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第6章
9話 驚天動地の事件発生 前編
しおりを挟む雑貨屋の店主から、思いもかけぬサプライズプレゼントをもらったニアージュは、アドラシオン共々店主に対して丁寧な礼を述べたのち、店を後にした。
その後も2人、街の目抜き通りを並んでそぞろ歩けば、通りかかる店の店主や店員達が、時折親し気に声をかけてくれる。
アドラシオンの傍らを歩くニアージュは、知らず笑みを浮かべていた。
こんな風に領民が自分達に目を向け、心を寄せてくれるのは、アドラシオンが領民達から慕われている、何よりの証左。アドラシオンが常日頃から領民達の暮らし向きに気を配り、善政を敷いているからこその反応だ。
以前から知ってはいたが、それでもこうして領民達の反応を見ていると、アドラシオンがいかに素晴らしい領主であるかが一層よく分かる。
邸の使用人や侍女達、アルマソンもまた、その事実をよくよく理解しているからこそ、アドラシオンの役に立てる事を喜びとし、アドラシオンの為、骨身を惜しまず働いているのだろう。
そしてニアージュもまた、正式な妻ではなくとも、大なり小なりその身を支える立場にある者として、とても嬉しく、誇らしい心持ちになる。
頭の片隅でついチラッと、契約妻としてお役御免になった後も、あの屋敷で旦那様の為に働けたらいいのになあ、などと思ってしまうくらいには。
(そんなの実際には、問題があり過ぎて無理なのは分かってるけどね。
――ま、今はそんな先の事にばっかり意識を向けてないで、今を楽しんで喜ぼう。これは今しか味わえない幸せなんだもの、スルーなんてしたらもったいないわ)
「? どうしたんだ? ニア。なんだか嬉しそうだな?」
「ふふっ。ええ、その通りです。私今、とても嬉しいんですよ。こうして一緒に街を歩いているお陰で、旦那様が立派な方だと、改めて実感できましたから」
「……! そ、そういう、ものなんだろうか」
「それは勿論。旦那様を大なり小なり支えている自負がある身として、これほどの自慢はありません。きっと邸のみんながこの場にいたなら、私達はこの方に仕えているんだぞって、鼻高々になったと思います。
やっぱり仕えている側からすれば、お仕えしている方が立派だというのは、とても誇らしい事ですからね。労働意欲もモリモリ湧くというものです」
「……その、褒めてもらえるのは嬉しいんだが、ほどほどにしてくれ、ニア。顔がだらしなく緩んで、元に戻らなくなる……」
さっきから思っていた事をそっくりそのまま口に出して伝えれば、アドラシオンは分かりやすく頬を赤らめ、右手で口元を覆って視線をさまよわせた。どうやら相当照れているらしい。
そんなアドラシオンに、ニアージュは「あら、大丈夫ですよ」と軽い口調で笑いかける。
「旦那様は内面だけじゃなく、御尊顔も素敵ですからね。ちょっとくらい緩んでいたって問題ありません。いつも通り素敵です」
「か、勘弁してくれ……」
アドラシオンはますます顔を赤くする。
ニアージュは、そんな所も可愛くて素敵だと思ったが、流石にそれは口に出さず飲み込んだ。
これ以上手放しに褒めそやし続けていると、アドラシオンに想いを寄せている事が、当の本人に筒抜けになってしまいそうな気がして。
それから偶然街中で、贔屓にしている服飾店の店主夫人とばったり顔を合わせたニアージュ達は、店主夫人が教えてくれた、小さなカフェテリアに入店し、マドレーヌを始めとした焼き菓子と共に、香り高いブレンドハーブティーを堪能した。
正直、最近腹周りが気にかかるので、あまり甘い物を口にするのは、と思いもしたが、やはり、目の前に美味しそうな焼き菓子を出されてしまうと、どうにも手を伸ばさずにはいられない。
己自身の哀しき甘い物好きの性に辟易しつつ、結局ニアージュはその後も、アーモンドクッキーと干し果の入ったパウンドケーキを追加注文してしまった。
断腸の思いではあるが、今日の夕飯はワインを控えめにして、デザートも引っ込めてもらわねばなるまい。
ワインはともかく、デザートを食べずに済ますのは、無理なような気もするけれど。
ニアージュとアドラシオンは、茶を飲んだカフェテリアから出て、再び街中をそぞろ歩く。
とはいえ、中天に座していた太陽も、西の方角へ動き始めている。
陽が傾く頃合いが近づいて来ているのでは、と思い至り、アドラシオンが懐から懐中時計を取り出して時刻を確認すると、案の定午後3時を過ぎていた。
これが邸からほど近い村などであれば、まだ少し歩き回る余裕があるのだが、ここから邸までは片道1時間以上かかる。残念だが、移動時間などを加味して考えれば、邸へ帰らねばならない時刻だ。
「――ニア、午後3時を過ぎた。よい品も購入できた事だし、そろそろ邸へ帰ろう」
「え、もうそんな時間になるんですか。楽しい時間って、あっという間に過ぎてしまうものですね」
「全くだ。……その、君さえよければ、また一緒にここへ来ないか?」
「いいんですか? じゃあ、今度時間に余裕ができた時は、ぜひともまたご一緒させて下さい。今日みたいに、あちこち見て回りましょう」
「……! あ、ああ! そうだな、またここへ来て、一緒にあちこち見て回ろう。――じゃあ、馬車の所まで戻ろうか」
アドラシオンがニアージュをエスコートすべく、右手を差し出したその時。
どこからか、男女入り交じった複数の悲鳴と共に、馬のいななきが聞こえてくる。
「……っ、なんだ今のは……!?」
「あの、旦那様。今、馬のいななきや悲鳴が聞こえてきたのって……私達が馬車を停めていた方角だったように思うんですが……」
「!! 急いで馬車へ戻ろう。ニア、走れるか?」
「勿論です! 今日は街歩きなのを見越して、ヒールの低い靴を選んで来ましたから!」
「そうか、それは準備がよかったな。――行こう!」
「はい!」
ニアージュとアドラシオンは、互いにうなづき合うと道を走り出した。
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