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59.温泉旅館の異音②(怖さレベル:★★☆)

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……ギシッ、ギシッ

まぶたの裏、暗い、真っ黒い視野。

ハッと一瞬混乱しそうになって、あの後すぐ、
布団をかぶって眠ったのだ、と状況を思い返します。

(……ん?)

うっすらと意識が浮上して早々、耳に入ったのは畳のきしむ音。

(なんの……音?)

寝ぼけ半分の頭が、その音源をさぐって――
カッ、と意識が覚醒しました。

ギシッ、ギシッ

その、畳を裸足で踏みしめるかのような、どこか聞き覚えのある音は、
たった今、この部屋――この、横になった私たちの、すぐ傍で聞こえています。

(な……だ、誰……?)

ギシッ、ギシッ

家鳴りではない。
風の音でもない。

まちがいなく、人の足音。
それも、この部屋の寝室。

まさに、私たちの周りを、ぐるりぐりと歩き回っている!

「……ッ」

私は、一度開いた瞼を、ギュッと強く瞑りました。

(ここは……古い旅館だし、やっぱり風呂場で見たなにかも、
 見間違いなんかじゃなかったんだ……幽霊旅館だったんだ!)

私は恐怖と狼狽とで、ジッとひたすら息をひそめ、
ブルブルと震えていました。

ギシッ、ギシッ

歩く何かは、一定の速度でただ延々と布団の周りを巡っています。

私は目を閉じた暗闇の中、気が狂いそうな恐怖に晒されたまま、
いつしか、気を失っていました。



「おねーちゃん! もう、いい加減起きてよ」
「……ッ!? あ、れ?」

ガクガクと身体を揺さぶられ、強制的に起こされたころには、
既に日は高く昇っていました。

「おはよ、お姉ちゃん。よく眠れたみたいだね」
「う……うん」

こうして、陽光の降りそそぐ室内にいると、
昨夜のできごとはまるで夢であったかのように現実味を失っていました。

(夢……? それにしては、音も感覚も、リアルだったけど……)

しかし、ウキウキと上機嫌で支度を整えている妹に、
あんな不気味な体験をしたことなど、とても言えません。

(夢……そう、夢だよね……きっと)

私は自分を誤魔化すようにそう言い聞かせ、
そそくさと服を着替え始めました。



「は~っ、楽しかったぁ」

温泉街をさんざんうろつき回り、両親や職場への土産から、
ご当地グッズも買い揃え、両手は紙袋で一杯です。

宿に戻って荷物を整理し、ダラダラと時間を過ごしていれば、
あっという間に夕刻。

「お姉ちゃん。あたし、ご飯前にお風呂言ってくるけど、どうする?」
「あー……食べた後にもいくでしょ? 私、ちょっと休んでるわ」
「オッケー。じゃ、行ってくるね」

すっかり温泉が気に入ったらしいナツは、
ルンルン気分で部屋から出ていきました。

「……はぁ」

一人部屋に残された私は、ボーッと畳に寝転がって天井を眺めました。

確かに、買い物巡りは楽しかったし、ご飯も美味しい。
お湯だって満足いくものであるのに、あの一瞬見えた子どもの姿と、
昨夜の足音が、妙に思い出に影を落とすのです。

(まぁ……今日一日でおさらばだし……)

二泊三日の旅。

明日の午前中にはここを発つのだし、
具体的になにか被害を被ったわけでもありません。

考えすぎ考えすぎと、足と疲れた身体を休めようと、
そっと目を閉じました。

…………キィ

(ん……?)

木製の板がきしむような、音。

(……家鳴り、か?)

よく天井などがきしむそれは、
実家でもよく耳にしていたし、ここは年季の入った旅館。

そういうこともあるだろうと一つ寝返りを打ちます。

…………キィ

(……いや、違う)

これは、家鳴りなんかじゃない。

これは、そう、幼い子どもが、感極まった時に発する甲高い声を、
歪に切り取ったかのような、妙に生々しい、音。

「…………っ!?」

私はピシリ、と全身を硬直させました。

音は遠く、おそらくは部屋の外から。
鳥や獣の声ではない、なにかとてつもなく恐ろしいモノ。

ぞわぞわと内臓がせり上がるような不快感に、
私はなすすべもなく身体を縮こまらせました。

(ど、どうしよう……どうしよう)

そうだ、お経! と思ったものの、
ふだん大して信心深くもない私は、
緊張と焦りとでろくに一節すら思い出せません。

…………キィ

締めた扉の向こう。

普通であれば聞こえるはずのないかすかで特殊なそれは、
しずしずと――それでいて確実に大きくなってきています。

(ど……どうしよう、どうしたら)

このまま何処かへ過ぎ去ってくれるだろうか。

しかし、もし、部屋に入ってきたら。

…………キィ

グルグルと思考が渦を巻いて、
冷静に考えようとしても、焦りばかりが募っていきます。

やばい、どうしよう、と、
私は緊張感で叫びだしそうなくらいギリギリに追いつめられた、瞬間。

「ただいまぁ!」

朗らかな声を上げて、妹がパカーンと扉を開きました。

「えっ……ナツ……?」
「あれ、お姉ちゃん寝てたの?」

遠慮なく上がってきた妹は、いたってなにごともない、普通の表情です。

「えっと……外、変な人いなかった?」
「変な人ぉ? ううん。ていうか誰もいなかったよ」

あの物音は、たしかに外から聞こえていました。

しかし、そちらからやってきた妹に見えていないのならば、
私のただの空耳か、考えすぎであったのでしょう。

「もー、お姉ちゃん、昨日からちょっと変だよ。大丈夫?」
「あはは……ごめんごめん」

やはり、疲れているだけ、なのでしょうか。

私は自分の目と耳がいよいよ信じられなくなり、
深々とため息をついたのでした。

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