自殺教室

西羽咲 花月

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制裁

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それから一週間後の放課後、4人はそろって病院へ足を向けていた。
今朝のホームルームで奈穂が松葉杖で歩けるようになったと、先生から聞いたのだ。

退院してからもしばらくは松葉杖が必要になるらしい。


「千秋、起きてるかな?」


病院の入り口で珠美が小さな声で呟いた。


「わかんないけど、たぶん起きてるんじゃないかな?」


入院していると時間や曜日の感覚がなくなっていく。
昼間にぐっすり眠って夜起きてきてしまう人も多いみたいだ。


「もし寝てたらどうする? 明日にする?」

「珠美、怖いのか?」


さっきから病室へ向かう足取りが重たい珠美の、言い訳じみた言葉に豊が心配した顔を向ける。


「そ、そんなんじゃ……。ううんごめん、やっぱり少し怖いかも」


豊がそんな珠美の手を握りしめる。


これから自分のしたことを認めて謝罪をする。
それ自体も怖いけれど、受け入れられなかったときのショックはもっと大きいだろう。

足取りが重たいのは珠美だけじゃない、奈穂もさっきから周囲を見回したりして落ち着きがなくなってきていた。
今先頭を歩いているのは一浩だ。

一浩は口を引き結んで歩いていく。
一番怖いはずだからこそ、先を行くのかも知れない。
そうこうしている間に病室に到着した。

そこは前回訪れたときと同じ病室で、個室だった。
白いドアの前で立ち止まり、一浩は一度深呼吸をする。


「俺が開けようか?」

「いや、いい」


豊が後ろから声をかけてきたのを制して、ノックする。
中から「はい」と、か細い声が帰ってきた。

それは数日ぶりに聞く千秋の声で、その声を聞いただけで胸の奥が熱くなった。


「千秋、入っていいか?」


ドアを開ける前に一浩が声をかける。


「どうぞ?」


ベッドから降りるには松葉杖が必要だ。
千秋は奈穂達を確認することなく、そう答えた。

一浩の手が戸の伸びる。
奈穂はゴクリと唾を飲み込んで緊張をごまかし、珠美は豊の手を強く握りしめる。

そして一浩は戸を開けていた。
スライド式の戸は音もなくスムーズに開く。

ベッドの上で突然の来客に驚いていた千秋が、一浩の顔を見た瞬間表情をこわばらせた。
それから次々と入ってくるクラスメートたちに今度はとまどいの表情を浮かべる。


「みんな……来てくれたんだ」


千秋が無理をして笑っているのがわかって、奈穂の胸が痛くなった。


「ごめんな、俺の顔なんてきっと見たくないと思うけど」

「そ、そんなことないよ」


一浩の言葉を否定しながらも、その笑顔は軽くひきつった。
このメンバーに会うことが千秋にとってストレスになっていることはわかっている。

だから、目的は早く済ます必要があった。


「私達、千秋に謝らないといけないことがあって来たの」


奈穂が早口になって言う。


「謝る?」


千秋は一瞬一浩へ視線を向けて、それから首を傾げた。
一浩が謝罪するのはわかるけれど、他のメンバーが謝罪する理由がわからないと言った様子だ。


「その前に聞きたいことがある。千秋はあの日のことを覚えてるか?」

「あの日って、事故が遭った日のこと?」

「そうじゃなくて、教室に閉じ込められたときのことだ」


豊からの質問に千秋はますます首を傾げた。


「教室に閉じ込められたってなに? そんなことがあったの?」


興味深そうに豊を見つめている。
4人は互いに目を見交わせた。
千秋はあのときのことをなにも知らないみたいだ。


だからこの4人で来てもピンと来ていない様子なんだろう。


「あれは千秋の仕業じゃなかったってこと?」


珠美が怯えた様子で呟いた。


「私の仕業? なんのこと?」

「千秋、気にしないで。きっと、私達だけが経験した特別なことだったと思うの。その経験があったから、私達は今4人でここに来ているの」


これ以上混乱を招かないように奈穂が口をはさむ。
あの出来事は実際に起こった。

交通事故で意識を失っている千秋の心の悲鳴が、あの現象を起こさせたのかも知れない。


「このメンバーって珍しいよね。みんな、仲良かったっけ?」


千秋の問いかけに奈穂は黙り込む。
そろそろすべてを告白するべきだ。

奈穂は自分たちの身に起きた奇妙な出来事を、千秋に聞かせたのだった。


千秋は話が進めば進むほど驚いた表情を浮かべ、時折黙り込んで、時折怯えた表情を一浩へ向けた。
話を聞いている間、きっと色々な感情がせめぎ合っていたことだろう。


「最後は私の番だった」


奈穂がすべて知っていてなにもしなかったことを千秋に謝罪する。


「千秋のイジメは私達4人が深く関わっていたと思う。本当にごめんなさい」


頭を下げる奈穂に続いて他の3人も頭を下げた。
説明をしている間にも何度も謝ったが、それでも足りない気持ちだ。


「ナイフで首を刺した時、すごく痛かったし苦しかった。死ぬのかもって思って、怖くて仕方なかった。こんな気持を千秋はずっとしてたんだよね」


珠美が目に涙がにじませて言う。
千秋はなにも返事をしなかった。

イジメの発端となった人物たちがこうして頭を下げている様子を、どんな気持ちで見ているだろうか。


ただ自己満足だと怒られても仕方ないことをしていると思う。


「私が交通事故に遭った日、たしかに靴を隠された」

「俺が隠したんだ。本当にごめん」


一浩が誰よりも深く頭を下げる。
千秋はそんな一浩を少し冷めた目で見つめていた。

まだ、許すとは聞いていない。
いや、謝罪をしただけで許されるなんて思ってはいけないんだ。

そして千秋はポツポツと、交通事故があった日のことを話始めたのだった。


☆☆☆

その日は朝から憂鬱な気分で家を出た。
今日も2年B組の教室へ行けばきっとイジメを受ける。

それがわかっていながら学校へ向かうのは、どうしても気が重かった。
どうしてこんな気持で学校へ行かなければならないのか、その理不尽さを吐き出す場所もない。

重たい足をひきずるようにして学校へ向かう。
いつもは道の花壇にうえられている花々を見たり、空の様子を眺めたりしながら登校するけれど、イジメが始まってからは常にうつむいて歩くようになっていた。

千秋の視界に写っているのは灰色のアスファルトばかりだ。
色とりどりに輝いていたはずの毎日は、いつの間にか灰色に染まってしまった。

その原因も、直し方も千秋にはわからない。
このまま永遠に学校に到着しなければいいのにと願ってみても、その願いが聞き届けられたことはなかった。


学校の門が見えてきた瞬間千秋は大きくため息を吐き出した。
今日もこの牢獄のような建物の中で1日を過ごすことになる。

誰とも話さず、誰とも目を合わさず、まるで透明人間になったように振る舞わないといけない。
昇降口の前まで来るとストレスで心臓がドクドクと跳ね始めた。

それを押し殺して靴を履き替える。
以前上履きにラクガキされていたことがあるけれど、今回は大丈夫だったと胸をなでおろす。

買い直して新品同様となった上履きをはいて階段を上がる。
そんな千秋の横を沢山の生徒たちが追い越して行った。

千秋の足は依然として重たくて、階段を上がるのが一苦労だったのだ。
行きたくない。

教室に入りたくないと全身で拒絶している。
だけどそれができないのが問題だった。


できれば家で引きこもっていたいけれど、それは学生の千秋にとって簡単なことじゃなかった。
まず両親に嘘をつかないといけない。

嘘だとバレたら学校へ行かされるか、イジメについて無理にでも聞き出されてしまうだろう。
全部自分を心配してくれてのことだとはわかっている。

けれどそれが千秋にとっては重労働になるのだ。
自分がイジメを受けていると告白するときのことを想像するだけで、逃げ出してしまいたくなる。

誰からも心配なんてされたくない。
それが両親だったら、なおさらだ。

こんな惨めな自分を見られたくない。
同情だってされたくない。

そうして教室へ到着すると、また心臓が早鐘を打ち始める。
上靴は無事だったけれど、机はどうだろう。


ラクガキされていないだろうかと不安が膨らむ。
自分の席に近づいたときに視線だけで確認すると、そちらも無傷なことがわかってようやく席に座ることができた。

前は教室に入れば数人のクラスメートたちが必ず挨拶をしてくれたけれど、今はそんなこともなくなった。
千秋は無言で自分の席につくだけだ。

それからホームルームが開始されるまでは教室で透明人間としてそこに座っている。
もしくは女子トイレで時間をつぶす。

それ以外にやることもなくなってしまった。
友人同士のおしゃべりはもう何日もしていない。

教科書を取り出して読んでいようと考えたとき、教室前方のドアが開いた。
そこから入ってきた一浩の姿を見て千秋の体温がスッと下がる。

できるだけ視線を合わさないように教科書に目を移した。
心臓はさっきまでよりも早鐘を打っていて、呼吸も荒くなってくる。


手の先はとても冷たくて、まるで自分のものじゃないみたいだ。
一浩が歩くといつも大きな音がする。

腰やカバンににジャラジャラとストラップをつけていて、大股で力を込めて歩くからだ。
その足音が近づいてくるにつれて教科書の文字が読めなくなってくる。

全神経が耳に週中して、音を聞き逃さないようにそばだっていく。
そして一浩が通路を通り過ぎた瞬間、全身の力が緩んでいく。

よかった。
今日はなにもされなかった。

安心したのもつかの間、後ろから髪の毛を引っ張られた。
痛いほど強く引っ張られて頭がガクンッと後ろへ反る。

それを見て一浩は笑い声を上げた。
他のクラスメートたちも何人かが笑い声を上げる。

途端にカッと顔から火が出るほど恥ずかしくなる。
そして屈辱的な気持ちが沸き上がってきた。


「お前、イジメられてるくせに油断しすぎだろ」


一浩はそう言ってひときわ大きく笑ったのだった。


☆☆☆

一浩からイジメを受けるようになったのは一ヶ月くらい前からだった。
突然「こいつカンニングしてる」と言われ始めて、それがあっという間にクラス中に広まってしまった。

もちろんカンニングなんてしていないと説明したけれど、一浩は信じてくれなかった。
実際に自分がカンニングしていたとしても一浩には関係ないはずなのに、どうしてそんなに怒っているのかわからなかった。

ただ、力では勝てないことだけはわかっている。
仲間もだんだんと遠ざかってきて戦う威力が失せてくるまでそう時間はかからなかった。

人間の心は毎日踏みつけられれば簡単に壊れてしまう。
そして、あの日がやってきた。

交通事故に遭った日、一浩は比較的静かだった。
時折陰口を言われるくらいで直接手を下してくることはない。

一浩が動かなければ他の子たちが動くこともないし、千秋は勉強に週中することができた。


でも、それで終わりではなかったんだ。
放課後になってようやく家に帰れると思ったころ、昇降口の前で千秋は棒立ちになっていた。

靴がないのだ。
このときになってようやく一浩が今日1日おとなしくしていた理由がわかった気がした。

最後の最後に突き落とすためだ。
千秋はふらふらと昇降口の近くを探し始めた。

上靴は安く手に入るけれど、靴はそういうわけにはいかない。
それに、前回上履きを買ってもらったばかりで靴までなくなったなんて言えば、両親はもう黙っていないだろう。

イジメを受けていることを無理でも聞き出されることは目に見えていた。
それから千秋はあちこち靴を探して回った。

教室のゴミ箱の中。
掃除道具入れの中。
ロッカーの中。


それでも見つからなくて日が傾いてきた。
帰る時間が遅くなれば心配をかけてしまう。

なにがあったの?
と、容赦ない質問が飛んでくることも安易に想像できた。

だから千秋はこの日上履きのままで外へ出たのだ。
外はオレンジ色に染まっていて、公園で遊んでいた小学生たちも帰る時刻になっていた。

靴がないことを両親にどう説明しよう。
なにか、いい言い訳はないだろうか。

考えながら歩いていると、ついぼーっとしてしまった。
いつの間にか目の前に横断歩道が迫ってきていて、赤信号になっていた。

千秋が慌てて足を止めて左右に頭を振ってしっかりさせた。
とにかく家に帰って、それから考えよう。
明日はいていく靴は別のものを出してきて……。


「お前、ふざけんなよ!」


不意に後ろから聞こえてきた怒号に体が震えた。
それはさっき公園から出てきた子供たちの悪ふざけする声だった。

だけど今の千秋にはその声が一浩の怒号に聞こえたのだ。

なんでここにいるの?
自分を追いかけてきたんだろうか。

恐怖で体がすくんだ。
それでも足は逃げ出そうとして動いていた。

赤信号で車が行き交っている交差点へ向けて。

千秋の体は自分の言うことも効かなくなり、横断歩道へと飛び出したのだった……。


☆☆☆

そうして交通事故に遭った千秋は数日前に目を覚ました。
目を覚ました瞬間、あぁ、目が覚めてしまったんだと落胆したことを覚えている。

自分なんてあのまま死んでしまえばよかったのに。
学校へ戻るくらいなら、死んでよかったのにと。

すべてを聞き終えたとき、珠美は泣きじゃくっていた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


と、何度も繰り返している。
奈穂はうつむいて肩を震わせ、豊と一浩も唇を引き結んで目に涙を浮かべている。

自分たちがしてしまったことは『ごめんなさい』で許されるものじゃない。
千秋の心はいくら謝罪したところで元には戻らない。
傷は永遠に残ってしまうだろう。

たとえこの先松葉杖なして歩くことができたとしても、心の傷までは癒せない。


「本当は……私達には謝る資格だってないのかもしれない」


奈穂が震える声で呟く。
声を出すたびに涙が滲んできて、床にシミを作った。


「そうだね。謝られたからって許せることじゃないよ」


千秋がハッキリとした声色で答えた。
一浩の体がビクリと跳ねて震える。


「俺たちはどうすれば……」

「これからずっと償ってもらう。私は学校へ戻ることに決めたから、まずはカンニングが嘘だったってことをみんなに伝えて」


一浩は何度も頷いた。
それくらいのことなら当然するつもりだった。


「靴も返して」


「わかってる……」


一浩の頬に幾筋もの涙が伝う。
声は震えて、もう以前のような凶暴さは鳴りを潜めていた。


「それと……」


千秋の視線が他の3人へ向かう。
奈穂は涙でにじむ視界で千秋を見た。


「私は誰かの宝物なの。その宝物を壊してしまったことを、謝って」


それは千秋の両親、友人らへの謝罪を意味するんだろう。

奈穂は何度も頷いた。
ここまできて、もう隠し通せることはないだろうと思っていた。

自分たちのしたことをすべての人に謝罪して、それでも元の生活に戻ることができるかどうかはわからない。
きっと、4人のことを悪く言う人たちだって出てくるはずだ。

それでも、千秋の傷に比べたら軽いはずだった。


自ら目覚めなくてもいいと考えてしまうほどの深い傷に比べれば。


「それと」


千秋は言葉を付け足す。


「もうこんなことはしないで。私みたいな子を増やさないで」
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