【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ

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第八話 診察

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 翡翠さんに連れられて理玖さんの店までやってきた。
 怪しげなお店が並ぶ雑居ビルの3階にあるが、その割には店内はすっきりしている。
 白を基調とした内装は清潔感があり、どこかの美容クリニックのようだ。

 翡翠さんは入ってすぐ側にある人のいない受付を素通りし、すぐ横にある診察室1と書かれた扉をノックもせずに開けた。
 扉の先には地面に転がっていた渚に声をかけたお人好しがいた。もらった名刺に書かれていた名前は確か蓮見蒼。てっきりホストだと思っていたがまさかDynamicsの専門家だったとは。
 出会った時はかっちりスーツを着こんでいたが、今は白衣をかぶっていて医者みたいだ。

「昨日ぶりだね、潮風くん。どうぞ座って」
「……あ、ありがとうございます」

 渚は偽名で呼ばれるのに慣れていないせいで、なんともぎこちない返答になってしまう。
 せめて潮風という偽名が渚自身でつけたものであったらまだマシだったろうに。
 恐る恐る椅子に座って蒼さんの様子を伺う。

 蒼さんは渚の様子を一切気にせずに話し出した。

「潮風くん昨日は大丈夫だった? オーナーに変なことされてない?」
「はい。特に何も」

 理玖さんに執拗に見られたり寝かされたりはあったが、わざわざ言う必要はないと判断した。
 言っても話をややこしくするだけだ。

「何かあったらすぐ連絡して。渡した名刺に連絡先は書いてたよね」
「はい」

 連絡する気は無いけれど、一応捨てずに置いてある。
 蒼さんだって、信頼できる相手とは言えない。お人好しのよくわからない人で、むしろちょっと怪しい。
 心配だと言いたげな顔も声も、演技かもしれない。
 専門家で渚のような人間の扱いに慣れていると尚更だ。

「心配だな……本当に何か困ったことがあったらすぐ! すぐに連絡して。絶対に助けに行くから」
「わかりました……」
「蒼。それくらいにしておけ。俺は寝てくるが、あまり入れ込むんじゃないぞ」
「わかってるよ」

 よくよく見てみると、翡翠さんの半ば閉じかけの目が少し潤んでいる。
 そう言えば渚を連れてくる途中でも時折欠伸を噛み殺していた。
 昨日夜更かしでもしたのだろう。本来なら今日は休日なはず。

 蒼さんから見ても眠そうに見えるらしく、こんな時間に寝ることを何も指摘せずに見送っていた。

「それで、俺の状態ってそんなにヤバいんですか?」
「collarを無理矢理外されたなら、本当に危険な状態だよ。ただ」
「見た目には現れていない、と」

 理玖さんも見る目が落ちたとかどうとか言っていた。
 渚自身に自覚症状がないのはもちろん、他者から見ても危険な状態に見えないのなら大丈夫ではないかと思う。

「まあオーナーさんが見ても気づかなかったのに僕が見てわかるはずないか。とりあえず色々聞くよー」

 Dynamicsがわかった時期とかこれまでの生活環境とか、事細かに聞かれた。
 必要なことは聞きつつ無闇に踏み込んでこないあたりはプロの仕事ということか。

「断定はできないけど、おおよそ推定できたよ」
「本当ですか」
「うん。君の場合はかなり特殊なケースだからね。オーナーが見誤ったのも納得だよ」
「オーナーさんはそんなにすごいんですか?」

 オーナーとして出会った時こそ威圧感とか風格とかそういった生まれつきのものを感じたけれど、今日一緒に買い物をした時の理玖さんはただのお兄さん、みたいな感じで別段特殊さは感じなかった。
 強いて言うなら、粘着質ってことくらいだろう。

「オーナーはね、Domとしての性質が強いんだ。Domとしての性質って色々あるんだけどオーナーさんは特にSubに対する庇護欲とか独占欲が強い。気に入った子を自分のテリトリーに囲い込んで自分のものにしようとする。まあ一言で言ったら途轍もなく重い」

 重い、というのは渚の身をもって知っている。
 わざわざ人を拾って家まで連れて帰り、身を清めて食事を与え、しまいには服やらなんやら大量に贈ってくるときた。こんなことをされては渚はたとえ逃げたいと思っても渚の中の良心がそれを許せなくなってしまう。本当に扱いが愛玩動物と同じだ。
 だが、その重さと理玖さんの凄さがどう繋がるのだろうか。

 蒼さんは渚の心の中を読んだかのように続きを語る。

「オーナーのSubに対する庇護欲がとっても強力なんだ。そのおかげでSub性をもつ人間の状態は結構わかるらしい」
「そんなのあるんですか?」
「僕も意味わかんないって感じなんだけど、でもあるみたい」
「なるほど」
「まあDynamicsに関してはまだわかってないことが多いからね。僕も専門家を名乗ってるけど、正直知識は足りてない。見つかったのが海外の方でね。そこが研究してる以外は全然調べられてない。DomとかSubとか翻訳までされずに使われてるってのが証拠かな」

 わかっていないことが多いなら、渚のような奇妙な状態も実は普通に起きることなのかもしれない。
 ……調査に協力すれば理玖さんの役に立てるだろうか。いや、理玖さんの性格的にあまり他者に調べさせることを許さなそうだ。

「こんにちはー」
「お、ご本人の登場だ」

 理玖さんが診察室へやってきた。
 さっきまでのラフな格好から一変してまた中華風のセットアップを着ている。
 オーナーさんって雰囲気だ。

「漸くいらっしゃいましたか」
「これでも急いできたよ。流石に休日に呼び出しちゃって申し訳ないと思ってるし」
「今度お昼奢ってくださいね」
「もちろん。翡翠くんと相談して好きなとこ選びな」

 理玖さんが隣の丸椅子へ座ったことを確認して診断結果が言い渡される。

「多分、今の君はDynamicsの影響をほぼ受けない状態になっている。例えば僕が命令しても効かない」
「そんなことできるわけが……」
「まあまあ試してみてよ。《立ち上がって》」

 いつもなら命令を受け身体が勝手に動こうとする。身体の制御が効かなくなり、自分が自分でなくなる恐ろしい体験がやってくる。
 しかし待てども待てどもあの嫌な感覚はやってこない。なんの抵抗もなく座り続けることができた。

「ほらね」
「こんなことがあるとはねえ」

 渚はもちろん理玖さんもこんな事例は見たことがないらしい。
 やっぱりこれは普通じゃない状態ってことだ。

「ただこれは良くない状態。Dynamicsの影響を無理に自分の中で封印してるから、いつ爆発するかわからない」
「爆発したら?」
「今度こそ死んでしまうよ。心に来るか身体に来るかはわからないけど、どちらでも大ダメージ。致命傷になるよ」

 死ぬのか。まだ18なのに、もう死ぬのか。
 Sub性なんて鬱陶しいものがあるせいで死ぬのか。
 すごく悔しい。
 Dynamicsなんていう意味のわからない体質に振り回されて生きて、振り回されたまま生きるなんて、最悪じゃないか。
 弱々しい自分が嫌でたまらない。
 思わず拳を握って手のひらに爪を食い込ませる。

「蒼くん。それどうにかならないの?」
「もちろん対処法も考えています。潮風くんがこうなってるのは無茶な命令に付き合わされたせいです。最低なDomに振り回されるうちに彼の命まで危なくなって、そうして防衛本能としてDynamicsの影響を封じたのでしょう」
「そんなこと可能なのか?」
「現に起こっているので、可能なのでしょう」

 防衛本能、と言われたらかなり納得だ。
 生命の危機を感じたのは一度や二度ではない。
 実際に病院へ行くような事態にこそなっていないが、何度も殺されそうだと思った。
 手が震え、腰が抜け、頭から血が抜けていくような感覚と共に倒れたときのことなんかは良く覚えている。
 あそこしか居場所がなかったから耐えてはいたが、本当に嫌な記憶だ。

 まあ封印されるキッカケとなった生命の危機はcollarを外されたことだろうが。

「一つ質問いい?」
「どうぞ」
「どうして蒼くんの命令は通じないのに僕の命令は通じたの?」

 言われてみれば、不思議だ。
 渚のDynamicsは封印されているならば理玖さんの命令だって効かないはずだ。
 それなのに理玖さんの命令は逆らえる気配もなく完璧に従わされた。

「そこがポイント。オーナーさんの命令が効くのは二人の相性がいいから」
「相性とかあるんですか」
「めちゃくちゃあるよ。相性が悪いとちょっと命令されただけで吐いちゃう子もいる。けれど相性がよければそれはもう幸せになれるよ」
「なるほど」
「二人は相性がいいみたいだから、たくさんオーナーに命令とご褒美をもらって。そうしたら自然とDynamicsの影響を受けても大丈夫なようになるから」

 相性か。偶然拾われただけの縁なのに相性が良かったのは幸運だ。
 渚は今まで貧乏くじばかり引いてきた気がするが、今回ばかりは大当たりだ。

「わかった。頑張ってみる。助かったよ蒼くん」
「いえいえ。今度のご飯、楽しみにしてますから。ただ次は出勤日にしてくださいね」
「もちろん」

 蒼さんが診察室の扉を開けてくれる。
 窓から受付へ夕陽が差し込んでいるのが見える。
 日が落ちるのが早くなったものだ。あっという間に暗くなる。

「潮風くんも無理はしないで。何かあったらいつでも連絡してね」
「わかりました」
「うん。じゃあお大事に」
「ありがとうございました」

 渚は理玖さんに腕を引かれて診察室を後にした。
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