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懐かしのヴィルヘルム

見習い料理人と氷の騎士

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 ゴロゴロゴロ……。
 かぽっかぽっ。
 何事もなかったように馬車がゆっくりした速度で街道を往く。
 そして、そんな馬車の隣──
 そこには目も見えぬほど、パンパンに顔を腫らしたアクアがいた。
 アクアはガシャンガシャンと鎧を鳴らしながら、馬車と並行して歩いている。


「いやあ、本当にお久しぶりです、ガレイトさん」

「おまえも……変わりないようだな」


 ヌッと馬車から顔を出し、アクアの顔を見るガレイト。


「ははぁ……、そのムカつく顔を見るのも久しぶりです」

「そうか。……ただ、ずっとここに滞在する予定はない。用が済めば、すぐに帰る」

「いえいえ、お気になさらないでください。少なくとも僕は、ガレイトさんを歓迎しているつもりです」

「それはよかった」

「ええ、はい。……ですが、なんでガレイトさんの顔って、こんなイライラするんですかね?」

「さあな。俺に訊くな」

「……まったく、いつになったら野垂れ死んでくれるのやら……」

「そのように、他人任せにしている時点で、俺は殺せんぞ、アクア」

「ああっ!?」


 びしっ。
 アクアがあまり開けない目をめいいっぱい開き、ガレイトを指さす。


「いいっすね! すっげえ、イラつきます、それ! クラクラしてきましたよ!」


 そう言って、ケタケタと笑うアクア。


「……言っておくが、謝らんからな」

「なに言ってんですか。問答無用で、魔法まで使って斬りかかった俺が全面的に悪いんすから。むしろ、再起不能にされなかっただけ、マシです」

「そうか。ならいい」


 素っ気なく返事をするガレイト。


「それよりも、お客様がいるのなら先に言っておいてくださいよ~」

「なに?」

「それならいきなり攻撃しなかったのに」

「……あのな、俺がひとりでこんな馬車に乗ると思うか?」

「え? 思いませんが?」

「──確信犯ですよ、こいつ」


 ひょこ。
 イルザードもガレイトと同じように、馬車から顔を覗かせる。


「おや、イルザードさんじゃないですか。どちらへ行ってたんですか」

「散歩だ」

「……ビキニ姿で?」

「この格好だと、散歩してはダメなのか」

「いえいえ、ですが……なるほど。わかりました。散歩なら、グランティまで行っても仕方がないですよね」

「おまえ……なぜそれを……」

「え? 本当に行ってたんです? グランティ?」

「……チッ」


 イルザードが舌打ちをする。


「それよりも、だ」

「はい?」

「ガレイトさんを見た瞬間、攻撃を加えるのはやめろ」

「え~、なんでですか?」

「理由を言わねばわからんのか、貴様は」


 イルザードが威嚇するように、声を低くして言う。


「──ハッ! ……すみません。イルザードさんの殺気が凄すぎて、気絶してました」


 アクアが再び軽口をたたく。
 そして、沈黙。
 ピリピリとした空気がその場を支配する。
 やがて──


「やめろイルザード。アクアも挑発するな」

「……すみません」
「……ごめんなさい」

「ああ、それとアクア。ちょっといいか……」


 ガレイトがそう言って、アクアを指さす。


「はい、なんでしょう。ガレイトさ──」

「もう一度、この三人を巻き込んだら殺すからな」


 たらー……。
 アクアの額から顎にかけて、一筋の冷汗が流れる。
 アクアはそれ以上何も言わなくなると、一度、唾をごくりと飲み込んだ。


「あ、あの、がれいと殿……」


 馬車の中、サキガケが遠慮がちに声をあげる。


「その方は……?」

「ああ、そうでした。すみません。……おい、アクア。自己紹介をしろ」

「ええ? ここでですか?」

「おまえのためにわざわざ馬車を止めると思うか?」


 アクアは「はぁ」とため息をつくと、歩きながら胸に手をあてた。


「──聞こえていますか、馬車の中の麗しの君」

「あー……えと、拙者のことでござるか?」

「僕はアクア。アクア・パッツァと申し──あいたっ!?」


 ガレイトが腕を伸ばし、アクアの頭を叩く。


「なにするんですか。舌噛んだらどうするんですか。ぶっ飛ばしますよ」

本名・・だ。偽名・・を使うな」

「……はあ? それは……ダメでしょう」


 ここでアクアははじめて狼狽える。


「本名……にござるか」

「ええ、じつはこいつ、アクアと名乗ってはいますが……偽名なのです」

「なんでそんな……」

「ガレイトさん、本当に言うつもりですか?」

「当たり前だ。散々迷惑をかけておいて、挙句、偽名を伝えるつもりか? 失礼なのは顔だけにしておけよ、アクア・・・

「この顔はてめぇが……! ……というか、それとこれとは別じゃないですか?」

「ふん、そんなことを言っている場合か……」


 イルザードが口を開く。


「いいか、サキガケ殿は波浪輪悪ハローワークの職員だ」

「おや、ギルドの……」

「つまり、ヴィルヘルムが国を挙げて協力している、定例会に参加するゲスト。国賓だ。そんな人に幻覚魔法ヴィジョンをかけたと知られれば、ヴィルヘルムの信用問題にかかわるわけだが……おまえは、これをどう補填するつもりだ? 王子様・・・よ」

「お……王子様?」


 サキガケとブリギットが馬車内で声をあげる。


「な~んでいきなりバラすかな……」

「わるいな、王子様。口がすべってしまった」

「……ソアマァ……!」


 アクアは笑ったまま、こぶしをギリギリと強く握っている。


「え、ええっと……話を聞くに、あくあ殿はびるへるむの王子様……ということでよかったでござるか?」

「……いいえ、僕はこの国の王子ではありません」

「え?」

「──が、その前に、いまからする話は他言無用でお願いします」

「し、承知したでござる……」

「では、改めて自己紹介を……僕の本当の名はヴァシルト。ヴァシルト・ミラズールです」

「ばしると・みらずぅる……殿。なるほど。……ん? その名前、なんか最近、聞いた気が……」

「あれ……? ミラズールってたしか……」


 ブリギットが呟くと、ガレイトがコクリとうなずいた。


「はい。俺たちは、そこの国境を通ってきましたね」

「え? では、ばしると殿は、隣国みらずぅるの王子様でござるか?」


 今度はサキガケが馬車から顔を出す。


「ああ、はじめまして。そのお顔立ちはもしかして、東方の……?」

「え? ああ、はじめましてでござる。拙者、千都出身のさきがけと申す者で──」

さん」

「ニン」

「ニン……」

「……そ、それで、なぜ隣国の王子様が、びるへるむで隊長を──」

「……美しい」

「は?」


 アクアはそう言うと馬車の縁に飛び乗り、サキガケの手を取り──
 チュッ。
 軽く手の甲に口づけをした。
「はわわ……」
 それを座席に座って見ていたブリギットが、小さい声でつぶやく。


「なんて……美しいお方だ」

「な、なな、なにすんねん! あんた!?」

「おや……方言も、また心地いい響きですね。まるで天女の歌声のよう……」

「て、て、て……!?」

「まずは謝罪を」

「ああ!?」

「まさか、このガレイトゴリラのお連れ様が、こんなにも美しい方だったとは……それを知っていれば、あんな下品な技ヴィジョンなど使わなかったのに……ああ、許してください、魁さん」

「あ、頭おかしいんか、この人……!?」


 助けを求めるように、ガレイトとイルザードを見るが──


「……はい」


 アクアが臆面もなく答える。


「はい!?」

「貴女ほど美しい方を前にすれば、頭も狂ってしまうでしょう。……貴女はさながら、天上より現われ出でた女神様。僕はさしずめ、それに魅入られた哀れな──んブッ!?」


 ガレイトのこぶしがアクアの顔面にめり込む。
 アクアはそのまま馬車からはじき出されると──
 ガシャアン!
 背中から地面に叩きつけられた。


「サキガケさんが困っているだろ。やめろ」

「……悪いな、サキガケ殿。ウチの馬鹿が」

「な、なんなん、あの人……!? 信っじられへん! 都会の人ってみんなこうなん!?」


 顔を真っ赤にして、自身の手の甲をこするサキガケ。


「いや、あの男が特殊なだけだ」

「いやあ、申し訳ない。まさか、ここまで奥手な方だとは思っていませんでした……! ますます惚れてしまいそうだ……!」


 パンパンに腫れた顔。
 そして、鼻腔からは鼻血。
 さきほどまでの美青年は、もう、ここにはいない。
 そんなアクアが、ガシャンガシャンと鎧を鳴らしながら、馬車と並走している。


「魁さん、貴女を困らせるつもりはなかったのです。僕を信じてください」

「そういうのはいいから、それよりも、なぜ隣国の馬鹿王子が騎士をやっているか言え」


 イルザードが面倒くさそうに言う。


「ああ、スパイです、スパイ」
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