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西羽咲 花月

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発火

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「このプリントを神田に渡しておいてくれ」
先生があたしにそう言ったのは2時間目の授業が終わってからだった。
なんであたしが陸に届けなきゃいけないの?
一瞬そんな気持ちになったが、すぐに笑顔で頷いた。
次は陸の番だから、ちょうどいいかもしれないと考え直したのだ。
「神田は保健室にいるから、よろしく頼むな」
「わかりました」
陸はあのまま保健室で寝ていたようだ。
なんだかんだ言って教室にいることが怖くなったのかもしれない。
「プリントを渡しに行くの?」
夢に聞かれて頷いた。
「夢、付いてきてくれる?」
「もちろんだよ」
あたしたちは目を見かわせて、2人で教室を出たのだった。

☆☆☆

保健室のドアを開けると中は暗くて保険の先生の姿はなかった。
3つあるベッドはすべてカーテンが閉められていて物音は聞こえてこない。
「陸、いるの?」
声をかけてみても返事はなかった。
あたしと夢は目を見かわせる。
もしかしてもう保健室にはいないのかもしれない。
そう思いながらもそっとカーテンを開けて寝ている生徒を確認していく。
手前2つのベッドに寝ていたのは女子生徒だった。
3つめのベッドを確認すると、神田と書かれたシューズが脇に置かれているのが見えた。
布団は盛り上がっていて、上下に動いている。
「陸、いるなら返事をしてよ」
声をかけながら近づくと、布団から陸が顔を出した。
本気で眠っていたようであたしと夢の顔を見てもぼーっとしている様子だ。
やがて「なんでお前らがここにいるんだよ」と、険しい表情になって上半身を起こした。
「先生に頼まれたものを持って来ただけ」
そう言ってプリントを差し出す。
本当なら教室の机の中に突っ込んでおけばいいだけだけど、こうしてここまで持ってきたのだ。
感謝してほしいくらいだ。

「なんだよいらねーよ」
チッと舌打ちをしてプリントに視線を向ける。
それから大きなアクビをひとつすると、ポケットに手を突っ込んでタバコとライターを取り出した。
夢が目を丸くしてそれを見つめる。
「ここ、保健室だよ?」
「あぁ。トイレに行く」
リクはぶっきらぼうに返事をしてベッドからおりようとする。
と、その時だった。
陸が手に持っていたライターが突然バンッ! と大きな音を立てて爆発していたのだ。
一瞬強い光が保健室の中に充満し、それからシーツから煙が上がり始めた。
それは本当に一瞬の出来事で、あたしは唖然としてしまって咄嗟には動けなかった。
「火事!」
夢が叫んだことでハッと我に返った。
突然爆発したライターを持っていた陸は手を押さえてうずくまっている。
ライターから出た火はシーツに燃え移り、小さな火になっていた。
「起きて! 火事だよ!」
あたしと夢は隣で眠っていた女子生徒2人を無理やり起こして保健室を出た。
陸も後ろからよろよろとついてくる。
その時保健室のスプリンクラーが作動し、非常ベルの大きな音が響き始めた。
学校内が騒然とするまで時間はかからなかった。
再び手に大けがを負うことになった陸は、病院へと連れていかれたのだった。

D組に戻ったとき、美紀と愛子は青ざめて座っていた。
今日1日は大人しくなるとわかっていたけれど、ここまで静かだと逆に気になってしまう。
「あ~あ、今日は平和だねぇ」
夢がわざと大きな声で言う。
「本当だね。いつもあたしをイジメる人たちがやけに大人しいからだよねぇ」
あたしもそれに合わせて反応した。
クラスメートたちはみんなあたしたちから視線を外し、気まずい空気を身にまとっている。
「そう言えば美紀ってあたしたちのことイジメてたっけ? でも仲間が少なくなるとなにもできなくなるんだねぇ?」
夢はわざと美紀を逆なでする言葉を選んでいる。
ニヤニヤとした笑みを浮かべて美紀を見つめている。
こんな子供っぽいやり方ほっておけばいいのに、美紀は悪口を言われるとどうしても反応してしまうタイプみたいだ。
目を吊り上げて席を立ち、こちらへ近づいてきたのだ。
でも相手は美紀1人だ。
愛子が一緒にいところでどうせ戦力外だろうし、怖いことはなかった。
「なに調子乗ったこと言ってんだよ」
イライラとした声色でそう言いながらも、顔色はまだ良くない。
美紀こそ保健室で横になった方がいいんじゃないかと、心配してしまう。

そんな美紀は大股でこちらへ向かって歩いてくる。
その時、ちょうどいいタイミングでクラスメートがペンを床に落としてしまった。
よけきれずにそれを思いっきり踏みつける美紀。
ペンで足を滑らせた美紀はそのまま前のめりの格好でこけてしまったのだ。
こけた拍子に前の机の角に顔をぶつけて悲鳴をあげた。
「み、美紀!?」
愛子が慌てて駆け寄っている。
美紀は両手で顔を押さえてうめき声をあげた。
あんな派手にこけた人、初めて見た。
美紀の手の隙間からは血が流れ出している。
唇でも切ったのかもしれない。
そう思っていると美紀が小さく震えながら顔から手をどかした。
同時に何か白っぽいものが口から落下していくのを見た。
歯だ。
唇を切った上に歯が折れてしまったようだ。
それを見た美紀が血で染まった顔をこちらへ向けた。
目を丸くし、何か言いたげに口を動かしている。
しかし、それは言葉にはならず、美紀はそのまま倒れ込んでしまった。
「美紀!」
愛子が必死に呼びかけるが、美紀は反応しない。
きっとショックで気絶したんだ。
「なんなの……なんであたしたちばっかりこんなことになるの!?」
愛子は悲痛な叫び声を上げると、何も持たず、教室から逃げ出したのだった。

☆☆☆

愛子が逃げていったあと、すぐに美紀は気がついた。
しかしもちろんそのままで学校に残るわけにはいかない。
大けがをした顔を隠すために大きなマスクをつけて、早退してしまったのだ。
「愛子の分だけ見られなかったね」
平和な昼食中、夢が残念そうに言った。
「そうだね。追いかけてみた方がよかった?」
「できれば目の前で見てみたいからね」
夢はウインナーを口に放り込んで言った。
イジメメンバーがいなくなったことでD組の教室はとても静かだった。
みんないつもよりも穏やかに過ごしているように感じられる。
「ねぇ2人とも、お弁当一緒にしてもいい?」
声をかけてきたのは田淵さんと和田さんの2人だった。
2人ともお弁当を持ってきている。
「もちろんだよ」
あたしと夢は同時に答えた。
2つの机で4人食べるのは少し窮屈だけど、こうして寄せ集まってご飯を食べるのはとても美味しいと感じた。
2年生に上がってから1度も経験してこなかったことだ。
「田淵さんたちはどんな本を読んでるの?」
質問すると、2人は笑顔で自分たちが好きな作品を教えてくれた。
最近映画化して話題の小説とか、あまり人気はないけれど個人的には好きな作品など。
2人は本当に沢山の本を読んできているみたいだ。

「夢は、もう絵を描かないの?」
不意に和田さんがそう言ってきた。
あたしはチラリと夢に視線を向ける。
「そうだね。まだ、ちょっとわからないかな」
夢はたどたどしく返事をして、苦笑いを浮かべる。
夢の話だと1年生のころまでは絵を描いていたはずだ。
それが、美紀と靖のせいでやめてしまったのかもしれない。
「やめるなんてもったいないよ。あたし、夢の絵が好きだったから」
「学校でやった展覧会に言ったの?」
夢の質問に和田さんは何度も頷いた。
「言ったよ。夢の作品が一番好きだった」
目を輝かせて言う和田さんは、嘘をついているようには見えなかった。
本当に、心から夢の絵が好きだったのだろう。
「あ、ありがとう」
あまり褒められ慣れていないのか、夢は和田さんから視線をずらし、口の中でモゴモゴと言った。
そんな夢を見てつい笑顔になってしまう。
あたしたちはもう美紀に負けることはない。
だから、今度こそ自分の好きなことを、胸を張ってやれるかもしれない。
「またやってみたらいいじゃん。今度はきっとうまくいくよ」
あたしの言葉に夢が頬を赤くして頷く。
その目には微かに涙が滲んでいるように見えた。

☆☆☆

それから放課後まであたしたちは平和な時間を過ごしていた。
そして、その報告は終わりのホームルームの時に行われた。
「ついさっき、公森が交通事故に遭ったそうだ」
先生が深刻を絵にかいたような表情で言った。
教室内が微かにざわめく。
しかし、ここ最近イジメっこ周辺だけで奇妙なことが起こっているためか、それほどの動揺は見られなかった。
「みんなも車には十分に気を付けて帰るように」
先生はそれだけ言うと、今日は早々にホームルームは終わった。
これから愛子の様子を確認しに、病院にでも行くのかもしれない。
「愛子、交通事故だってね」
鞄を持った夢が近付いてきて、そう言った。
「らしいね」
震えたスマホを確認してみると『恐怖を与えました』と、表示されていた。
これで今日の分の恐怖はすべで終わったということだ。
次はあたしへの損失が待っている。
「大丈夫だよ。今日もずっと一緒にいるから」
夢がそう言ってあたしの手を握り締めたのだった。

それから2人でいつものファミレスに向かった。
ずっと教室にいて何かが起こるのを待つ気にはなれなかったからだ。
「今日も結構怖い目に遭ってたよね」
夢はパンケーキをほおばりながら言った。
この前食べてから気に行ったみたいだ。
あたしも今日はなにか食べたい気分になり、イチゴのパフェを注文した。
上に乗っているアイスを食べ終わったところで、トイレに行きたくなってしまった。
今日はトイレには立たないでおこうと思ったのに、こればかりは仕方ない。
「ちょっと、トイレに行ってくる」
「それじゃあたしも一緒に行く」
夢はあたしと一緒に立ちあがった。
前回ここのトイレで幽霊を目撃しているから、気にしているみたいだ。
あたしは夢の好意をありがたく受け取った。
ファミレスのトイレは広くて清潔感があったが、あたしたち2人の他にお客さんの姿はなかった。
個室で用を済ませてから外へ出ると、なんだか一気に気温が下がった気がして軽く身震いをした。
「大丈夫だった?」
水道の前で待ってくれていた夢が声をかけてくれる。
「うん。でも、なんか……」
妙な気配を感じて、手短に手を洗った。
口から出てくる空気が白くなっている。
しかし、夢はそれに気がついていない。

トイレから出るためにドアに手を伸ばした、その瞬間だった。
突然ドアが大きく開き、昨日見たあの女がトイレに入ってきたのだ。
「キャア!!」
悲鳴を上げ、夢の後ろに隠れる。
夢にはなにも見えていないようで混乱した声が聞こえてきた。
でも、その言葉を理解する暇はなかった。
長い髪の女が狂ったように踊っていたのだ。
それは今朝の靖のような姿だった。
体を壁や洗面台にぶつけ、それでも止まらない。
女の体はぶつかる度に血が滲み、白いワンピースを赤く染めていく。
その姿は恐怖そのものだった。
自分の鼓動がどんどん速くなって言って、恐怖で呼吸すら忘れてしまいそうになる。
女はトイレ内にぶつかりながら踊り狂い、そして最後には壁をすり抜けて消えて行ってしまった。
「靖子大丈夫?」
夢の言葉にあたしは何度も深呼吸をした。
あれだけ寒かった空気が元に戻っているし、嫌な雰囲気も消えて無くなった。
終わった……。
ホッとすると同時に自分の体がガタガタと震えていることに気がつき、両手できつく抱きしめた。
すると、夢がその上からあたしを抱きしめてくれたのだ。
夢のぬくもりにだんだん気持ちが落ち着いてくるのを感じる。
「ごめんね靖子、1人だけに背負わせちゃって」
その言葉のおかげで、あたしの震えは完全に止まったのだった。

「損失を2人で分け合うことができたらいいのにね」
席へ戻ってから夢はそんなことを言い始めた。
でも、もちろんそれはできない。
アプリを使っているのはあくまであたしだから、損失を被るのはあたし1人という形になる。
それを不公平だと感じる気持ちもあるけれど、夢ならいいかと思う気持ちもある。
こうして、一緒に損失についても考えてくれているし、守ろうとしてくれているから。
「損失も少しずつ悪化してるよね」
夢はパンケーキを食べきって言った。
「そうだね」
あたしは頷き、食べかけのパフェを見つめる。
トイレでの出来事のせいで一気に食欲がなくなってしまったのだ。
「今のところ怪我はしてないけど、なにか起こったらすぐにアプリを止めないと」
夢は言う。
それはわかっていたけれど、じゃあどうやってアプリを止めればいいのだろうかという疑問が残る。
「あ、そういえばあのおばあさんに聞いてみるって手があるか」
ふと思いついて口に出した。
このアプリをダウンロードしたおばあさんなら、きっと操作方法も理解しているだろう。
問題はおばあさんに会えるかどうかだった。
「あのおばあさん、何者だったんだろうね」
夢が腕組をして言った時だった。
急に厨房の中が騒がしくなってきて、あたしたちは視線を向けた。
「火事だ!」
「消火器を持ってこい!」
そんな声が聞こえてきて、厨房から黒い煙が流れてきた。
「嘘、火事?」
驚いて席を立ったところで、お店の人が「お客様は店外へ避難してください!」と、叫び始めた。
あたしと夢は弾かれたように外に逃げる。

外から店の外観を確認すると、特に火が燃え広がっているようには見えなかった。
きっとただのボヤ騒ぎで終わるだろう。
「これって、陸の恐怖だよね」
店内で走りまわっている店員を見て夢が言う。
「そうだね……」
全焼しないことはわかっているけれど、それでもやはり胸は痛む。
自分たちのせいで店の人たちを巻き添えにしてしまったのだ。
しかし京の損失はまだ2つ残っている。
美紀の分と、愛子の分だ。
店内にいればなにかと安心だったけれど、それもかなわなくなってしまった。
あたしと夢は警戒しながら歩きだした。
今はとにかく家に向かうしかない。
そう思って足を前に出した時だった。
あたしは何かに躓いてこけてしまっていた。
「靖子大丈夫!?」
突然こけたあたしを心配して夢が手を差し出してくる。
立ちあがってから足元をかくにんすると、そこには大きな石が転がっていた。
普段こんなところに石なんてないのに。
「怪我、なかったね」
ぼんやりと石を見つめている夢にそう言われ、あたしは自分の両足を確認した。
こけた拍子に砂ほこりがついてしまったが、擦り剥いたりはしていない。

ホッと胸をなでおろして再び歩き始めてすぐのことだった。
突然後方から自転車がやってきて、あたしの右肩を掠めて走り去っていったのだ。
「痛っ!」
さすがに今のは痛かった。
顔をしかめて立ち止まる。
本当に、次から次に一体なんなんだろう。
苛立った気持ちが浮かんできたとき、ぶつかられた肩のブラウスが破れていることに気がついた。
白いブラウスがジワリと赤く染まる。
「え、血?」
「嘘、ちょっと見せて」
夢が慌ててあたしの肩を確認する。
「小さいけど、傷ができてる」
そう言ってハンカチを押し当ててくれた。
「血はすぐに止まると思うけど、どんなぶつかり方をされたの?」
そう聞かれても、一瞬の出来事だったからよくわからない。
ただ普通にぶつかられただけじゃ血は出ないだろう。
不穏な空気が流れ始めた時、ポケットでスマホが震えた。
確認してみると、画面に『損失を与えました』の文字が出てきていたのだった。

☆☆☆

あたしへの損失がちょっとずつ大きくなっている。
そのことが気になったあたしと夢は家の近くの公園に来ていた。
ベンチに座り、アプリを確認する。
「ダメだ。やっぱり止め方がわからない」
いくら調べてみてもアプリを止める方法がわからない。
それに、消すこともできないままだ。
またあのおばあさんを探し出すしかなさそうだけど、見つけることができるかどうかも怪しかった。
なにもかも八方塞がりだ。
「やっぱり、あたしのスマホにアプリが入っていればよかったのに」
夢が悔しそうに言う。
「そんなことになったら、今度は夢に損失が向かうんだよ?」
「あたしはそんなの怖くない」
キッパリと言いきった夢にあたしは目を見開いた。
夢の表情は本気だ。
「あたしならもっと激しい復讐をする。たとえ自分が死んだって構わない!」
「ちょっと夢、本気でそんなこと言ってるの?」
夢は頷く。
あたしだってあの4人のことは恨んでいる。
だけど、自分の命をかけてまで復讐したいと思ったことはなかった。

「当たり前でしょ?」
「どうして?」
感じ方は人それぞれだ。
それは理解しているけれど夢の憎しみはあたしよりも深く、重たい。
ほとんど同じことをされてきたのに、そこまで差が出るのが不思議だった。
すると夢は地面を睨みつけて、口を開いた。
「そのアプリがダウンロードされてから、また絵を描いてみようと思ったの。今度はきっと、邪魔されないからと思って」
その言葉にあたしは驚いて夢を見つめた。
夢は誰に言われるでもなく、もう1度絵を描き始めていたのだ。
「そっか。それで、どうしたの?」
「……描けなかった」
夢は悔しそうに下唇を噛みしめる。
「え?」
「あたしの絵はもともと空想を広げたものだったの。だから同じように空想して描こうと思ったんだけど……頭の中にいつでもあいつらの卑下た笑顔が浮かんでくるの」
夢は両手をきつく結んで言った。
「もう、昔みたいにキラキラした空想ができない。絵にできるのは黒くて残酷な世界ばかりだったんだよ」
夢はそう言うと鞄から一冊のノートを取り出した。
手渡されて中を確認してみると、そこには一面を黒く塗りつぶされた世界が広がっていたのだ。
真っ黒に塗られた中に、白い目が8つ。
それを見た瞬間背筋が寒くなった。
この目はきっとあの4人のものだ。
そして真っ暗な世界は今夢が立っている場所……。

「こんなんじゃ展覧会なんて参加できない」
「夢……」
夢がこんなに悩んで苦しんでいるなんて知らなかった。
ノートを次々とめくって行ってみると、すべてのページが黒く塗りつぶされていた。
その中にポツンとたたずんでいる少女や、枯れ木などが描かれている。
「……大丈夫だよ夢。もう、このアプリを消そうとしたりしないから」
あたしは夢の手を握り締めて言った。
キツク握られた夢の両手から、フッと力が抜けていく。
「……いいの?」
アプリを使い続ける。
それが何を意味しているのか、ちゃんと理解しているつもりだった。
今日初めて体に怪我をしたけれど、ちょっとしたかすり傷だ。
気にしなくてもいいようなことだ。
もう、損失のことを怖がって気にするのはやめよう。
夢のために。
「うん、もちろんだよ」
あたしは夢に向けて大きく頷いて見せたのだった。

☆☆☆

そして翌日。
残念ながら靖と愛子の2人は学校を休んでいた。
しかし、驚いたことに美紀と陸の2人は登校してきていたのだ。
昨日あれだけの騒ぎがあったのに、よく来られたものだと感心してしまう。
陸は右手を包帯で巻いて、美紀は大きなマスクで顔を隠している。
そこまでして学校に来るような優等生ではないから、やはりアプリの効果が出ているのだろう。
美紀と陸の2人がいても、とても静かな時間を送っていた。
さすがに2人とも大人しくなっている。
時々会話をしているものの、その声はとても小さくて聞きとれないくらいだ。
あまり派手なことをするとまた身の回りでなにかが起こると警戒しているようで、ほとんど席から立ち上がることもなかった。
そのまま昼休憩の時間が来て、あたしと夢は席をくっつけてお弁当を広げた。
そこにお弁当と椅子を持ってきたのは田淵さんと和田さんの2人だった。
最近ではすっかり仲良し4人組になってきた。
4人でお弁当を囲んで談笑しながら食べるご飯はとても美味しい。
どれだけ大きな声で笑っても、どれだけ大きな声で会話をしても、美紀と陸はあたしたちに声をかけて来なかった。
普段ならすぐに文句を言いに来るのに、とても静かだ。

それはまるで世界が変わったような感覚すらした。
どんな時でも4人に怯え、会話するのも小声で警戒してきたのだから、ここまで変化すると別世界だ。
時々美紀と陸へ視線を向けると、2人は黙ってご飯を食べていた。
机をくっつけることもなく、1人ずつ別々に食べている。
一緒にいることで更なる禍が降りかかってくるのではないかと、懸念しているのかもしれない。
「今日は陸と美紀の分しか見られなくて残念だね」
トイレに入ったとき、夢がそう声をかけてきた。
「本当だね。せっかく4人全員に復讐できるのに、見れないもはつまんないもんね」
あたしは鏡の前で唇にグロスを塗って返事をした。
鏡の中の自分はすごく血色がよくて、表情も明るい。
アプリを手に入れる前とは大違いだ。
隣りに立つ夢だってそうだ。
できるだけ目立たないようにするため、自然と猫背になっていた。
でも今は背筋が伸びてスタイルがよく見える。
あたしたちの人生は間違いなく大きく変わろうとしている。

D組の教室へ入ったとき、靖の姿があって驚いた。
いつの間にか登校してきていたらしい。
しかし、靖の様子は明らかにおかしかった。
青ざめた顔で、終始回りを気にし続けているのだ。
「ちょっと靖、大丈夫なの?」
あたしは軽い気持ちで声をかけた。
靖はあたしの声にもビクリと肩を震わせて怯えている。
幽霊の女が出てこないか不安なのだろう。
「まだ幽霊が見えるの?」
夢が冗談半分で聞くと、靖の顔は更に青くなっていく。
今にも倒れてしまいそうな状態で自分の体をキツク抱きしめた。
「お、お前ら全員、し、信じてないだろう! 幽霊はいるんだからな!」
あたしはファミレスのトイレで見た女を思い出していた。
靖にもあの女が見えているのだ。
そして追いかけられたり、とりつかれて踊らされたりしている。
それで怖くないわけがなかった。
「靖、いい加減にしろよ」
クラスメートたちに喚き散らす靖を、陸が止めに入った。
陸と美紀の2人は靖が危ない薬をしていると思っているはずだ。
「うるさい! お前だって信じてないんだろ!」
靖は陸の手を振り払い、教室中を逃げ回る。

体をあちこちにぶつけているが、決して止まろうとはしない。
クラスメートたちは靖から逃れるために教室から逃げていってしまった。
「いるんだよ。今は見えないけど、でもいる。俺には見えたんだ。ここには女の霊がいる」
午後からの授業が開始されても、靖は1人でぶつぶつと呟いていた。
その目はうつろで、なにも見えていない。
「口田くん、教科書とノートを出しなさない」
国語の先生にそう言われても靖の耳には届いていなかった。
額には脂汗が浮かび、周りを気にして顔をせわしなく動かすばかりだ。
「口田くん!」
更に先生に声をかけられた瞬間、靖は弾かれたように立ち上がっていた。
目はなにもない空間を見つめている。
「あ……あ……出た!」
叫び声を上げ、空間を見つめながら後退する。
机にぶつかってこけそうになりながらも窓辺まで移動した。
「口田くん? あなた一体どうしたの?」
先生が眉を寄せて聞く。
ただごとじゃないと感づいたのだろう。
靖は「いる、いる!」と繰り返してなにもない空間におびえ続けている。
「靖、お前いい加減に……」
陸が立ちあがりそう言った瞬間だった。
靖は自ら窓を開けて、窓枠に足をかけたのだ。

教室内がざわつき、先生が慌ててかけよっていく。
「口田くん、なにを――」
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
先生の手が靖の制服を掴むより先に、靖の体は落下していたのだ。
一瞬の静寂。
そして大きな悲鳴が教室中に響き渡った。
「靖!」
陸と美紀が窓辺に駆け寄って下を確認する。
そしてそのまま絶句した。
あたしはどさくさにまぎれて窓の下を見た。
倒れている靖。
折れ曲がった足。
その頭部からジワリと血があふれ出す。
それはコンクリートを真っ赤に染めていっていた……。

靖が飛び降りたことで授業所ではなくなっていた。
黒板にはチョークで自習と書かれている。
最近こればっかりだ。
あたしは国語のプリントを見つめて息を吐きだした。
「最近あいつらばっかり変なことが起こってるよな」
そんな声が聞こえてきて、あたしは思わず耳をそばだてた。
「だよな。今まで好き勝手してきたから、罰が当たってるんだぜ」
男子生徒たちはそう言って笑い声をあげた。
「なんだと?」
反応したのは陸だった。
勢いよく椅子から立ち上がり、2人へ向けて大股に歩き出す。
「やめなよ陸」
美紀が後ろから陸の腕を掴んで止める。
しかし、陸は美紀の体を突き飛ばしたのだ。
相当力が強かったようで、美紀の体は近くの机に勢いよくぶつかった。

陸が美紀をあんな風に扱ったことなんて今までなかった。
そのくらい、陸の精神状態は追い詰められているんだろう。
「なんだよ。本当のことを言っただけだろ」
陸は今手を怪我している。
そのためか、男子生徒たちはニヤついた笑みを消そうとはしなかった。
クラスカーストはすでに崩壊している。
「俺たちがなにしたってんだよ」
「覚えてないのか? こいつ、記憶力までイカれてるな」
そう言うと、クラス中に笑い声が蔓延していく。
陸の顔がみるみる真っ赤に染まっていき、血管が浮き出ていくのを見た。
「ふざけんなよ!」
陸が相手の机をなぎ倒し、左手で胸倉を掴んだ。
「陸やめて!」
美紀が叫んで止めに入るが、その体は他の生徒によって突き飛ばされていた。
普段の不満が爆発したかのように、複数の生徒たちが陸へ襲いかかっていた。
陸の強行を止めるため、次々とその体にのしかかっていく。
「なにすんだ!」
陸が悲鳴を上げても、誰もそれを止めようとはしなかった。
陸は床にねじ伏せられて、その上に何人もの生徒たちが乗っていく。

「お前ら……どけろっ……!」
必死で息を吸い込んで怒鳴ろうとしているが、それもままならないのがわかった。
「やめて! どいてよ!」
美紀が生徒たちをどかせようと必死になる。
しかし、美紀の力でどうにかなるものじゃなかった。
生徒たちの山はびくともしない。
やがて陸の声は小さくなり、その顔は赤色から青色に変わり始めた。
本当に空気を吸い込むことができていないのだ。
「助けて! このままじゃ死んじゃう!」
美紀が叫ぶ。
しかし、他のクラスメートたちは遠目にその様子を眺めているだけだった。
誰も美紀に手をかそうとしない。
「なんで誰も助けてくれないの!? お願いだから、ねぇ!!」
そう言って美紀が視線を向けてきたのは、なんとあたしだったのだ。
あたしは驚いて目を見開く。
美紀はこけそうになりながら近づいてきて、「お願い靖子、夢!」と言ったのだ。
あたしと夢は目を見かわせた。
あたしたちに助けを求めるなんて、美紀は正気だろうか?
恋人の危機的状況に、自分たちがしてきたことをすっかり忘れてしまったのかもしれない。
「助けてほしいんだってさ、夢どうする?」
「どうするって言われてもねぇ」
あたしと夢は腕組みをして美紀を見下ろした。

美紀の顔がスッと青ざめていくがわかった。
今のままでは誰も助けてくれないと、ようやくわかったのだろう。
「お前ら、あたしに逆らったらどうなるか……!」
威勢よく怒鳴ろうとした美紀のマスクをあたしは外した。
大きく開かれた口の前歯2本がなくて、思わず笑ってしまった。
「美紀の顔ヤバイじゃん!」
「あはは! もうギャグだよね」
夢と2人してお腹を抱えて笑う。
あたしたちに怒鳴ったってもうなんの意味もない。
4人はバラバラになったのだ。
その時点で、脅威は消え去った。
そのことを美紀も気がついたのだろう。
呆然として立ち尽くしてしまった。
「人にお願いするときってさ、やり方があるよね?」
あたしは美紀を見下して言った。
「どうする? 早くしないと陸が死んじゃうよ?」
夢も更にあおってくる。
美紀は真っ青になりながら床に膝をついた。
そして頭を下げる。
「お願いです……助けてください」
プライドをズタズタにされた美紀の声は小刻みに震えている。
あたしと夢はそれでまた大笑いした。
美紀のこんな情けない姿、もう二度と見られないかもしれない。
「仕方ないなぁ、美紀がそこまで言うなら助けてあげるよ」
仕方なく、と言った雰囲気をだしてあたしはゆっくりと立ち上がる。
夢も、まるで老人のようにノンビリと椅子から立った。

「お願いします、早く!」
美紀が涙目になって言う。
それでも2人で笑いながら山になっている生徒たちに近づいた。
陸は口から泡を吹き、白目をむいている。
「ねぇ、そろそろ許してあげない?」
夢が声をかけると、のしかかっていた生徒たちがハッとしたように瞬きをした。
まるで今までなにかに操られていたような様子だ。
あたしはそれを見て夢と目を見かわせた。
あのアプリは周囲の人間まで操作できるのかもしれない。
夢の一言で目が覚めた生徒たちは慌てて陸から身を離して行く。
「陸!!」
美紀が陸に駆け寄ってゆさぶる。
しかし、陸は目を閉じたままで動かない。
「死んだのかな?」
「呼吸はしてるみたいだぞ」
そんな声が聞こえてくるが、誰も先生や救急車を呼ぼうとはしない。
美紀はボロボロと涙をこぼしながらあたしたちへ視線を向けた。
今自分の声に動いてくれるのはあたしたち2人しかいないからだろう。
「お願い、救急車を……」
「それは自分でできるでしょ」
あたしは美紀に冷たく言い放ち、自分の席へと戻ったのだった。

☆☆☆

結局、陸も病院に搬送されることになり、教室に残ったのは美紀1人だけだった。
「あ~あ、なんか腕が痛いなぁ」
どうにか自習が再開された時、夢が右腕をさすって言った。
「どうしたの?」
「普段イジメられてるから、体中が痛いんだよね」
突然そんなこと大きな声で言うから驚いた。
夢は周りの反応と美紀の反応を楽しんでいるようだ。
今は自習時間中で先生もいないから、気にする必要はない。
「それって、あいつのせいじゃん?」
男子生徒の1人が夢の言葉に反応して美紀を指差した。
その瞬間、美紀がビクリと体を震わせてうつむいた。
クラスカーストトップだった美紀も、1人になってしまうと弱い。
もう美紀は女王様でもなんでもなかった。
「確かに、やりすぎだよなぁ」
「あたしたちもそう思ってた」
「1人になった途端大人しくなるとか、卑怯だよね」
美紀へ向けて次々と罵倒が投げつけられる。
それでも美紀は反論もできずにうつむいたままだ。
さっきの出来事を見ているから、下手に動けないのがわかった。

こんなことになるなら教室から逃げてしまえばいいのに、それもできないのはアプリの力のおかげなのだろう。
「いつまでデカイ顔してD組にいるつもりだよ」
「クラスの空気が悪くなるんだよねぇ」
「何様だと思ってんだよ、勘違い女」
一度決壊したダムが簡単には直らないのと同じように、あふれ出した感情も止まらない。
今まで我慢を強いられてきた分、余計に辛辣な言葉が飛び交う。
「お前さ、これで終わると思うなよ?」
誰かがボソッと、そんなことを言っていた。

☆☆☆

どうにか放課後を向かえたD組だったが、ホームルームが終わっても誰も教室から出ようとしなかった。
あたしと夢は窓際の席に座ってその様子を見ている。
「あたし、帰りたいんだけど」
クラスメートたちに囲まれた美紀が小さな声で言った。
教室から出ようとした美紀をクラス全員が取り囲み、動きを阻止したのだ。
先生は出て行き、ドアには鍵がかけられた。
そしてあたしたちが窓辺のカーテンは閉められていた。
この状況ができあがるまでほんの数十秒だった。
あたしと夢も想像していなかった展開に、胸が高鳴る。
「簡単に帰れると思ってんのかよ」
それは『お前さ、これで終わると思うなよ?』と言った、あの声と同じものだった。
「そうだよね。散々あの2人を放課後呼び出してたんでしょう? あたしたち知ってるんだから」
「今度は自分の番ってわけ。わかる?」
クラスメートたちがジリジリと美紀との距離を縮めていく。
美紀は中心で真っ青になり、逃げだすこともできずに立ちつくしている。
いつもの傲慢な態度は今は微塵にも見えてこない。
「ご、ごめんなさい! 謝るから、だから許してください!」
なにを思ったのか、美紀はその場で土下座をして謝ったのだ。

そんなことをしたら、陸のように体の上にのしかかられるかもしれないのに。
あたしは呆れて美紀を見つめる。
懸念した通り、生徒たちは一斉に美紀への暴行を開始した。
殴る蹴るの音が教室中に響く。
「調子にのってんじゃねぇぞ!」
「もう誰もあんたの命令なんて聞かないから」
「本当は弱いくせに、バカにしやがって!」
美紀の悲鳴は罵倒によってかき消されていく。
「ふふっ。楽しいね」
夢が目を輝かせて言った。
「そうだね。これで靖も陸も美紀も、もう終わったようなものだよ」
仮に、靖や陸の意識が戻ったとしても、もう以前のようにはいかない。
彼らに従う生徒はもはや1人もいないのだから。
「下手したらイジメの対象になるんじゃない?」
夢の言葉にあたしは頷いた。
今まで好き勝手してきた分、その可能性も高い。
今だって、普段のうっぷんを晴らすように散々暴力を受けているのだから。
「美紀の声、完全に聞こえなくなったね」
微かに聞こえてきていた悲鳴が今はもう聞こえない。
それを確認してからあたしと夢は席を立った。
「ちょっとどいてくれる?」
一言で、クラスメートたちは海が割れたように道を作った。
その光景に興奮し、体中がゾクゾクした。
今あたしと夢はクラスの中心にいる。

道ができた向こうにはうずくまるようにして横倒しに倒れた美紀の姿があった。
「美紀」
声をかけても反応がない。
美紀の制服には沢山の靴の跡が残されている。
頬は赤くなり始めていて、その目は閉じられたままだ。
近づいて確認してみると呼吸はしていることがわかった。
気絶しているだけみたいだ。
「大丈夫そうだから、帰ろうよ」
夢があくびをして言った。
あたしは頷く。
美紀を放置していくのは心苦しくもなんともない。
どうせすぐに誰かが見つけてくれるだろう。
そう思い、あたしたちは他のクラスメートと一緒に教室を出たのだった。

「最後は愛子だけど、どうする?」
学校から出た時夢がそう聞いてきた。
愛子は昨日交通事故にあったから、入院中のはずだ。
「病院にいるだろうけど……」
そこまで言い、夢に視線を向ける。
夢の目は今もまだキラキラと輝いている。
愛子がどんな目に遭うかも見届けたいと顔に書いているようなものだった。
あたしはそんな夢に向けて笑顔を浮かべた。
「愛子の入院先に行ってみようか」
「どこに入院してるのかわかるの?」
「夢が行きたがるかもしれないと思って、先生に聞いておいたの」
あたしはそう返事をして、夢の前を歩きだしたのだった。

愛子が入院しているのはこの辺では一番大きな総合病院だった。
院内は病院っぽさがなく、1階にはコンビニやカフェ、美容院に本屋にアパレルの小さな店。
中庭には噴水。
そして屋上には日本庭園が広がっている。
ちょっとした暇つぶしならできるような場所になっている。
すべて、重い病気やけ怪我で入院している患者のためらしい。
「こんな場所ならデートだってできるよね」
広い中庭を見て夢がため息交じりに言う。
あたしは頷く。
夢と時々行く近所の公園よりもよほど奇麗で手入れが行き届いている。
それから受付で愛子の病室を確認してあたしたちは4階の外科病棟へと向かった。
エレベーターが下りてくるのを待っていた時だった。
「お前たち」
と、後ろから声をかけられて振り向くと、そこには担任の先生が立っていた。
「先生、どうしてここにいるんですか?」
驚いて聞いた時、先生の後ろに泣いている男女がいることに気がついた。
2人ともあたしの両親と同年代くらいに見える。

先生の親戚かなにかだろうか?
「口田の様子を見に来たんだが……」
先生はそこまで言って口を閉じた。
重たい空気が周囲を包み込む。
なにも言わない先生になんとなく事態が飲み込めてきた。
あたしは先生の後ろに立っている2人の男女へ視線を向けた。
「もしかして、靖のご両親ですか?」
緊張した声色で尋ねると、先生は頷いた。
ハッと息をのんで夢と目を見かわせた。
「もしかして靖は……」
そこまで言って言葉を切ると、先生は神妙な面持ちで頷いたのだ。
「残念だけど、助からなかった」
あたしは靖が落下した地面を思い出していた。
折れ曲がった足。
ジワジワ流れ出る血。
もしかしたらこのまま助からないかもしれないと、どこかで感じていた。
「そうですか……」
両親がいる手前下手なことは言えずに黙りこむ。
気まずい雰囲気に包みこまれた時、エレベーターが1階に到着した。

「あたしたちは愛子の様子を見に行くので」
夢は早口でそう言うと、逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。
エレベーターが締まる寸前、靖の両親が顔をあげた。
泣きはらして真っ赤になった目と視線がぶつかる。
なにも知らないはずなのに、その目はすべてを見透かしているように見えてドキリとした。
でも、そんなはずはない。
あのアプリのことは夢しか知らないし、他の人はダウンロードできないものなのだ。
そう思った時、靖の両親がこちらへ向けて深く頭を下げてきた。
それはまるで『今まで靖と仲良くしてくれてありがとう』と、伝えているように見えた。
そしてドアが閉まり、エレベーターは動きだす。
ホッと息を吐きだした瞬間、夢がせきを切ったように笑いだした。
あたしは驚いて夢を見つめる。
「あはははは! 靖のやつ死んだんだってさ! ざまぁみろだよね!」
夢はお腹を抱え、目に涙を浮かべて笑う。
「夢……」
夢の涙は本当に笑いすぎての涙だろうか?
一瞬でも靖のことを好きだったはずだけど……。
もしかして、無理して笑ってるんじゃないか?
そんな気がして、チクリと胸が痛んだのだった。

☆☆☆

愛子の病室は4階のナースステーションの近くだった。
ナースステーションが近いということは、それくらい目が離せないということだと聞いたことがある。
病室へ入ると、愛子は手足に包帯を巻かれた状態で横になっていた。
寝むっていたみたいだけれど、物音に気がついて目を開けた。
しばらくぼんやりと天井を見上げていた愛子だけれど、あたしと夢を見た瞬間青ざめた。
逃げるように身をよじる。
「動かない方がいいんじゃないの?」
そう声をかけると、愛子は動きを止めた。
しかし青ざめた顔に変化はない。
その顔には恐怖の色が張り付いているのだ。
まるであたしたちが死神に見えているかのようで、おかしくなってくる。
「な、なにをしに来たの?」
愛子が震える声で言う。
「何ってお見舞いに決まってるじゃん」
夢が愛子のベッドに近づく。
愛子は警戒心をむき出しにして、また逃れようとしている。
「い、イジメてごめんなさい」
途端に愛子は頭を下げて謝ってきた。
あたしと夢は驚いて目を見かわせる。
まさか愛子があたしたちに謝罪するなんて思ってもいなかった。

「なによ急に……」
眉間にシワを寄せて聞くと「だ、だって、最近あたしたちに変なことばかり起きてるし」と、口ごもりながら言った。
愛子はなにか感づきはじめているのかもしれない。
何かに気がついたところで、なにもできはしないけれど。
「靖、ついさっき死んだんだってさ」
夢が冷たい声色で言った。
「え?」
愛子が目を見開く。
「今日、教室の窓から飛び降りたんだよ」
夢が言うと、愛子はポカンと口を開けた状態で絶句してしまった。
「なんでか知りたい?」
あたしの質問に愛子は左右に首を振った。
今にも泣き出してしまいそうな顔だ。
「し、知りたくない!」
「それでも教えてあげようか」
意地悪く言うと、愛子は両耳をふさごうとした。
しかし、骨折しているからうまくいかない。

「さっき自分が言ったじゃない。自分たちにばかり変なことが起こってるって」
「まさか、本当に2人がなにかしてるっていうの?」
その言葉に夢がニヤリと口角を上げて笑った。
そして夢の耳に顔を近づける。
「あんたたちの生死を操作してるって言ったら、どうする?」
「生死を操作……?」
「そうだよ。それで、次は……」
夢は笑顔を浮かべたまま、愛子を指差した。
「え……」
愛子は目を極限まで見開いた。
両目からボロボロと涙がこぼれ落ちていく。
「あたしの番……?」
ポツリと、聞きとれないくらい小さな声で呟いた次の瞬間だった。
突然両手で胸を押さえてうめき声をあげたのだ。
座った状態で上半身を折り曲げてくるしげな声を上げる。
「愛子?」
「胸が……くるしっ……」
愛子の顔は苦痛にゆがんでいる。
演技には見えなかった。
愛子が手をナースコールに手を伸ばす。
しかし、それを掴む前に指先が当たって落ちてしまった。
ナースコールはぶらんとぶら下がってしまう。
「うっ……お願い……医者を呼んで」
愛子の声は消え入りそうだ。

「靖もそのくらい苦しんで死んでいったと思うよ?」
夢がニタニタと笑いながら言う。
その言葉は絶望の淵にいる愛子を更に追い詰めるものだった。
「ねぇ、愛子も苦しい?」
夢は愛子の顔を覗き込む。
あたしはゴクリと唾を飲み込んで、ナースコールを手に取った。
「知らん顔してたら、あたしたちは犯罪者になる」
短くそう言って、ナースコールを押したのだった。

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