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第4章:伊勢屋と共有田と金貸し
第37話:船下ろし式
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毎年正月二日には山田奉行所をあげて船下ろし式が行われる。
普通の船下ろし式は新造船の進水式なのだが、山田奉行所では違う。
将軍家からお預かりしている御用船の安全を祈願するとても大切な式であり、成人した若き主水同心や主水が操作技術を披露する晴れの舞台でもあった。
外宮と内宮の公平を期すため、両宮共に一の禰宜が参列して武運長久を願う祝詞をあげる。
伊勢湾に続く宮川の水路には、戦闘用の関船を改造した将軍家の御座船「虎丸」を始めとして、大型関船の「孔雀丸」、小型関船の「天地丸」「鬼丸」「千速丸」「一楽丸」「小鷲丸」「乙矢丸」「小鳥丸」の九隻が浮かんでいる。
それぞれの船には、将軍家から与えられた御召船印、関船印、山田奉行預り御船印と船幕が堂々と掲げられ、皆の意気を高める葵の御門が風にはためいている。
指揮を執る支配組頭と与力も緊張している。
整列して指示を待つ主水同心と主水は、組で決められた布地、寸法、絵柄の着物に身を包み、今か今かと号令を待っている。
主水同心七十五家、主水五十家で全九隻の櫓を漕ぐのは不可能で、全艦隊で出撃する時には、地元の船頭や漁師を強制徴募しなければならない。
今日はハレの日でもあるので、地元の漁師や船頭、大湊の船大工たちも駆けつけて協力している。
二年前から船造りを始めたばかりの吉川造船所はもちろん、市川造船所、松崎造船所だけでなく、松阪の廻船問屋角屋の者達も駆けつけ協力している。
角屋の初代、七郎次郎秀持は、神君家康公が命からがら伊賀を越えた後の船便を手配した功で、徳川家の御用商人となっていた。
角屋は廻船問屋を営んでいるだけに、山田奉行所の船改めには気を使う立場にあったから、普段から協力するのは商売の為でもあった。
歌の上手い主水同心や主水は、普段から鍛錬している、将軍家御座時に歌う舟歌も披露したいと思っていたが、流石に将軍家が御座されていない時には歌えない。
指揮官の命を受け、寒風吹きすさぶ海上に漕ぎ出した「小鷲丸」と「小鳥丸」。
「小鷲丸」には練達の与力に指揮された親世代の主水同心と主水が乗り込んでいる。
「小鳥丸」は見習与力が指揮を執り、同じく見習の主水同心と主水がいる。
競い合う二隻の艪は共に五十。
どちらが先着するかは、普段から鍛錬を怠らない腕力と技にかかっている。
親世代は子供に負ける訳にはいかず、子世代も一人前になった事を親に認めてもらいたくて必死だった。
指揮官の号令と船太鼓の響きに合わせ、力強く艪が漕がれる。
「小鷲丸」「小鳥丸」共に五十の櫓が狂うことなく調子を合わせている。
一方の船首が抜け出したかと思えば、負けじともう一方が差し返す。
何度も差しつ差されつ競争が繰り広げられ、海上の決められた場所を通過した時は、僅かに親世代が先行していた。
相撲のような八百長ではないが、勝負は最初から決まっていた。
成人したばかりの見習は数が限られており、五十艪を確保しようと思えば、どうしてもまだ十代前半の若輩が数多く含まれる。
年配を重んじ、忠孝の精神を大切にしている世の中では、親世代が勝つように人選されている。
親世代が弱いと思えば、船頭や漁師の力自慢が強制徴募された主水として採用され、勝つように人選されているのだ。
とは言え、若き見習達のやる気を削ぐのも大人げない。
ぎりぎり親世代か勝つように人選するのも指揮官の腕の見せ所なのだ。
「恐れながらお尋ね申し上げます、支配組頭の柘植様でしょうか」
朝からの船下ろし式が終わり、奉行所に戻ろうとしていた柘植定之丞に、手伝いに来ていた恰幅の良い男が声をかけてきた。
定之丞は、無礼な男を叩きのめそうとした木村左門を目で制し、最低限の礼儀をわきまえて、大きく距離を取る男に聞き返した。
「そうだが、お前は何者だ」
「大湊で網元をさせていただいております、甚三郎と申します。
今船で働かせている癩病についてご相談があるのです」
定之丞も癩病の話だと言われては無碍にできない。
最初から話を聞くつもりだったが、立ち話ですむような話か、じっくりと腰を植えて聞かなければならない話か、最初に確かめておかなければならなかった。
「ここで聞いてよい話しか、それとも檜垣屋の茶庵で聞く話か、どちらだ」
「できましたら檜垣屋で話させていただきとうございます」
普通の船下ろし式は新造船の進水式なのだが、山田奉行所では違う。
将軍家からお預かりしている御用船の安全を祈願するとても大切な式であり、成人した若き主水同心や主水が操作技術を披露する晴れの舞台でもあった。
外宮と内宮の公平を期すため、両宮共に一の禰宜が参列して武運長久を願う祝詞をあげる。
伊勢湾に続く宮川の水路には、戦闘用の関船を改造した将軍家の御座船「虎丸」を始めとして、大型関船の「孔雀丸」、小型関船の「天地丸」「鬼丸」「千速丸」「一楽丸」「小鷲丸」「乙矢丸」「小鳥丸」の九隻が浮かんでいる。
それぞれの船には、将軍家から与えられた御召船印、関船印、山田奉行預り御船印と船幕が堂々と掲げられ、皆の意気を高める葵の御門が風にはためいている。
指揮を執る支配組頭と与力も緊張している。
整列して指示を待つ主水同心と主水は、組で決められた布地、寸法、絵柄の着物に身を包み、今か今かと号令を待っている。
主水同心七十五家、主水五十家で全九隻の櫓を漕ぐのは不可能で、全艦隊で出撃する時には、地元の船頭や漁師を強制徴募しなければならない。
今日はハレの日でもあるので、地元の漁師や船頭、大湊の船大工たちも駆けつけて協力している。
二年前から船造りを始めたばかりの吉川造船所はもちろん、市川造船所、松崎造船所だけでなく、松阪の廻船問屋角屋の者達も駆けつけ協力している。
角屋の初代、七郎次郎秀持は、神君家康公が命からがら伊賀を越えた後の船便を手配した功で、徳川家の御用商人となっていた。
角屋は廻船問屋を営んでいるだけに、山田奉行所の船改めには気を使う立場にあったから、普段から協力するのは商売の為でもあった。
歌の上手い主水同心や主水は、普段から鍛錬している、将軍家御座時に歌う舟歌も披露したいと思っていたが、流石に将軍家が御座されていない時には歌えない。
指揮官の命を受け、寒風吹きすさぶ海上に漕ぎ出した「小鷲丸」と「小鳥丸」。
「小鷲丸」には練達の与力に指揮された親世代の主水同心と主水が乗り込んでいる。
「小鳥丸」は見習与力が指揮を執り、同じく見習の主水同心と主水がいる。
競い合う二隻の艪は共に五十。
どちらが先着するかは、普段から鍛錬を怠らない腕力と技にかかっている。
親世代は子供に負ける訳にはいかず、子世代も一人前になった事を親に認めてもらいたくて必死だった。
指揮官の号令と船太鼓の響きに合わせ、力強く艪が漕がれる。
「小鷲丸」「小鳥丸」共に五十の櫓が狂うことなく調子を合わせている。
一方の船首が抜け出したかと思えば、負けじともう一方が差し返す。
何度も差しつ差されつ競争が繰り広げられ、海上の決められた場所を通過した時は、僅かに親世代が先行していた。
相撲のような八百長ではないが、勝負は最初から決まっていた。
成人したばかりの見習は数が限られており、五十艪を確保しようと思えば、どうしてもまだ十代前半の若輩が数多く含まれる。
年配を重んじ、忠孝の精神を大切にしている世の中では、親世代が勝つように人選されている。
親世代が弱いと思えば、船頭や漁師の力自慢が強制徴募された主水として採用され、勝つように人選されているのだ。
とは言え、若き見習達のやる気を削ぐのも大人げない。
ぎりぎり親世代か勝つように人選するのも指揮官の腕の見せ所なのだ。
「恐れながらお尋ね申し上げます、支配組頭の柘植様でしょうか」
朝からの船下ろし式が終わり、奉行所に戻ろうとしていた柘植定之丞に、手伝いに来ていた恰幅の良い男が声をかけてきた。
定之丞は、無礼な男を叩きのめそうとした木村左門を目で制し、最低限の礼儀をわきまえて、大きく距離を取る男に聞き返した。
「そうだが、お前は何者だ」
「大湊で網元をさせていただいております、甚三郎と申します。
今船で働かせている癩病についてご相談があるのです」
定之丞も癩病の話だと言われては無碍にできない。
最初から話を聞くつもりだったが、立ち話ですむような話か、じっくりと腰を植えて聞かなければならない話か、最初に確かめておかなければならなかった。
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