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桜の章
第十二話
しおりを挟む「これはこれは、お久しぶりです。今日は寒いですねえ」
オーナーは店に入ってきたアキナリの姿を見て愛想よく声をかけた。
「おぅおぅ、今日もよろしく」
アキナリもなかなかの上機嫌である。
この違法店フェルナは彼の行きつけのお店だった。
この時点で既に、アキナリは過去に2度の誘拐事件を起こしている犯罪者である。これだけ聞くと彼は相当やばい客のように思えるが、アキナリは幼女を尊ぶ崇拝系の変態であるため店の女の子たちに嫌がられることは少なく、むしろ店側からすればありがたいお客さんであった。
「今日のご指名はどうなさいますか?」
オーナーが女の子たちの顔写真を持ってくる。
「そうだなぁ。おぅ、久しぶりにミクちゃんにしようかな」
「かしこまりました。それではカウンセリングルームのほうへご案内いたします」
「おぅおぅ」
アキナリは慣れた足取りで相談室へと入り、ミクちゃんと対面する。
「あら!アキナリさん、久しぶり!」
にこやかに手を振ってくれるミクちゃんは、ロングヘアにつけた赤いリボンがよく似合う可愛らしい少女である。
「おぅ、おぅ!おふぅーおふ!」
アキナリのテンションも爆上がりである。早速ミクちゃんと写真や着せ替えのプランの料金の交渉をしていく。ミクちゃんはお金のやり取りをする前でさえアキナリに愛嬌たっぷりの神対応だったので、アキナリは奮発したお小遣いをプレゼントした。
「それじゃあ、奥の部屋に行こ!」
ミクちゃんはぴんと腕を伸ばして、可愛らしい仕草でアキナリを案内してくれる。
「おぅおぅ!」
アキナリは口元デレデレでミクちゃんについてゆく。
その時である。くぐもった女の子の悲鳴が壁の向こうから微かに聞こえた。なんだ、今のは?
アキナリは一瞬立ち止まり、耳をそばだてた。すると続いて何か大きなものが壁にぶつかる音がした。さらには男と、女の子の悲鳴。
明らかにただ事ではない。一体何が起こっているんだ。
午後5時半。桜がフェルナに向かう途中のことである。おなかが減った彼女は少し寄り道をして大通りのコンビニに向かっていた。
がむしゃらに生きるいつもの日常。そこで桜は真矢を見た。
車道を挟んだ反対側の道を真矢は歩いていた。その隣ではお人形さんのように可愛らしい女の子が笑っている。彼女は控えめなイヤリングとネックレスを付けていて、それがとてもよく似合っていた。
桜は立ち止まって、ただ二人の影を追い続ける。真矢の姿が見えなくなっても桜は二人の歩いた先に、まるで無人島から遠ざかる船を追うように必死に目を凝らしていた。
立ち尽くす桜の耳に、道を行きかう人々の雑踏が煩く入ってくる。
桜の足に何かがぶつかった。目を向けると小さい子供である。
母親と思われる女の人が急いで近づいてきた。
「ごめんなさい、子供が」
彼女の眼には、どうして歩道の真ん中で突っ立ってるんだ、と非難する気持ちが映っている。
「あ、すみません」桜は慌てて歩道端の街灯に寄る。
いつの間にか外は薄暗くなっており、街灯は淡い光を放っていた。
ああ。正体のわからない感情が桜の胸になだれ込んでくる。
真矢の隣にいた女の子は誰なんだろうか。同じくらいの年頃だったから普通に考えれば学校のクラスメイトか。一点の闇も見当たらないような綺麗な子だった。桜の全身から悪いものが溢れ出てくる。
多分あんな子は愛想もよくて、性格の良い友達がたくさんいて、財産のあるいい男と結婚して、私のような人間と一生触れ合うことはなくて、もし私のような人間が近寄って嫌なことをしても、困った顔を浮かべながら、どうしたの?と優しく尋ねてくるのだろう。
真矢は見たことがないくらい楽しそうな顔をしていた。きっと私に合わせて学校が楽しくないふりをしてくれていたけど、本当は真矢は学校でもうまくやっているのだろう。あんなに可愛い子が隣にいたんだから間違いない。もう学校なんて見たくもないや。眩しすぎて目が痛みそうだ。私が通うのは彼女らが一生通ることがないであろう暗い裏路地なんだどうせ。
あんなに会いたかった真矢を見つけることができたのに、どうして私はこんな気持ちでいるんだろう。
心に大きな穴が空いてしまって気持ちを切り替えることができない。
その後どうやってフェルナにたどり着いたのか、桜の記憶は全く飛んでいた。気持ちの整理がつかぬまま桜は仕事の準備をする。
こんな日に限ってすぐに客が入った。本音としてはしばらくは誰とも会いたくない気分だったが、せっかく入った仕事を断るわけにはいかない。
カウンセリングルームに入ってきたのは黒染めをしているのか、やけに頭髪の黒々とした中年のおじさんだった。おじさんは変な人で、やけに回りくどい喋り方をするので放心状態の桜の耳には全然言葉が入ってこない。はい、はい、と微笑を浮かべながら頷くのが精いっぱいだった。
「よし、それじゃあそろそろ奥の部屋に行こうか」
おじさんが桜の手元に1万円を置いて立ち上がった。
「あ、はい」
桜は話半分の状態のまま引き攣った笑みを浮かべる。
この日のカウンセリングルームの奥の部屋は建築の都合もあって、フェルナの部屋の中で一番狭い部屋だった。おじさんと桜は、ほとんど体を密着させた状態で向き直る。
すぐにおじさんは桜の身体を触り始めた。
「しかしダメな子だね、ワカバちゃんは」
いきなり説教じみたことを言う。一通り身体を触り終えたおじさんは、次に桜の太腿を舐めだしていた。
気持ちが悪い。鳥肌が立ちそうだ。こんなオプションさっき本当に許可したものか怪しいが、波風を立てたくない桜はじっと我慢する。
「こんなことしてたらことしてたらお母さん悲しむよ?もっとマトモに働くべきじゃないのかな?」
頭を桜の身体にこすりつけながらおじさんは言う。こんな男の言うことなど聞き流すべきなのは分かっていた。しかし頭のうちで自分の存在について考え続けていた桜は、おじさんへと苛立ちも相まって、思わず自らの心肝を声にしてしまった。
「母は……私のことは愛していません」
おじさんが驚いたように顔を向ける。
「はあ?何を言ってんだよ、君は。お母さんが自分の娘が可愛くないはずがないでしょう?分かってないねえ、かわいそうに」
少女を説教してあげるよい大人ぶろうとしているつもりか知らないが、自分より遥かに下の者を嘲り楽しんでいる本性が透けて見える。
自分の事なんか何もわかっていない鬱陶しい大人を前にして、心奥に秘めた桜の思いが堰を切ったように溢れ出す。
「違います。母が愛しているのはあくまで自分の娘です。だからそれは『私』じゃないんです。私がこんなことしてると知れば、母は絶対悲しむけど、それは自分の娘がよくないことをしたからです。『私』がどうなっても、母はきっと何も思わないんです」
話しながら自分が今どんな顔をしているのかも分からない。
唐突に反論をまくし立てる桜に、おじさんは束の間ひるんだ表情を浮かべたが、それからすぐに悪魔のような笑みに変わった。
「そっかあー。それじゃあ今僕がワカバちゃんを犯しても誰も何も思わないんだね?」
男の意図に気づいたときにはもう遅かった。
桜は男の手で口を封じられ、両腕で羽交い絞めにされる。
かつてのトドロキの恐怖が鮮明に蘇り、桜の全身が異常に痙攣した。同時に涙が溢れてくる。‶私は何も変わることができないんだ。〟
「もう少し奥に行こうか」
そう呟いた男は桜の身体を持ち上げると、いきなり部屋の壁に向かって突進した。
どん。
男の顔面が思いっきり壁に激突し鈍い音を立てた。一番狭いこの部屋の壁にはオーナーの趣味で作られた、部屋を広く見せるトリックアートがある。壁画を描いた絵師の腕前はすごく、何度もこの部屋に来ている桜でさえ騙されそうになるような出来であった。
男がこのトリックアートに惑わされたのは天の助けだ。
桜は顔面を抑えている男から逃れて部屋の外へと脱出しようとする。
しかし気を取り直した男が喚きながら桜の足首を掴んだ。
「きゃっ!」その手から逃れられずに桜は大きく転倒する。後ろで男が立ち上がる所作を感じた。ああもうだめだ。桜は目を瞑る。
刹那、ドアを破壊する轟音が聞こえ、瞑った目に感じる光が急に強くなった。目を開けた先には見知らぬ若い男が立っている。
「コルァ、クソ爺何してんだよ」
若い男は言葉の剣幕そのまま、猛獣のごとき速さでおじさんに襲い掛かった。喚きながら抵抗するおじさんはあっという間に男に取り押さえられる。
「てめえ、今度ロリに手え出したらぶち殺すからな」
今度、と言いながら今にも殺しそうな勢いである。ちょうどその時、足音がしてオーナーをはじめ数人の男たちが部屋に駆けつけた。もしオーナーたちが部屋に姿を見せなかったらどうなっていたか分からない。
ともかく店の男たちによって二人は引き剥がされ、彼らは共にフェルナへの出禁を言い渡された。
「俺はこの子を助けてやっただけだ!」
若い男は最後までそう訴えていたが、店の外へと追い出された。
おじさんの方も怪我がないことが分かると、店の者たちに店先の路地まで連れていかれた。
「ちょっと君来なさい」
騒ぎにひと段落がつくと、桜はオーナーに呼び出された。
「一体何があったんだ」
桜はオーナーに事の顛末を語った。
「んー、なるほどなあ」
オーナーは難しい顔をした。
「君には申し訳ないんだけど、うちは厄介事なしでやってるから、今日限りで店を辞めてもらってもいいかな?」
言葉遣いこそ丁寧であるが有無を言わさぬ口調であった。
桜はただ頷くしかなかった。第一に気持ちとして、もう続けられる自信がなかった。
「退職金は無いけど今日の部屋代は君にあげるよ」
オーナーは最後にそう言い残した。
桜は身一つでフェルナの外に出る。すっかり暗くなった路地では居酒屋に明かりが灯り、賑わいを見せていた。もう9時を回っている。
これから私はどうしたらいいんだろう。
桜は自分の先が見えずに途方に暮れていた。
こうなったらいっそのこと私は死んでしまったほうがいいのかもしれない。
酷い思考に陥りながら、おぼつかない足取りで帰路に就いたその時である。
「ワカバちゃん、だっけ?」
男の声がした。店での自分の名前を呼ばれてどきりとする。
桜は警戒しながら後ろを振り返る。
「さっきはごめんね。びっくりしたよね」
先程おじさんをぶん殴った、あの若い男がそこにいた。
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