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しおりを挟む「音羽!!」
馬車に乗り込もうというところで、鋭い声で呼び止められた。
久しぶりに聞く響き。ほんの少し、やっぱり発音が違うのだ。
それでも、振り返って目にした姿は、見慣れない、知らない人。
ただ。
勢いよく駆け寄ってきた聖女が、近づいて発した声は、聞き覚えのある声だった。声色を作っていたのか、この一瞬、戻ったのかは分からない。
かつていた世界で、知っている声。懐かしさよりも、ぞわり、と嫌な気分になる。あまり、いい思い出がない。
こちらに顔を寄せ、他に聞こえないように。
いや、アメリアには聞こえているだろう。聞かせている、のかもしれない。
咄嗟に、アメリアとの間に体を割り込ませた。何をするか分からない。
自分の不利益になることはしないだろうけれど、この世界の何かを知っている彼女の中の理屈が分からない。実際、あの夜会では平気で、躊躇いもなくアメリアを傷つけようとした。
そんなわたしの動きも、また癇に障ったんだろう。
「なんの真似?」
「……」
だんまりね、と小さく吐き出すように言う姿は、誰からも愛される聖女の姿とは重ならない。
「王宮で贅沢な暮らしをさせてあげるって言っているのに、どういうつもり?」
どういうも何も…とため息を堪えながら、諦めて真っ直ぐに目を見据えた。
わたしに魅了をかけてくることは、ない。
いや、かけてくるかもしれない。それで思い通りにできるなら。その一言でこちらが自ら傷ついたり、人から避けられるようなことをしたり、そういうことをさせられるなら。
ただ、かからない自信があった。
だってその力は、タイちゃんのものだ。
「聖女様、わたしの名前を知ってくださっていたんですね」
白々しく、笑って見せる。
わたしはあなたを知らない。なぜ、知っているの、と暗に仄めかすように。
「お心遣いはありがたいです。ですが、わたしは聖女様と違って王宮でのお役目がありません。そこで生活するために費やされる様々なものはこの国の方々が日々働いて収められたお金などで成り立っていますが、それを受け取る立場にありません」
だから、聖女じゃない方を外に弾き飛ばしたのだ。
「王宮の贅沢をわたしは知りませんが、それを受けている聖女様はそれに見合うご苦労をされていることと思います。それに、辺境伯家でもわたしは過分の贅沢をさせていただいています。ようやく、少しずつ、辺境伯家でも役割をもらえるようになりました。それすらも、満足に1人ではできていません」
辺境伯家を出る、と先ほど伝えたが、それが彼女の頭の中に残っているか分からない。この言い回しが、辺境伯の領地にはいると教えているようなものだなと思うけれど、おそらく彼女なら、そう簡単にはそこに思い至らないだろう。
「同郷のあなたがそんな苦労をしているのが気の毒なのよ。だってあなた、魔法も使えないんでしょう?」
少し大きめの声は、追いついてきたものの、少し離れている王太子に聞こえるようにか。
魔法が使えない。
それは、この世界では本当に役立たずで。生きていくことだけでも大変で。
それを根気強く生かしてくれたのは、ヴィクターだ。辺境伯家の人たちだ。
「王宮の方が安全だわ。それに、王家から縁を切られたような令嬢が…」
流石に聞き捨てならない、と顔色が思わず変わってしまったのがわかる。
だが聞き捨てならなかったのは王太子にしても同じだったようで、大股に近づいてきた。
けれど、どちらよりも早く口を開いたのは、アメリアだった。
「殿下」
「…」
無言で、アメリアの言葉を待つ王太子に、静かな声でアメリアが告げる。
「魔法の扱い方をはじめ、訓練中のために起きた事故、ということで聖女様が精霊を消滅させた事故は確かに不問に付されましたわ。事故なら不問、というのも初耳ですが。ですが、それは忘れてしまうほど些細なことなのか、謝る必要のない、意図的なもので今もその必要があると思われているのかは存じませんが、聖女様はまず最初にあって然るべき謝罪を、トワにしておりません」
アメリアの怒りのそもそもがそこか、と背筋が伸びる。
その上で、あの言葉を聞いていたのであれば、黙っていられなくもなるだろう。
そして、と。
アメリアの声は一段と冷静になる分冷ややかさを増す。
「当家は、王家の守りの要と自負しております。王家からも信を得て、この辺境の守りを任され、それに見合う爵位も報酬もいただいていると思っておりましたが。王家がきちんと聖女様に教育をされた結果の只今の発言ということですね、殿下」
そこは、聞こえない位置にいたのでは、と思うが、王太子の顔は聞こえていたと言っているようなものだ。
苦々しげな顔で口を引き結んでいる。
「1人の客人も満足にもてなせないような経済力で、安心していることもできない程度の武門である、と」
さっと、聖女の顔色が変わった。
アメリアを敵に回すことは、おそらく最初からなんとも思っていなかっただろう。だからこその、あの夜会での行動だ。
ただ、辺境伯家は、そうではない。
そんな顔だ。
「それが王家のお考えということで、よろしいですか」
「待てアメリア」
名を呼ぶな、と言われたことは忘れたように王太子が口を開く。当たり前のように呼び名が出てくるほど長く、この2人は婚約していたのだろう。それは決して悪い関係ではなかったということでもあるように見える。
慕う、という感情はなくとも、一国を支える同志のような関係性はあったのだろうか。
「聖女様、今のお話は辺境伯家にもあまりにも失礼に当たります。そして、トワ嬢にもです」
王太子がわたしの名を口にした瞬間、聖女の顔が険しくなる。
そういえば、一度も名前を呼んでいるのを聞いたことがないな、とふと思った。誰もが「聖女」と呼ぶ。名前を知らないかのように。
名乗っていない、のかもしれないけれど。
嗜める口調の王太子に答えないのは、聞こえていなかったのであればアメリアの言いがかりだと言い張れるという心算か。
けれど、それを読んだようにアメリアがため息をつく。
「聖女様、殿下は風魔法がお得意です。あの距離でも、聖女様のお声は聞こえていらっしゃいますよ。聖女様が何か、嫌な思いをされないようにというお気遣いだったのでしょうが」
裏目に出ましたね、とまでは言わない。
今度こそ青ざめる聖女に今度こそ、アメリアが背を向け、先ほど乗り損ねた馬車に促される。
それでも、アメリアに先に乗ってもらった。
背中を見せた上に、アメリアが無防備になるのが怖い。王太子が近くにいる安心感があるのが不思議だった。あの時は、そう感じなかったのに。
「王家に見限られた身ですので、失礼致しますわ」
わかっていて、そう笑顔で告げるアメリアは、困るくらいに美しかった。
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