狐の国のお嫁様 ~紗国の愛の物語~

真白 桐羽

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熊族の王子

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 アオアイの空はとても美しく晴れ渡っていた、僕は高いところを鳥たちが群れをなして飛ぶのを見つめた。

昨日の夕方にアオアイに到着し、一晩をあの迎賓館で過ごした。
素晴らしい朝だ……
その空を眺めながら軽い朝食をとった。

蘭紗様達は朝早くから明日の会議の準備に取り掛かっていて、僕は一人なのだ。
カジャルさんもあちら側でお仕事があるという。

僕は今日、ピアノ伴奏をしてくれるルカリスト王国のピアニストと一日かけて伴奏合わせをする。

演奏会に使われるホールは今は準備中で入れない、その代わりにその次に広いホールを僕にとアオアイ王が手配してくれていた。
ステージには木目の美しい芸術品のようなピアノが鎮座している。
美しい彫刻が入っていて、楽器というよりも見て愛でるものに感じるぐらいだ。
この世界にきて初めて見るピアノだが……こちらではこういう感じなのだなと思わず手に触れ、鍵盤を弾いた。

伴奏者とは初めて会う。
本当はもっと何日もかけてなじませたいけど……そんな時間はない。
僕にとっては短く感じるけど、向こうはプロだから胸を借りるつもりで自然体でいよう。

「薫様……あの」

仙は言いよどんで口を閉じ、そしてまた開けて、フゥと浅く溜息を付いた。
僕は何かをためらう仙の顔をじっと見つめた。
仙は何事も真っ直ぐに対応するタイプで、こういう戸惑いを見せることはあまりない。
どうしたのか?と訝しんでいると、入り口の厚いドアをググッと開けて二人の男性が入室してきた。

僕はその人の顔を見て身体を一瞬震わせる。
室内に控えていた近衛も少し身体を動かす。

「その……怖がらずに聞いてほしいのだが……」

その人は僕の驚きを感じ取って、近寄らずドアから2、3歩入ったところで止まり、かなり遠いところから話しかけてきた。

「ここにいるのが、我が国の誇るピアニストのエサイアスだ……この者が薫殿の伴奏者として名を告げてあると思うのだが……よかったらその栄誉を私に譲ってはくれないかと、彼には前々から話してあったのだ」
「え?」

僕は衝撃を受けて持っていた譜面をきつく握りしめた。
そして仙を見上げる。
唇をかみしめて悲しげで困ったような顔をしていた。
ああ……これを伝えようとして、何と言ったら良いのか迷ったのか……

「あの……」

僕は考えがまとまらず、仙の顔とその男性の顔を交互に見る。

その人は、ルカリスト王国の第2王子・サスラス王子だった。
前回のアオアイでの滞在中、僕の部屋にベランダから押し入って僕を抱き上げたその人だ。

「このようにだまし討ちですまない……しかも本番を明日に控えて大事な時に心を乱してしまっていることもわかっている。しかし、今日を置いてあなたと和解出来る日はもう永遠に無いような気がしている」
「和解?……」
「……ああ、あなたを勝手な行動で怖がらせ、そして国として紗国に賠償金を払うまでの騒ぎになってしまったことを……直接謝る機会も与えられないまま今日まで来てしまった。このまま何もせずにあなたに近寄らずに人生を終えてしまうと、悔いが残ってしまう」
「人生を終えるって……あなたも私もまだ若いじゃないですか」
「そうだが……私はまもなく王子ではなくなるのだ、国の西側の領地を与えられ爵位を持って臣下となる。兄が正式に王太子になるのと同時に」
「……それは……その、おめでたいことではないのですか?領地を得るのですから、悪い話ではないと思うのですが……」
「まあ、そういう見方もあるだろうし、実際そうだろう、叔父が治めていた領土だがそこに息子がいないので私に白羽の矢が立ったといえば聞こえも良い……だが、それは同時に、私は王子としてこのように国際的な舞台に出ることはなくなることを意味しているのだ」
「なるほど」

僕はしばし迷いながら、握りしめて皺をつくってしまった譜面を仙に渡し、サスラス王子に歩み寄った。

僕が近づくにつれ、大きな体を強張らせ緊張のみなぎる顔が更に硬くなるのを感じた。

「つまり、こういう場に出てこれなくなるから、もう二度と会えないかもと……そう心配なさったわけですね」

サスラス王子は後ろで手を組み、たくましい胸を張っていたが、自分の足元を見るように目線を下げた。

「私は……あの出来事の後……生まれてはじめて後悔をした。はじめ迎賓館で聞いたあの美しい旋律の主を一目見たいだけであったのに、あなたがあまりにも美しく、暴走してしまった。……その自分の考えの浅さ、そして、愚かさ……あなたを傷つけてしまったことを後悔したのだ。直接の謝罪さえもできなかったことで、更にあなたにしてしまったことの大きさを実感したのもある。私は無作法者で無骨だ。そして深く考えずに思ったことをそのまま行動に起こしてしまう愚か者だったのだ」
「……そこまで、おっしゃらなくても」
「……かばってくださるのか?」
「……」

僕はそう聞かれて、はいとは応えられなかった。
あの時確かに恐ろしかったし、そしてあんな人が王子だなんて!と衝撃も受けた。
だけど……

「かばうという表現が正しいかどうかはわかりませんが……サスラス様、あなたが心の底から悪人だとは思っておりませんよ。蘭紗様が謝罪に訪れたあなたを僕に会わせずにお引取りを願ったということは、僕は後で知りました……蘭紗様はあの時確かにお怒りだったとは思いますが……」
「それでは……今はどうだろうか?」
「ん……正直あのときのことを夫婦で話したことはありませんので、現在蘭紗様がそれをどうお考えなのかは、わかりません」
「いや……あなたの心のことだ……今、私が目の前にいて、怖いだろうか?」
「僕……」

改めて顔を見上げる。
ふと目線があって、彼の瞳は深い緑色だと知った。
茶色の硬そうな髪とよく馴染んでいる。
イメージではもっと鋭い目元だった気がするのに、案外タレ目で可愛らしくも感じられた。
その顔がふと笑顔になった。

「あなたとこんな風に視線が合うのは初めてのような気がします」
「僕もいま、そう思っていました」

僕たちはお互い微笑みあった。

「その……僕は……今は怖いなどと思いませんよ。あなたの印象はかなり違って見えますし」
「そうか……その……あのようなことは二度としない。私にも今は婚約者がいるのだ。領主になったらすぐに結婚式も執り行うことになる」
「そうなんですか?!」

僕は瞠目した。

「ああ、遠縁にあたる者と先月婚約した。それが……この世界会議に出席する条件だったので」
「えと、じゃあ……好きでもないのにということですか?」
「あ、いや、それは違う。あの者のことは憎からず思っている。何も手段として婚約したというわけではない」
「そうですか、良かった」

僕はふと、サスラス王子の斜め後ろにおとなしく控える男性を見た。
熊族をサスラス王子の他に見たことはないけれど、かなり細身でスラリとしている。
国民皆が2メートル近い巨体で、たくましく本当の熊を彷彿とさせるということではなさそうだ。
だけどそれなりに背も高く、知的な雰囲気を漂わせていた。
サスラス王子と同じ茶色の巻毛の中から丸い耳が見えていて、ああ、熊族なのかな?と思う。

「あなたの紹介文を僕は読み込んでいたのですが……ご一緒できそうにないのが残念ですよ。エサイアスさん」

ルカリスト王国のピアニスト、エサイアスはハッとして僕の顔を見つめ、そして緩やかに微笑んだ。

「私にはこのたび、ソロの演目もありますので、どうかそちらを……王妃様に捧げさせてください……私から見ても、サスラス王子殿下はピアノがお上手でございます。王子という身分がなければ、芸術分野へと進まれたかもしれないとかねてより思っておりましたから、王妃様の伴奏はサスラス王子に」
「ふふ……捧げるだなんて……なんかうれしいな」

僕も微笑んで頷きあった。
涼しげで優しい目元のピアニストは、今後もきっとどこかで会うだろう。
素敵な人で良かった。

「え……つまり、了承してもらえるということか?」
「はい、サスラス王子、いいですか?蘭紗様にあとで怒られても僕は知りませんからね」
「いやそれは……ん……」

サスラス王子がたくましい襟足を大きな手でさすり天井を見て「うぅ」と唸るのを僕とピアニストのエサイアスは笑って見ていた。

「王子殿下には、王妃様から送られてきた譜面をお渡しし、さらに稽古をご一緒しております。完璧に弾きこなしておいでですので、ご心配はいりませんよ」
「わぁ……それじゃさっそく合わせましょう。一日しか伴奏合わせできないから、本当に焦ってるんですよ……」
「はじめてのこの世界での大舞台でしょうしね」
「そうなんですよ!」

エサイアスは苦笑しながらピアノの椅子を引いて、そこにサスラス王子を手招きした。

「私に伴奏合わせの付き添いをさせてくださいませ」
「エサイアス……恩に着る」
「フフ……それはそれはうれしいお言葉です」

僕は心配気な仙からバイオリンを受け取り、調弦も済んでいるのでそのまま少し音を出す。

二人は驚いて僕を見て、そしてホウと溜息をもらした。

「しばらくぶりに聞くが……やはり格別だな……」
「ほんとうに素晴らしい音でございますね……驚きました」
「そうなんです。これは……僕の親友が僕のために作り置いてくれた……世界で一番の名器ですから」

新人君のことを一から十まで話して聞かせることはしなくても、二人は国の中枢に近いのだ、だいたいのことを察して、にこやかに微笑んでくれた。

「では、サスラス様、よろしくお願いしますね」

僕は心を込めて音を奏でた。

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