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ふたりきりで

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「残りの書類はこちらに運んだか?」
「はい、こちらにございます」

従者見習いに問うと、当然のように頷かれた。

「では軽食の準備を侍女に伝えておいてくれ、後程……薫もこちらに参るゆえ、薫が好きそうなものを見繕ってほしい」
「なんと! お嫁様が」

真っ赤な顔をして目を丸くしてこちらを見ている。

「そなた……」
「いえ、あの!」
「何を考えているのか知らぬが、薫がこちらにせっかく渡ってきてくれたというのに、我はあれ以来多忙で、全く時間が取れずに話もろくにできていないのだ。少々の雑談と軽食をつまむぐらい良かろうが」

まだ見習いの侍従見習いは口を一文字に結んだ。

「もちろんでございます!」
「そなたにもそのうち紹介せねばな、ああそうだ、カジャルはどこにいる?」
「カジャル様? カジャル様はお嫁様の来訪時、サヌ羅様と共に挨拶に向かわれましたが、そのままご実家に帰られております」
「実家に?」
「はい、お嫁様がいらしたことにより、カジャル様は一度任を解かれましたので、お住まいのお部屋も引き払われましたが……?」
「え……」

まだ年端もゆかぬ幼き頃よりずっと一緒だったのに、こんなにもあっさりと『任を解かれる』だと?

我が生きているのは、カジャルのおかげなのに。

「確かに伴侶候補ではなくなるが……」

侍従見習いはおずおずといれたての茶を机に置き、こちらを伺ってきた。

「とにかく、実家へ戻ったのだな?……了解した、明日サヌ羅に聞くとしよう、明朝執務室へ来るよう伝えよ」
「はい、わかりました。では、侍女に軽食の件を伝えましたら、私はこれで失礼いたします」
「うむ」

トンと襖が閉まる音がしてシンとした部屋の中で、カジャルのことを考えてみた。
喜紗を解任したことにより予想以上の作業量に埋もれているうちに、こんなことに……

しかし先ほどの侍従見習いの疑問も当然だなと思い直してみる。

薫とこれから共にある人生が始まるのだ。
我は薫以外、誰もいらぬ。

とすれば、確かにカジャルは実家に帰るしかなかっただろう。

「16年、一緒にいてくれたのにな……カジャル、すまないことをした」

ゆっくりとカジャルと話す機会を持つべきだと思った。


 しばらく集中して書類に目を通していると、ワゴンを押した侍女が数名入室してきた。

「陛下、こちらでよろしいのでしょうか?」
「ああ、そこで良い、置いたら下がってくれ、今宵はもう用事はない」
「かしこまりました」

侍女たちは優雅な所作で軽食(といっても、やけに手が込んでそうだが)を用意し、頭を下げて静かに出て行った。

「あれ?ここなのかな?……んーと、蘭紗さまあ!」

とんとんと障子を叩く音がして、それから薫ののんびりした声が湯殿へ向かう廊下側から聞こえてきた。

なんとまさかこちらから来ようとは……

あっけに取られながらも笑いを堪えきれず声を出して笑ってしまった。

とんとん叩かれる障子をそっと開けると、真剣な顔をした薫がいた。

「こちらから参ったのか?しかもお供もつけずに?」
「え?こちらからって、あれれ?さっきお風呂で話したじゃないですか?……蘭紗様のお部屋はこっちなのだと。お風呂から繋がっているって……」

しょんぼりした様子の薫の頬に手をやり、顔を上げさせた。

「失敗してしまいました。一度お部屋に戻って出直してきます」

恥ずかしそうに視線を逸らそうとする。

「何を言う、大丈夫だ。やり直しなどいらぬぞ。さあ上がるんだ、それとも抱き上げようか?」
「……! いえ! 自分で上がりますから!」

そう言うとササッと床に上がると、ふふっと笑って手に持っていた花を差し出した。

「僕、まだこの世界を本当にわかってないですね、驚かせてすみません。渡り廊下があるならそこから行けばいいって勝手に思ってしまって…… あ、これお花です。とても良い香りがするので、侍女たちと花束にしてみたんですよ……というか実は留紗のマネなんですけどね」

そう言ってはにかんだ顔がかわいかった。

我の手に渡された花束は小さくて控えめで、だが輝いていて、心を静かに満たしてくれる。
薫そのもののようだ。

「ありがとう薫……まさかこのような贈り物をしてくれるとは」
「え、贈り物だなんて! 大げさですよ。 僕のお部屋のお庭が広くて綺麗なお花がたくさん咲いていたのです。それだけです」
「あちらの部屋に薫の好きなものを用意してあるのだ、食べながらゆっくりしてくれ」

薫の手を取り、持ち帰った執務を行っていた部屋に通した。

「で、薫、侍女たちは渡り廊下から来ることをなんと?……まさか伝えていないとか?」

薫は、あ!と小さく言い、やってしまったという顔になった。

「誰にも?」
「……はい、誰にも」
「あはは!」

大声で笑う我など他の誰も見たことがないだろう。

「あは!もう蘭紗様笑わないでください!」

薫も笑いながら我の腕をポンポン叩いてくる。

「まあ、そなたが行方不明だと思われたら面倒だからな。それだけは伝えておかねば」

我は一度下がらせた侍女に事情を伝え、薫付きの侍女たちへ伝言を頼んだ。

その際に花束を入れる花瓶を取ってこさせた。

「良ければ、部屋を見て回るか?暇であろう?」
「え、いいのですか?」
「構わない」

薫はしばし思案顔であったが、ふむと一度頷き、スタスタと歩き出した。

ふんふんと何やら歌を口ずさみながら障子を開けたり閉めたりして、数ある部屋を回っているようだ。

その姿を見て我はまたもや笑顔になり、執務に戻った。

喜紗がいなくなった穴は大きい。
それに宰相がずっといないのも良くない。
誰かを据えねばならぬ。

色々と頭が痛い問題が多いが、もうそろそろキリが良さそうだと、顔を上げた。
探検から戻った薫はテーブルに一人座り、手で何かを摘んで食べている。

そして飲み物を何にしようか思案顔で数種類あるポットの中身を見ていた。
動作がいちいちかわいいのはなんだろう。

「クク……」

静かに笑ったつもりだが、薫には聞こえたようだ。

「もう! また笑ってる!!」

薫も嬉しそうに怒ったふりをした。

「もう終わりですか?」
「ああ、今日はこれくらいで良かろう」

ああ、それなら……と言いながら皿を手に乗せこちらに来た。

「蘭紗様、これなんてどうです? 甘すぎずにとってもおいしかったのですが」

見ると、果実の寒天よせのようだった。

「おいしそうだ……」
「じゃあ、はい、あーん」

嬉しそうに匙で少し取り、当然のように我の口に運んでくれようとする。

「……あ、えっと」
「いいから! お仕事お疲れさまでした!の一口ですよ」

薫はにっこりと笑いなおも我に食べさせようとする。
その様を見ていると、意地を張っているのが馬鹿らしくなってきて、ふっと笑ってしまった。

「では、いただこう」

笑顔とともに差し出されるツルンとした寒天の舌触りは、帰宅してからの疲れがすべて解けていくかのようで、今まで味わったことのない不思議な味わいだった。


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