伊勢山田奉行所物語

克全

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第2章:ハンセン氏病

第20話:付け届け

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 全ての山田三方年寄家が柘植家に送った付け届けの総額。
 それが幾らかになったのか、正確な金額は分からない。
 だが大体の金額は想像がつく。

 中追放以上になれば、田畑や家屋敷が没収されるのだ。
 もう御師宿をやれないどころか、これまで受け取って来た講の積み立てもなくなり、檀家衆は御師を信じてお金を預けていたのに伊勢参りができなくなる。

 被害を受ける檀家は数百万人に及び、その怒りはとてつもない。
 怒りが山田三方年寄家だけ向くならいいが、神宮や奉行所に向くかもしれない。
 
 柘植親子はそのような事態を憂慮したから、山田三方年寄家を最後まで追い込まなかったのだ。

 山田三方年寄家も、田畑家屋敷を奪われるくらいなら、これまで蓄えてきた財貨を全て吐き出してもいいと思い、出せるだけの付け届けを送った。

 出せるだけの付け届けは幾ら蓄えられるか、これから幾ら儲けられるかで決まってくる。

 山田三方年寄家が御師宿として得られる利益は、具体的に幾らだろうか。
 御師や伊勢講によって初穂料や待遇が違っているので、一概には言えない。

 一例として二一六二軒の初穂料が四十八両二分。
 旅費、伊勢暦や大麻などの費用に二十九両三分。
 御師が正味神徳と呼ぶ純利益が十八両三分。

 山田三方で一番力を持つ会合衆とその分家や暖簾分けされた御師。
 彼らが抱える檀家数は軽く三百万を越える。
 彼らが年間に得る純利益は二万五千三百九十三両。

 一年分の利益を付け届けに支払うと言っても、辣腕を誇る御普請格御組頭・御用部屋詰、柘植伝兵衛が首を縦に振るはずもない。

 自分一人だけならともかく、御奉行の大岡美濃守忠移様。
 同輩の支配組頭六家と配下の与力十家。
 同心七十五家に主水五十家にも分け前を渡してやらなければいけないのだ。

 男の嫉妬ほど醜く激しい物はない。
 女の嫉妬は目に見える可愛いものだが、男の嫉妬が訴人となって相手を滅ぼそうと知るのは今回の件でも明白だった。

 柘植家だけが利を得ては幕府将軍家に訴えられるのは明らかだ。
 一番楽に得をした、嫉妬先を作らなければいけなかった。
 全ての関係者に金を渡して同罪にしなければいけなかった。

 柘植伝兵衛が厳しく巧妙に駆け引きした結果、総額十万両はある。
 御奉行に半分の五万両を渡し、自分は二万五千両を手にする。

 自分以外の支配組頭六家に二千両ずつ。
 与力十家には六百両ずつ。

 同心七十五家と主水五十家に五十両ずつ。
 余った七百両は檜垣屋に渡し、癩病を救うための小屋造りに使ってもらった。
 このようにしたと思われるが、本当の事は柘植家にしか分からない。

 莫大な金額のようだが、長崎奉行の余禄に比べれば大したことはない。
 長崎奉行は町衆、オランダ船、唐船から毎年合計三千五百両の八朔銀がもらえる。
 更に貿易利益の五分が配分金として手に入る。

 何より大きいのが、輸入品を御調物の名目で購入する特権がある事だった。
 それも関税を支払わず、京大阪で数倍の値段で転売できたのだから、莫大な利だ。

 五万両の資金があれば、猟官運動に三千両を使ってもまだまだ余る。
 残った四万七千両で御調物を買い付けたら、二倍でも十万、三倍で転売できれば十五万両に増やせるのだ。

「柘植定之丞、何か望みはあるか。
 あるのなら何なりと申して見よ。
 私にできる事なら何でも叶えて遣わそう」

 柘植定之丞を私室に呼び出した奉行、大岡美濃守忠移が鷹揚に聞いた。
 忠移には子供がなく、大岡忠恒に次男忠順を養嗣子にしているのだが、大岡忠恒は大岡越前守忠相の実弟なのだ。

 吉宗公と大岡忠相が亡くなって随分と時が経っている。
 大岡忠光も昨年亡くなり、家重公が亡くなられたのは、僅か四月前の六月十二日のことだった。

 それによって全ての後ろ盾を失ったかと言えば、そうでもない。
 まだまだ幕閣には大岡忠恒を引き立ててくれる者が残っている。
 それに、今の大岡忠恒には莫大な金があるのだ。
 
「ありがたきお言葉を頂戴し、感激の極みでございます。
 厚かましい事とは存じておりますが、お願いの儀がございます」

「うむ、申して見よ」

「何所の誰かは分かりませんが、善意を持った者が、お伊勢参りをすれば癩病が治るという噂を流し、伊勢乞食にして生きて行けるようにしたようでございます」

「うむ、その事は今回に一件で聞いている」

「奉行所としては、拝田と牛谷以外の者に、神領での勧進を認める訳には行きませんが、余りにも哀れでございます」

「うむ、余も常々哀れに思っていた」

「そこで宮川の渡しの向こう側に非人小屋を造り、神領に入る前に勧進を行う事を許すように、御公儀や紀伊徳川家に働きかけていただきたいのです。
 費用一切は我が家と檜垣屋で受け持たせていただきます。
 今なら山田三方年寄家も邪魔できないと思います」

「うむ、武士に情けを体現するような素晴らしい願いだ。
 私の力で御公儀と紀伊徳川家を動かせるかどうかは分からないが、やってみよう」

「ありがたき幸せでございます」
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