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第3章:おかげ犬
第31話:舞い
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柘植定之丞は定時の夕七つにいそいそと奉行所を退出した。
誰もが檜垣屋の娘に会いに行くのだと疑わなかった。
謹厳実直だと思っていたが、色気づいたのだと皆が思った。
色気づいた事を微笑ましく思う者もいれば、妬み嫉みで心をどす黒く染め、激しい殺意まで抱く者がいた。
一時はゆうと恋仲になり、檜垣屋に婿入りする事を考えていた見習同心の小林海太郎はもちろん、八日市町小町と評判のゆうを狙っていた者も殺意を抱いていた。
手に入れた金の四分の三を、御奉行を始め同僚配下に分け与えたのに、感謝する事なく妬む者が数多くいたのだ。
定之丞は奉行所から直接檜垣屋に向かったが、見習支配組頭とはいえ、公用ではない外出に多くの供はつかない。
二百俵取りの貧乏旗本では、自分で馬を飼う事などできないので、公用で使う馬は奉行所で飼われている馬だ。
だから奉行所から檜垣屋へ行くのは徒歩になる。
定之丞の供は、槍持ち中間と全ての雑用をこなす中間に扮する下男。
それに若党の木村左門の三人だけだった。
三人の供は周囲への警戒に神経を尖らせていた。
何時何所から襲撃があるか分からない。
一番襲撃の確率が高いのは帰りだと分かっていても、油断できなかった。
だが木村左門たちの心配は杞憂に終わった。
定之丞は誰に襲われる事もなく檜垣屋についた。
ただ、いつもの茶庵ではなく使用人達が使う屋敷の奥向きに通された。
茶庵は裏通りに近い場所にあり、敵が塀を越えて強襲してくるかもしれない。
裏庭に孤立している茶庵よりも、多くの使用人がいる台所の奥にある、主人家族が使う一角の方が安全だと考えられた。
「よくぞおいでくださいました。
定之丞の言葉を恩に感じた拝田衆が重大な知らせを持ってまいりました」
檜垣屋の隠居が事情を話すのを定之丞は黙って聞いていた。
とても重大な話なので、孫娘のゆうは同席を許されなかった。
ただ何もせずに待っていたわけではない。
定之丞に食べてもらう料理の準備に余念がなく、台所で忙しく立ち働いていた。
「ふむ、牢番に接触してきた者をつけるのに人手が欲しいが、心から信用できる者が限られている」
「奉行所の方々も心から信用できませんか」
「そうだな、男の妬み嫉みは陰湿で激しいからな」
「我が家の手代の中には腕に覚えのある者もおります」
「それは無用だ。
地方の檀家衆から信用されている者を、このような事で失う訳にはいかぬ。
それよりは、拝田衆の力を借りる」
「さようでございますな。
拝田衆は普段から奉行所の下役として働いております。
木戸番や捕方として争いの場数も踏んでおります。
十手を携帯する事は許されていませんが、奉行所の御用を受けております」
「何かあっても、私や父上から御用を受けたと言えば筋は通る」
定之丞と隠居は細々とした所まで打ち合わせた。
万が一の手抜かりで誰かが死傷してはいけないからだ。
全ての打ち合わせが終わって、ようやく膳が運び込まれる事になった。
「精一杯のご用意をさせていただきました。
どうかごゆるりとされてください」
身体中で愛情を表現するような態度でゆうが酌をしようとした。
「悪いが今日は酒は止めておく。
帰りが少々剣呑になりそうだから、食事だけいただこう」
「そんな、御爺様、誰か用心棒を務められる人はいないのですか」
「心配しなくても大丈夫だ。
定之丞様に手抜かりなどない。
十分な手配りをされているが、油断のないようにされているだけだ。
そのように慌てては、定之丞を信じていないように見えるぞ」
「信じています、心から定之丞を信じています。
ですが、信じている事と心配する事は別でございます」
「ゆう、本当に大丈夫だから安心しなさい。
敵を罠に嵌めるために少数で来たが、それだけ自信があるのだ。
檜垣屋も屈強な下男をつけていると言っている。
心配せずに私のために一差し舞ってくれ。
ゆうの美しい舞いを見てみたい」
「はい、定之丞様」
誰もが檜垣屋の娘に会いに行くのだと疑わなかった。
謹厳実直だと思っていたが、色気づいたのだと皆が思った。
色気づいた事を微笑ましく思う者もいれば、妬み嫉みで心をどす黒く染め、激しい殺意まで抱く者がいた。
一時はゆうと恋仲になり、檜垣屋に婿入りする事を考えていた見習同心の小林海太郎はもちろん、八日市町小町と評判のゆうを狙っていた者も殺意を抱いていた。
手に入れた金の四分の三を、御奉行を始め同僚配下に分け与えたのに、感謝する事なく妬む者が数多くいたのだ。
定之丞は奉行所から直接檜垣屋に向かったが、見習支配組頭とはいえ、公用ではない外出に多くの供はつかない。
二百俵取りの貧乏旗本では、自分で馬を飼う事などできないので、公用で使う馬は奉行所で飼われている馬だ。
だから奉行所から檜垣屋へ行くのは徒歩になる。
定之丞の供は、槍持ち中間と全ての雑用をこなす中間に扮する下男。
それに若党の木村左門の三人だけだった。
三人の供は周囲への警戒に神経を尖らせていた。
何時何所から襲撃があるか分からない。
一番襲撃の確率が高いのは帰りだと分かっていても、油断できなかった。
だが木村左門たちの心配は杞憂に終わった。
定之丞は誰に襲われる事もなく檜垣屋についた。
ただ、いつもの茶庵ではなく使用人達が使う屋敷の奥向きに通された。
茶庵は裏通りに近い場所にあり、敵が塀を越えて強襲してくるかもしれない。
裏庭に孤立している茶庵よりも、多くの使用人がいる台所の奥にある、主人家族が使う一角の方が安全だと考えられた。
「よくぞおいでくださいました。
定之丞の言葉を恩に感じた拝田衆が重大な知らせを持ってまいりました」
檜垣屋の隠居が事情を話すのを定之丞は黙って聞いていた。
とても重大な話なので、孫娘のゆうは同席を許されなかった。
ただ何もせずに待っていたわけではない。
定之丞に食べてもらう料理の準備に余念がなく、台所で忙しく立ち働いていた。
「ふむ、牢番に接触してきた者をつけるのに人手が欲しいが、心から信用できる者が限られている」
「奉行所の方々も心から信用できませんか」
「そうだな、男の妬み嫉みは陰湿で激しいからな」
「我が家の手代の中には腕に覚えのある者もおります」
「それは無用だ。
地方の檀家衆から信用されている者を、このような事で失う訳にはいかぬ。
それよりは、拝田衆の力を借りる」
「さようでございますな。
拝田衆は普段から奉行所の下役として働いております。
木戸番や捕方として争いの場数も踏んでおります。
十手を携帯する事は許されていませんが、奉行所の御用を受けております」
「何かあっても、私や父上から御用を受けたと言えば筋は通る」
定之丞と隠居は細々とした所まで打ち合わせた。
万が一の手抜かりで誰かが死傷してはいけないからだ。
全ての打ち合わせが終わって、ようやく膳が運び込まれる事になった。
「精一杯のご用意をさせていただきました。
どうかごゆるりとされてください」
身体中で愛情を表現するような態度でゆうが酌をしようとした。
「悪いが今日は酒は止めておく。
帰りが少々剣呑になりそうだから、食事だけいただこう」
「そんな、御爺様、誰か用心棒を務められる人はいないのですか」
「心配しなくても大丈夫だ。
定之丞様に手抜かりなどない。
十分な手配りをされているが、油断のないようにされているだけだ。
そのように慌てては、定之丞を信じていないように見えるぞ」
「信じています、心から定之丞を信じています。
ですが、信じている事と心配する事は別でございます」
「ゆう、本当に大丈夫だから安心しなさい。
敵を罠に嵌めるために少数で来たが、それだけ自信があるのだ。
檜垣屋も屈強な下男をつけていると言っている。
心配せずに私のために一差し舞ってくれ。
ゆうの美しい舞いを見てみたい」
「はい、定之丞様」
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