涙の出なくなった少女は、異世界から死者を呼び戻す少年と出会う

ベロシティ

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奇人雨村の決意

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 通学路の塀の上には灰色の猫がいる。
放課後の時間になるとどこからともなく現れて、いつも眠たげに座っている。そっと見つめていたのに猫はすぐに詩音がやってきたことに気づいた。
ふさふさの顔で、にゃあ、と一声鳴く。

かわいい。詩音の頬が緩んだ。
瞳でかわいいよ、と合図を送ると、猫はいつものようにすまし顔でそっぽを向く。その愛嬌ある仕草に心が癒される。
もうすぐ夏になるが、愛咲詩音はいつものようにマスクを着けたままで歩いていた。近頃はずいぶんと和らいだものだが、やはり人の視線は怖い。少し頑張れば自分から話すこともできるのだが、詩音の問題はかかわりを望む気持ちが薄い所にあった。一人でいるのが好きなわけではないが、この世には草木があり、猫がいて、鳥がいる。人と関わってこれ以上の傷を負うくらいなら、他の生き物といる方がいいように思える。だからいつも下校は一人だ。
この日も、一人で趣味のダーツをするつもりだった。

 帰路の公園に差し掛かった時だ。ベンチで、同じ中学校の男子が煙草の箱を開けているのを目撃した。うちの学校は賢くはないが、地元ではそれなりに有名な私立学校なのでそんな不良がいるとは驚きだ。しかもその少し幼い顔には見覚えがある。同じ学年。詩音は気づかぬ振りをして通り過ぎようとした。
が、しかし。

「ゴホッゴホッ!グエッ」

激しく咳き込む音が聞こえ、思わず振り返ってしまった。視線が合う。彼は煙の上がる煙草を持って、充血した目をしていた。

「あの、大丈夫ですか」

放っておくのも申し訳ない気持ちになってついそんなことを言った。

「いいえ。クソ不味いです」

親の仇を見るような激しい敵意を煙草に向けている。

「どうしたんですか。罰ゲームをやらされているんですか!」

詩音は心配になって男子に駆け寄った。
彼はひとしきり煙を吐き切ると詩音を見上げて言った。

「優しいね、ありがとう。でもこれはあくまで自発的な行いだから。健康に害しかないと分かっていても煙草を吸い続ける煙草中毒な大人の思考回路を少しでも理解してやろうと思ったんだけどな」

「未成年なのにそんな事するの止めましょ」

「それは違う。そもそも成年、未成年なんてもんは国が勝手に決めたもので、例えばアルコールにしたって十九歳十一か月で駄目なものが十九歳十二か月で大丈夫になることに論理的根拠が何一つない。むしろそんな制約をつけるがために、二十歳になった瞬間にアルコールを摂取しすぎて急性アルコール中毒になるなんて例がゴホッゴホッ」

「大丈夫ですか! しゃべり過ぎです」

体を丸めて地面に咳き込む。

「み、水を貰ってもいいですか」
「私の飲みさしでいいなら」

「すみません。ありがとうございます」

彼はペットボトルを手に取ると、ぐびぐびと中を飲み干した。
あー、と生き返ったような声を上げるのを見て、詩音は少しおかしくなってきた。

「隣のクラスですよね? 名前何だっけ」

「雨村聖(ひじり)」彼は言った。
「いつも職員室に呼び出されている奴」

「本当だ! そういえばよくいるね」

「あいつらは自分が持つ凝り固まった規範から外れる行動は全て悪とみなす。俺が何をしようとあいつらには一ミリの害も与えていないにも関わらず、俺を縛って面倒事を言ってくるのでね」

「雨村君が校則違反を繰り返してるって私聞いたことあるよ」

「違う。俺が正しいと信じて行った行動がたまたま校則に触れているだけだ。俺を反抗的とみなす教師は多いが、俺が意識的に校則に逆らおうと思ったことなど一度たりともない」

「そうなんだ」彼のゆるぎない言葉に、食べたことのない塊を一気に詰め込まれたような気持になる。詩音は束の間何が正しいことなのか分からなくなった。

「これはあくまで一意見だから気にしなくていい。心配かけてすまなかった。もう帰ってもいいぞ」

「そ、そう」
変わった人。もう少し話してみたい気もしたが、そっけなく返されたので詩音も帰ろうと思った。

「あ、そうだ」そこを雨村が呼び止める。
「君の名前を聞くの、忘れてた」

「4組の愛咲だよ。愛咲詩音」

すると雨村は驚きの表情を浮かべて詩音の手を掴んだ。
「同姓同名だね」

「え、誰と」

「あの大ヒットしたドラマ『縞馬の剣』の主人公の子役だよ」

「ええ。東条真理役でしょ」

雨村は目を見開く。
「知っているのか。もしかすると本人なのか?」

「うんそうだよ。知らなかったんだ」

マスクを外す。詩音がかつて大ブレイクした子役であることは学校中で知られている事だった。もっとも、それはあまり良い方向ではないのだが。

「そうか。それは奇遇だな。では何で辞めたんだ? 俺、愛咲の演技結構好きだったんだが」

「うん。色々あってね」詩音は口を濁す。
知らないなら調べたりしないで欲しいと思った。 

「で、どうだった? 『縞馬の剣』の東条真理役は」

「ファンタジーは読んだこともなかったけど、すごくストーリーが面白いからやってて楽しかったよ」

詩音がドラマ『縞馬の剣』のオーディションに採用されたのは九歳のころだ。このドラマは、八歳で両親を殺害されて孤児になった東条真理が叔父の家に引き取られるところから始まる。ファンタジーにしてはかなりダーク要素が強いが、周到に練られた伏線は重厚なミステリーと比べても遜色なく、ドラマではコアなファンのみならず大衆の人気も得る作品となった。原作の小説がまだ完結しておらず、話は途中までしか放送されていたいため続編が注目されている。原作者の増田洋一は、想像することは苦手だが優秀なライターとして界隈では知られていて、有名作家の編集を手掛けていた。彼の文章力をもって本気の面白い物語を作れたなら間違いなく傑作になるだろう、と言われてきたのが現実になった形だ。

「特に愛咲の泣きの演技は一級品だった。あの迫力は俺じゃ絶対真似できない」

「ありがとう」
そう答えつつも詩音の胸に苦い記憶が去来した。

東条真理の幼少期の役でブレイクした詩音は天才子役と呼ばれ、三秒で泣くことが出来る子供として、番組に引っ張りだこにされた。

「詩音ちゃんはどうやって泣いてるの?」
そんな質問はテレビや取材で幾度となく受ける。
「はい。私はお母さんが死んだときのことを考えています。お母さんが死んだらどんな気持ちになるかを想像しています」
「へえ、すごいねえ」スタジオの出演者は一様に感心したように頷き、「感受性が高い」だの「しっかりした子」だのと詩音を褒めた。
同じことを言われ過ぎていた。しかし、ありがとうございますの言葉と、お決まりの笑顔は忘れなかった。

「おい、愛咲、聞いてる?」
雨村が詩音の目の前で手を上下した。

「ごめん。考え事してた!」

「何でさ、ドラマの第二期出てくれなかったんだ? 後任の奴、正直俺の中で微妙なのだが」

「そうなの。私二期見てないから知らないよ」

「めちゃくちゃ面白いぞ。ぜひ三期は出演してほしい。ネタバレになるが真理の叔母が死んだことを思い出して泣く演技が必要になるから。まず叔母は元々叔父と同じで権威主義者だった。ルールを疑う心を持たず、あらゆる理不尽は決まりという三文字ですまし、誰かに同情することもしなかった。でもそれが真理に会ったことでだな……」

雨村は興奮していた。よほど原作が好きなのだろう。かつては詩音もそうだった。演じながらでもわくわくしたものだ。でも今は、言葉も聞きたくない。

「私が!」

大きな声が出た。雨村の身体がびくりと揺れる。

「私が小学六年生の時、母親と一緒に歩いていたら、暴走車が突っ込んできて母親がはねられて死んだ。とてもひどい状態で、私はろくに顔を見ることもできなかった」

誤解されるくらいなら言ってしまえと思う。雨村はやり場なく視線を動かし、歩道を走る自転車を無意味に追っていた。

「……悪い。愛咲の事情なんか考えたこともなかった」

詩音は首を横に振る。
「しばらくは実感が湧かなくてドラマどころではなかったけど、私は楽しんで演じていたから辞めたいとは思わなかった。でもね、お母さんの葬式が終わった後、記者がたくさん押しかけてきてね、『詩音ちゃんはお母さんのことどう思っていましたか?』って。『とても素晴らしい人でした。とても悲しいです』って答えた。そしたら『お母さんに最後にお別れを言うことはできた?』って聞かれた。『何もできなかったです』って私は答えた。何回もお母さんの死を想像して泣いてきたのが嘘のようで、私は表情一つ変わらなかった。記者を前にして、眼が砂漠みたいに乾いていた」

口の中まで乾燥する。詩音はしゃべり過ぎを自覚して口を閉じた。でも雨村は先を促すようにじっと詩音を見つめていた。今気づいたが雨村は目に青いカラコンを入れている。慣れないくせにそんなのつけてるから、あんなに赤く充血するのだ。

「不必要にエゴサーチをした私がバカだったんだけど……」

詩音は話しながら思い出して辛くなった。『金のためには三秒で泣けるが本当に親が死んだら一秒も泣けないクズ』『ドラマの演技が全部胡散臭く見えてきたwwwww』『子役って結局ゲスいやつしかいないんだよなぁ』酷い言葉の数々。もちろんそう言った書き込みはほんのごく一部で、大半は詩音をいたわるコメントや記者の無礼さをとがめるものであったが、詩音の頭に強く残ったのは心無い言葉ばかりだった。

「それから私は泣けなくなった。泣くことが深い罪と結びついているような気持ちになって、どんなに悲しくても辛くても涙が出なくなった」

詩音は言葉を切って背伸びをした。嫌なことを話して体が少しこわばっている。

雨村はうなだれていた。ロダンの『考える人』のような姿勢で動かない。

「雨村君。だからね、私は演技をすることができないの。ドラマを楽しみにしてくれたみたいだけどごめんね」

「いや」

雨村は勢いよくベンチから立ち上がった。

「俺は涙が出なくなる心境なんて考えたこともなかった。俺はまだ幼かった。三期の泣くシーンは全面カットする。もう一度一から考え直す必要がある」

拳を胸のあたりまで掲げている。

「雨村君、何言ってるの。何の話?」

詩音はそのまま急にどこかに向かおうとする彼の腕を掴む。

「縞馬の剣はファンタジーなどではなく実在のものだが、話自体はフィクションだ。俺の好きなようにする」

「ちょっと! よく分かんないけど、仮に泣くシーンが無くなったとしても、私は今の気持ちだと出る気にはなれないよ」

雨村の足がピタッと止まった。

「そうだ。確かにそうだ。また俺は愛咲の気持ちを考えられなかった。間接的責任は俺にあるというのに!」

頭を抱えた。雨村の気持ちの切り替えはめまぐるしく早い。

「今どこに向かう気だったの。まさか出版社?」

「俺の家に帰ろうと思った。『縞馬の剣』の原稿を書き換える。なぜならば、まだそれは出版社の手に渡っていないからだ」

「ええ……」
詩音はここ最近で一番混乱していた。

「そうだ。あの話を作ったのは俺なんだ」

ますます状況が分からなくなる。詩音は煙草の悪い物質で雨村の頭がやられてしまったのではないかと心配になった。

「三期は必ず書き換える。だがその前にまずは……」

言葉を溜める。雨村はスポーツ選手に「期待してるぞ」とでも言うように、詩音の両肩にバンと手を載せた。


「俺はお前を泣かせなくちゃいけないみたいだ」
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