように洞から声がする。
『此度、ヒトが喚んだ女は、随分と面白いことを考えるようだな』
聖女のことだろうか。いや、聖女以外にはいない。
皮肉げで苛立ちを帯びた声に、体が緊張する。それは、自分のことかもしれない。咄嗟にそう思ったのだ。歓迎されるとは思えないその声音に、身が竦む。
声は聞こえていない様子だけれど、緊張をダイレクトに感じ取ったヴィクターが洞から隠すように、わたしを背中の後ろに回した。左腕はしっかりと、背後のわたしに回されて離れないように支えられている。
蒼竜に続いて降りていたフォスが、そのヴィクターの様子に目を向けて、柔らかな声で嗜める。
『トワ、トワのことじゃない。王都の竜が伝えてきた』
竜たちのその通信は本当に便利だと思う。
何を伝えてきたのかと思っていると、わたし以上にフォスから何かが伝わったのか、ヴィクターの体に力がこもる。
『同じ時にこの世界に来たと言うのに、これほど扱いに違いがあっては気の毒だ、と。王家の寛大な対応として先日の社交の場での騒ぎも許し、辺境伯家の負担を減らすべきだ、と。本来手を取り合うべき王家と辺境伯家の溝を作る原因になっていると、辺境伯領に王の制止を聞かずに向かったようだ』
先ほどと同じ声が良い、そして、洞から姿が見える。
蒼竜も美しい青だと感じたが、それ以上に美しい。空の青とも海の青とも青く美しいあらゆるものを思わせる竜が、真っ直ぐにこちらを見ている。
大きな体のほとんどはまだ洞の中にあり、もたげていた首を草むらに落として視線を下げてくれたが、それでも目を合わせるには見上げなければいけない。
『わたしが怖いか、トワ』
自然に名前を呼ばれ、ヴィクターの背後から出てきちんと向き合う。
畏れ、のようなものは感じている。
恐怖は、不思議なくらい湧いてこない。この世界に来て、ずっと竜には優しくしてもらっていた。大きさに驚き、腰が引けることもあった。フォスをはじめ、彼らはわたしが慣れるのをじっと待ってくれた。
理知的で、穏やかな竜ばかりだった。騎士隊の竜だからといって好戦的なわけではなかった。理由もなく、暴れたり危害を加えようとする竜はいなかった。
「怖くはないです」
『そうか』
穏やかな声は、若々しく聞こえる。ただ、隠しきれない疲労も滲んでいる。
視線を合わせるためだけではなく、首を持ち上げているのも辛い様子なのがわかった。
ここに来たと言うことは、もう、決心したということだ。
向こうにもそれは伝わっているはず。
ヴィクターから離れ、歩み寄ろうとするとヴィクターの腕が伸びてきて手首を掴まれる。
ただ、今は、一緒に行くことはできない。
「ヴィクター様、終わったら、またわたしのこと拾ってください」
最初に、フォスに拾われた時を思い出して言うと、ヴィクターの顔が歪む。
それでも、緩めてくれた手をそっと抜いて、一度ヴィクターの大きな手に両手で触れてから、もう一度歩み寄る。
ヴィクターから離れると、一気に体が重くなる。それだけ、魔素の濃い場所なんだろう。頭がぐらぐらして、血の気が引きそうになる。
両手を広げて、神龍の正面に立った。
お名前を聞いても?
内心で自問すると、声に出していないはずなのに、声が答える。
『ヒソク』
ああ、青い名前だ。
額に、大きな龍の鼻先が触れた。
そう思った次の瞬間、奔流のように流れ込んでくる。それでも、制御し最小限に抑えているのだろうと、それを感じ取りながら、遠のく意識を手放した。
全てが終わるまで、倒れない自信があったから。
この奔流に飲まれ、体は入ってこようとするものでしっかりと支えられていたから。
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