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第二章
7-2.鑑賞会
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「どこからがあなたの計画でしたか」
強制的に始まった鑑賞会。代わり映えのない映像。懐かしいはずの光景に、微塵も動かない心。
たとえどんな光景だろうと、進展がないまま何十分と過ぎれば飽きてくる。
それも、求めていたものと違うとくれば余計に。
進まない展開。終わらない時間。時折人物が入れ替わるぐらいで、何も面白いものはない。
取り戻したかったはずの平和。皆が望んでいる普遍。されど、もう手に入らない希望。
どれだけ眺めていようと無意味。……ゆえに、先に折れたのはクラロの方だった。
「計画って?」
互いに視線は絡まず、前を向いたまま。その質問を待っていたのだと、楽しげに聞こえる声はクラロの思い違いではないだろう。
「昇格試験のメイド」
口にしたのは単語だけでも、この男は理解できる。無駄な説明などいらない。
もう一ヶ月以上も前。あの日、唐突に話しかけてきた下級メイド。……正しくは、そう装った淫魔。
思い返しても言い訳は苦しく、演技だってあまりに下手。稀にいるゲテモノ食いと片付けてしまったが、今になってようやく辻褄が合う。
彼女もまた、この男が差し向けた余興だったのだろう。切っ掛けを得るための芝居。全てが、クラロとの遊びの延長。
いいや、あれも過程でしかない。そもそもの始まりは、クラロの意図せぬところから既に始まっていたのだから。
「メイド? ……そういえばいたね、そんなの」
白々しく笑う声は、映像の談笑に紛れて一部となる。
「むしろ計画外だったよ。まだ接触するつもりはなかったんだけど、横取りされる訳にもいかなかったから。君の違和感に気付くなんて、まだ有能な子もいたんだね」
今は相応しい場所に配属していると、笑う顔を見ることはなく。その真偽を確かめるつもりもなく。
「それよりも前だったと?」
「具体的に言うなら、君に個室を与えた頃からだよ。特定自体は時間もかからなかったし、当時は君の狙いもわかっていなかった。適当に泳がせて尻尾を掴むつもりだったんだけど……ほんと、何が起きるかわからないものだね」
談笑の声は、遠い世界のこと。クラロの唇はピクリとも動かず、瞳だって揺れることはない。
個室を与えられたのは、クラロがここに来て三ヶ月。
長くても二ヶ月と言われている洗い場で、他の仕事も兼任できるならばと。まとめ役の特権として与えられたはずの場所。
疑うことなく幸運で片付けて、対策できる環境に安堵して。……それも、最初からこの男の手の中だった。
自身に対する嘲笑すら浮かばない。
分かっていたことだ。どこにも逃げ場などないのだと。これまでも、そしてこれからも。クラロの行動に意味などないのだと。
「おかげで君も安心して対策できたし、僕も作戦を詰める時間ができた。彼女が接触したせいで少し狂ってしまったけど……まぁ、それを除けば概ね想定通りかな」
「獲物を前にして手を出さないことも?」
「言っただろう? 僕が欲しいのは君自身だよ、クラロ」
顔は互いに動かない。赤も、水色も交差することなく。それでも、その表情が容易に浮かぶのは、真実だからこそ。
映し出された光景の中、和やかな風景は一瞬にして崩れ落ち、村人たちが叫ぶ。恐怖に歪む顔、躓きながら逃げる者。悲鳴の中、聞こえる声は奴らが来たという嘆き。
クラロの記憶にも残っている。実際に見たのはこれが初めてでも、この悲鳴を、忘れたことはない。
されど、その唇が歪むのは憎悪でも恐怖でもなく、嗤いだ。
どれだけ残虐な光景でも、全て終わった出来事。対峙しなければならぬ相手は、かつての記憶ではなく、今もクラロに爪を立てんとする淫魔だけ。
「本気で奴隷と恋仲になるつもりですか」
「人間の中には、犬と結婚する者もいたって聞いたよ。獣相手でも唯一を捧げられるんだ、造形が似ている相手にだって不思議じゃない」
比較対象が獣である時点で、根本から間違っていると気付いているだろうか。気付いているからこそ、あえてクラロの神経を撫でつけてくるのか。
連れて行かれる少女の泣き声が煩わしく、耳にこびり付く不快さに顔を歪めることもできない。
その結婚したという変わり者は、よほどその犬を愛していたか、特殊な性癖を持っていたか。
少なくとも、この男がその変態よりもさらに可笑しいということは間違いない。
「あなた方の対象にモノが含まれているとは、存じませんでした」
「あはは。まぁ、それは僕らの性だからね。僕だって、他の奴隷を同じように扱おうとは思わないよ、クラロ」
モノ以下の扱いを強いて、道具として扱われることを喜ぶように躾け。淫魔の専属になったとしても、得られる平穏は仮初めだ。
専属になった人間は、奴隷同士の会話も、食事も、買い物も、催しも。制限の中とはいえ、まるで以前のように過ごすことが許される。
歌い、踊り、笑いあう普通の日常。普通に見せかけた平穏。
作り替えられていく平和。仮初めの権利。もはや、これが普通なのだと刷り込まれてしまった人間たち。奴隷という権利すら得られなかった果てがそこらに転がっていようと、誰も見向きしない。
いつかクラロが迎える結末。この語らいもまた、その過程でしかない。
「モノ扱いとは言うけど、最低限の権利は残してるつもりだよ。命に関わることは厳しく取り締まっているし、身体の損傷が伴う行為だって重罰だ。まぁ、それ以外に関しては適当に息抜きさせないと、僕らも楽しめなくなるから、全部ってわけにはいかないけど」
「壁に埋め込むのも、家具として使用するのも正統だと?」
「使い道は色々あったほうが便利だからね。……でも、僕は君を飾りたいわけじゃないし、ただ使いたいだけでもない。君だからこそ、こうして一緒にいたいんだ」
小さな息は、信じてもらえないことに対しての憂いか。
信じるもなにも、馬鹿馬鹿しいことだ。誰がこんな茶番に絆されるという。
信じると思っているのか? あるいは、信じようとさせているのか。
いいや、考えるまでもない。この一連だって、全てが遊びでしかない。
悩もうと、憤ろうと、何も変わりはしないのだ。
「だとしても、その感情は愛情ではなく支配欲からくるものだ。堕とせないと分かっている相手だからこそ、躍起になって欲しがる。あなたが真に求めているのは結果ではなく、その過程を得るだけの動機と理由だ」
抗って、抗って、抗い続けて。そうして、最後には諦めるとしても。彼らが求めているのは、その抵抗そのものだ。
従順なだけでは飽きてしまう。無抵抗なだけではつまらない。
無駄だと理解しながら足掻くその様こそが、彼らの求めているものなのだとクラロは知っている。
……知っていても抵抗を止めないのであれば、結局は同じこと。
「否定はしないけど、僕は君を支配したいわけじゃない」
「言い方が異なるだけで、同じことでしょう」
「諦めてほしいけど、君を壊したくはない。素直にはなってほしいけど、諦めてほしいわけじゃない」
矛盾していると指摘することさえ億劫で、目の前の光景に反応するだって面倒。
逃げたはずの村人が連れ戻されるのを眺めて、息さえも出ず。
「説明しようとすると難しいね。要するに、君にも僕を好きになってほしいってことなんだけど……」
「それこそ洗脳すればいいじゃありませんか。有効なのは実証済みでは」
「あんなの乱用したら精神がもたないだろう? 君が、君の意思で、僕と一緒にいることを望んでいるんだ」
未だ対抗策の練れていない精神支配。防衛本能でなければ解除されなかった洗脳。
魔術が発動したということは、逆に言えばクラロの精神が耐えられなかったことを示唆している。常用されれば、廃人は避けられないだろう。
だが、自らの意思でこの男のそばにいるなど。……それこそ、おかしくならなければ望むわけがない。
「なら、そう命令すればいい。俺は奴隷で、あなたは淫魔だ。モノが支配者に従うのは当然のことだろう」
「そういう遊びがしたいなら付き合うけど、ずっとは嫌かな。奴隷じゃなくて、恋人としてそばにいてほしいからね。……これじゃあ堂々めぐりだ」
『――クラロ!』
開いた口は、なんと怒鳴るはずだったか。狂っていると罵倒し、ありえないと否定し、この話を断ち切ろうとしたのか。
一瞬でも向けた視線が、名を呼ばれたことで弾かれ、前に戻る。
脳裏にこびり付いた声、何度も何度も繰り返してきた言葉。かつては友とも呼んだ姿。
悪夢の目覚め、そのきっかけとなる言葉は……されど、この時ばかりは終わることはなく。
眺めていたはずなのに認識していなかった風景、大きく映し出される青年の姿こそ朧だったのに、震え、搾り出す声はこんなにも馴染み深い。
『聖女の息子の名はっ……クラロです! 今は薪を取りに行ってここにはいない! 本当だ! だからっ……!』
懇願する男を咎める村人も、続く確認に否定することはない。俯き、目を合わせず。答えずとも、その態度こそが肯定であると。
当時のクラロでさえ理解できたなら……問いかける淫魔たちが、気づかないはずもない。
彼らが助かるためには仕方なかったこと。クラロ一人を差し出せば、世界こそ守れずとも自分たちの平穏は守れる。
そう信じなければ耐えられなかったことだって理解できる。
わかっている。仕方のなかったこと。誰だって自分の身が大切だ。誰もが脅威に立ち向かえるほど強くはない。
敵わない相手に逃げることも、命を乞うことも、責めることはできない。
でも、もし。クラロが隠れて見ていたことを知っていたなら。
あるいは村の外に出ず、あの場に共にいたのなら。何かが変わっていたのだろうか。
……それとも、変わっていたはずだと、願いたかったのか。
結局は見捨てられ、守られず。そして、守ることもできず。一人、クラロはここにいる。
逃げることもできず、立ち向かうこともできず。ただ待ち続けているのだ。
その終わりを、じっと。
「彼、肩身の狭い思いをしているみたいだね。……まぁ、今は元気にやっているみたいだけど」
絶望する者たちの嘆きが不自然に途切れ、世界は白から黒へと変わる。
蝋燭の火すら消されていたと気付いた時には、既に手遅れだった。
強制的に始まった鑑賞会。代わり映えのない映像。懐かしいはずの光景に、微塵も動かない心。
たとえどんな光景だろうと、進展がないまま何十分と過ぎれば飽きてくる。
それも、求めていたものと違うとくれば余計に。
進まない展開。終わらない時間。時折人物が入れ替わるぐらいで、何も面白いものはない。
取り戻したかったはずの平和。皆が望んでいる普遍。されど、もう手に入らない希望。
どれだけ眺めていようと無意味。……ゆえに、先に折れたのはクラロの方だった。
「計画って?」
互いに視線は絡まず、前を向いたまま。その質問を待っていたのだと、楽しげに聞こえる声はクラロの思い違いではないだろう。
「昇格試験のメイド」
口にしたのは単語だけでも、この男は理解できる。無駄な説明などいらない。
もう一ヶ月以上も前。あの日、唐突に話しかけてきた下級メイド。……正しくは、そう装った淫魔。
思い返しても言い訳は苦しく、演技だってあまりに下手。稀にいるゲテモノ食いと片付けてしまったが、今になってようやく辻褄が合う。
彼女もまた、この男が差し向けた余興だったのだろう。切っ掛けを得るための芝居。全てが、クラロとの遊びの延長。
いいや、あれも過程でしかない。そもそもの始まりは、クラロの意図せぬところから既に始まっていたのだから。
「メイド? ……そういえばいたね、そんなの」
白々しく笑う声は、映像の談笑に紛れて一部となる。
「むしろ計画外だったよ。まだ接触するつもりはなかったんだけど、横取りされる訳にもいかなかったから。君の違和感に気付くなんて、まだ有能な子もいたんだね」
今は相応しい場所に配属していると、笑う顔を見ることはなく。その真偽を確かめるつもりもなく。
「それよりも前だったと?」
「具体的に言うなら、君に個室を与えた頃からだよ。特定自体は時間もかからなかったし、当時は君の狙いもわかっていなかった。適当に泳がせて尻尾を掴むつもりだったんだけど……ほんと、何が起きるかわからないものだね」
談笑の声は、遠い世界のこと。クラロの唇はピクリとも動かず、瞳だって揺れることはない。
個室を与えられたのは、クラロがここに来て三ヶ月。
長くても二ヶ月と言われている洗い場で、他の仕事も兼任できるならばと。まとめ役の特権として与えられたはずの場所。
疑うことなく幸運で片付けて、対策できる環境に安堵して。……それも、最初からこの男の手の中だった。
自身に対する嘲笑すら浮かばない。
分かっていたことだ。どこにも逃げ場などないのだと。これまでも、そしてこれからも。クラロの行動に意味などないのだと。
「おかげで君も安心して対策できたし、僕も作戦を詰める時間ができた。彼女が接触したせいで少し狂ってしまったけど……まぁ、それを除けば概ね想定通りかな」
「獲物を前にして手を出さないことも?」
「言っただろう? 僕が欲しいのは君自身だよ、クラロ」
顔は互いに動かない。赤も、水色も交差することなく。それでも、その表情が容易に浮かぶのは、真実だからこそ。
映し出された光景の中、和やかな風景は一瞬にして崩れ落ち、村人たちが叫ぶ。恐怖に歪む顔、躓きながら逃げる者。悲鳴の中、聞こえる声は奴らが来たという嘆き。
クラロの記憶にも残っている。実際に見たのはこれが初めてでも、この悲鳴を、忘れたことはない。
されど、その唇が歪むのは憎悪でも恐怖でもなく、嗤いだ。
どれだけ残虐な光景でも、全て終わった出来事。対峙しなければならぬ相手は、かつての記憶ではなく、今もクラロに爪を立てんとする淫魔だけ。
「本気で奴隷と恋仲になるつもりですか」
「人間の中には、犬と結婚する者もいたって聞いたよ。獣相手でも唯一を捧げられるんだ、造形が似ている相手にだって不思議じゃない」
比較対象が獣である時点で、根本から間違っていると気付いているだろうか。気付いているからこそ、あえてクラロの神経を撫でつけてくるのか。
連れて行かれる少女の泣き声が煩わしく、耳にこびり付く不快さに顔を歪めることもできない。
その結婚したという変わり者は、よほどその犬を愛していたか、特殊な性癖を持っていたか。
少なくとも、この男がその変態よりもさらに可笑しいということは間違いない。
「あなた方の対象にモノが含まれているとは、存じませんでした」
「あはは。まぁ、それは僕らの性だからね。僕だって、他の奴隷を同じように扱おうとは思わないよ、クラロ」
モノ以下の扱いを強いて、道具として扱われることを喜ぶように躾け。淫魔の専属になったとしても、得られる平穏は仮初めだ。
専属になった人間は、奴隷同士の会話も、食事も、買い物も、催しも。制限の中とはいえ、まるで以前のように過ごすことが許される。
歌い、踊り、笑いあう普通の日常。普通に見せかけた平穏。
作り替えられていく平和。仮初めの権利。もはや、これが普通なのだと刷り込まれてしまった人間たち。奴隷という権利すら得られなかった果てがそこらに転がっていようと、誰も見向きしない。
いつかクラロが迎える結末。この語らいもまた、その過程でしかない。
「モノ扱いとは言うけど、最低限の権利は残してるつもりだよ。命に関わることは厳しく取り締まっているし、身体の損傷が伴う行為だって重罰だ。まぁ、それ以外に関しては適当に息抜きさせないと、僕らも楽しめなくなるから、全部ってわけにはいかないけど」
「壁に埋め込むのも、家具として使用するのも正統だと?」
「使い道は色々あったほうが便利だからね。……でも、僕は君を飾りたいわけじゃないし、ただ使いたいだけでもない。君だからこそ、こうして一緒にいたいんだ」
小さな息は、信じてもらえないことに対しての憂いか。
信じるもなにも、馬鹿馬鹿しいことだ。誰がこんな茶番に絆されるという。
信じると思っているのか? あるいは、信じようとさせているのか。
いいや、考えるまでもない。この一連だって、全てが遊びでしかない。
悩もうと、憤ろうと、何も変わりはしないのだ。
「だとしても、その感情は愛情ではなく支配欲からくるものだ。堕とせないと分かっている相手だからこそ、躍起になって欲しがる。あなたが真に求めているのは結果ではなく、その過程を得るだけの動機と理由だ」
抗って、抗って、抗い続けて。そうして、最後には諦めるとしても。彼らが求めているのは、その抵抗そのものだ。
従順なだけでは飽きてしまう。無抵抗なだけではつまらない。
無駄だと理解しながら足掻くその様こそが、彼らの求めているものなのだとクラロは知っている。
……知っていても抵抗を止めないのであれば、結局は同じこと。
「否定はしないけど、僕は君を支配したいわけじゃない」
「言い方が異なるだけで、同じことでしょう」
「諦めてほしいけど、君を壊したくはない。素直にはなってほしいけど、諦めてほしいわけじゃない」
矛盾していると指摘することさえ億劫で、目の前の光景に反応するだって面倒。
逃げたはずの村人が連れ戻されるのを眺めて、息さえも出ず。
「説明しようとすると難しいね。要するに、君にも僕を好きになってほしいってことなんだけど……」
「それこそ洗脳すればいいじゃありませんか。有効なのは実証済みでは」
「あんなの乱用したら精神がもたないだろう? 君が、君の意思で、僕と一緒にいることを望んでいるんだ」
未だ対抗策の練れていない精神支配。防衛本能でなければ解除されなかった洗脳。
魔術が発動したということは、逆に言えばクラロの精神が耐えられなかったことを示唆している。常用されれば、廃人は避けられないだろう。
だが、自らの意思でこの男のそばにいるなど。……それこそ、おかしくならなければ望むわけがない。
「なら、そう命令すればいい。俺は奴隷で、あなたは淫魔だ。モノが支配者に従うのは当然のことだろう」
「そういう遊びがしたいなら付き合うけど、ずっとは嫌かな。奴隷じゃなくて、恋人としてそばにいてほしいからね。……これじゃあ堂々めぐりだ」
『――クラロ!』
開いた口は、なんと怒鳴るはずだったか。狂っていると罵倒し、ありえないと否定し、この話を断ち切ろうとしたのか。
一瞬でも向けた視線が、名を呼ばれたことで弾かれ、前に戻る。
脳裏にこびり付いた声、何度も何度も繰り返してきた言葉。かつては友とも呼んだ姿。
悪夢の目覚め、そのきっかけとなる言葉は……されど、この時ばかりは終わることはなく。
眺めていたはずなのに認識していなかった風景、大きく映し出される青年の姿こそ朧だったのに、震え、搾り出す声はこんなにも馴染み深い。
『聖女の息子の名はっ……クラロです! 今は薪を取りに行ってここにはいない! 本当だ! だからっ……!』
懇願する男を咎める村人も、続く確認に否定することはない。俯き、目を合わせず。答えずとも、その態度こそが肯定であると。
当時のクラロでさえ理解できたなら……問いかける淫魔たちが、気づかないはずもない。
彼らが助かるためには仕方なかったこと。クラロ一人を差し出せば、世界こそ守れずとも自分たちの平穏は守れる。
そう信じなければ耐えられなかったことだって理解できる。
わかっている。仕方のなかったこと。誰だって自分の身が大切だ。誰もが脅威に立ち向かえるほど強くはない。
敵わない相手に逃げることも、命を乞うことも、責めることはできない。
でも、もし。クラロが隠れて見ていたことを知っていたなら。
あるいは村の外に出ず、あの場に共にいたのなら。何かが変わっていたのだろうか。
……それとも、変わっていたはずだと、願いたかったのか。
結局は見捨てられ、守られず。そして、守ることもできず。一人、クラロはここにいる。
逃げることもできず、立ち向かうこともできず。ただ待ち続けているのだ。
その終わりを、じっと。
「彼、肩身の狭い思いをしているみたいだね。……まぁ、今は元気にやっているみたいだけど」
絶望する者たちの嘆きが不自然に途切れ、世界は白から黒へと変わる。
蝋燭の火すら消されていたと気付いた時には、既に手遅れだった。
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