がんじがらめの契約と狂愛〜聖女になれなかった異邦者の唯一〜

く〜いっ

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55 決別する世界

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 私達はジリオ様とレディ・ピアディに別れをつげ、伯爵邸をあとにした。ジリオ様に託されたウーニャのぬいぐるみが、やけにズシリと重く感じる。
 アラン様は私を抱きかかえたまま、『聖水の庵』の呼び鈴をならした。

「おや、お客様、お帰りなさいませ。お部屋はそのままにしておきましたよ。届いたお荷物も置いてあります。奥様、具合でもお悪いので?」

 宿の主人は、アラン様の胸に顔を埋めたままの私を、気遣っているようだった。

「薬師でも呼びますか?」
「いや、大丈夫だ。夜会疲れがでただけだ。落ちついたら回復魔法があるので」
「失礼いたしました。貴族様の魔法の威力、失念しとりました。わしらはもっぱら薬師だよりですから」

 カラカラ笑って、部屋の鍵をわたしてくれた。

「用も済んだので、明日の朝には出発する。宿代は足りてるか?」
「ああ、大丈夫です。ご領主様のほうから、お客様たちが戻ってきてもこなくても、1ヶ月はこの部屋をお客様用に開けておくよう言われてまして、追加で頂いております。むしろ残金をお返ししたほうが……」
「いや、荷物の預かり金だ。受け取っていてくれ」
「ありがたいことでございます」

 ほっとしたようすで、主人は頭を下げた。

 室内に置いてあった荷物は、レディ・ピアディがお忍び用と言いながら、選んでくれた庶民的な服など着替え一式。アラン様のシャツにつつむようにかくされていたのは、エバンティスの紋章入り短剣とジリオ様の署名がはいった出領証明書。小袋に入れられた金貨……

「これらの荷物は?」
「もしものために準備しておいたものだ。まさかジリオが宿代を精算しているとは気がつかなかったが……」

 アラン様もジリオ様もさすがだなぁ。確かにドレスのままだと領を出るのも不審がられそう……

「市井にまぎれこめそうな店の商品は、ここに届けてもらうよう指示していた。貴族が宿で庶民の服に着替え、市井に遊びに出ることはままあることだから、店も慣れている。短剣と出領証明書は俺が直接、置きにきた」
「いつのまに?」
「リオがドレスの採寸をしているときだ。ジリオはあまり伯爵邸の使用人を信用していなかったのかも知れない。俺に馬のようすを見に行くついでに持って行けと、直接わたしてきた」

 メイドたちのレディ・ピアディにたいする言動を考えると、エバンティス侯爵から、私を正妻として扱うよう指示がでていたのだろう……ジリオ様の気持ちも考えず、主人が愛する、幼い頃からの婚約者を切り捨てた使用人たち……
 ジリオ様が、彼らを信じていなかったことにも納得できる。使用人たちが直接レディ・ピアディを害したわけではないけれど、ジリオ様はレディ・ピアディを守らなかった彼らを許さないかも知れない……
 伯爵邸の今後を考えると、ふるえるような不安感が襲ってきた。

 アラン様は私をそっと抱きしめ、髪に口づけを落とす。

「無事でよかった……」

 私を抱きしめるアラン様の手は、驚くほど冷たくて……彼も極度に緊張していたのだとわかる。彼の大きな手を取り、その冷たい指先に口づけた。

「アラン様、抱いて」

 彼が驚いたように目を見開く。

「怖いの。あなたがちゃんと私のそばにいると信じさせて」
「だが、今は……追っ手がかかる可能性が残って……」
「あなたに抱かれて死ぬのなら、私は幸せ。私はもう後悔したくない。気持ちを偽らない。私の唯一をあきらめない」

 握っていた彼の掌にも口づける。その手をそのまま頬にあて、彼を見上げながら告白をつづけた。

「アラン様が好き。だから私は全力であなたを誘惑するって決めたの」

 アラン様の顔が、みるみる赤くなっていく……彼のこういう純情なところも好き。

「俺も好きだ。愛している俺の聖女」

 ふるふる首を横に振った私を、アラン様はきょとんと見つめた。

「聖女じゃないわ。私はリオよ! アラン様がたとえ私の姿に聖女の影を重ねていたとしても、私は聖女に負けたくない。私をちゃんと見て! あなたに愛をささやいたのは、聖女じゃない。リオよ!」
「リオ、違う!」

 アラン様が叫ぶ。今までにないぐらい慌てている彼が、そこにいた。

「……俺はその……リオをちゃんと見ている。……聖女と言ったのは、その、言葉の綾で……リオに聖女の影を重ねているわけでも、聖女に憧れているわけでもない。好みの女が降臨してきて、聖女になりそうだっただけで……俺はリオが気にするぐらいリオのこと、聖女と呼んでいたのか?」

 私はコクリとうなずいた。

「アラン様が私を熱く見つめるとき、かならず『俺の聖女』って言うの」

 彼はバッと掌で顔を覆い、天をあおいだ。

「すまない。違うんだ。そういう意味ではなく……俺の聖女。俺の女神。俺の天使……俺の独占欲がうんだ賛辞のひとつだ」

 アラン様も、私も真っ赤だったと思う。

「私が聖女だから、アラン様が私を気にいってくれたと思っていたの」
「違う。リオだから気にいった」
「私が聖女だから、守ってくれていると思ったの」
「違う。リオだから守っているんだ」
「聖女の私がアランを唯一にしたいと望んだから、つきあってくれていると思ったの」
「違う。リオが俺を唯一に選ぶ前から、俺の唯一はリオだった」

 涙があふれる。私、空回りしていたみたい……

「愛してます。アラン様」
「愛してる。俺のリオ」

 両思いだと実感して、初めて交わした接吻は、涙に濡れてしょっぱかった。

「アラン様……」
「リオ、アランと……呼んでくれ」
「ふふ、アラン」
「ああ、いいな。うん呼びかた、こっちのほうがずっと近くに感じていい」
「私たちはこれからどこへ向かうの」
「安住の地へ、俺たちを誰も追えない場所。シノアの聖域へ」

 アランに、ぎゅっと抱きついた。

「俺はどうやら独占欲が強いらしい。リオを他の男にふれさせたくないんだ」
「うん。嬉しいわ。私も独占欲が強いの。アランに他の女性がふれるのは嫌だわ」

 私たちの脳裡には、今晩のジリオ様とレディ・ピアディの姿が焼きついてしまっている。あれほどお互いを求めあっていたのに、血族の呪縛から逃れられなかった姿。この世界の人びとの低い貞操観念で考えたって、体を重ねる相手は自分で決めたっていいはずだ。あれを血族の仕事としていることが間違っている。
 聖者、聖女の血族は、産まれたときから、この世界にとっての娼婦であり男娼……そんなの絶対間違っている。

 ジリオ様は、逃げたい……と言っていた。きっとふたりは縛られているんだ。あの理不尽な『約定の証書』に。

「私、この世界の奔放な性についていけない。私はアランにだけ抱かれていたい」
「ああ、俺もリオだけを抱きたい」
「『約定の証書』で人を縛る神も好きになれない」
「俺たちはこの世界を捨てるんだ。もうこの世界の神を気にすることはない」

 ちゅっ、ちゅっとリップ音をさせながら、アランが私の髪に顔に口づけの雨を降らせていく。ふと、ジリオ様から託されたウーニャのぬいぐるみのなかに入っているものが気になった。

「おい、リオ……」

 するりとアランの腕の下からくぐりでて、ウーニャのぬいぐるみを手に取ると、拗ねたような抗議の声で名前を呼ばれた。

「ジリオ様がなにを入れたのか、気になっちゃって」

 ぬいぐるみのなかにあったのは本のようなもの。

「どうやら『ジリオの日記』のようだな」
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