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第三章
第37話
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朝が来るたびに、この世の中が夢であったらいいのにと思いながら目を覚ます。美空はいつの間にか、そんな風に考えるようになっていた。
急激に込み上げてくる悲しさはあったが、その頻度も日がたつにつれて徐々に間隔が長くなっていった。
冬休み明けは泣きじゃくって学校へ行くのもままならなかったのだが、行かないで一人で部屋にいることの方が辛くて、気を紛らわすかのようにして授業へ出た。
あまりにも苦しい時に、たった一人授業をさぼって夕と出かけた海へと向かったこともある。あの時は夏だったから、暖かくて気持ちよかったのだが、冬の海は骨の髄までしみるほどに寒かった。
岩陰に隠れるようにして、カイロを持ってずっと海を見ていた。真冬だというのに、それでも波に立ち向かうサーファーを横目に、美空はずっとぼうっと過ごした。
ゆっくりと美空の心の傷を修復するかのように、時は流れて行く。しかし、あの彩の強かった、毎日がはちきれんばかりに輝いていた日々は戻ってこない。灰色の、ただただ来ては過ぎる日々を過ごすしかできない。
魔法のノートには、夕が消えてからお願いが追加されることは無かった。それは、夕と一緒に叶える願いを書くところだったからだ。
しかし、もしも神様がいるのなら。そう思いながら、美空は最後にそのノートに〈先輩と会いたい〉と書いた。毎日のようにそれを眺めながら、夕がくれた思い出を考えながら、美空は一日を終える。
けれども、魔法のノートに書かれた〈先輩と会いたい〉という願いが叶えられることがないまま、美空は尽きると言われていた寿命も結局は尽きず、季節はいつの間にか移ろって春になっていた。
「死ぬんじゃなかったの、私……」
もう姿を見ることがない夕に問いかけてみるが、生徒会室で渡した手紙に寿命を延ばしたって書いたでしょ、と笑われているような感じがした。
寿命を延ばしてくれたのは本当のようで、美空はびっくりするほどにピンピンとしていたし、普通に生きていた。残り三ヶ月と言われていた時のような、あの毎日の輝きはないが、毎日を普通に生きることの幸せをもう美空は知っていた。
何もないことが一番の幸せと言ったのは誰だろう。しかし、それは本当のことだ。雨風をしのげる家があって、仲良くなった家族が出迎えてくれて、美味しい食事に困ることもない。
勉強も義務教育で受けることができるし、友達との他愛のない会話も楽しい。毎日普通であることが、これほどまでに愛おしいということを教えてくれた神様はいなくても、世界は何も変わらない。
美空は月に一度ほど、夕の担任の先生に職員室に会いに行った。しかし、先方から良い返事はもらえなくて、先生には首を横に振られるだけだった。どうにかしてやりたいんだけどな、といつも申し訳なさそうに言われて、美空の方が何やら苦しく思ってしまうようになっていた。
一日が終わるたび、新しい日が来るたびに、この学校から、世界から葵田夕が消えて行くようだった。人ひとりがいなくなったところで、この世界はやっぱり何も変わらない。
だからこそ、生きて行けるのだ。
それでもやっぱり美空は諦めがつかない。そしてふと、つぐみなら何か知っているかもしれないと、美容院を訪れたこともあった。
一縷の望みをかけて向かった美空を待ち受けていたのは、そんなスタッフはいないという一言だった。信じられなくて、そのあとインターネットの予約サイトで見ても、そこの美容室のスタイリストの顔写真の中に、つぐみを見つけることはできなかった。
まるで、狐につままれたような感覚に、美空は本当に夕は神様で、つぐみは天使だったのだと、妙に納得し始めていた。
だから、無理やりにでも探し出そうかとも思ったのだが、もしかして葵田夕という人物が幻だったんじゃないかと、ふと思い始めるのも時間の問題だった。
学校にはすでに夕の面影はない。話題に上ることもない。この世の中から、突然人が一人消えて、その人を記憶にとどめているのは自分だけなのではないかと、美空は思ってしまった。
葵田夕は、美空にだけ見える幻で、神様であったのだ。そう思いたい気持ちとそう思えない気持ちで板挟みになることもあったが、幻だったのであれば、そう思ってしまえば、美空の気持ちは落ち着いた。
実在していたのに、今だってきっと世界のどこかにいるのに、会えないという現実がある方が辛かった。
そうやって徐々に気持ちに折り目をつけて、きれいにしていくうちに、気がつけば高校三年生になっていた。
そろそろ、進路をかなり真剣に考えなくてはならい。幻想の夢恋物語に、現を抜かすなどという行為は、受験戦争の最前線で無残に散って行くのと同等の意味を持っていた。
桜はすぐに散って新芽が出て、新しい一年生たちに押しやられて学年が上がる。もし、夕が実在したとしても、一年生たちに追いやられて卒業していた事だろう。
そして、初夏になると新しい生徒会長が決まり、ピカピカの新入生たちも少しずつ学校に慣れてきた様子だった。夕の存在は、あの圧倒的だった姿が忽然と消えてから、まるで狐につままれたかのように誰も語らなくなった。
そんな生徒会長を知る人物の方が、もうこの学校では少数だ。今やだれも、深窓の生徒会長などという言葉を知る人はいない。美空以外は。
急激に込み上げてくる悲しさはあったが、その頻度も日がたつにつれて徐々に間隔が長くなっていった。
冬休み明けは泣きじゃくって学校へ行くのもままならなかったのだが、行かないで一人で部屋にいることの方が辛くて、気を紛らわすかのようにして授業へ出た。
あまりにも苦しい時に、たった一人授業をさぼって夕と出かけた海へと向かったこともある。あの時は夏だったから、暖かくて気持ちよかったのだが、冬の海は骨の髄までしみるほどに寒かった。
岩陰に隠れるようにして、カイロを持ってずっと海を見ていた。真冬だというのに、それでも波に立ち向かうサーファーを横目に、美空はずっとぼうっと過ごした。
ゆっくりと美空の心の傷を修復するかのように、時は流れて行く。しかし、あの彩の強かった、毎日がはちきれんばかりに輝いていた日々は戻ってこない。灰色の、ただただ来ては過ぎる日々を過ごすしかできない。
魔法のノートには、夕が消えてからお願いが追加されることは無かった。それは、夕と一緒に叶える願いを書くところだったからだ。
しかし、もしも神様がいるのなら。そう思いながら、美空は最後にそのノートに〈先輩と会いたい〉と書いた。毎日のようにそれを眺めながら、夕がくれた思い出を考えながら、美空は一日を終える。
けれども、魔法のノートに書かれた〈先輩と会いたい〉という願いが叶えられることがないまま、美空は尽きると言われていた寿命も結局は尽きず、季節はいつの間にか移ろって春になっていた。
「死ぬんじゃなかったの、私……」
もう姿を見ることがない夕に問いかけてみるが、生徒会室で渡した手紙に寿命を延ばしたって書いたでしょ、と笑われているような感じがした。
寿命を延ばしてくれたのは本当のようで、美空はびっくりするほどにピンピンとしていたし、普通に生きていた。残り三ヶ月と言われていた時のような、あの毎日の輝きはないが、毎日を普通に生きることの幸せをもう美空は知っていた。
何もないことが一番の幸せと言ったのは誰だろう。しかし、それは本当のことだ。雨風をしのげる家があって、仲良くなった家族が出迎えてくれて、美味しい食事に困ることもない。
勉強も義務教育で受けることができるし、友達との他愛のない会話も楽しい。毎日普通であることが、これほどまでに愛おしいということを教えてくれた神様はいなくても、世界は何も変わらない。
美空は月に一度ほど、夕の担任の先生に職員室に会いに行った。しかし、先方から良い返事はもらえなくて、先生には首を横に振られるだけだった。どうにかしてやりたいんだけどな、といつも申し訳なさそうに言われて、美空の方が何やら苦しく思ってしまうようになっていた。
一日が終わるたび、新しい日が来るたびに、この学校から、世界から葵田夕が消えて行くようだった。人ひとりがいなくなったところで、この世界はやっぱり何も変わらない。
だからこそ、生きて行けるのだ。
それでもやっぱり美空は諦めがつかない。そしてふと、つぐみなら何か知っているかもしれないと、美容院を訪れたこともあった。
一縷の望みをかけて向かった美空を待ち受けていたのは、そんなスタッフはいないという一言だった。信じられなくて、そのあとインターネットの予約サイトで見ても、そこの美容室のスタイリストの顔写真の中に、つぐみを見つけることはできなかった。
まるで、狐につままれたような感覚に、美空は本当に夕は神様で、つぐみは天使だったのだと、妙に納得し始めていた。
だから、無理やりにでも探し出そうかとも思ったのだが、もしかして葵田夕という人物が幻だったんじゃないかと、ふと思い始めるのも時間の問題だった。
学校にはすでに夕の面影はない。話題に上ることもない。この世の中から、突然人が一人消えて、その人を記憶にとどめているのは自分だけなのではないかと、美空は思ってしまった。
葵田夕は、美空にだけ見える幻で、神様であったのだ。そう思いたい気持ちとそう思えない気持ちで板挟みになることもあったが、幻だったのであれば、そう思ってしまえば、美空の気持ちは落ち着いた。
実在していたのに、今だってきっと世界のどこかにいるのに、会えないという現実がある方が辛かった。
そうやって徐々に気持ちに折り目をつけて、きれいにしていくうちに、気がつけば高校三年生になっていた。
そろそろ、進路をかなり真剣に考えなくてはならい。幻想の夢恋物語に、現を抜かすなどという行為は、受験戦争の最前線で無残に散って行くのと同等の意味を持っていた。
桜はすぐに散って新芽が出て、新しい一年生たちに押しやられて学年が上がる。もし、夕が実在したとしても、一年生たちに追いやられて卒業していた事だろう。
そして、初夏になると新しい生徒会長が決まり、ピカピカの新入生たちも少しずつ学校に慣れてきた様子だった。夕の存在は、あの圧倒的だった姿が忽然と消えてから、まるで狐につままれたかのように誰も語らなくなった。
そんな生徒会長を知る人物の方が、もうこの学校では少数だ。今やだれも、深窓の生徒会長などという言葉を知る人はいない。美空以外は。
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