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リリスに抱かれて
中編
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二年前、このトリオのうち二人が結婚した。警官を除く二人だ。
彼らには共通点がいくつもあったので親しくなれたのだが、警官にだけは理解できない趣味が大きな隔たりとなっていた。
少女愛だった。
警官には、少女愛者である男女の結婚がなぜ成り立つのかわからなかったし、当時からリリスを好いていたために正直彼女たちの婚姻には不満だったが、友人同士の両想いに文句をつけるわけにもいかず、祝福したのである。そして実質、リリスら夫婦はうまくいっているようだった。
以後も、三人は今日のように会ってはいたし、ある意味でバランスは保たれていたのだ。
昨年の、最悪の形での会合が全てを破壊しなければ。
きっかけはその日、リリスが警察に不可解な通報をしてきたことだった。
それは夫婦喧嘩の末によるものらしく、「夫がある品物を隠し持っている」と彼女は告げてきた。なんでも、世界にひとつしかなく彼らだけが所有している、さる映画の一場面だという。
『思春の森』。
思春期の性を扱い、様々な話題を呼んだ伝説的な映画。特に十代前半の少女らが演じるセックスシーンは衝撃的で、リリスたち夫婦もこの作品の、特にシルヴィア役に惚れ込んでいた。
演じたのはエヴァ。幼女の頃から写真家である母親の作品でヌードを披露し、大人になってもモデルとして活躍し〝母を尊敬している〟としていたのが一転、近年〝無理矢理そういうことをさせられていた〟として母を訴え、自伝的な映画まで撮って話題になった女性だ。
ただ、その映画の一場面があったところで既存の流通しているものであればどうということはなかった。肖像権や著作権的な問題は別として。
だがその映画の一場面とやらが、本当に一般には知られておらず、彼女たちだけが所有しているようなものであれば、内容によっては持っているだけで捕まることもありえた。
あらゆる人権侵害の動画像を持っていたところで何ら特別な規定がなくとも、少女らが裸でいる動画や画像は、かつての美術品でも歴史的に貴重な資料でも本人が年老いて死ぬまで気に留めずとも、場合によっては所持しているだけで処罰するのが先進国の傾向だ。
リリスらと親しい警官個人はそんな決まり事を馬鹿馬鹿しいと思っていたので、彼女の訴えに応えたくはなかった。だいたいそのようなものがあるという話自体聞いたこともない怪しい主張で、彼の同僚もみな本気にしていなかったのだ。
ところがこのために、署長からは友達として行くついでに見てくるくらいでいいだろうと判断され、交友のある警官が出向く羽目になったのだった。
リリスの夫が郊外に建てさせたバロック建築の荘厳な居城は知っていたが、警官は彼女たちの愛の巣を眺めたくはなかったので、これまで一度として訪ねたことはなかった。
だから屋敷に入るなり、彼は驚嘆したのである。
エントランスは吹き抜けの二階を備えた広大な広間だった。
まるで舞踏会場。
入り口の大扉と相対する突き当りには上への階段があり、真っ直ぐ二階まで半分ほど登ると壁面に飾られたウィリアム・ブグローの『二人の姉妹』の前で踊り場を築き、壁沿いに左右に分かれて、上階の両端に着いたところで細いインナーバルコニーとなって内壁に沿いながらぐるりと中央の空間を囲っていた。
さらに、ホールが広いため壁に沿う程度のバルコニーからは望めないが、天井にはシルヴィアに似せた少女が微笑んでいるのだった。ヌードではなく着衣姿だったが、映画をモデルにしたものを大きく刻み込んである。
ドゥオモ美術館のクーポラのような迫力だが、全体を使っているわけでなく、ドゥオモの天井画の真ん中に設けられた窓から差し込む陽光のようだった。
とはいっても、それは広々とした一階と比較しての印象。少女の頃の等身大のエヴァそのままほどのサイズであり、彼女をボッテチェリのヴィーナスに見立てた絵画が周囲を彩っていた。広間の中央で寝そべれば、ちょうどエヴァと対面する形になる。
本来そこにありそうなシャンデリアは玉座を譲り、やや小振りな二つとなって彼女の両脇に吊り下がっていた。
だがしかし、そんな美を堪能する暇は警官にはなかった。
一階の隅にある扉を、狂ったようにリリスが叩いていたからだ。近付いてみると、「警察に電話しているうちに夫が閉じこもった」と訴えた。
示された部屋のドアは堅く閉ざされ、窓もカーテンで締め切られた上に何かで塞がれていたが、隙間から微かに窺えた暗い室内に、不意に走った稲光が不吉な影を浮かび上がらせた。
そのため近所の住人の協力を得た体当たりでようやく扉が破られ、やっと障害の原因が判明した。
扉や窓は、山ほど積まれた家具によって内側から押さえられていたのである。
降りだした雨音と落雷の光と音を背景に、リリスの夫は、部屋の奥で首を吊って死んでいた。
こうした摘発で自殺した人は過去何人もおり、最悪の結果になってしまったのだった。さらに事件には、いくつもの不可解な点が残されることとなった。
まず大方の予想通り、世界に一つしかない『思春の森』の幻の一場面など、リリスらの屋敷のどこにもなかった。どころか、少女に関するあらゆる美術品が収集されている中で、『思春の森』関係のものだけがなぜか全然なかったのだ。
天井のシルヴィアを除いては。
けれどもそれは幻でなく、映画を鑑賞すれば誰でも出会える着衣姿のシーンに過ぎなかった。
しかも後に肝心のリリスまでもが、通報の内容は夫婦喧嘩の末に怒りのあまり発作的についた嘘だと証言したのである。すると彼女の夫がなぜ死んだのかがわからなくなるが、部屋は密室であったし、検死の結果もおかしなところはなかったので、彼も喧嘩の末に発作的な自殺をしたものとして処理された。
事件との関連が不明ながら不自然な点としては、故人も利用した家具くらいだった。
これは存在しないはずの幻の一場面とやらをいちおう探した際に明らかとなったのだが、屋敷にはやたらと家具が多かったのだ。小さくて運びやすいものが目立ったが、積み上げればかなりの障害になるものだ。それもどういうわけか同じ商品が複数あったり、中身が空のものが大半で、一階にだけたくさんあるのだった。
いずれにせよ、この事件で警官の親友は失われリリスも深い哀惜に沈み、それから一年もの間、彼女との交流は途絶えてしまっていたのだ。
それなのにこの日になって突然、リリスは警官のもとに電話をよこし、こうして会おうと誘ったのである。
表向きには、様々な問題によってあの屋敷を取り壊すことにしたための報告、としていたが。
彼らには共通点がいくつもあったので親しくなれたのだが、警官にだけは理解できない趣味が大きな隔たりとなっていた。
少女愛だった。
警官には、少女愛者である男女の結婚がなぜ成り立つのかわからなかったし、当時からリリスを好いていたために正直彼女たちの婚姻には不満だったが、友人同士の両想いに文句をつけるわけにもいかず、祝福したのである。そして実質、リリスら夫婦はうまくいっているようだった。
以後も、三人は今日のように会ってはいたし、ある意味でバランスは保たれていたのだ。
昨年の、最悪の形での会合が全てを破壊しなければ。
きっかけはその日、リリスが警察に不可解な通報をしてきたことだった。
それは夫婦喧嘩の末によるものらしく、「夫がある品物を隠し持っている」と彼女は告げてきた。なんでも、世界にひとつしかなく彼らだけが所有している、さる映画の一場面だという。
『思春の森』。
思春期の性を扱い、様々な話題を呼んだ伝説的な映画。特に十代前半の少女らが演じるセックスシーンは衝撃的で、リリスたち夫婦もこの作品の、特にシルヴィア役に惚れ込んでいた。
演じたのはエヴァ。幼女の頃から写真家である母親の作品でヌードを披露し、大人になってもモデルとして活躍し〝母を尊敬している〟としていたのが一転、近年〝無理矢理そういうことをさせられていた〟として母を訴え、自伝的な映画まで撮って話題になった女性だ。
ただ、その映画の一場面があったところで既存の流通しているものであればどうということはなかった。肖像権や著作権的な問題は別として。
だがその映画の一場面とやらが、本当に一般には知られておらず、彼女たちだけが所有しているようなものであれば、内容によっては持っているだけで捕まることもありえた。
あらゆる人権侵害の動画像を持っていたところで何ら特別な規定がなくとも、少女らが裸でいる動画や画像は、かつての美術品でも歴史的に貴重な資料でも本人が年老いて死ぬまで気に留めずとも、場合によっては所持しているだけで処罰するのが先進国の傾向だ。
リリスらと親しい警官個人はそんな決まり事を馬鹿馬鹿しいと思っていたので、彼女の訴えに応えたくはなかった。だいたいそのようなものがあるという話自体聞いたこともない怪しい主張で、彼の同僚もみな本気にしていなかったのだ。
ところがこのために、署長からは友達として行くついでに見てくるくらいでいいだろうと判断され、交友のある警官が出向く羽目になったのだった。
リリスの夫が郊外に建てさせたバロック建築の荘厳な居城は知っていたが、警官は彼女たちの愛の巣を眺めたくはなかったので、これまで一度として訪ねたことはなかった。
だから屋敷に入るなり、彼は驚嘆したのである。
エントランスは吹き抜けの二階を備えた広大な広間だった。
まるで舞踏会場。
入り口の大扉と相対する突き当りには上への階段があり、真っ直ぐ二階まで半分ほど登ると壁面に飾られたウィリアム・ブグローの『二人の姉妹』の前で踊り場を築き、壁沿いに左右に分かれて、上階の両端に着いたところで細いインナーバルコニーとなって内壁に沿いながらぐるりと中央の空間を囲っていた。
さらに、ホールが広いため壁に沿う程度のバルコニーからは望めないが、天井にはシルヴィアに似せた少女が微笑んでいるのだった。ヌードではなく着衣姿だったが、映画をモデルにしたものを大きく刻み込んである。
ドゥオモ美術館のクーポラのような迫力だが、全体を使っているわけでなく、ドゥオモの天井画の真ん中に設けられた窓から差し込む陽光のようだった。
とはいっても、それは広々とした一階と比較しての印象。少女の頃の等身大のエヴァそのままほどのサイズであり、彼女をボッテチェリのヴィーナスに見立てた絵画が周囲を彩っていた。広間の中央で寝そべれば、ちょうどエヴァと対面する形になる。
本来そこにありそうなシャンデリアは玉座を譲り、やや小振りな二つとなって彼女の両脇に吊り下がっていた。
だがしかし、そんな美を堪能する暇は警官にはなかった。
一階の隅にある扉を、狂ったようにリリスが叩いていたからだ。近付いてみると、「警察に電話しているうちに夫が閉じこもった」と訴えた。
示された部屋のドアは堅く閉ざされ、窓もカーテンで締め切られた上に何かで塞がれていたが、隙間から微かに窺えた暗い室内に、不意に走った稲光が不吉な影を浮かび上がらせた。
そのため近所の住人の協力を得た体当たりでようやく扉が破られ、やっと障害の原因が判明した。
扉や窓は、山ほど積まれた家具によって内側から押さえられていたのである。
降りだした雨音と落雷の光と音を背景に、リリスの夫は、部屋の奥で首を吊って死んでいた。
こうした摘発で自殺した人は過去何人もおり、最悪の結果になってしまったのだった。さらに事件には、いくつもの不可解な点が残されることとなった。
まず大方の予想通り、世界に一つしかない『思春の森』の幻の一場面など、リリスらの屋敷のどこにもなかった。どころか、少女に関するあらゆる美術品が収集されている中で、『思春の森』関係のものだけがなぜか全然なかったのだ。
天井のシルヴィアを除いては。
けれどもそれは幻でなく、映画を鑑賞すれば誰でも出会える着衣姿のシーンに過ぎなかった。
しかも後に肝心のリリスまでもが、通報の内容は夫婦喧嘩の末に怒りのあまり発作的についた嘘だと証言したのである。すると彼女の夫がなぜ死んだのかがわからなくなるが、部屋は密室であったし、検死の結果もおかしなところはなかったので、彼も喧嘩の末に発作的な自殺をしたものとして処理された。
事件との関連が不明ながら不自然な点としては、故人も利用した家具くらいだった。
これは存在しないはずの幻の一場面とやらをいちおう探した際に明らかとなったのだが、屋敷にはやたらと家具が多かったのだ。小さくて運びやすいものが目立ったが、積み上げればかなりの障害になるものだ。それもどういうわけか同じ商品が複数あったり、中身が空のものが大半で、一階にだけたくさんあるのだった。
いずれにせよ、この事件で警官の親友は失われリリスも深い哀惜に沈み、それから一年もの間、彼女との交流は途絶えてしまっていたのだ。
それなのにこの日になって突然、リリスは警官のもとに電話をよこし、こうして会おうと誘ったのである。
表向きには、様々な問題によってあの屋敷を取り壊すことにしたための報告、としていたが。
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