猫に生まれ変わったら憧れの上司に飼われることになりました

西羽咲 花月

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翌日目を覚ましたとき尚美はまだ健一の腕の中にいた。

一瞬自分が猫になっていることを忘れて悲鳴をあげたけれど、喉から出てきた「ミャア!」という言葉に、昨日のできごとをすべて思い出していた。

ど、どうしよう。
あれは全部現実だったんだ……。

まだ眠っている健一の横で絶望的な気分になる。
交通事故に遭っただけならまだしも、猫になっただなんて。

言葉も通じないから誰にも相談できないし、唯一助けてくれた人はまだ眠っている。

このまま猫で居続けることになるんだろうか?
死ぬまでずっと?

そう考えるとゾッとする。


大好きだったビスケットもケーキもチョコレートもスナック菓子も、あれもこれも食べられないなんて!!

尚美の絶望はお菓子を食べられなくなったところにあるみたいだ。
なんて冗談はさておいて、本当にこのままでは困る。

仕事だって残っているし、なによりも猫として一生過ごすなんてどうすればいいか皆目検討もつかない。

このまま健一に飼われているわけにもいかないし……。
そんなことを1人思案していると、健一の長いまつげが揺れた。

ハッとして視線を向けると寝起きの健一が薄目を開けてこちらを見ている。
なんだか色気を感じる視線に尚美はたじろぐ。

悪いことはしていないはずなのに、なんとなく寝起きを見てしまったことへの罪悪感が胸をよぎった。


バツが悪くてベッドから飛び降りて逃げようと思ったところ、布団の中から伸びてきた両手に捕まって逆に引き寄せられてしまう。

尚美が驚いて「ミャアミャア」騒いでいると、頭を優しく撫でられてなんとなく落ち着かされてしまった。

健一の鼻先が尚美の目の前にあり、心臓がドクドクと跳ねる。

健一が呼吸をふるたびに尚美の前髪付近の毛がサラサラ揺れた。

「ミーコは暖かくて気持ちがいいな」
そうつぶやいて頬をよせてくる健一。

体をしっかりと抱きしめられている尚美はそれをまるごと受け入れる他ない。

抵抗を試みても勝てるほどの力もない。

頬をグリグリと痛いくらいに押し付けられて、それでも飽き足らずに尚美の体を撫で回してくる。


背中や頭はまだしも、健一の指先はときに危うい部分にまで伸びてきて、尚美は何度も体をビクリとはねさせた。

早朝からこんなの刺激的すぎる!!

もちろん健一にそんな気はないのだけれど、こちらとしては心臓がもたない。

恥ずかしさで沸騰してしまいそうになったとき、ようやく健一の手から開放された。

ホッとしてベッドから飛び降りたのもつかの間、健一はそのまま着替えを開始したのだ。

突然目の前でパジャマを脱ぎ始めた健一に尚美は咄嗟に両手で顔を覆う。

が、猫の手ではやっぱりうまくいかない。
どうしても隙間ができてしまい、隙間ができればそこから覗いてみたくなってしまう。

健一の体は見た目よりも筋肉質で腹筋が割れていることに気がついた。

な、なにあのエロい体は……!!

今まで男性経験ゼロというわけではない尚美だけれど、ここまで出来上がった肉体美を見たことはなかった。

心臓は今にも破裂してしまいそうなくらい高鳴っている。
こ、このままじゃ気絶しちゃう!

健一のフェロモンから逃げるように、尚美は寝室を飛び出したのだった。


☆☆☆

寝室のドアが少しだけ開いていてよかった。

あのまま健一の着替えを見ていると、間違いないなく鼻血を出して倒れていた。

リビングへやってきた尚美はひとまずホッと胸をなでおろした。
それから改めてリビングダイニグを眺めてみて目を丸くする。

今自分が小さくなっていることを考慮してもとてつもない広さだ。
さすが関さん……。

優秀とは聞いていたけれど、こんな豪華なマンションに1人で暮らせるほどとは思っていなかった。

尚美はついつい珍しげに室内を歩きまわってあちこち確認してしまう。
ひとり暮らし……だよね?


みたところ誰かと同居しているような形跡はない。
ベッドは大きくて広かったけれど枕もクッションも1人分だけだった。

ためしに食器棚へ近づいてみるけれど、これは背が高くて中を確認することができない。

だけどそのサイズはコンパクトで、いかにも一人暮らし向けといった感じだ。

2人分の食器が入らないこともないだろうけれど、きっと大丈夫。

どこの部屋にも観葉植物が多いので、緑が好きなんだろう。

今まで知らなかった健一の顔を見ることができて、尚美の心は踊ってゆく。

こうして猫になることができたからこその特権だと思って、思う存分楽しもう。

「ミーコ、お腹へっただろ。今朝ごはんを準備してやるからな」

後ろからそんな声が聞こえてきて振り向くと、ジーンズとTシャツというラフな恰好の健一が立っていた。
健一の私服姿を見るのもこれが初めてだ。


シンプルだからこそ、健一の元々の良さが際立っているように見えた。

内心ドキドキしている尚美に気がつくことなく、健一はそのまま冷蔵庫へ向かうとミルクと取り出して耐熱皿に入れた。

「温まるまで少し待つんだぞ」

まるで子供に教えるようにレンジについて教えてくる健一に今度は胸の奥がキュンッとする。

動物に話し掛ける人は沢山いるけれど、こんなかわいい一面を持っているのだと初めて知った。

それこそ健一の猫なで声なんて、きっと他の誰も聞いたことがないだろうと思う。

ミルクが温められている間に健一は霧吹きで観葉植物たちひとつひとつに水をやりはじめた。 

サッパリした部屋の中で観葉植物たちものびのびと育っているみたいだ。

そうこうしている間にミルクが温まって、健一が小皿にそれを移してくれた。


昨日は哺乳瓶だったから今日もそうなのかと思ったけれど、尚美がひとりでもミルクを飲むことができると判断したみたいだ。

「はい、どうぞ」
出されたミルクに鼻を近づけてクンクン匂いをかぐ。

そんなことしなくてもミルクだとわかっているのに、なぜかせずにはいられない。

そういえば動画とかで見た猫や他の動物たちも、こういう仕草をよくしていたっけ。

そして甘い匂いを確認してから、恐る恐る舌を出した。

熱いものは得意だし、アツアツになるまで温めてはいないはずなのに、思わず舌を引っ込めてしまった。

なにこれ、熱い!!
目を白黒させて健一を見上げて「ミャア」と、声を漏らす。

「まだ熱かったのかな? ごめんよ」

そう言ってミルクにふーふーと息を吹きかけて冷まし始めた。


これくらいの熱さでも食べられないなんて、猫舌って不便!

と、驚愕を受けつつも健一が目の前でふーふーしてくれている姿にまたドキドキしてきてしまう。

「はい、これでどう?」

自分が食べる物を健一が息を吹きかけて冷ましてくれるなんて、こんな世界あるわけない。

猫ならではの特権が多すぎて頭がクラクラする。

それでもどうにか理性を保ちつつ、もう1度ミルクに口をつけた。
今度は熱すぎなくていい温度だ。

一口食べるとどんどん食欲が湧いてきてあっという間にミルクを飲み干してしまった。

それどころかまだないだろうかとクンクン匂いを嗅いで探してしまう。

あぁ、私ったらみっともない。


なくなったことくらい見ればわかるのに確認せずにはいられないなんて!
恥ずかしくて顔をうつむけたくなったとき、健一がまた冷蔵庫を開けた。

もしかしておかわり!?
と思って飛んで行ってみるとバターを取り出したところだった。

これからトーストを焼いて食べるようで、いつの間にかキッチンにはコーヒーの匂いもただよっている。

人間だったころはコーヒーの匂いが好きだったけれど、今はなんだか……変な匂いに感じるかもしれない。

あまり強い匂いは苦手になってしまったようで、尚美はすぐにリビングスペースへと逃げていった。

テーブルの下で丸まって待っていると20分ほどで朝食を終えた健一が「なにしてるの?」と、テーブルの下を覗き込んできた。


その口元にトーストのかけらがついているのが見えて尚美はテーブルの下から這い出した。

トースト、付いてるよ。
と教えてあげたいけれど、もちろん「ミャア」としか話せない。

どうやって教えてかと思ったとき抱き上げられて、食べたばかりの朝食の美味しそうな匂いが尚美の鼻を刺激した。

……そんなつもりはなかった。
ただ健一の口から匂いがしてきていて、つい匂いを嗅いでしまって。

そしたらトーストのかけらが視界に入ってきて……思わず、舌を出してそれを舐め取っていたのだ。

健一の口元をペロリとなめてしまってからハッと気がついた。
私、今なんでことを!?


自分の舌先は少しだけ健一の唇に触れてしまったかもしれない。
突然こんなことをするなんて、きっと嫌われちゃう……!

「食べかすを取ってくれたのか? ありがとう」
え?

健一の予想外の言葉に尚美はキョトンとする。
キョトンとしたままの尚美に頬ずりする健一。

今の行為って、許されることなの?
人間なら絶対に許されない行為だったと思う。

だって今のはほとんど無断でのキスだった。
それでも健一は嬉しそうに微笑んでいる。


それが信じられなくて尚美はしばらくの間放心状態になってしまったくらいだ。

それから朝のニュース番組を見た健一は尚美を連れて近くのペットショップへ向かうことになった。

「猫用のフードにトイレにおもちゃに。買うものが沢山あるなぁ」
指折り数えながらも健一の頬はずっと緩んでいる。

ミーコのために買い物することがよほど嬉しいみたいだ。
「車に乗っている間はおとなしくするんだぞ?」

そう言われて尚美は助手席に座ることになった。
ペット用ののケージはないからそのままお座りすることになる。


これじゃシートベルトもつけれないけれど、とにかくおとなしくしているしかなさそうだ。

それにしても……こんなことになって健一の運転する車に乗ることができるなんて。

真剣な顔で運転する健一を横目でチラリと見る。
会社の女性社員たちが見たらこぞって黄色い悲鳴を上げそうなビジュアルだ。

ミーコを助手席に座らせているからか、健一の運転はとても静かで尚美もほとんど体勢を崩すことなく目的地に到着していた。

「到着したぞ」
そこは尚美も知っている大きなペットショップだった。

動物を買っていない尚美には関係のない場所だったけれど、こんな風にお世話になる日がくるなんて思ってもいなかった。

健一はミーコをカートの上に乗せるとそこ横にかごも置いて店内へと入っていった。
ちゃんと、動物が座れる場所がカート内に設置されているタイプだ。


店内には明るいBGMがかかっていて、店員たちから「いらっしゃいませー」と、これまた明るい声が聞こえてくる。

飼育道具や餌などが置かれている奥から動物たちの鳴き声が聞こえてきていた。
いろいろなものがあるなぁ。

と、カートの中から物珍しげに店内の様子を見ている間にも、健一は次から次へとカートの下に商品を置いていく。

猫用のトイレに砂に餌におやつ。
おもちゃに爪とぎにと、あちこちを歩き回って尚美の方が目を回してしまいそうになる。

「最後に首輪だな」
首輪と聞いて尚美はドキリとする。

周囲からも飼い猫として認識してもらうために必要なことはわかるのだけれど、でも、首輪って……。


自分が首につけられているところをどうしても想像してしまってドキドキが止まらなくなる。

そ、そういう趣味はないんだけど。
と言ったところで通じるわけでもないので、おとなしく買い物を見つめていることにした。

健一は首輪コーナーの前で立ち止まると様々な首輪を手にとってミーコの首に当てて確認しはじめた。

それはまるで自分の服を買う時のような慎重さで、1度棚に戻した商品もまた手に取ったりして比べている。

そんなに熱心にならなくても、飼い猫だとかわればいいだけなのに。

そんなことを考えていると、健一は赤い首輪を手にとって「やっぱり、これが似合うかな」とつぶやいた。

真っ白なミーコの毛に赤い首輪はとてもよく目立つ。


真ん中には銀色の小さな鈴もついているから、もし外へ出てしまってもすぐに気がつくことができるだろう。

「これにミーコの名前を入れてもらおう」
そう言って手にとったのは名前を掘ることができるプレートだった。

その中でも一番高い5000円するプレートを手にしている。
ペットの名前を入れるだけなのにそんな高いものを!

と、びっくりして健一を見つめる。
そんなに高価なものをつけてもらっても困りますよ。

無くしたり、壊したりするかもしれないんだし。
と、一生懸命説明するけれど「ミャアミャア」言っているだけでもちろん通じない。

健一はミーコが喜んでいると勘違いしてそのままレジへ持っていってしまった。


「10分くらいで名前入れができるらしい」
そう言うと一旦会計を済ませてからまた店内を見て回り始めた。

たった10分。
されど10分。

健一は自分が気になった商品をまた次々とカゴに入れ始めた。

もういい。
もういらないよと鳴いて訴えるけれど「気に入ってるみたいだな」と、勘違いされてしまう。

「このおもちゃよさそうだな。こっちのおやつはどうだろう」

そんな感じで際限なくカゴに入れていくので、10分後にはカゴの中はまた一杯になってしまっていた。

合計金額がいくらになったのかは考えたくなかったが、健一はとても満足そうにしていたのだった。
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