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時を超えた贈り物

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 駅前のビルの谷間を僕は歩いている。
これはいつもの学園に行く道だ、家からゆっくり歩いて30分ぐらい。
夏場以外は少しでも体を動かしたくて、車を出してくれようとする祖父の運転手を制してこうやって歩くのだ。

少しづつ暑くなっていく気配を感じる初夏の陽射しで少しセミの声も聞こえてくる。

この街には緑が多くて有名な大きな公園もある。
駅前に広がる商店街だけを見れば地方都市のような風情だけど、そこを抜けると一気に住宅街が広がって、落ち着いた日々の重なりを感じるようなそんなところだ。

大きな荷物を持つ美大生の軍勢とすれ違いながら僕はゆっくりと歩く。
美大生たちは畳一畳分ぐらいのキャンパスを持って、必死な顔だ。
絵を描くって体力勝負だよな……
見てるだけだと優雅なんだけど……
そこは音楽と似ているところかなと思う。

僕のバイオリンの実力はそこそこ……のはずだ……もしかしてもっと練習出来たらプロにだってなれるだろうと言われている……どうしてもこの弱い体が邪魔をする。
上を目指す意欲をそがれるのも、夢を見る前に諦めるのも……
この体がすべて奪っていく。
好きなことに熱中することすら、僕はできないでいるんだ。

僕は民家に植わった木に花が咲いているのを立ち止まって見つめた。
届けたい気持ちや人がいないのに、弾いているのはなんでなんだろう。
僕は何のために弾いているんだろう。

手にはバイオリンケース、背には教科書の詰まったリュック。
ああ、今日は音楽部欠席でバイオリンの先生のところにすぐいかなきゃな……

残念に思いながら部活のみんなの顔を思い浮かべる……
体が弱くてあんまり動けない僕をいつもいたわってくれる優しい部員たちは、ほとんどが音大を受けそのまま音楽の道へ行くという。

僕は……?

代議士という代々続いた名誉なことを引き継げるような体力は無い。

それを察している父は、最近僕の顔を見ようともしない。
母はどこかに話の落としどころを見つけようと必死なのがわかる。
もしかして成人したら、少し体調が落ち着くかもしれないのだから、まずは秘書見習いからと。

つまり政治経済を学ぶための大学に行って、その後は父の事務所に就職……だ。

親は僕のバイオリンを気晴らしとか趣味とかそういう風に捕えている。
実際、そんな風にしか見えない程度にしか僕は練習できてない。
怠けたくてしてないのではなくて……体力の限界からなのだけど……
そんなのは言い訳なんだろうな……

たった一つの僕の人生を明るく照らす『好きなこと』さえも、周りからみればどうでもいい趣味でしかない。

むなしくなった僕は見上げていた花から目線を道路に下げて、じっとアスファルトを見つめた。

こんな道端で何をこんなにおセンチになってるんだ、僕は……

こんな時思い出すのは、北海道。
単なる逃げでしかないけど、僕には北海道は心の故郷なんだ。







「……る、薫、かお……ああ、起きたか?……どうした薫、何の夢をみたのだ」

大好きな優しい花の香りがして……耳元の囁く声で僕はハッとする。

「あ……らんじゃさま」

蘭紗様は、新調された天蓋付きのベッドで僕に添い寝をしてくれていたようだ。
困ったような表情で静かに僕の涙を拭いてくれている。

あれ?いつ寝たんだっけ?

「あ、あの……ん?」

蘭紗様は僕が正気に戻ったことにほっとしたようで、くすりと笑って
窓を指さした。

「もう明け方だよ……昨日……そなた酒を飲まされてな……すまなかった。我が目を離したすきにあやつらめ……」
「お、おさけ?」
「酒はまだ飲んだことなかったのだろう?前に聞いたから我は知っていたが……こちらでは15才になれば酒をたしなむのでな……まあ、皆も悪気はなかったのだ」
「……はあ……ごめんなさい……もしかして僕、なんか恥ずかしいこと……してませんよね?」

蘭紗様は一瞬固まってから目を泳がせて頬をポリポリと掻いた。
なにその仕草、初めてみるんだけど。

「ちょ、ちょっと……何があったんです!」
「いや、落ち着け薫……別に悪いことは何もしてない」
「だから何があったんですかぁ……」
「いや、涼鱗が面白がって……」
「面白がって何なんです!」
「……薫が大好きなケーキを手に、これが食べたければ飛んできなさいと言ってな……そなたは嬉しそうにふらふらと宴の会場を飛翔して涼鱗の元へと行き、そのまま浮いたままケーキを食べて、なぜかそのまま歌いだしたのだ」
「うた?」
「ああ、我らの知らぬ歌だったが……その実に美しい歌声であったし、何もおかしなことは」
「あああああああああああああああああああああああああ!!!!」

恥ずかしい!!
あの夜の宴会に一体何人いたというのだ!しかも、出席者はほとんど王侯貴族……

もういや……

僕は力を無くして枕に顔をうずめ、うーうー唸った。
穴があったら入りたいってこっちでもいうの?ねえ

「それから、これは……僑が持って帰ってきたのだが、波羽彦からのお祝いの品だそうだ」
「え?」

僕は枕から顔を離し蘭紗様が棚の上から何かを取ったのを見つめた。

あら?なんか見たことのある形……って、え?

「……バイオリン……?」
「ああ、そうだ。これは阿羅国の楽器だが、波羽彦が言うには薫なら弾けるはずだと」
「そ、そんなまさか!バイオリンがあるなんて!」
「うむ……僑が聞かされた事情によるとだな、阿羅彦が攫ったお嫁様の中にバイオリンの名手がいたそうだ。阿羅彦はその人を大事にしてバイオリンの腕を買い特別扱いしただけでなく、教授を頼み込み自分でも弾いたそうだ」
「新人君がバイオリンを?!」

驚きのあまり口をあんぐりと開けたまましばし硬直した。

「うそおぉ……」

頭にサッカーボールを追いかける高校生の新人君が浮かぶ。
僕が弾くとじっと耳を傾けてくれて、そして嬉しそうに感想を言ってくれるあの顔を。

「うそでしょ……」
「でだ……阿羅国はどことも正式に国交を持っていなかったのでな、門外不出となっていたのだが、本国では貴族を中心に広く広まっているそうだ。製造もしているそうだよ」
「で、ではこれは……阿羅国の?」
「波羽彦が言うには、このバイオリンはおよそ1000年ぐらい前の名匠が造ったもので、最高のものと名高い逸品だそうだ、ちなみに、残念ながらお嫁様が当時持ってきたバイオリンはすでに形を成していないようだ、しかし阿羅国できちんと保管はしているそうだよ」
「ちょ……ちょっとまって……そんな……そんな素晴らしいものをポンと僕に?」
「ああ、阿羅彦との会話を名匠が日記に残していて、その日記によると、『日本にいたころバイオリンを弾く素敵な友人がいた、その友人を私は愛していた、その愛する人がもしここにいたなら、これを弾いてほしいと願ってしまう』と」

僕は蘭紗様が丁寧な仕草で渡してくれたバイオリンをベッドに座ったまま受け取って、それを眺めた。

美しい木目の手触りの良いバイオリン。
体になじむ重さに、僕はやり残した気持ちを今更思い出して静かに涙がこぼれた。

「新人君は、いつも、嬉しそうに聞いてくれたんです、僕のバイオリン」

僕は蘭紗様を見上げた。
美しいかんばせが優し気に僕を見つめて、静かに見守ってくれている。

そっと弓を手渡されて、僕はちょっと困ってしまった。
まさかまたバイオリンを弾く機会に恵まれると思っていなかったから、心の準備が……

ドキドキしていると、蘭紗様が優しく手を引いてくれて立たせてくれた。
戸棚を見るとバイオリンのケースが開けたままになっていて、その中に松脂が見える。

僕は弓のスクリューを回し松脂を付ける。
匂いも同じだ……
なつかしさに胸がいっぱいになる。

バイオリンを肩にあて調弦をする。

あぁ、なんて素敵な音なんだ……
僕が持っていた物もそこそこにお高いものだったけれど……これは……

調弦の音を聞き、蘭紗様が瞠目しふむふむと満足そうにうなずいた。

「薫、素晴らしい音なのだなバイオリンとは……弦楽器は紗国にもあるが、そのどれとも違って伸びやかで艶やかな音だ」

僕は蘭紗様の顔を見て頷いて目を瞑った。

スッと息を吸って、弾き始めたのは僕の好きだった曲。
新人君も気に入って、良く聞かせてほしいとねだってくれたもの。
弾き始めて僕は頭の中で生まれ育った日本を思った。

あまり考えないように、考えすぎないようにと思っていた故郷だけど……
帰りたいという気持ちよりも懐かしいという気持ちでいられた。

大好きだった公園……そこにある四阿。
緑の美しい公園の中で、時間のある時はこうやって弾いたのだ……
大好きな自然の中で。

あの頃の僕とは違う、今は愛する人がいて愛されて大事にされて、そして、いくら弾いても倒れたりしない体の強さも手に入れた。

そうか……僕の夢は別にコンクールに入賞することじゃなかった。
こうやって大好きなバイオリンを夢中で弾くこんな時間を思いのまま過ごすこと……だったのかもしれない。

心に満足感が広がって、そして曲が終わった。

曲の世界から我に帰り蘭紗様を見つめると、蘭紗様はうっとりと聞いていて、そして呟いた。

「ああ、薫……こんな音色を聞いたことないし、素晴らしすぎるよ……そして胸が苦しくなる」
「え?……あのなにか、あれですか?僕の演奏がダメなところでも」
「いやいや、あまりの感動ゆえだよ、弾いている姿の美しい……なにもかも素晴らしい……出来ることならば、私が薫にバイオリンを渡してあげたかった……1000年も昔から用意していたのが阿羅彦だったとはね……妬けるんだ」

蘭紗様は自嘲の笑みを浮かべて、恥ずかしそうに近寄り、弓を持つ手を取りキスをした。

「この演奏をどこかで皆に聞かせたい、どうだろう?」
「……僕の演奏でよければ……練習もたくさんして、がんばりますよ!」

蘭紗様は満面の笑みで僕からバイオリンを取り合げ、大事にケースにしまってくれた。



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