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しおりを挟む辺境伯領の境までヴィクターがフォスに乗せてくれた。そこまでは辺境伯家の長男、イルク様の竜で一緒に来たアメリアと、馬車に乗り換えて王家の別邸に向かう。ヴィクターは渋ったけれど、辺境伯領のこれほど近くで問題を起こすほど王家も愚かではないと辺境伯様に制止されていた。
あの夜会で標的になったアメリアと自分という組み合わせは確かに、あの場にいたヴィクターにしてみれば容認できないのだろう。送り出すエリンも心配を隠さない表情でアメリアの身支度をしていたが、当のアメリアは余裕の様子だ。
「大丈夫よ、トワ。お兄様ほどではないけれど、わたしも魔法はかなり使えるの。あなたのことはちゃんと今度は守るから」
そうじゃない。
大事なお嬢様はあなたなんです。
そう言いたいけれど、自分がお荷物であることは重々承知している。
お荷物の上に、妙な大役まで引き受けてしまった。
ニルス王弟殿下は、今回はこちらには来られないと言う。聖女が長期間離れ、そして王太子も離れた王宮でやることが山積みなのだという。それならば、そちらを優先するべきだ。それに、そんなに大事なことを置いて駆けつけても、アメリアは怒る気がする。
立派な門扉で衛士の確認を受けたけれど、アメリアが顔を見せるとすんなりと通される。つい先日まで王太子の婚約者だったのだ。
木立の間を少し進むと視界が開け、瀟洒な建物が姿を見せた。
「竜の谷を抱えているので忘れがちだけど、辺境伯領は言葉の通りこの国の辺境、隣国と国境を接しているのよ。事が起これば場合によっては王家の方が指揮を取ることにもなったから、ここを宿営に使っていた時期もあるの。ただ、その頃はもっと堅固な作りだったと聞くけれど、辺境伯家にほとんど任せるようになって建て直しがされたのよね」
ぽかん、と外を眺めているとアメリアが説明をしてくれる。王宮でも、王都の辺境伯邸でも、そして領地の邸でも、本当に物語の世界を目の当たりにしているようで目を奪われてしまう。もちろん、そんな光景にぴったりの服装もつい目で追ってしまう。騎士服やドレス姿も美しすぎて眩しいくらいだけれど、平服も素敵で見ているだけで楽しくなる。もちろん、人が着ているのを見て、だ。日本人そのままの外見でここにいるのだから、まあ着たところで、だ。
「今はさらに、王家は辺境伯領に立ち入る事ができないから、辺境伯家に用件があって王家が出向くときは大体ここが会談場所ね」
「王家の方が出向くのですか?」
アメリアがにっこりと微笑む。非の打ちどころのない美女が微笑むと眩しすぎて目を逸らしたくなる。領地に戻ってから、すっかり肩の荷が降りた様子のアメリアは「王太子の婚約者」としての完璧さとは違った穏やかな美しさで目を奪われてしまう。
「辺境伯は国境の守りの要よ。王家も辺境伯がここを不在にする危険を侵すよりも、足を運ぶ労力を選ぶわ」
なるほど、とそれは、納得しかない。
竜の谷という天然の要害を背負っているけれど、それを要害と呼べるのは、あくまでも竜を味方に、最低でも敵にはしない関係を築けている事が条件になる。
竜が認めることのない王家に仕えていても、その関係性を保つだけの信頼関係がある辺境伯を、蔑ろにはできないだろう。
そんなことを考えている間に馬車はとまり、外から扉が開かれる。
誰か侍従が出迎えるのだろうと思っていた馬車の外には、城で会ったあの王太子が立っていた。
思わず息を飲んで固まる横で、アメリアは全く気に留める様子もなく微笑む。
「まさか殿下自ら出迎えてくださるとは思いませんでしたわ」
それはもう、王都で見ていた「完璧な淑女」「王太子殿下の完璧な婚約者」の姿で、差し出された手に自然な仕草で自らの手を重ねてアメリアが先に馬車を降りる。
「アメリアが同行者だと聞いたのでな」
「女性同士の方が話がしやすいかと思いましたの。それに、私以外では無骨な辺境伯家の人間になりますので、聖女様を怖がらせて何かあっても困りますし」
にっこり、と釘を刺す。こちらに害意はない。この状況で何か起これば、全ては王家の責になると言っているのだ。
それが、ヴィクターたちが同行しなかった一番の理由だった。
何か起きても、辺境伯家側に非はない。
王家の領分で、令嬢と魔法も使えない人間2人を迎えて、その2人に危害を加えなければならないほどのどんな危険を感じるというのか。
挑発とも取れるそんな意図を察しているのかどうか。
王太子とはほとんど関わっていないから人となりも何もわからない。ただ、アメリアの様子を見るに分かっているのだろうな、とは思う。
王太子がこちらに手を差し伸べる前に、さっさと自分で馬車を降りる。
王太子がこちらの弱みをどれだけ知っているのかはわからない。ただ、手を触れたことで魔力を流されたら、身動きもできなくなるだろう。ヴィクターの魔力に慣れた体で、自前では魔力抵抗もない中、全く違う魔力を流されるのは血液型の違う血を輸血されるようなものなのだ、と、とりあえずはこれまで説明されたことから理解している。
少し目を見開いた王太子の手を離したアメリアが、小さく微笑む。
そのまま、アメリアと王太子が並んで歩く少し後ろをついていく。軽く振り返り、王太子が言葉をかけてくる。あの、城での出来事はなかったかのように。
「あなたは、聖女様と同郷とか?こちらの召喚の際に近くにおられたのでしょう?」
「さあ…」
首を傾げ、大きく開かれた玄関を通り抜けながら中の煌びやかさに少し目を細める。ごてごてした印象ではなく、落ち着いた贅沢さがさらに高級なものなのだろうと想像させる。そこもうっかり触ることも怖いな、と思いながら、言葉の続きを待っている様子の王太子に目を戻した。
途中まで竜に乗ってきたので、服装は軽装だけれどワンピースだ。パンツが良いと言ったが、それは止められた。この場に立てばわかる。場違い、なのだろう。最低限の礼儀もあるのだろうし。
「聖女様は先日お見かけしましたが、同郷ではないのではないでしょうか。わたしのいた国は、このように黒髪黒目なんです。この世界のように黒が魔力の強さを示しているわけではありません。魔法のない国なので。変わった髪色をされていましたが、同じ世界で他の国では黒髪黒目でない場所もありますが、あのような色を自然に持っている人はいないように思います。絶対、とは言い切れませんが」
「もともと知己の間柄かとも思ったが…」
そのような言い回しを彼女がしたのだろうか。
「わたしの顔見知りの中には思い当たりません。たまたま近くにいたとしても、あのような色をお持ちでしたら目を惹きますが、記憶にありません…こちらに来る中で何かのはずみで忘れてしまっているのかもしれませんが」
そうか、と呟くように応じた王太子が、不意に足を止める。
どうしたのだろう、とアメリアと2人で様子を見守ると、綺麗な所作で頭を下げられた。
あまりのことに驚いてアメリアを見てしまったが、アメリアも驚いた顔をしている。
「聖女様が何を話すのかはわたしも把握はしていない。それとは別に、あなたに謝罪する。あなたがこの世界に来た時の我々の行いは許されるないほどの身勝手なものだった」
すまない、とはっきりと言われ、拍子抜けする。
あの地下室に連れて行った人と同じ人とは思えない。誠実なしっかりとした人に見える。
アメリアに目を向けると、困ったような笑いを浮かべている。きっと、この姿はアメリアも知っている王太子の姿なんだろう。
「大丈夫です。…確かに、理不尽だと思いましたが。でも、辺境伯家の皆様をはじめ、いろいろな方のおかげで不自由なく過ごさせていただいています」
そうか、と応じた顔は、何かを飲み込んだようで、汲み取れていない何かがあるのかと探ろうとした。
けれど、そこまでだった。不意に頭上から声が降ってくる。
「殿下!まさか自らお出迎えに?」
弾んだ声。少し、この場にはそぐわない大きさの。
目を向ければ、階段を駆け降りてくる聖女様がこちらに笑顔を向けていた。
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