狐の国のお嫁様 ~紗国の愛の物語~

真白 桐羽

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演奏会2

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 黒に近い紺の、阿羅国独特の張りのある生地の着物を着て、黒く長い髪を一つに結んだその人は、どこか波羽彦さんにも……そして新人君にも似ていた。
背はかなり高く、ステージ映えのする姿だった。

その人はスッとまっすぐに僕の姿を捉え、一瞬じっと見つめた後、深くお辞儀をした。
頭を下げている時間はそれほど長くないのに、とても印象に残る姿だった。

僕はなんとなく落ち着かない気分になって手を握りしめた。

横に座っているサスラス王子は少し身体を縮めて耳打ちしてきた。

「大丈夫だろうか?あの者はいま、あなたにだけ礼をしたように見えたが……何か因縁が?」
「いえ……知らない人ではありますが……因縁は……あるのかもしれませんね」
「え?」

サスラス王子は一瞬身体を固くしたようだが、バイオリンの音がその時響き渡り、僕たちは揃ってステージに目をやった。
僕が思い描いていたとおり……素晴らしい音と演奏で、一瞬にして会場の人々を魅了した。

誰もがその彼の奏でる鋭く悲しい旋律に心を打たれた。
彼が何者であるかなど、誰も知らない。
なのにこの一瞬世界が彼を認めたと感じた。

阿羅国という誰もが警戒してしまう地に生まれて、だけどバイオリン一筋に生きた人。
それが音の全てに現れている。
胸が苦しくなるような……そんな素晴らしい演奏だった。

僕の頬に涙が知らずに流れ、膝の上に落ちた。

瑠璃色の羽織に落ちたそれは、丸いシミをつくってしまっただろう。
だけど、僕は指一つ動かせずにいた。

横にいたサスラス王子ももはや僕を見てはいない。
誰もがその演奏に魅入られていた。

後ろに控えていた仙がそっと僕の頬に肌触りの良いハンカチを当て、涙を拭ってくれた。
僕にはお礼を言う余裕もなかったけれど。

10分あまりのその曲は難曲として知られるものだ。
それを素晴らしい技術と表現力で弾ききった彼は、演奏を始める前と寸分違わず無表情のまま観客を見渡し、そしてまた僕を見つめて、静かに礼をした。

会場は瞬間割れんばかりの拍手に包まれ、僕はやっと息ができた気がしてハァハァせわしなく呼吸して仙を慌てさせた。

「薫様……横になられますか?」
「いや……大丈夫……なんかちょっと息ができなかっただけ……」
「薫様……息を忘れるとは何事ですか……」

サスラス王子も心配そうに小さく声をかけてくれた。
鳴り止まぬ拍手の中、さきほどの彼はステージから降りたようだ。

「少し休憩があって、その次がピアノ演奏のエサイアス様、その次が薫様でございますよ」
「うん、そうだよね……エサイアスさんも大変だな……」

僕は乾いた笑い声でサスラス王子を見た。

「いや、正直言うが、さきほどのあやつの演奏はなんというか……鬼気迫るものがあったな。素晴らしかったことには違いないが、薫様の演奏がそれに劣るとは私には思えぬぞ」
「ええ、私もそう思いますよ薫様」

二人の言葉を聞いても、僕にはまだあの素晴らしい演奏が耳に残っている。
心をかき乱されて、どうすればいいのかわからない……心臓のドキドキが止まらない。

「薫様……これを」

仙は水色の絹のハンカチに包まれたものを差し出した。

「これは?」
「ラハーム王妃様から頂いたお守りでございますよ、壊れないか心配しておいででしたので、直前まで預かっておりました。さあこれを胸元に」

僕はありがたくそれを受け取り、懐に忍ばせた。

気のせいだとは思うけど、ぽわっと暖かくなった気がする。

「ほう……ラハーム王妃が薫様にお守りを?」
「ええ、丸い形なので喉元の鱗かな?と推測できるようですよ」

僕が答えるとサスラス王子は瞠目してからパチパチと何回かまばたきをした。

「それは……蛇族が巣立つ息子に母が渡すというあれか?」
「なんだかそういう謂れがあるようですねぇ」
「……あなたは、本当に皆から愛されていて、大切にされているのだな」

サスラス王子はタレ目をさらに下げて温かな笑みをこぼした。
この人は、こんな顔もするんだなと僕はなんだか嬉しくなった。

「はい、ほんとうに……皆には感謝しかありません」
「ならば、何も恐れることはないだろう?皆が待っているのは、あなたの演奏であって、何も超絶技巧の演奏を聞きたいわけではないのだ」
「……」
「薫様、休憩で15分ほど合間があります、なにかお飲みになりますか?」
「ん……」

僕は素晴らしい演奏にあてられて喉がカラカラだったので、冷たい紅茶を一口だけ飲んだ。
スッと現れたクーちゃんは鮮やかな鳳凰の姿で僕の膝の上に乗った。
それを見てサスラス王子が息を呑んだ。

僕はクーちゃんの羽毛を触って微笑んでから目を瞑り、紗国に来てからの自分のことをひたすらに思い返した。
何もわからずにただ立ちすくんだ赤い大きな鳥居の前……そこに座っていた小さな留紗。
彼に導かれ城に入った僕を歓迎しなかったカジャルさんは、今は大事な親友だ。

そして、その後に少し遅れて現れた、銀色に輝く僕の愛する人……蘭紗様。

あの瞬間を僕は忘れられない、一瞬で恋に落ちるあの感覚はなんと表現したらいいのだろうか。

そして、僕の息子になってくれたかわいい翠。
いつも見守ってくれる涼鱗さんや、喜紗さん。
支えてくれる城にいる人達……

なんて……なんて愛されているんだろう。

僕はこの気持ちを音に乗せよう。

落ち着いたところで目を開けると、ちょうど休憩が終わり幕が開いたところだった。
仙とサスラス王子が心配げに見ているので、軽く微笑んで「大丈夫」と小さく伝えた。

サスラス王子は戸惑いつつも仙を見て、仙が頷くのを見て背を伸ばした。
この二人はいつの間にこんなに打ち解けたんだろう……

「エサイアスさんの演奏……楽しみです」
「ああ、彼は本当に世界でも最高峰のピアニストなのだよ」

サスラス王子は自慢げに話した。


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