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第1章

第7話

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 今日一日、一年生を見張ろうと思っていたのだが、月日のそれはかなうことがなかった。

「ああああああ……人気者でいるのって、大変なのよね」

 月日は生徒会室でぐん、と伸びをした。
 いつもことあるごとにいろいろな人に話しかけられるのだが、今日も教室から一歩出れば大勢が押し寄せてきてしまい、自分の思うように身動きが取れなかった。
 休み時間を使って一年生に話しかけに行きたかったのだが、それもできず、放課後になってしまっていた。

 というわけで、一年生の少女と接触することをあきらめた。
 残っていた生徒会の仕事を処理するため、月日は一人、生徒会室で黙々と作業をしていたのだった。
 その時、駐輪場に向かってくる背の高い一年生を月日は発見したのだ。
 気付いた時には生徒会室から飛び出し、累の前に立ちふさがるようにして彼女を寮の中に連れ込んでいた。

「あの」
「シー! 静かにっ!」

 月日は唇の前で指を立てた。

「黙ってついてきて」
「あの、ですから」
「ごめん。でも静かにして!」
「いや、だから……というか、先輩のほうがうるさい」

 彼女の怒りを含んだ声音に、月日はハッとして目を丸くする。確かに、静かな寮内の廊下では、月日の声のほうが響いている。

「ごめんね、いきなり連れ込んで」
「どこへ連れていく気ですか?」
「生徒会室だよ。すぐそこだから」
「……はい? 生徒会室?」

 月日は寮内のさらに奥を指し示してみせた。
 元々は会議室代として使われていたのだが、寮生の減少とともに使わなくなったので、数年前から生徒会室となっていた。

「君と話したいことがあって、昨日から探していたんだ」
「あの……あなたが十条先輩というかたで間違いないですか?」

 月日はそれに頷きながら、生徒会室の扉を開けて彼女をエスコートする。
 中は机と椅子が置かれているだけのシンプルなもの。月日は、長身の女子生徒に椅子に座ってもらった。

「怒らないで。話をしたいだけだから」

 謝りつつ紅茶のティーパックをカップに入れて、お湯を注いで彼女の前に出した。しかし、非常に不満そうにしたまま、女子生徒は口をつけようとしない。

「ごめんね。ええと、君の名前を教えてもらってもいい?」
「人に名前を聞くときは、自分からですよね?」
「うっ……それもそうだね。失礼。俺は十条月日です」

 言われた通り名乗ったのに、重たい沈黙が流れる。じっと待っていると、彼女がやっと口を開いた。

「……山田累です」
「やまだ、るい……素敵な名前だね」

 月日はおもむろに累の横に腰を下ろし、彼女を間近に覗き込む。
 じいっと、三秒以上も累を見つめ続けた。

「昨日の放課後、俺のこと……見たよね?」
「乙女口調の独り言のあと、人の顔を見た瞬間に悲鳴を上げた人がいました。先輩がその人と同一人物なのでしたら――」

 含みのある言い方に、月日は頑張って作っていたきりりとした表情が崩れそうになる。
 折れそうになる心を𠮟咤し、表情筋をイケメンモードに切り替えてから、月日はさらに累に近づいた。

「そのことは誰にも言わないでほしい」
「……言いませんけど」
「えっ!?」

 累は息を吐き、「いただきます」と言いながらお茶に手を伸ばした。

「えええええええええええええっ!?」
「先輩は騒がしいですね、昨日から」
「だ、だって……その……」

 今日一日中ずっと、素を見られたことをどうしようか考えて、月日は胃が痛くなっていた。
 一年生を見つけたら説得するか、交換条件を突き付けられたらどうしようなどと考えて、胸がむかむかしていた。
 そうまでして考え続けていたが、しかし、自分の中では一年生を口止めするうまい方法が見つからなかったのだ。
 別の方法をと思っていた矢先、目の前に本人が現れた。後先考えずに生徒会室に連れ込んだはいいが、結果、姉その三に言われたことしか思い浮かばなかった。

 そういうことで、顔面を近づけて口止めするという強硬手段に走ったのだが……。
 まさか、一番望むべき答えが秒で返ってくるとは思っていなかった。
 月日は心臓が飛び出さんばかりに驚き、面食らってしまった。むしろ、累の冷めきった反応にショックさえ受けている。

「えっと……本当に言わないでいてくれるの?」
「他人に嘘つく必要がどこあるんですか?」

 累は先ほどから(というよりも昨日からずっと)一貫して動じる様子があまりない。
 月日はむしろ心配になって、首をかしげた。

「え、ほら、昨日の俺のことを言いふらしたりして、貶めようとか。言わない代わりになにかしろって交換条件出したりとか……」

 月日が動揺していると、累はさもうっとうしそうに紅茶をすすった。

「だから、そんなことをするメリットが私にないです」

 それもそうだ、と月日は唸る。
 自分のことばかりで頭がいっぱいになっていたが、累の立場になって考えてみれば、脅したり言いふらしたりする得が一切ないのはたしかだ。

「でも……」
「みんながみんな、十条先輩のことを知りたいと思っているわけじゃないんで」

 累の言葉は、月日の胸にグサッと刺さった。

(初めてかもしれない。面と向かって、こんなにワタシに無関心だって言った子)

 衝撃的な展開に、月日の頬が紅潮した。

「私は先輩に興味がないので、昨日のことは誰にも言いません」
「えっ!?」
「紅茶ごちそうさまでした」

 累は両手を合わせたあと、さっと立ち上がって帰ろうとする。

「え、待って待って待って。なんか想像以上にクールすぎてびっくりというか……」

 月日は、帰ろうとしている累の袖を、無意識に引っ張っていた。

「まだお話することがありますか?」
「ないけど……」

 予想外すぎる彼女の反応に混乱していると、累は月日の手を丁寧に剥がした。サクサク入り口まで向かうと、くるりと振り返って一礼する。

「では先輩。さようなら」
「……さ、さようなら……」

 手を振っていると、生徒会室の扉が閉まる。
 月日はしばらくその場で唖然としたままになった。

「なんなの、あの子……ワタシに興味が無いなんて……っというか、ワタシの本性知っても動じないって、なんなの!?」

 月日は怪訝な顔をしながら、去って行った累の姿を思い出す。

「なんなの、なんなの。興味ないなんて……」

 経験したことのない反応に、月日は戸惑っていた。
 窓の外でちょうど累が自転車に乗って去って行くのが見え、彼女の長い黒髪を視線で追っていた。

「あっ、っていうか、ティムのことを知らないか聞くの忘れちゃったわ。それに、シャープペンも……」

 もし落とした本人なら返そうと思い、胸のポケットに差し込んでいたシャープペンの存在を思い出す。
 そこには『YAMADA』と書かれている。おそらく、彼女が落としたもので間違いないだろう。

「また後日渡せばいいか……」

 気が抜けてしまって、月日はパイプ椅子に腰を下ろす。ふとホワイトボードが目に入り、生徒会選挙の文字を見つけた。

「そうだ、もうすぐ生徒会選挙なのに」

 今回、粒ぞろいの立候補者たちがそろっている。学年一位の秀才や、女子たちに人気の女生徒、それから英語がペラペラの帰国子女……。
 候補者たちを思い出していると、急に不安が押し寄せてきた。

「累はワタシのことを誰にも言わないって言ってたけど、本当に信じていいの?」

 いったん興味がないふりをして、あとで月日を陥れようとしているのかもしれない。
 今の時代、醜聞など瞬時に広がる上に、不満のはけ口になりがちだ。
 生徒会選挙前に弱みを握られたのは、月日にとって痛恨の極みだ。
 言わないといっていた累のことを信じたい気持ちと、あとで恥をかくかもしれない恐怖が胸の中で渦巻く。
 保育園の時に味わった、あの苦い気持ちが胸の中によみがえった。

「……山田累。覚えたわ。やっぱり要注意ね」

 月日はシャープペンをぎゅっと握りしめる。
 彼女が敵でないことを祈りながら、様子を見守ることしか思い浮かばなかった。

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